暗躍編24話 機転
俺とエスはドラゴンの首の付け根に取り付けられた鞍に跨り、戦場を俯瞰していた。
ドラゴンはつい今しがた、マイシィとクシリトの両名を体当たりで弾き飛ばしたところである。
並みの人間では歯が立たないほどに硬く、強い。
流石は《銀の鴉》の秘密兵器である。
エスの持つ角笛に反応して召喚されたドラゴンは、種名を“赤き鱗のドラゴン”、個体名をフェタミンという。
頭から胴までの長さ約三メートル、胴長五メートル弱、尻尾まで含めた全長は十五メートル程の体躯を持つ亜成体の個体だ。
樽の様な胴体の前後に、細長い棒が突き刺さった様なシルエット。
両肩から生えている翼は細かい支骨のある皮膜であり、鳥の羽ともコウモリの翼ともあまり似ていない。
時折羽ばたかせては毒々しい皮膜の模様を見せつけ、敵を威嚇している。
「いっけーッ! フェタミン、体当たりだッ!」
フェタミンにエスが指示を飛ばすと、敵もまたその声に反応し、身構える。
ところが命令を受けた彼女は体当たりをする素振りなど一切見せず、エメダスティに対して噛みつくような挙動を見せた。
エメダスティは少し驚いたような表情を見せつつもしっかりとバックステップで回避。
するとフェタミンは即座に爪での引っ掻き攻撃に切り替えて追撃をした。
フェタミンの爪を剣で受け止めたエメダスティは、攻撃の重みに耐え切れず、剣ごと建物の壁面に向かって弾き飛ばされた。
背中から石壁に叩きつけられた彼は、あまりの痛みに声も出せない様子。
“かはッ”と、肺から空気が押し出される様な微かな音を立てた。
「よくやったフェタミンッ! アタシの指示通りだねッ!」
「がう」
エスの褒める声に調子を良くしたのか、フェタミンは短く吠えた。
敵を前に興奮状態となっている彼女の口からは可燃性のガスが溢れ、時折炎が見える。
「エメ君!」
攻防の中で吹き飛ばされていたクシリトとマイシィが態勢を立て直し、こちらに向かってくるのが見える。
特にマイシィはエメダスティの救護に向かおうと、一目散に建物の方へ走って来る。
「マイシィ、避けろ!」
クシリトが叫ぶのと同時に、建屋の影から我が使用人の人造人間達が飛び出し、マイシィに襲いかかった。
馬鹿なやつだ。
他人を救うために必死になって、周りが見えていないじゃないか。
「──大丈夫ですっ」
マイシィに飛び掛かっていった人造人間三名のうち、二名が地中から迫り上がってきた氷の棘に足を貫かれた。
残る一名は咄嗟に跳び下がったものの、そこに待ち構えていたクシリトによる風の刃で引き裂かれた。
また、氷に囚われていた二名も、マイシィによる追撃の餌食になって命を散らした。
こうして彼らは人造人間達に横槍を入れられつつも、無事に戦場に復帰しやがったのだ。
「ちッ」
つーか、今の一瞬で生き残っていた使用人達は軒並み戦闘不能にされたぞ。
ドラゴンに体当たりされたくせに元気すぎないか、あいつら。
頼みの綱は八號だが、彼は建屋内で大怪我を負って動けなくなっている。
人造人間特有の治癒能力があるからそのうち復活して来るかもしれないが、今はドラゴンに頑張ってもらうしかないか。
それにしても、あのマイシィが躊躇う事なく人造人間を殺害したのには驚かされる。
が、それだけ彼女の覚悟が決まっているという証だろう。
ならば、こちらはその覚悟ごとブチ抜くのみ。
「行けぇぇ、今度はブレスだッ!!」
──ブレス。
ドラゴンが口内より発する超高温の火炎放射。
体内の可燃性ガスを用いた、魔法とは別の理屈で生み出される龍種の必殺技の一つである。
基本的に龍種は種によって一つから二つの必殺技のようなものを備えており、中でも“赤き鱗のドラゴン”は炎の一点特化型だ。
そのブレスは先刻のエメダスティの魔法剣の威力を遥かに凌駕する。
フェタミンはまだ亜成体だが、それでも魔法剣と同等に近いレベルの熱波を放出できるだろう。
「マイシィ、僕の後ろに隠れるんだ!」
