暗躍編17話 再戦
あたし──ビアンカ・カリームは、娘のシアノと共に茂みの中へと降り立った。
全身を黒いボディスーツで覆い、頭部に黒布を巻きつけ、極力夜の闇に紛れられるように工夫してある。
なんだか帝国派時代を思い出すな。
「母様、あれがカンナ姉様の言っていたコンテナだね」
「いや、あれは作業員の休憩所だと思うゾ」
半月を超えて僅かに満ちつつある月の明かりに照らされた、新王立闘技場建設地。
山の一部を切り拓いて平らに均している作業の途中であり、まだ建物のガワすら出来ていない更地。
そこかしこに資材が積まれ、クレーンやツルハシなども放置されている状態だ。
シアノが指を差した先には、木製の大きな箱のような施設が一棟だけポツンと設置してあった。
扉や窓があることから、簡易的な休憩室だと思われる。
本当に工事の初期段階といった具合。
「コンテナらしきものが見えないケド、少し近づいて調べようカ」
「はい、母様」
あたし達は潜んでいた茂みから外に出て、現場近くを探ってみることにした。
見張りは一人もいない。
もしかすると休憩所の中には宿直の作業員がいるのかもしれないが、今は灯りも無く、寝静まっているものと推察される。
念の為に窓から施設内を探る。
目視では暗くて何も見えない。
仕方なく光量を抑えて光魔法を使ってみるも、人の影は無し。
隠れる場所は見当たらないため、本当に誰もいないようだ。
「母様、あれ」
シアノ言われるがままに資材の山の方を見ると、積み上げられられた鉄骨に隠れるようにして、金属製のコンテナが置かれていた。
これがカンナの言っていたコンテナで間違い無いだろう。
遠巻きに見てもコンテナだと分からないように細工してあったあたり、とても怪しい。
「中を調べてみよウ」
周囲を警戒しつつ、コンテナに近づく。
先程の休憩室と遜色ないサイズの大きな箱だ。
中にクシリトが潜んでいる可能性もある為、用心しながらコンテナの扉の前まで進む。
荷物を封じておく為のストッパーがあるものの、鍵は掛かっていない。
なるべく音を立てないように留め具を外した。
「行くゾ、シアノ」
シアノに目配せをして二人で頷き合うと、あたしは一気に扉を開けた。
それと同時に魔法力場を展開。
いつでも魔法が放てるように身構える。
「動くな!!」
しかし、コンテナの中には人影はおろか、資材の一つ、道具の類も一切入っていない。
完全に空の状態だ。
拍子抜けだが、まだ気は抜けない。
こちらが油断したのを見計らって、どこからか攻撃される危険もある。
「……」
しばらくシアノと背中合わせになって周囲に気を配るが、何も起きない。
やはりこれはブラフだったのか?
ここには何かあると思わせて、カンナをハドロス領に誘き寄せるための餌。
だとすれば、ハドロス領の別邸で待機しているカンナが危ない。
向こうに何か仕掛けられている可能性もあるからだ。
「何も無いね」
「ああそうだナ。……いや、これは」
あたしはコンテナをぐるりと一周してみて、違和感に気付いた。
引っかかりを覚えたのはコンテナそのものではなく、地面や鉄骨の山の方だ。
「見ろシアノ。地面が少し変じゃないカ? まるでコンテナがズレたような不自然な窪みが出来ている」
「あ、本当だ。流石は母様」
「それに、鉄骨の山の中を見てごらン。数本のパイプが地面から突き出しているようダ」
資材の隙間に挟まるような形で地面から生えた鉄パイプ。
パイプの先端部はぐにゃりと曲げられて、開口部が僅かに下を向くようになっていた。
もしや、雨滴が中に侵入しないようにするためだろうか。
かつて、ニクスオットの屋敷でも似たような構造物を見たことがある。
そこで生活をしていたシアノにとっても馴染み深いもののはずだ。
「もしかして、地下室の通気口?」
「だろうネ」
このコンテナはカモフラージュに過ぎない。
きっとこの下に地下室への入り口が隠されているのだ。
これはひょっとすると本命を引き当てたかもしれない。
我々の平和を脅かす殺人者、クシリト・ノールはすぐ近くに潜んでいると考えて良さそうだ。
──その、殺人者と言うのはカンナの嘘の可能性が高いけども。
結局、あたしはニクスオットにいた頃と何ら変わりがない、暗殺者に過ぎないのだ。
頭が挿げ替わっただけで、本質的には同様にこき使われている。
