暗躍編22話 新闘技場の戦いⅡ
私の弱点……弱点なんか沢山ある。
ありすぎて困ってしまうくらいだ。
今、アセットが指し示した我が弱点は中でも最も大切なもの。
帝国派に従って生きてきた私が、その人生をやり直すきっかけになった愛娘。
「シ、アノォォォ!!」
敵の意図に気づいた瞬間、私は娘の元へ駆け出していた。
思わず本名を叫んでしまった事に後から気付いたが、構うものか。
彼女は私が守るのだ。
「万物の根源たる日輪は此方に有り──灼き尽くせ、“飢える太陽”!!」
技名らしきものをアセットが叫ぶ。
やはり太陽をイメージして形を成した魔法だ。
光球はアセットの手掌より発射され、みるみるうちにシアノへと迫ってくる。
頭上からの眩い光によって、荒れた地面の凹凸がくっきりと影となって浮かび上がった。
その影が、恐るべき速度で地面を舐めていく。
それだけの速度で光源が移動していることの証だ。
動け、私の脚。
失血の影響で力が入らなくとも、頭が働かずに目眩を起こしかけても、前へ、前へと足を運ぶのだ。
畜生、風魔法で飛んだほうが早かったかな。
でもそんなことを考える間もなく体が動いていたんだよ。
やけに時間がゆっくりに感じられる。
それなのに、私の脚はなかなか前に進んでくれない。
夢の中で走ろうとしても上手く体が動かせないように、一歩一歩が非常にもどかしい。
スローモーションのような意識の中、何十倍にも引き延ばされた時間の中、私はようやっとシアノの体に触れられるくらいまでに近づくことができた。
だけど、すぐ近くに光を、熱を感じる。
ああ、間に合わなかった。
シアノを抱えて遠くへ離脱することはもう不可能だろう。
──ならばせめて、私の体で護れないものか。
私が盾となり、アレを受け止め切って活路を切り拓く。それしかない!
「“絶対零度”」
私は振り返り、ありったけの精神力を込めて魔法力場を練った。
炎魔法とは逆の発想、周囲の温度を奪い去る冷気の魔法だ。
対となる属性のそれを迫り来る光球にぶつけ、渾身の力で持って押し返すのだ。
「おおおおおおッ!!」
絶対の温度を生み出す光と、絶対の温度を奪い去る風。
二つの魔法が重なる瞬間、双方から余剰エネルギーが溢れて、光のエフェクトを放ちながらせめぎ合いを始めた。
大気が揺れる。空気が膨張と圧縮を繰り返しているのだ。
大地は衝突面を境に、赤熱する側と、氷結する側とにくっきりと別れている。
あまりの温度差から地面にひび割れが生じ始める。
意地と意地とのぶつかり合いを象徴するが如く、大地の裂け目は拡大の一途を辿るのみ。
「シアノォォオオ!!」
お前だけでも逃げろ、と伝えたかった。
カンナだって、クシリトがいなかった場合は即時に撤退と言っていたではないか。
私はアセットが敵の本体に合流するような事態になれば、我々の敗北は確定すると思っている。
だからこそ覚悟を持って彼とこの場で交戦を始めたのだ。
しかし、せめてシアノだけでも。
この子さえ生き続けてくれれば、私にはもう何もなくて良い。
そんな想いが溢れて、私は彼女の名前を呼んだのだ。
ところが、シアノは逃げなかった。
どうやら私の叫びを別の意味で解釈したらしいのだ。
あろうことか、あの子は風を纏って上空へと舞い上がり、アセットへと接近した。
私の絶叫が“チャンスだから攻撃しろ”と言う風に聞こえてしまったのかもしれない。
「だめダ、逃げて──」
今更足りない言葉を紡いでも意味が無かった。
大規模魔法同士がぶつかり合い、空気が震え、轟音が鳴り響く現状の中、上空でアセットに肉薄するシアノにまで私のか細い声が届くはずもない。
私は魔法同士の衝撃により放たれる光の中、眩しさに目を細めながらあの子を見守ることしか出来なくなってしまった。
「おいおい、お前さんに近接戦ができるのかい? 魔法障壁でも張ってあげたほうが良かったんじゃないか?」
「わらわだって……わらわだって沢山練習、したんだからああああ!!」
シアノが叫んだ、次の瞬間──何かが起こった。
アセットが不可視の何かに押し出されたかのように、いや、弾き飛ばされたかのような勢いで地表へ向かって落下を始めたのだ。
地表で魔法を維持しながら見守るだけだった私には、何が起きたのかを瞬時に理解することは難しかった。
なんとなく、アセットが殴り飛ばされたようにも見えなくもないが──そんなことがあり得るのか。
どちらかといえば華奢なシアノが、大柄のアセットを?
