暗躍編19話 見晴台の戦いⅡ
「クシリト・ノール……!」
俺はクシリトを苦々しい思いで睨み付ける。
闘技場建設地のコンテナは、やはりブラフだったのか。
しかし厄介なタイミングで現れたものだ。
おそらく彼は外でずっと待機していたのだろう。
そして、エメダスティの合図を待って突入を敢行した。
──彼らは事前に示し合わせていたに違いない。俺の最も嫌がるタイミングで姿を表すことを。
それは俺たちの士気を少しでも多く削ぎ落とす為の作戦だ。
クシリトは黙って俺へと目線を送った。
彼の額に埋められて間もないであろう頭頂義眼が、煌々と光を放つように魔法力場をフル展開していた。
少しだけ伸びた黒髪が逆立つように揺れ、仁王像の如き威圧感を纏い、立ちはだかる。
彼の登場は明らかに場の空気が変を変えた。
少しでも隙を見せれば殺されかねない緊迫感。
手負いとはいえ、化け物は化け物か。
なにせ相手は現在存命中の魔闘士の中では最上位の階級に位置する男だ。
もしも彼が万全の状態であれば、ロキやイブ、シアノといった俺の戦闘の師匠達ですら決して敵わないだろうことは想像に難くない。
「観念しろ、カンナ・ノイド。もうどこにも逃げ場はない」
クシリトは静かに、しかしはっきりと耳に届くような声音で、俺に王手を告げた。
“あと一手。間も無くこの争いが終わる”と、向こうはそう思っているに違いない。
俺はわざとらしくほくそ笑んで見せた。
向こうの思惑など意にも介していないという風に、目を細めて口角を歪める。
「“逃げ場はない”ねぇ。俺は逃げるつもりなんて初めから無いのだけど」
「なに?」
クシリトが眉根を寄せるのと同時に、マイシィとエメダスティも顔を見合わせた。
あいつら、クシリトを途中入室させた程度で俺を出し抜いたつもりだったのか?
ほっほっほ、敵の戦力を高めに見積もっておくことは常識ではないかね。
「アンタがこっちへ来るという事態も、想定済みって事だよ」
次の瞬間。
床板が大きく持ち上がり、破壊され、巨大な影が下からクシリトを突き上げた。
彼は下から襲い来るその影と天井との間で板挟みのような状態となるが、咄嗟の判断で魔法力場を強めた為に、なんとか押し潰されずに耐えている。
だが身動きは封じた。作戦の第一段階としては上出来だ。
クシリトが天井に押し付けられるのを突っ張って耐えている影響で、家全体が軋む。
木がしなり、ひび割れる乾いた音が至る所から聞こえてくる。
それほどの圧力をもってクシリトを押し潰さんとしている存在が、俺の用意した対クシリト用の戦力である。
「グッ……なんだコイツはッ」
影の正体は、岩のような大男。
立っているだけで天井まで届きそうな巨体、大きく膨れ上がった筋肉、血色の悪い肌、黒が斑に生えた白髪頭。
その姿が渓流にそそり立つ大岩を想起させる、戦闘特化型の人造人間。
その名も“人造人間八號【改】”。
ビアンカとシアノを呼び寄せると自動的にくっついてくるオマケだ。
だがこのオマケ、決して侮ることはできない。
戦闘用人造人間という存在は、並の人間には発揮できない筋力を持ち、自己再生能力もズバ抜けて高いという長所を持つもの。
しかもこの八號は、ベース状態より更なる改造を施されている。
脳から頭頂眼へ繋がる回路を脊髄へ繋ぎ直し、四肢の魔石へと接続を変更。
つまり、魔法力が皆無となった代わりに、筋力の大幅強化に成功した個体なのさ。
魔法力場を空間へ及ぼすことはできなくなったが、裏を返せば魔法力場による索敵にも引っ掛かりにくくなり、ステルス性が増したともいえる。
図体の割に隠密性に長けている八號は、今回みたいな奇襲にはもってこいなのだ。
「クシリトさん!」
エメダスティがは梁に突き刺さったままの魔法剣を抜き、クシリトを援護すべく八號に斬りかかる。
八號はクシリトとの競り合いの真っ最中。側面は無防備だ。
しかしこの俺がいる限り、八號に手は出させない。
俺はとっておきの技を繰り出す。
エメダスティの剣は、不可視の何かに阻まれて八號に触れることは出来なかった。
「クッ、カンナ……ちゃん!」
エメダスティの斬撃を止めたのは、俺の生成した魔法力場。
正確には魔法力場そのものを腕の形に整形したもの。
肉眼では決して見ることのできない“魔法の腕”だ。
不可視と言えど、頭頂眼を日常的に鍛えている戦闘職の人間ならば魔法腕を知覚する事は出来る。
感覚を研ぎ澄ませれば視界にフィルターがかかってうっすらと視認出来る、という感じだ。
