暗躍編27話 夜明け前
私は見晴台に繋がる森の小径の中で、ただ一人立ち尽くしていた。
フェタミンの放ったブレスのせいか、森の木々の多くは真っ黒に焦げてしまっていた。
私達がアセット・アミノフとの戦っていた新闘技場近辺においても奴の魔法による森林火災が起きているから、ここら一帯の植物はたった一晩で笑えないくらい大量に燃えてしまったことになる。
今、私が立っているこの場所は、地面までぐっしょりと濡れて墨色の泥のようになっている。
おそらく火災を止めるために水魔法でも使ったのだろうが、その規模は個人で制御できる範疇を超えている。
これはカンナ・ノイドを囲む魔法国の兵士達、そして魔闘士達の手によるものだろう。
あの魔闘士達の何人かは見覚えがある。
確か、魔道士協会本部に籍を置く者達のはずだ。
私が帝国派の暗殺者としてエイヴィス王国で活動していた折に、戦闘になったことが二、三度ほどあった。
初級魔闘士とはいえ、複数人に囲まれると逃げるのもひと苦労で、人造人間を犠牲にしつつなんとか逃げ延びたと記憶している。
そんな奴らがこの場所に来ている。
それは、《銀の鴉》の捜査が地域の魔道士協会支部を飛び越えて、本部の管轄となったことを示唆している。
アセット・アミノフのあの自信は、本部が動いていること、そして今夜に備えて待機していたことを知っていたからなんだ。
圧倒的に危険度の増す状況。
しかし、我が娘・シアノは私の隣にはいない。
彼女はカンナのピンチを知るや否や、“姉様を助けるため”にと飛び出して行ってしまった。
そして兵士たちを蹴散らし、アセットを攻撃し始めた。
「だめ……ダ、逃げないと……シアノ」
私は空気を食むような小さな声で、シアノに語りかける。
無論聞こえるはずもない。
が、いち早く逃げてほしいという願いと、こうなったからにはやるしかないという覚悟の狭間で感情が揺さぶられて、声として漏れてしまうのだ。
現在の時間を考えるに、もしもアセットとの戦闘後に街道を通ってカンナを助けに行こうとしていたら、私とシアノもカンナと一緒に兵士達に取り囲まれ、捕まっていただろう。
山道を通ってきたので到着が遅れ、敵に四方を囲まれることもなかったのだ。
また、茂みの中で様子を見守っていたからこそ兵士達の死角から急襲できた訳だ。
正直、ここがターニングポイントだった。
カンナ達が拘束されている状況を見て即座に逃げを選択していたなら、私達はきっと今まで通りに暮らしていけたはずだ。
アセットには正体を見破られてしまったが、なんとなく彼は私達のことを黙っていてくれる気がしていたから。
しかし、シアノを止めることができなかった今、私達の存在は魔闘士達全員に割れてしまったと考えていいと思う。
奴らの一人でも取り逃がせば、本部に連絡が行き、私達はお尋ね者となる。
やるしかない。ここまで来たら、全員をブチのめして証拠を消すのみ。
私は覚悟を決めて、戦場へと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇
僕が手放したはずの意識を取り戻した時、そこは戦争の真っ只中であった。
僕が魔法で穿った窪地の中から上を見上げると、多くの兵士達が負傷し、血を流していた。
明らかに事切れている者もいる。
魔闘士達は数人掛りで青髪の女性や碧髪の子供との死闘を繰り広げていて、魔法国の兵士達はドラゴンの相手を懸命にこなしている。軍と魔闘士で一応の役割分担はしているらしい。
というより魔闘士達の相手が強すぎて、いくらエリートとはいえ一般兵には荷が重いということなのだろう。
それに、いくら強大な力を持つドラゴンでも大人数でかかれば対処できる。
マトが大きいし、可燃ガスを撒かれても防御に割ける人員がいれば良く、また、今回の個体の場合は僕の岩石魔法を食らった影響で動きも鈍くなっているからだ。
適材適所にバラけたといったところかな。
とはいえ相手戦力は少数ながらも一人一人が強力であり、戦闘規模はかなり大きくなっている。