「はああああ!!」
「う、うおおッ!?」
いや、今はっきり見えた。
空中で体勢を立て直そうとしたアセットに対し、シアノが追撃をかけたのだ。
確かに彼女はアセットを腕で攻撃していた。
今、シアノは上空に留まり、肩を上下させながら呼吸を整えている。
長い髪を風になびかせ、利き手である左腕を振り下ろした姿勢のまま。
高速飛行から殴り抜けた勢いで、髪を覆っていた布は落ちてしまったらしい。
──そう言えば、あの子はカンナから魔法力場そのものを操る術を教わっていたような。
シアノは左腕全体を力場で覆い、リーチを大幅に拡大して相手を殴打したのか。
彼女の天才的な魔法力で形成された“魔法拳”はさぞかし痛かったろうな。
案の定、二度の打撃を受けた大男は、姿勢制御も碌に出来ずに吹き飛ばされてしまっている。
しかもシアノは闇雲に殴り飛ばしたわけではないらしい。
何故ならば、アセットが投げ出された方角の延長線上に、この攻撃の最大の肝が控えているのだ。
「ぐ、おッ、や、灼かれるッ!!」
そこにあったのはアセット自身が放ったミニ太陽。
つまり、術者本人を魔法の中に叩き込む算段だったのである。
シアノの魔法拳による一撃は見るからに重く、アセットは風魔法で体制を立て直そうにも上手くいかない様子。
“そのまま灼熱の魔法へ突っ込んでしまえ!”と私は心の中で期待したが、奴は上手だった。
自分で作った魔法なのだから自分で制御できると言わんばかりに、アセットは魔法力場で光球を弾いて魔法の軌道を逸らした。
同時に、反作用で落下の加速度を大幅に減衰する事にも成功する。
しかしながら落下速度をゼロに近づけることは叶わず、彼はかなりの勢いを保ったまま地面に激突した。
シアノの特攻は功を奏したのである。
さらに、シアノが頑張ってくれたおかげで、私もピンチを脱することができた。
アセットが魔法を弾いたので、私とミニ太陽との鍔迫り合いの均衡が崩れたのだ。
光球は私の横をすり抜ける形で茂みの方へ突っ込んでいき、一帯の植物を呑み込みながら木々の奥へ進むと、森のど真ん中で爆発した。
轟音と共に背後から物凄い熱波が押し寄せて来て、戦場は熱と煙で覆い尽くされる。
何という恐ろしい威力。
あんな物と先程まで競り合っていたと考えたら、鳥肌が止まらない。
幾度とない死線を経験している私ですら、腰を抜かしてへたり込んでしまうほどだった。
「母様! 大丈夫、怪我はない?」
「アア、平気ダ。それより、アセットの方を確認してくれないカ」
シアノは無言で頷くと、地面で倒れ伏すアセットの方へ恐る恐る近づいていく。
彼はピクリとも動かないが、中級魔闘士を名乗る以上、あのくらいで死ぬようなタマではないはずだ。
気を失ったフリからの奇襲もあり得る。
本当はシアノではなく私が様子を探りに行きたいところだが、いかんせん力が抜けてしまって立つことが出来ない。
悔しさに歯噛みしつつ、娘を見守るのに徹する。
そろりそろりと、シアノは奴に近づく。
あと五メートル……四メートル…………足が止まる。
どうしたのだろう。
やはり慎重になっているのだろうか。
シアノはその位置に立ち止まったまま、左手を翳した。
何かを小さな声で呟きながら魔法力場を練り上げていく。
間もなく小さな水塊を出現させると、彼女の歩みは再開された。
──あの水滴は、猛毒の塊だ。
毒の滴を装填した彼女に、もはや迷いは消えて無くなっていた。
自身が信頼する、最強の武器を手に入れたのだから。
さっきよりも大股気味に、一度も停止することなくアセットに最接近した。
「はっはっはっは!! いや、まいったまいった!! まいったから、そいつを何処かにやってくれ!」
アセットが急に瞼を開け、右腕を前に突き出しながらシアノを制止させていた。
やはりあの男、意識があった。
奇襲攻撃を狙っていたんだ。
シアノが毒物を生成する気配を察して、手詰まりと判断し、降参の意思を示したというところだろう。
「嫌だ。お前はわらわの母様を傷つけた。万死に値する」
「わーった、謝るから! この通り──って、体が動かねぇんだけどよ」
よく見ればアセットは右腕以外を全く動かせていない。
彼の様子を観察するに、他にまともに出来ることといえば、かろうじて頭を持ち上げる事くらいのようだ。
「左手は脱臼、腰から下は神経が逝っちまったかもしれねぇ。気力も尽きちまったから治癒魔法も掛けられない。はは、完全に俺様の、負けだよ」
完全敗北を宣言した割にはあっけらかんとした態度である。
