暗躍編26話 王の計画
「国王の計画を、台無し……? なんのことだ」
アセットから語られた、身に覚えのない話。
そもそも国王が何かしらの計画を立てているなどという話自体を聞いたことがないし、しかも二回も俺が原因でお釈迦になったと言うので余計に訳が分からない。
先刻の“エックスが力を持ちすぎた”という趣旨の発言に関係があるのだろうか。
《銀の鴉》は俺をトップとする組織だが、四大貴族であるエックスの発言力も絶大だから、確かに彼の権力を高めるための組織であるともいえる。
実質ツートップ体勢と言っても過言じゃなかったし。
しかし、彼は“国王派”貴族だぞ。
自らを盛り立ててくれる存在を国王が疎ましく思うことなど、果たして本当にあるものか。
「俺様も概要しか聞いてねぇが、要は《銀の鴉》ってのは魔法国内の均衡を崩しかねない危険な存在だってことよ」
「均衡を……崩す?」
「そうだとも。第一に、お前が原因で貴族界の三大派閥が崩壊した。身に覚えがあるだろう」
帝国派の崩壊事件。
これは元はと言えば俺に目をつけた帝国派の夫人が謀をしたのに端を発しているわけで、俺が原因と言い切られると少しモヤモヤとした気持ちになるがな。
しかし帝国派にトドメを刺したのは間違いなく俺で、復権派の残存勢力に対して病死に見せかけた毒殺を指示したのも俺だ。
故に言い逃れようがない。
「第二に、国王派内のパワーバランスが乱れたことだな。どうやら王はキナーゼ様を格上げして“新三大貴族制”を形成しようとしていたらしい。だが、ここ最近はシジャク家が力を持ちすぎ、既に国王派貴族内部ではハーヴェイ一強の気運が高まってしまっている」
「……それが国家体制の崩壊に繋がるって?」
「少なくとも、王はそう考えているってこったな」
冗談じゃない、ふざけるなよ。
確かに《銀の鴉》という組織を得たエックスは、自らに仇なす勢力の排除を積極的に進めた。
しかし、国王派貴族に手を出した事は、たった一度しかない。
それも、エックスの父トーマスを政界から退かせるために事故を装って大怪我を負わせたという、身内への謀略一回だけ。
もう一つの大貴族・ベイカー家には一切の手出しをせずに、国王派全体の利益になるように動いてきたんだ。
それでシジャク家一強と言われても、俺には単にグリフィン・ベイカーが無能だったとしか思えない。
現にエックスには、国政を自分一人でどうこうしようという野望は無い。
あいつは敵に怯えることの無い世界で、女に囲まれながら平和に日々を過ごしたいだけなのさ。
何が“均衡を崩す”だ。
異分子を排除して意思を統一したほうが国の運営上都合が良いに決まっているし、その均衡状態を保つために割く労力の方が無駄だろう。
「……まあ、後は取調室の中でじっくり話し合おうぜカンナ・ノイド。この国の王の意向がどうであれ、お前が犯罪者である事実は揺るがないんだから、な」
そう言ってアセットは自分の体を支えてくれていた魔闘士達に目配せをし、魔法力場と風魔法を上手く使って滞空状態に移ると、彼らを後ろへ下がらせた。
直後、彼は水魔法を使って大気中の水分をかき集め始めた。
水塊はその形を徐々に歪めていき、レンズのように真ん中が膨らんだ状態の円盤へと変化していく。
「──あれは!」
ビアンカに聞いたことがある。
あれはレンズの効果で光子を束にして発射するという、攻撃性の高い光魔法の予備動作。
光線を防ぐ方法は二つに一つ。
その一、完全に光を遮断できる壁を作り出すこと。
ただし生半可な厚みの壁など光線の熱エネルギーによって簡単に貫通させられてしまう。
、その二、こちらも光魔法を駆使して、水や氷を併用しつつ光の反射を狙うこと。
ある程度光魔法に慣れている者ならばこちらの方が手っ取り早い。
ただ、どちらにしても技の発動を見てから対処していたのでは遅い。
光を超える速度の物なんて存在しないのだから、攻撃が始まる前にこちらも対策を完成させねば。
「はあああああッ!」
俺は急いで光の反射膜を形成する。
水で作った膜に光魔法の効果を付与して、鏡のように光の軌道を反転させるのだ。