だが、俺のイメージに合わせて自由自在に動くそれを捌き切るのは至難の業だろう。
俺と戦うということは、見えない触手を操る怪物を相手取るのと同義だ。
付け加えると、俺が作り出せる魔法腕は一本二本の話ではない。
常時展開して操作し続けられるのは二本までだが、瞬間的な攻撃や防御のために腕を追加することは余裕なのだ。
さらに、俺本来の左右の腕に力場を纏わせることも出来るから、これにより前世のマンガで見たような拳による高速ラッシュも再現可能となる。
いっちょ、やってみるか。
「オラオラオラオラオラァッ!!」
俺の連打を、エメダスティは剣を用いて捌こうと試みる。
だけど全てを防ぎきるのはやはり不可能であり、奴は腹部に何発もの打撃を食らうことになった。
昔みたいなわがままボディならば衝撃を吸収できたかもしれないのに、残念、今のエメダスティは筋肉質なのだった。
衝撃を流し切れずに、彼は後方へと大きく弾き飛ばされる。
「ぐあああッ!?」
「エメ君!」
マイシィがエメダスティに気を取られて横を向いた。
ちっち、戦場で脇見は厳禁だぜ、マイシィ。
「なんで他所見してんのさッ! あんたの相手はアタシだああああッ!」
前方への注意がおざなりになっていたマイシィに、エスは掌底にて襲い掛かった。
マイシィは咄嗟にエスの右手を弾く。
ところがエスは弾かれた勢いをそのまま利用し、肘打ちの姿勢でもってマイシィへ体ごとぶつかりに行った。
マイシィは氷魔法を薄く張って打撃の減衰を試みるも、間に合わずに吹き飛ばされる。
戦闘経験の差が露骨に現れたな。
応接間の扉はマイシィが衝突した勢いで破壊され、彼女の体は廊下側へと押し出された。
これを好機とみて、部屋の外で待機していた使用人たちが一斉にマイシィへと襲い掛かる。
先述の通り、屋敷の使用人達も全員戦闘用に置き換えてあるのだ。
息つく暇をも与えない。
「うそッ」
マイシィが驚きの声を上げる。
まさか使用人まで戦いに参加してくるとは思っていなかったのだろう。
マイシィ、俺は最初から全力なんだよ。
作戦上、伏兵は置いているけれど、持ちうる限りの戦力をここに集めたつもりなんだ。
前世の記憶のおかげで、戦力の逐次投入がいかに愚かしいことか理解しているからな。
さあ、餌食となってくれよマイシィ。
俺の大切な親友よ、安らかに眠れ。
──なぁんて、全てがうまくいくわけではないのもまた真理。
マイシィは風魔法で自らの体をスライドさせ、使用人たちの魔法による刺突を避けたのだ。
その体捌きは見事としか言いようがない程に鮮やかだ。
彼女もそれなりに鍛えているということか。
幸い、マイシィが避けた先には既にエスが先回りしている。
エスはマイシィのふくらはぎに向かって強烈な蹴りを見舞う。
経験の浅いマイシィにはカーフキックのいなし方なんて分からないだろうな。
案の定マイシィは痛みのあまりに片膝をついた。
あと一押し。戦況はエスがかなり優勢と言える。
さて、こちらもエメダスティの相手に集中しなければ。
彼はマイシィの方を気にしつつも、俺に向かって中段で剣を構えている。
お互いに隙を探り合っているからか、ピクリとも動けない状況が続いていた。
「おらあああああああああッ!!」
「──!」
今の叫び声は、クシリトか。
急に何だというのだ、と、思った次の瞬間。
「うわっ!? なんだ!」
心臓にズドンと響くような衝撃とともに、部屋の中を一陣の風が吹き抜ける。
その風はクシリトを中心にして同心円状に拡がる空気の流れ。
空気の振動、空震を伴いながら部屋中の装飾品だのテーブルだのを破壊し尽くす勢いだ。
押さえ込んでいるはずのクシリトから激しい気流が生まれ、その猛烈なプレッシャーによって八號の体が床面へと押し返される。
クシリトはその隙を突いて八號の拘束を脱すると、空中で体を捻りながら体勢を整え、遂に地面へと降り立った。
競り合いを躱された八號は、即座に俺の背中側に回り込み、クシリトとの間に壁を作るように立ち塞がる。
指示なしでここまで動けるのだから、彼は人造人間の中でも極めて有能と言える。
だが、状況的にはあまり芳しくない。
俺の前面にはエメダスティ、八號を挟んで、背面には自由になったクシリトがいる。
このままじゃサンドイッチにされてしまう。
何か策を考えなければ。
それにしても……。
「畜生、部屋がめちゃくちゃだぜ」
