暗躍編20話 見晴台の戦いⅢ
エメダスティの炎は旋風を伴いながら、一直線上のありとあらゆるものを焼き尽くす勢いで飲み込んでいく。
例えるならば火炎放射器──いや、それよりも激しい熱量の奔流だ。
建物の外にあった森林の一部は一瞬のうちに炭化し、さらに射線上から外れていたはずの周囲の木々にも次々と引火、気が付けばちょっとした森林火災の様相を呈していた。
「あいつ、本気で俺を殺す気だった」
もっとも、魔法力場、風魔法、水魔法……この辺りを上手く組み合わせればガード出来なくはないだろう。
だが何の対策もせずにあんなものをまともに食らっていたら、焼死は必至。
殺意も無くあんな攻撃を放てるとは到底思えない。
「危ないよエメダスティ。僕までやられるところだったじゃないか」
「すいません、クシリトさんなら大丈夫だと思って」
「はは、確かにそうなんだけどね」
今の一撃でクシリトまで巻き込んでくれたらよかったのに、奴は間一髪で外へ逃れていた。
確かにあっさりと死ぬようなタマなら上級になどなっていないのだろうけどさ。
クシリトは肩に降り掛かってきた煤を払うと、だらりと腕を下げて脱力した。
トントンとその場で軽くジャンプし、肩口から先をぶらぶらさせるのと同時に、肩を揺らしたり腰を捻ったりして、全身の筋肉を解きほぐしている様子だった。
屋外での戦いが始まるのに際して、本気モードへ移行するための準備体操だろうか。
──と思った刹那。
「疾ッ」
「──!」
気が付くと、俺の眼前にクシリトが迫っていた。
速い。
つい先程まで準備運動をしていたというのに、既に俺に手が届きそうなところまで近接してきていた。
踏み込みの挙動なんて見せていなかったのに、こんなにも近い。
……まあ、理屈は分かっているよ。
先程のメトロノームみたいに一定のテンポを刻んでいた跳躍は、準備運動でもあり、奇襲のための予備動作でもあったのだ。
格闘家がリングの上でリズムを刻むのと同じ理屈。
動きのパターンを相手に認識させてから、あえてその裏を突くのだ。
加えて、クシリトは俺の瞬きのタイミングを狙っていた。
視界が瞼に遮られた一瞬で、大きく踏み込み肉薄してきたということだ。
流石は上級魔闘士、戦い慣れている。
だけども俺はイブとの修行の中で、似たような事を何度もされてきた。
意表を突く方法として習得しておくようにと教わった記憶もある。
よって、今更この程度では驚かないのである。
俺は後方へ跳び下がると、着地を待たずに魔法腕を使って空中へ躍り上がる。
着地の隙を無くすと言う意味でも魔法腕は非常に有効だ。
俺は魔法力場を足場にして数段の空中跳躍を繰り返し、高度を一気に上昇させた。
風を身に纏い、そのまま常時飛行状態へ移行する。
せっかく外に出たんだ。三次元空間を活用して立体的に戦わないと損だろう。
それに、滞空状態は対クシリトとして非常に有効な手段だと思われる。
「クシリトさん。アンタが万全の状態なら空中戦など造作もないことかもしれないが、義眼の馴染まない現状では少々きついんじゃ無いか?」
「どうだかね。試してみるかい?」
クシリトはそう言って、俺に向かって風の刃を放ってくる。
しかもなんと、同時進行で八號をも相手し始めやがった。
八號がクシリトの背後から飛び掛かるも、魔法力場の壁を作られて八號の攻撃は全て弾かれる。
クシリトはそのまま八號と徒手格闘を行いつつ、上空の俺にも的確に風の魔法を放ってくる。