膜は相手がレンズを形成し終わるのとほぼ同時に完成し、敵の光の放射前に対策を講じることが出来た。
これで数秒間は安心だ。次の手をこの一瞬で考えなければ。
────が。
「甘い!!」
左の顎に強い衝撃。
気が付けば、俺はアセットに殴打されて地面へと叩きつけられていた。
何が起きたのか判断もできないうちに、俺は泥を噛み締め、味わうことになった。
脳が揺れる。
天地がひっくり返り、視界がレッドアウトし、続いて痛みと共に吐き気が襲ってくる。
手足がしびれ、動かせない。
頑張って身を捩ってみるも、景色は依然として歪みながら回転し続けていて、平衡感覚の一切が麻痺しているようだった。
「ア゛……ッ、がっ」
アセットが俺の体の上にのしかかり、俺を後ろ手にして抑え込んだ。
彼は下半身に力を籠めることが出来ないようだが、体の大きさ故、上に腰かけられるだけで女の体にはどうすることもできない拘束力となる。
「俺様はクシリトよりは弱いかもしれねぇが、あの人ほど真っすぐでもねぇ。お前、俺が半身不随だからって油断したな? 魔法攻撃から肉弾戦に切り替えるなんて思っていなかっただろ」
「う゛う゛ッ」
まさに言われたとおりだ。
完全に裏をかかれた形になり、俺はあっけなく拘束された。
「おおーい! 枷を持ってきてくれ!」
アセットは近くにいた兵士に呼びかけると、今度は俺に囁くように告げる。
「国王は《銀の鴉》の全ての所業をお前さんの責任にするつもりらしい。ハーヴェイ・シジャクはおとがめなしだ。きっとシジャク家が衰退されても困るからだろう」
「なん、だとッ」
「……逆に考えろ。お前一人の犠牲で、守れる命がいくつある」
守れる命。
──俺の脳裏に浮かんできたのは、ブラウン髪の胸の大きな美女だった。
長い間、俺の傍らでずっと支え続けてくれた最愛の人。
もしかすると、彼女も《銀の鴉》への協力者として、きっと……。
俺一人が我慢をすれば、彼女の事も救えるのだろうか。
全責任を一人で抱え込めば、あるいは。
──いや、そんな消極的な考えでどうする。
もしも国王が温情を与えなかった場合のリスクを考えれば、俺が生き延びた方が遥かにマシな結果になるだろう。
自分もアロエも死にました、では後味が悪すぎる。
「嫌、だ。俺はそんな甘言には騙されない!」
「だったら……大人しくしてもらうために、今からお前さんの頭頂眼を破壊する。痛いだろうが、我慢しろよ」
「──!! い、いやッ……」
待て待て待て待て、それだけは、それだけは嫌だ!
お、俺の目を、俺の目を潰すだって──!?
俺は恐怖に抗うように全身に力を入れて暴れようと試みるも、ただ俺の上に座っているだけのアセットを振りほどくことが出来ない。
魔法力場で何とかしようとしてみたが、即座に上書き、拡散されてしまい何の効力も無くなってしまう。
この男、クシリトより自分は弱いだって?
そんなことは無い。
アセットも十分すぎるくらいに魔法の達人と言って良い。
クソッ、ふざけるなよ。
今、俺の頭の中にはとある文字列が浮かんでいた。
消そうとしても、消そうとしても、どうしても想起してしまう。
抗うことのできない現実に、直視させられてしまう、絶望の文字列。
【ゲームオーバー】
「いやだ……いやだいやだいやだ」
早くこの場を逃れなくては、今浮かんできた絶望が現実のものとなってしまう。
俺はとにかく全身の力を振り絞ってアセットに抗った。
「おいコラ、暴れるな!」
「やめッ──んんんんんんんッ!!」
暴れる俺を大人しくさせるため、アセットが俺の顔面を掴んで地面に押し付けてきた。
アセットの大きな掌に口と鼻を押えられ、息継ぎすらできなくなる。
苦しい……苦しい……ッ!
手足の末端から痺れが広がっていく。
視界が滲んできて、前がよく見えなくなる。
俺の顔を覆っているアセットのゴツイ手は、汗で、涙で、唾液で既にぐちゃぐちゃに濡れている。
俺の股の間に生暖かい感触。
肌に張り付く、不快な液体の感触。
どうすれば良い。
策を練るのだカンナ・ノイド。冷静になれ、大浅 奏夜!
考えろ、考えろ、考えろ……この場を打開して再起を図り、思い通りの未来を掴む方法を!