自由意思がある程度保証され、愛娘と一緒にいられるから少しだけマシ、と思うことにしよう。
「コンテナを退かすヨ。下がってな、シアノ」
「ううん。こういうのは、わらわの方が得意だから」
シアノはそう言うと魔法力場でコンテナをひょいと持ち上げ、音も立てずに少し離れた場所に置き直した。
流石は魔法が得意なだけはある。
岩石魔法と同じような要領で、いとも簡単に数トンはありそうなコンテナを移動させてしまった。
「……やはりカ」
コンテナの下には、鋼鉄製の蓋があり、外側に向かって開くような構造になっていた。
試しに少し蓋を持ち上げてみると、地下へ続く階段のようなものが見える。
間違いなく、この先に地下空間が広がっている。
「母様どうすればいい? 一気に踏み込むか、慎重に行くか」
敵の思考を読んでみる。
コンテナのカモフラージュを看破し、地下空間に踏み込んで来る存在とはどういう者か。
冷静に状況を判断できる、慎重な人物を想定するのではないか。
だとすると、逆に相手の用心深さを逆手に取ったトラップが用意されているかもしれない。
罠が無くとも、どのみち迎撃態勢を取られるような時間的優余は与えたくない。
ここは攻め時、かな。
「一気に行こう。ただし、気を抜いてはダメだゾ」
「へへ、わかったよ。母様」
敵の意表を突くことが出来るのか、はたまた裏目に出てしまうのか。
どのみち踏み込んでみなければ分からない。
「ヨシ、突入──!」
あたし達は、階段を猛スピードで駆け降りた。
──
─
「はい、残念。ここにクシリトはいないんだよなぁ」
「ナッ──!?」
階段を降り切って鉄製の扉をぶち破ると、中にいたのは灰色の魔闘士装衣を身に纏った男性だった。
猛禽を思わせる凶悪な相貌に、野獣の如き体躯を併せ持つ大男。
事前に聞いていたクシリトの風貌とはまるで違う。
あたしは、この男の事を知っていた。
確か以前はキナーゼ・ストレプトの騎士を務めており、魔闘士に転職するや否や瞬く間に階級を一つ上げることに成功したという凄腕。
「お前、アセット・アミノフだナ」
「ほぉう、よくご存知で。《銀の鴉》の暗殺者さん」
まずいな、謀られた。
やはり罠だったのだ。
コンテナを用いた偽装工作まで行って、目ざとい刺客を地下室まで誘き寄せるというトラップ。
地下室の偽装に気が付くかどうかで相手を試し、強い相手を厳選したうえで猛獣の檻の中に誘い込む。
偽装に気付かないような雑魚なら放置で良いとも取れる。
我々をふるいにかけたというわけか。
しかも、待ち構えているのが手負いの怪物なら何とか出来たかもしれないが、実際に檻の中にいたのは元気一杯、万全の状態の野獣である。
分が悪すぎるというものだ。
「じゃあ、さようならだな」
アセットが動く。
予備動作の無い踏み込みに、一瞬、奴の体が二重に見えた。
敵は、真っ直ぐにあたしに向かって突進して──。
「!!」
──来なかった。
アセットはあたしの一メートル手前で旧制動をかけて、即座にバックステップに移ったのだ。
見た目以上に慎重だ。
今のは……じつに惜しかった。
奴があと一歩踏み込んでいたら、あたし達の勝ちだったのに。
「おいおい、なんだこの水滴は」
照明魔石に照らされた薄暗い部屋の至る所に、微小な水滴が浮かんでいる。
この水滴は我々が仕掛けた攻撃だ。
一滴でも直接粘膜に触れれば、敵は即座に麻痺状態に陥るという猛毒だ。
シアノの毒魔法。
異界植物の種の有毒成分を瞬時に析出したり、時には近くに存在する毒素を含む化学物質を活用したりして、自らの魔法制御下に置く技術。
理屈は分かっていても真似することが難しく、現在はシアノの専売特許といえる魔法系統である。
「なんか嫌な予感のする魔法だぜ。攻撃性を持たないくらいの小さな水滴を浮かばせておくなんて、触れたら何がある予感しかしねぇ」
勘が鋭い。
アセットはその滴が毒魔法であることを知らずとも、危機察知能力で触れるのを拒んだのだ。
「──んっ!?」
そして次の瞬間。
“何か”に気が付いたアセットは、一切の戦闘行動を放棄して地下室の入り口へ向かった。
あたしはそれを妨害すべく氷壁を展開するが、あろう事か素手であっさりと破られて敵の逃亡を許してしまう。
中級魔闘士ともなれば、魔法のセンスだけでなく体術も人並み以上ということか。
いや、アセットの場合はただの怪力か?