なんだか腰を抜かしている自分が馬鹿みたいに思えてきた。
私の気力が回復すると共に足腰にも力が戻り、ようやく立ち上がって娘の元へと歩み寄る事が出来た。
アセットは視線の動きだけで私を確認すると、何もかもを諦めたかのように脱力し、ふふっと笑う。
あれだけの大技を出しておきながら敗北した自分自身への嘲りの笑いだろうか。
しかし動けなくなった敵を見下ろす感覚は、悪くない。
「えーと、とどめを刺さずに見逃してくれるってことは無いのかい」
「……無いネ」
「降参して損したぜ」
《銀の鴉》を知る者に私達の正体を見られて、このまま放置するなんて選択肢があるはずもない。
我々の生存が判明すれば、当然、十余年前の飛空艇事故の真相も追及される。
命を繋ぐために仕方が無かったとはいえ、あの事故、いや事件の責任の一端は私達にもあるのだ。
だからといって今更あの時の事で裁かれる羽目になるのも馬鹿馬鹿しいではないか。
「だから……お前には消えてもらうヨ」
本当のところは殺す必要なんてない。
こいつが私の顔を見なければ。
正体に気付くことさえなければ、見逃してやるという選択肢も生まれてきただろうに。
私はシアノを手で制しつつ後ろに下がらせ、深く深く息を吐いて呼吸を整えた。
娘には、やらせない。
余計な十字架を、これ以上背負わせてなるものか。
私は右手の指の間に電流を流し、構えた。
電熱で灼かれると筋肉が硬直して動けなくなる(私自身も経験済み)。
これはつまり断末魔の叫びを聞かずに済むということでもあるから、とどめを刺すのにこれほど後腐れの無い方法が他にあるだろうか。
さようなら、アセット・アミノフ。
お前は私が今まで出会った敵の中で、間違いなく最強の存在だったよ。
「待てよ、話を聞いてくれ」
「待てと言われて待つのは愚か者だヨ」
「──お前たちにも悪い話じゃないはずなんだがな」
「なんだと?」
私の手が止まる。
自分自身で愚か者と言ったばかりなのに、おかしな話だ。
実際、この程度で殺害を躊躇するのは三流だが、アセットの態度には妙に真に迫るものがある気がするのだ。
この辺りは長年の勘というやつかな。
「過去の罪も、今の状況も、何ならお前たちの情報全部隠蔽してやると言ったら、どうかな?」
困惑の表情でアセットを見下ろすと、彼は相変わらず目線だけをこちらに投げかけ、清々しい笑みを浮かべている。
この土壇場で交渉を始めるという事は、余程のカードがあるという事か。
「俺達にも後ろ盾はいる。それだけの準備をしてこの戦いに挑んでいるってことだ。そいつらと連携すりゃあ、お前達の過去なんて全部まとめてすっきり無かったことにだってしてやれるぜ」
「……そんなことが出来る組織があるわけが無いだろウ。人をおちょくるのも大概にしておけヨ」
私は否定の台詞を吐いたが、本当に否定したかったのは“アセットの言うことが真実である可能性”だったかもしれない。
もし彼の話が正しければ、我々は想像よりも巨大な何かを相手していることになってしまうからだ。
私の迷いを感じ取ったのか、アセットは首をわずかに持ち上げ、真剣な表情になる。
「いいや真実だ。良い事を教えてやろう。今夜、カンナ・ノイドは捕まるぞ。それは俺様をここで屠ったとしても変わりようがない既定路線だ。さらに言えば、俺の口添えがなきゃお前らもカンナと同罪として処分されるだろう。分かるか? 娘を守りたいのなら、今決断しろ! お前の望みは、そこにあるんだろう!?」
カンナが捕まる……? 既定路線……?
この男の言わんとしていることはなんだ。
我々は誰と戦っているんだ。
確かに今、遠方より断続的に大きな音が聞こえてきている。
おそらく戦闘音。
クシリト・ノールはあちらにいるのだろう。
しかし、我々だって万全の準備を整えてきた。
そう簡単にカンナが敗れるとは思えない。思えない、のに。
「母様……」
「しあ、の……」
私は、どうすれば良い。
私はいつだって誰かに命令されて動いてきた。
自分で決断をしたことなんて、帝国派を見限ったあの時くらいなものだ。
それですら、結局は主人が挿げ替わっただけで、カンナの都合の良いように使われる立場となってしまっている。
こんな現状からも抜け出せる道があるというのか?
アセットの言うとおりにすれば、自由に生きられる未来も──。
「母様、やはりわらわがこの男を殺します」
シアノの鈴の音のように澄んだ声が、私の迷いをすり抜けてアセットに突き刺さる。
冷酷なまでの処刑宣告。
彼女は、覚悟が出来ている者の目をしていた。