この場所を戦場に選んだ俺も悪いのだろうけど、アロエとの優雅な生活を夢見て建てたマイホームがかように壊れていく姿を見るのは切ないな。
ま、後で直せば良いか。
そういう感傷は抜きにしても、今の戦況は若干不利だ。
最善手は何だろう。
やはり戦いやすい場所に移動し、《銀の鴉》の最大戦力をここに投入すべきか。
屋敷の近くにいられると目立ちすぎるからと、少し離れた森の中に潜ませている彼女を。
「エス! プランGに切り替える。フェタミンを呼んでおけよ」
「りょーかいッ!」
激しい戦闘音と共に、廊下側から元気な声が聞こえてくる。
マイシィ一人に対し、エスと使用人達が猛攻を仕掛けているのだ。
優位に戦えているみたいで何よりである。
一方、気にしなければならないのはクシリトだ。
このまま八號に相手をさせても良いが、いかんせん義眼の調子がどの程度なのか未知数なのが怖い。
ここは本領を発揮される前に一気に叩いておくのがベストかな。
「行くぞッ!」
俺の掛け声と同時に、八號がクシリトへと猛進した。
クシリトは風の刃を生成し、八號を迎え撃たんとする。
だが戦闘特化型である八號の皮膚は靴底のように分厚く、表層を薄く切り裂かれた程度では突進は止まらない。
黒い嵐となった八號は、クシリトの攻撃など物ともせずに巨大な拳を振りぬくのだった。
俺はと言うと、エメダスティに対して魔法腕で一発パンチをぶち込んだ。
所詮は牽制目的の甘い殴打。
エメダスティは冷静に両腕でそれを受け止める。
が、俺の狙いは次のタイミング。
ガード時のノックバックで一歩後退したエメダスティの脚、その場所目がけて氷魔法を発射した。
注意が逸れた足元を、氷でガチガチに固めてやろうとしたのだ。
「こんな、ものォ!!」
エメダスティは即座に炎で氷を溶かす。
けれども今度は過電流の魔法で動きを加速された俺の、サイドステップからのボディブローを脇腹で受け止めることになる。
攻撃がレバーに決まり、鈍痛からかエメダスティの姿勢が大いに乱れた。
俺は追撃と言わんばかりに魔法力場を上乗せした回し蹴りをお見舞いし、遂に奴は廊下側へ弾かれた。
よし、これで部屋の中にいる敵はクシリトだけになったぞ。
「“有刺鉄線”!」
部屋の中からエメダスティを放逐すると、俺は金属魔法で障害物を生成。
すぐに身を翻して八號の援護に向かった。
「金網……!? いや、有刺鉄線!! 熱ッ──」
金属魔法は熱を使って金属を柔らかくして操る魔法だ。
そりゃあ、出来立てホヤホヤを触れば熱いさ。
逆に言えばその状態だと剣で容易に切れてしまうのだけどね。
だけど一瞬の足止めになれば、それで良い。
「金属魔法……。カイン先輩の技まで。本当に君は……あなたは、見境が無い!」
後ろでブツブツと何かを呟いているエメダスティをガン無視して、八號と猛烈な攻防を繰り広げているクシリトを狙う。
八號の体はいつの間にか傷だらけで失血も酷い状態にまで追い込まれていた。
予想以上にクシリトが頑張ってしまっているようだ。
そのクシリトの方も、時折眉間を押さえるようにして顔をしかめている。
まだ馴染んでいない義眼に相当な負荷がかかっているのだろうことがその表情からもはっきりと読み取れる。
これは、あと一歩か。
「クシリトぉぉおオオオッ!!」
名を叫びながらクシリトに魔法腕を叩き込んだ。
彼はあろうことか、俺の魔法腕がヒットしそうになる度に魔法力場を散らしてダメージを受けないようにしていた。
俺の操る力場に、自分の影響を上書きしているのだ。
なんという魔法力、なんという胆力だ。
普通、ここまで精度の高い魔法を演算し続ければ、義眼がどうこうではなく気力の方が尽きてしまい、精神をすり減らす結果になるだろうに。
だが、こうやって少しずつ気力を消費させるのも一つの戦法だろう。
クシリトが攻勢に出てこないのもきっと効いている証拠だ。
「む」
クシリトを注視していたら、今度は背後で魔法を練っている気配がする。
横目で様子を伺うと、エメダスティが剣に炎を纏わせ、上段に構えているところだった。
これは──何か、ヤバい攻撃が来る気がする。
「おい八號!! 外へ!!」
俺は叫ぶと同時に、クシリトが侵入する際に破壊した窓から外へと飛び出した。
ほとんど同じタイミングで、八號も壁をを破壊しながら屋内から脱出した。
刹那。
「万象を灼き尽くす煉獄の炎……熱波大獄!!」
恐るべき熱量を持つ螺旋状の炎が、エメダスティの剣から放たれた。