あたしは内心で舌打ちをしながら、しかし言葉を発する事なく敵の背中を追いかける。
階段を駆け上がり、地上が見えたところでようやく呼吸をした。
あたしに続いてシアノも地上に向けて走る。
彼女も同様に、階段を駆け上がるまでは息を止めていた。
種明かしをすれば、先程の部屋は毒霧で汚染されていたのだ。
毒の水滴を回避された瞬間、シアノが次の一手として新たに発生させた毒魔法。
相手の用意した地下空間でありながら、我々の方が罠を張ったというわけだ。
ところが魔法力場の拡散を感じ取ったアセットは、直感で危険を察知し、広い空間へと逃れた。
やはり一筋縄ではいかないな。
あたし達二人が地上に出ると、今度はアセットの仕掛ける番だった。
「アレは──!」
一足先に地上へと出ていたアセットは、次の攻撃の準備を整え、あたし達が出てくるのを待ち構えていた。
水塊を形成してレンズを作り、それを複数枚重ね合わせるように配置している。
あれは、とある光魔法の予備動作。
光に凶悪な突貫力を持たせる為の機構である。
一般に、魔法で生み出された光そのものは攻撃性を持たない。
しかし、生み出された光をレンズで収束させると恐るべき熱量を生み出すのだ。
アセットの目の前に浮かぶ水のレンズがギュッとサイズを絞る。
あたし達に照準を合わせたに違いない。
「光閃銃!」
アセットが技名を叫ぶのと同時に、光が一筋の線となってあたしの右こめかみの表層を撃ち抜いた。
光の速度は世界最速。
発動を見てから反応していては遅すぎる。
術の完成後にどうにか出来る類の系統では無い。
アセットの構えに相対した時点で咄嗟に軸をずらさなければ、今頃あたしは脳を直接射抜かれていたに違いない。
「母様!」
シアノが持ち前の魔法力場展開速度でもって光の反射膜を生成し、アセットに向けて光を弾き返そうと試みる。
しかし、反射膜生成に気づいたアセットが光を止めたため、残念ながらカウンターは不発に終わった。
あたしも平和ボケしていない全盛期ならば光を発射される前に防御魔法を展開出来たのに。
なんだかマムマリアへ亡命して以降は随分と腕が鈍ってしまった気がする。
「──ッ」
畜生、先ほど光線に焼かれた耳の上の辺りがジクジクと痛む。
側頭部から頬を通り、顎に向けて血が滴る。
頭部を覆い隠していた黒い布は、一部が破れてハラリと落ちた。
それを見たアセットが大きく目を見開く。
「てめぇ、まさか……死んだはずじゃ」
しまった、布が取れたことで致命的な情報が敵に漏れた。
アセットは露出した特徴的な髪の色を見て、あたしの正体に勘付いたらしい。
「碧色の髪、子供のような容姿、外国訛りに高い戦闘能力……お前、ビアンカ・カリーム……だな!? それに、さっきそっちの奴が地下室で使ったのはおそらく毒魔法。こいつぁ──俺様の想像を超えてきやがったぜ《銀の鴉》」
元来暗殺者であったあたしの存在は、帝国派の中でも割と秘匿されていると思っていたのだけど、あっさりと名が割れてしまった。
もしかして魔闘士の中では常識みたいになっているのだろうか。
そういえば以前にも、ハーヴェイ・シジャクに会った際に正体を看破されたことがあった。
帝国派の情報管理能力というのが思いの外に低かっただけなのかもしれない。
「おいおい、カンナ・ノイドにとってお前らは敵なんじゃないのかい。ロキト・プロヴェニアを殺したのはお前のハズだろう、ビアンカ!」
「……そのビアンなんとかって言うのが誰の事かは知らないケド」
一応、誤魔化しておく。
意味は無いだろうけども。
「アンタ、あたしと戦うの初めてじゃないよネ?」
思い出したんだ。
──あの時。そう、まさにロキトと戦っていた時。
クローラ・フェニコールを乗せた亡命船上から光魔法で攻撃してきたのはコイツじゃないのか。
あの時は、敵が水のレンズを形成したのを察知した瞬間に光の反射膜を張ることが出来たから何とかなったけど、正直危なかった。
「覚えていたか、ビアンカ。そうか……じゃあ、今夜はいっちょ“再戦”ってことでよろしく頼むよ。あの時とは面子がずいぶん違うけどな」
アセットが構える。
あたしとシアノも、いつでも魔法が打てるように心を研ぎ澄ませている。
カンナは言っていた。
クシリトがいなかった場合はすぐに撤退せよと。
だがこいつを相手に逃げ切るのは至難の業だ。
ある程度は弱らせてからじゃないと、後ろから光線で射貫かれるのが関の山。
……以前とは違って、あたしの仲間は使い捨ての駒じゃない。
大切な娘なんだ。
それこそカンナの指示なんかよりも何倍も、何十倍も大切な、あたしの生きる糧。
いざとなったらあたし自身がシアノの駒として命を捧げる覚悟だ。
だから、カンナ。
あたし達は、少なくともあたしは、この場を離脱して拠点に戻ることは出来ない。
おそらく本命のクシリトはお前の所に向かっているのだろうが、自分で何とかしてくれ。
「はじめようカ、アセット・アミノフ。悪いけど、殺させてもらうヨ……!」