エスの無駄に大きな声での号令を聞いたのは、何もフェタミンだけではない。
的にも情報が筒抜けなわけで、クシリトはマイシィを庇う様に前に出て魔法力場で障壁を張った。
フェタミンが口内から炎を溢れさせながら、大きく首をもたげる。
クシリト達もまた厳戒態勢となって体を低く身構えた。
しかし、フェタミンが次にとった挙動はおそらく誰も想像していないものになった。
飼い主のエス含めた全員の度肝を抜く事になる。
「ガアアアアアッ!」
彼女は炎を起こさず、可燃ガスのみを周囲に向かって大量に振り撒いて、次いで翼を使って風を起こし、ガスを敵の方へと押しやった。
その動作はちょうど、人間が扇で煙を払うのと似ていた。
撒き散らされたのは炎を纏わぬただのガスであるから、魔法障壁で受け止めたところで意味はない。
こうして、可燃ガスは瞬く間にクシリトとマイシィの周囲に漂い始める。
クシリトが事態の深刻さに気付き、叫んだ。
「──!! こいつは、まずい!」
だがもう遅い。フェタミンは改めてブレスを発射した。
こいつはもうただの直線的な火炎放射などではない。
ブレスの炎はクシリトたちを覆っていたガスにもあっという間に燃え移り、勢いのままに爆発と共に大炎上を引き起こした。
「すっごーいッ、フェタミン! これもアタシの、し、指示通りだねッ!」
フェタミンは指示を全く聞いていないどころか指示以上の事を平然とやっている……なんてツッコミたくなるところだけどな。
一応エスの汚名返上のために言っておくと、こう見えて彼女はドラゴン使いとして優秀すぎるくらいなのだ。
普通、ここまで龍種を従わせるには餌で釣ったり痛みを与えて調教したりとなかなかに苦労が伴う。
一方でエスの場合はドラゴンと対話して、心を通わせることを重要視している。
結果、うちのドラゴンは飴も鞭もなく言葉のみで従ってくれるようになった。
だが、そんな優秀なエスでも限界は存在する。
ドラゴン人間の言葉を完全には理解しないから、指示内容は非常に単純なものに限られるのだ。
進行方向を教えるなどドラゴンに乗り物を引かせるための手段は確立されていても、彼らの戦闘行動に対して細かい指図をする術は未だ存在していない。
所詮は畜生。その程度の知性なので、戦闘においてはせいぜい“攻撃しろ”“待て”“逃げろ”の三つの指令を組み合わせることしか制御できないと言うのが本当のところだ。
……まあ、うちのドラゴン達は割と頭が良いので、時折人間の言葉を理解しているんじゃないかと思える挙動も見せるのだけどな。
種明かしをすると、基本的にはフェタミンはエスの“行け”の声を攻撃の号令だと捉えているだけ。
その他の発声には全く意味が無く、フェタミンは好き勝手な攻撃方法をとっているのだ。
そして、このことはある意味で敵を惑わせる手段ともなる。
“指示内容と全く異なる動きをするドラゴン”を演出できるからだ。
体当たりに備えていたら引っ掻きが来た、噛み付きを回避したつもりがブレスだった、というように相手の意表を突くことができるからだ。
エスの持ち前の声の大きさは、攻撃のブラフとしてようやく役に立ったというわけだな。
「良いぞエス。このまま号令の声で敵を翻弄しろ」
「あいあいさーッ!」
エスは元気よく叫ぶと、今度はエメダスティの方へフェタミンの顔を誘導した。
彼は剣を杖代わりにして体重を預けながら、ようやく立ち上がったところだった。
「あいつにもブレスだッ! 行けぇ!」
今度は珍しく指示通りに、ブレスのモーションに入るフェタミン。
可燃ガスを口内へ溜めるように首をもたげて頬を膨らませ、発射態勢を取る。
しかし、折角指図通りの動きをしてくれているのにやけにブレスの溜めが長い。
先刻の爆発の為にガスを使いすぎたのかもしれない。
「あちゃー、だめだねこれは。止まれッ、フェタミン。肉弾攻撃に変えるよ。進めッ行けえッ!!」
フェタミンはエメダスティに向かって真正面から突進を始める。