フルスロットルで思考を回せ。
この土壇場で、形勢をひっくり返せるだけの何かを探せ。
すーーーはーーー。
さあ、深呼吸をしよう。
実際は口を塞がれて呼吸などできないけれど、それでも心の中では深く息を吸った気になって、考えてみよう。
ああ、そうだ。
落ち着いて考えてみれば、俺は……俺だけは……死ぬはずがないじゃないか。
なぜならまだ黒の魔女は生まれていない。
少なくとも、アイツの家族を皆殺しにするまで、俺は生きていられる。
だから何かあるはずなんだ、この窮地を切り抜ける方法が。
──あ。
「……ッ……ッ!」
「あァ? なん、だ……?」
それに気づいた時、俺は思わず笑い出しそうになってしまった。
俺は笑いを堪えるのに必死になるが、残念ながら思わず肩が小刻みに揺れたのをアセットに勘付かれてしまった。
──“この状況を打破できるような策は一切無い”。
俺の考えに考え抜いた結論が、これだった。
でもこれが現実なのさ。
俺にはこの世界で無双できるほどの強さも無く、天才的な知略をもって難題を突破するなんて頭脳も無い。
俺にあるのは、絶体絶命の窮地にその身を置きながらも、自らを俯瞰し、自分自身を笑い飛ばすというサイコパスな性質だけだ。
自分の事なのに他人事。それが弱みであり、強みでもある。
……さて。
こんな俺だからこそ分かったことがある。
おそらくこの極限状態に置いて、真に冷静さを保っている人間はいない。
俺を抑え込んでいるアセットも、俺を取り囲んでいる兵士や魔闘士の連中も、何が起きるか分からない極度の緊張状態の中にいるはずだ。
俺の一挙手一投足に神経を研ぎ澄まし、ほんの些細な物事にも鋭敏に反応できるように体が戦闘モードへと切り替わっている。
しかし、緊張と言うのは長くは保てない。どこかに綻びが生まれるもの。
標的である俺が拘束されたことで、緊張の間に緩和が生まれている。
今も全力で索敵に神経を注いでいる者は、実は少ないのだ。
だからこいつらは、──アイツの接近をまるで察知できていない!
「ああああああああああああ!!」
「グッ、こいつ!?」
俺は渾身の力でアセットを押し退けた。
無理な力が上半身にかかり、後ろ手に回されていた腕や肩が脱臼してしまったがぶっちゃけもう関係ない。
いまだに下半身は押さえつけられた状態であり、このままでは逃げられないことも承知の上だ。
その上で、口元だけは解放できた。
今しかない。
俺は全力で叫んだ。
「たすけてくれーーーっ!!」
この俺が何をするかって、それは、単に助けを呼ぶだけだったんだ。
だけどそれでいい。
アイツはきっと、これで動く。
俺の一言で、迷いの中にいたアイツの背中をぐっと押してやったのさ。
その目論見は、果たして──。
──成功した。
刹那。俺の助けを求める声に呼応するように、周囲の岩盤が大きく捲れあがった。
大勢の兵士たちが突然の地盤崩壊に巻き込まれ、ある者は岩盤に弾かれて空に打ち上げられ、またある者は降ってきた巨大な岩石の下敷きになった。
それだけではない。
地面が持ち上がった衝撃で、フェタミンを拘束していた岩塊が崩れた。
彼女は翼の一部を欠損しているようだが、まだまだ戦闘可能な状態で復活する。
可燃ガスを振りまきながら、彼女は吠えた。
「ガアアアアアアッ!!」
阿鼻叫喚の地獄絵図がそこに広がっている。
突然の出来事に、多くの者がパニックに陥った。それはアセットも例外ではない。
「何が起きたァ!!」
俺の上で、アセットが叫ぶ。
突如起きた地盤崩壊という大惨事に、理解が追い付いていない様子だ。
しかし流石は中級魔闘士。
わーわーと叫びながらも、俺の首根っこを掴んで地面へと押さえつけ、逃げられないようにだけは気を付けているようだった。
他の奴らは慌てふためいて持ち場を離れる者も少なくないというのに。
が、その刹那。
彼目がけて一直線に飛んでくる飛翔体があった。
「ぬぅッ」
アセットが飛翔体に気が付き、魔法で空中に飛び上がる。
直後、先ほどまでアセットの頭部があったあたりに突っ込んできたのはハンドボール大の氷の弾丸。
あんなものが頭に直撃していたらアセットだってひとたまりも無かっただろう。
しかし持ち前の聞き察知能力を活かし、咄嗟の緊急回避をしたアセットだったが、その結果、氷は彼の脚に命中。
空中でバランスを崩した彼は俺から数メートル離れた地面に墜落した。
奴はすぐに起き上がり、再び魔法力場で浮上、後方へと回避行動をとった。
案の定、彼を追うように氷弾の雨が地面を叩きつけて、大地を抉っていった。
その後も連続して攻撃が行われるが、その軌道からは、“アセットを俺に近づけさせまい”という強い意思が感じられる。
俺を助け出そうという強い意志だ。
「姉様に……わらわの姉様に、何をしたぁぁああああ!!」
解放されたフェタミンの背に乗って、腕を組みながらシアノ・ニクスオットは咆哮した。