彼は遥か上空から狙う俺の氷弾にも確実に対処していた。
頭の裏側に目でも付いているのかという程に、奴は完璧な立ち回りをする。
おいおい、本当にこれで不完全な状態なのか。
クシリト・ノールは俺の想定をはるかに上回る化け物なのではなかろうか。
だとすれば、俺はどうすれば良い。
「エメダスティ! 君はマイシィを頼む!」
クシリトは、大技後の気力回復のために足を止めていたエメダスティに指示を飛ばした。
まるで俺と八號の相手は自分一人でも問題ないと言わんばかりの態度であるが、実際そう思っているのだろうな。
「随分と余裕じゃないですか、クシリトさん!」
俺は地上へ向けて、氷の礫を内包した強烈な暴風を叩きつける。
クシリトは散弾銃の如く振り付ける氷を全て避けると、お返しとばかりに俺の方へ猛烈な風を送り込んできた。
俺はこれを魔法力場で跳ねて回避。
こうも風魔法を乱発されると、上空の気流が乱れて若干飛びづらくなるから困る。
──それに。
「お前が風に乗せて何か粉のようなものを散布しているのは気づいているぞ、カンナ。無駄な事はやめろ」
「だから風魔法ばかり使っていたのか」
予想はしていたが、奴には魔晶粉末を撒き散らしてからの術式発動戦術“昏睡夢魔”は通用しないようだ。
完全に初見殺しになるはずの技だったんだけどな。
流石は上級魔闘士、一筋縄とはいかないか。
で、あればいっそのこと作戦変更だ。
俺は地上に降りつつ、なおもクシリトに攻撃を当てようと奮闘している八號に向かって叫んだ。
「八號! お前はエスを頼む!」
頷きもせずにクシリトに背を向け建屋に向かって走り出す八號に、クシリトは多少焦った表情を見せる。
「まさか、僕と一騎討ちする気か?」
彼は八號の背面に向かって炎塊を投げつけるが、それは俺が間に入って受け止めた。
むしろ、その炎を利用させてもらう。
「らああアッ!! お返しだ!!」
俺は魔法腕に炎を乗せてクシリトに殴りかかった。
魔法腕とは魔法力場の塊であり、魔法とは魔法力場の作用の一つであることから、当然、魔法腕に何かしらの属性を纏わせる事は可能なのである。
そして付与できる属性は炎だけじゃない。
俺は繰り出す魔法腕全てに別々の属性を纏わせ、俺に操れる限界の本数でもって乱打を浴びせた。
炎、氷、水、電撃、風、岩石。
全属性に対応するのは至難の業だろう。
体術のみではどうにも出来ない至近距離からの魔法連撃。
八號をエスの援護に向かわせたのは、この連撃を放つにあたって、周りの状況など気にしていられないからだ。
突貫力にのみ重点を置いたラッシュ攻撃に、味方を巻き込まない自信はない。
──さあ、クシリト。使え、義眼を酷使しろ。
そしてさっさと限界を迎えてしまうが良い。
「おおおおおォォォォッ!!」
「らあああああぁぁあッ!!」
展開されるは激しい乱打戦。
向こうも防戦一方というわけでなく、きちんと俺の隙を見つけては蹴りや手刀で反撃してくる。
俺は間一髪でそれらの攻撃を交わしながらも決して魔法腕の動きは止めない。
既に一瞬の読み違いが致命傷となりそうな、互いの限界を競う争いになっていた。
しかし決定打が無いまま時はどんどん過ぎていく。
あと少し。
あと少しなんだ。
もう少しで状況は完成する。
それまでに敵の精神力をどれだけ削ぎ取れるかが勝敗の分かれ目になる。
だから俺は──限界を越える!