それと、本来の計画ならば《銀の鴉》の力を削ぐのに十分すぎるくらいの人員が動員されていたはずなのだが、何故だか特殊警察局員の数が異様に少ない。
もすかして伏兵に奇襲でも受けたのだろうか。
「よ、っと」
体を起こそうと試みるが、体に力が入らない。
何故だか痛みすらも感じない。
どうしてだろうと記憶を手繰ってみた時、そういえばカンナ・ノイドに電流を浴びせられたのだと思い出した。
電熱によって体の組織が壊れ、動かせなくなっているのだろう。
そう考えると、今、僕が生きているのは奇跡だ。
カンナの攻撃で絶命していてもおかしくなかったし、今だっていつ死んでしまうかもしれない瀕死の状態であることに変わりはない。
──カンナ・ノイドはどこだろう。
ふと、彼女のことが頭をよぎった。
元々は彼女を止めるための戦いだったはずだ。
マイシィ・ノイド・ストレプトとエメダスティ・フマルにより《銀の鴉》の存在が国王に知らされると、王は即座に特殊警察局の動員を決定した。
また、王は自国の魔闘士協会が既に敵の手に堕ちている可能性を知るや、魔闘士協会本部にも情報をリークして救援を要請。
《銀の鴉》が動きを見せたのを確認したら、速やかに人員を集結させ、カンナを捕縛するという作戦だった。
その彼女は、少なくとも僕の見える範囲にはいない。
まさか、逃げたのか?
仲間達が必死に戦っているというのに、我が身可愛さに逃げ出したのか?
《銀の鴉》の面々は、その誰もが満身創痍である。
誰一人として血を流していない者はいない。
それなのに、怖気付いて逃げ出すような薄情者もまたいない。
いくら個人の力が強いとは言っても、限界はある。
特に魔法戦においては魔法の連続使用による脳の負荷が半端ではない。
義眼の僕なんかは顕著に症状が現れていたけど、自前の眼だったとしても戦闘行動における連続魔法行使は一時間が限度だ。
だのに目の前の彼女らは、頭頂眼から血を流しながらも懸命に踏みとどまり、戦い続けている。
何が彼女達をそこまで必死にさせるのか。
──そうこうしているうちに、ドラゴンに騎乗していたアナ・スティロイドが倒れた。
彼女に従っていた“赤い鱗のドラゴン”も力尽きた。
ドラゴンはアナを拘束しようとした兵に噛み付いたのを最後に動かなくなる。
それを見たアナは涙しながら、魔闘士と戦う二人に叫んだ。
“カナデ様が逃げ切るまで堪えて”
その声に応じるが如く、二人の若者は魔法力をさらに一段階上げる。
駄目だ、それ以上魔法を使えば脳の神経まで焼き切れて、二度と口も聞けない廃人になってしまう。
彼女達は犯罪者である。
なのにどうして、ここまで心に訴えてくるのか。
どうして応援なんて、したくなってしまうのだろうか。
僕が彼女達の奮闘を見守っていると、崩壊寸前の家屋の中から、岩のような大男が瓦礫を弾き飛ばしながら突撃してきた。
戦闘特化型の人造人間だったな、彼は。
岩男は先程までの戦闘相手だったであろう男の体を兵士たちに向かって投げ飛ばした。
敗北したのは、アセット・アミノフだった。
僕の後輩であり、命の恩人だ。
空中に投げ出された彼と、一瞬、目が合ったように思う。
彼は僕に向けて微笑みかけると、ドラゴンとの戦闘を終えて油断していた兵士達の屯しているところに突っ込んでいった。
そして兵士の持っていた槍に体の中心を貫かれ、絶命した。
なんということだ。
なんという夜だ。
初めに“戦争”と感じたのは間違いじゃなかった。
互いが本気でぶつかり合い、命を懸けた大規模戦闘を戦争と言わずしてなんと呼ぶのか。
「カーレフォリス、キト!!」
岩男が叫んだ。
エイヴィス共和国の北部で使われる大陸言語の一種。
意味は、“早く逃げろ”だ。
岩男は声を掛けてもなおも戦闘を止めない二人組に痺れを切らしたのか、戦闘中の彼女達に割って入り、その体を抱えて森の中へと駆けて行った。
その背中に何発もの魔法攻撃を受けながらも、二人を守るように抱いて、姿を眩ました。
やがて、夜が白んでくる。
長い長い戦いが、終わろうとしている。