エメダスティは棒立ち状態でこれを迎え入れる──わけもなく、ギリギリのところまで引き付けると緊急回避的にサイドステップをした。
フェタミンの巨体は減速もせずに我が家へと突っ込むこととなる。
「うえぁ!?」
俺とエスは鞍にしがみついて衝撃を堪えた。
もしも振り落とされたら大変なことになるからな。
幸いにも硬い鱗で覆われたフェタミンは外傷を負うことはなかったが、代わりに、不幸にも俺の家は東側の壁面が全損状態になってしまった。
補修にいくらかかるんだ。建て直した方が早いのか……? 考えるだけでげんなりする。
「……よくもやってくれたなエメダスティ」
俺はフェタミンに乗ったままエメダスティに向けて炎弾を発射した。
彼はこれらを剣を左右に振って弾く。
随分と余裕そうじゃないか、くそっ。
すると今度は彼の背後、立ち上る煙の中から氷の棘が俺達に向かって大量に飛んできた。
煙の中にうっすらと見えるシルエット。
あれは、マイシィだ。
俺は魔法力場を展開して棘の防御に努めた。
「“あいしくる・すぱいく”!!」
マイシィが技名を叫ぶと、氷の棘はさらに数を増して、横殴りの雨のように俺達に降りかかった。
フェタミンは鱗のおかげで痛くも痒くもないだろうが、騎乗する人間にとっては辛い攻撃だ。
「ひぃぃッ!? 怖い怖い、怖いってぇッ!!」
「馬鹿。動くな。俺が防いでいるうちは大丈夫だから狼狽えるな」
「はいぃ……」
俺が魔法力場を展開し続けられれば、だがな。
氷の棘の一発一発は非常に軽いが、この攻撃が長時間になると気力的にしんどい。
早めに対処しないと。
「“鎌鼬・全天”」
俺は空気の刃を縦横無尽に射出し、氷を粉砕し、さらにその勢いのまま敵の体を狙った。
自分の氷棘が粉々になっていく様を見て一瞬戸惑いを見せたマイシィは、回避のタイミングを一手逃した。
“しめた”と思ったのも束の間、立ち尽くすマイシィをエメダスティが横っ腹から搔っ攫う。
足元で風を暴発させての突進だ。
奴は安全圏までマイシィを運ぶと、彼女の肩を軽く小突いて気付けをした。
「油断しないでマイシィ。相手はあのカンナちゃんなんだから」
「うん、ごめんねエメ君。でも……」
マイシィが一瞬、不敵に笑ったように見えた。
「──時間稼ぎは、出来たでしょ!」
刹那。
黒煙を割るようにして巨大な岩塊が出現した。
フェタミンの体躯を優に上回るような、家一軒分はありそうなほどの巨大な岩。
それが真っすぐに、俺たちに向かって飛んでくる。
クシリトだ。
クシリトがあの巨大な岩盤をぶっ飛ばしてきたんだ、畜生!
飛行種のドラゴンは、その体積に対して体重は軽い。
表皮は固くとも、重力に押しつぶされればひとたまりも無いのだ。
「エス!!」
俺が声をかけるのとほぼ同時に、エスはフェタミンに指示を出していた。
「避けぇえええッ!!」
フェタミンは皮膜を震わせて翼を展開、上空へ飛び立とうと大きく羽ばたいた。
が、遅い。
宙に浮かび上がったフェタミンの尻尾のあたりに岩塊が突っ込み、それに引きずられる形で上半身ごと硬い岩盤に打ち付けられる。
その衝撃は騎乗者二名にも響く、凄まじいものだった。
「ガァああ!!」
あまりのインパクトに、叫ぶことしか出来ない。
が、ここで諦めてしまえば、岩の勢いに呑まれて押しつぶされるだけだ。
俺はコンマ二秒で気持ちを切り替え、迎撃に当たる。
いや、馬鹿正直に岩塊を迎え撃つ必要はない。
モロに衝撃を受けているフェタミンはともかく、俺とエスは今からでも脱出できる──!
「来い!」
俺はエスの手を引き、岩塊の上に飛び乗ると、そこからさらに跳躍して上空へ逃れた。
風を噴射して衝突時の運動エネルギーにブレーキをかけながら、俺は振りかぶった。
手に掴んでいた、エスの体を。
「行ってこい、エス!」
背後でフェタミンと岩塊が地面に激突する衝撃音を聞きながら、見据えるのは黒煙の前に立ち尽くす二人の敵。
俺はエスを全力で敵に向かって投擲した。