しかし。
「カンナ……ノイドォォォォ!!」
クシリトが俺の名を叫んだ次の瞬間だった。
奴は全方位へ無差別に突風を起こし、俺は大きく吹き飛ばされる。
指向性の魔法なら回避すれば良いだけの話だが、全天に向けた攻撃はどうしようもない。
これだけの乱打戦の中、それほどのイメージを練るなんて。
──まずい、早く体勢を立て直さなければ。
空中で体を捻りつつ一回転してから地面に降り立た俺は、再びクシリトへ肉薄するために脚に電流をかけた。
が。
俺は、自分の起こした電流を上手く制御できずに膝から地面へ崩れてしまった。
自分の思う以上に消耗していたらしい。
力場のコントロールが上手く出来ない。
落ち着かなければ。
落ち着いて気力を回復させなければ。
今この瞬間に攻撃されるのは危険だ。
俺は腕をクロスし、ガードの姿勢を取りつつ顔を上げる。
すると嬉しい光景が目に飛び込んできた。
クシリトが俺と同様……いや、それ以上に調子を崩している様子だったのだ。
奴は今、額を手で覆い隠すようにしながら肩で息をして立ち止まっている。
それどころか、時折くぐもった悲鳴を上げながら膝をガクンと折ってしまっていた。
まだ体に定着しきっていない仮初めの頭頂眼が悲鳴を上げているのだ。
俺の目論見通り、奴は割れるような頭痛と戦う羽目になっている。
くそ、俺の気力がまだ保っていれば、この場でとどめを刺せるのに。
「はぁ……はぁ……あれれぇ、クシリトさん。今度は……随分とお辛そうですね」
「グウッ──き、君こそ限界のようじゃないかッ──ああッ」
両手で膝を押し出すようにして、俺は立ち上がる。
あと一撃くらいは加えておきたい──のに、俺の頭も、内側に鉄アレイでも埋め込まれたかのように重くて、ガンガンと痛みが鳴り響いている。
畜生。
この一手の遅れを、致命的なものになる前に取り返さなきゃいけないのに、俺は自分一人では何も成し遂げられない。
矢も楯もたまらず、俺は叫んだ。
「エェェェス!! 八號ォォォォ!! まだなのか!?」
俺の叫びに、クシリトが顔をしかめながら反応する。
「カンナ・ノイド、何を言って──」
そんなクシリトの台詞を遮るように、二階角部屋部分の壁が破壊され、中から八號に抱えられたエスが姿を現した。
彼女は負傷したようで、左腕の肘から手首のあたりまでバッサリと斬られた痕跡が見える。
八號に抱えられながら、彼女は自分の腕の治癒を試みていた。
八號は二階から飛び降りると──体が大きいから大した高さじゃないように見える──、エスを地面に下ろし、クシリトの方へと迫っていった。
「危ない、クシリトさん!」
建物の方からマイシィの声が響くのとほぼ同時、クシリトが両手を前に突き出して不可視の力で八號の体を弾き飛ばした。
腕の形は成していないものの、魔法腕と同じ要領、つまり魔法力場そのものを攻撃に用いたのだ。
確実に弱ってはいるが、反撃する力は残っていたのか。
八號は先ほどエスを降ろした場所まで吹っ飛んでいくと、そのまま背中から地面に激突する。
八號は立ち止まっていたエスと危うく衝突事故を起こしかけたが、エスが寸前で避けてくれたために玉突き事故には至らずに済んだ。
一方のエスはギャーギャー騒ぎながら俺の方まで走ってくる。
相変わらずうるさい。
「あっぶなーーーッ! 何あの人、めっちゃ飛ばしてくるじゃん」
「あのな、これでも俺がだいぶ弱らせたんだぜ」
「……ヒエッ」
息を呑むエス。
気持ちはわかるが、今はそんなことよりも確認したいことがある。
俺はふらつく体をエスに支えてもらうと、彼女に尋ねた。
「おい、フェタミンはまだなのか」
エスは、不敵に笑って答える。
「ふっふっふー。それがねぇ、今まさに……到着したんだよッ!」
エスが天頂を指さすので、俺もつられて空を見上げた。
星々の間を縫うようにして、一つの影が動いていた。
その影はとある一点から動かなくなり、だんだんとその大きさを増していく。
否、動いていないわけでは無い。
その場で垂直に落下してきているのである。
「な、なんだあいつは!?」
その声は、クシリトの物だったか、それともエメダスティの物だったか。
いずれにしても、驚愕の対象は一つ。
目の前に降臨した、我々の“援軍”である。
現在、《銀の鴉》の関係者の中で一番強いのは俺ではない。
八號でもなければ、ビアンカでも、シアノでも、イブでもない。
今まさに現れた“援軍”その者。
そして、そいつを操りし──エスこそが、最大の戦力なのだ。
「コイツぁ驚いた。まさか、こんなモノまで使役しているとは」
「嘘でしょう。私でも、こんな大きさのものは食べたことはないよ!?」
「……マイシィ。ドラゴンを見てその表現をするのは君くらいだよ」
そう、《異常進化の世界》より現れ、この《魔法世界》に定着してしまった恐るべきモンスターの一角。
“赤き鱗のドラゴン”こそが我らが秘密兵器。
“血染めの怪物”とも称される巨大な生物が、戦況を確定させるべく舞い降りたのだ。
「さあフェタミンちゃん、食事の時間だよッ! 本日のメニューは~じゃじゃんッ! 敵対者三名のステーキでぇすッ! ぱちぱちぱち~」
エスは高らかに宣言した。
素敵な餌付けタイムの始まりを。




