暗躍編15話 半月の夜
半月が青白く地面を色付ける。
月の周りにあるリング──大昔の隕石の衝突痕らしい──も、今は半分だけ見えている状態だ。
そろそろ長雨の季節も迫ってきているためか、空には雲が多い。
半分だけの月明かりと相まって、風景は非常にぼんやりと輪郭を浮かび上がらせるだけで、何とも不気味だ。
そんな夜。
俺は王都の自宅にて、衝撃的な知らせを受け取っていた。
「クシリト・ノールが連れ去られた!? 一体誰に……!」
「わ、わかりませんよッ! 刑務官が全員見事にのされちゃって、病院周りは記者でいっぱいなんですッ! 探りを入れようにも、あれだけ目があると難しくて……」
「チッ」
コードネーム“エス”こと、アナ・スティロイドに報告を受けた私は、能面のような表情で彼女を睨んだ。
俺のデスクを挟んで向かい側に立っているエスは、私の気迫ににやや大袈裟な反応を見せる。
「ひぃぃッ!? カナデ様お許しをぉぉッ!」
彼女は歳にそぐわぬ童顔を恐怖に歪め、赤みがかった金髪をかき上げるようにして、私に恐れ慄いていた。
昔と比べて髪は伸びたが、恰好は若い時から相変わらずで、へそ出しタンクトップにホットパンツ姿である。
日に焼けた健康的な素肌を惜しげなく晒しているものの、細身で胸も無く筋肉質なので、色気は皆無だ。
「あー、お前にキレたわけじゃないから。俺がイラついているのはこの状況だよ」
「せ、せーふ?」
ギロリ。
「ヒィィ!!」
強敵の排除に成功したと思った矢先に窮地に叩き込まれるこの感じ。
賽の河原で石積みをしている気分だぜ、あーあ。
さて、悔やんでいてばかりでは仕方がない。
今すぐに考えるべきなのは、下手人の目星をつけ、先回りして行動する事だ。
このまま手をこまねいていては完全に後手に回ってしまう。
それだけは避けなければ。
「つーかこのタイミングで魔闘士協会すら敵に回して動きそうな連中といったらアイツらしか考えられないよな」
「……マイシィ・ストレプト一派ですか」
「だろうな」
マイシィ達は俺が過去に起こした飛空艇事故の真相に気が付いている、と思う。
具体的に内部で何があったのかは知りようが無いはずだし、証拠も何もないから告発出来ないだけで、とうに確信はしているはずだ。
一方で、《銀の鴉》についてどこまで知っているのかは未知数だった。
いや、これはもう存在がバレていると考えた方がいい。
最近俺の周りで何かを探っている素振りをしていたのは、過去の事件を調べるためでなく、今起きている事象を追っていると考えるべきだったんだ。
あれ。
もしかして、もしかしなくても、初めから一手遅れていた……?
「はぁぁ……やらかした……さっさと対処すべきはマイシィの方だった」
「カナデ様、ふぁいとおーッ!」
ギロリ。
「ヒィィッ!?」
終わった事を後悔しても仕方がない。
大切なのは、次にどうするか。
「すーーーはーーー」
よし、落ち着いた。
まず警戒しなければいけないのはロイン支部長の周辺だろう。
今回の一件で最もよく動いたのは彼だ。
当然、《銀の鴉》における主要メンバーと認知されてしまったはずで、追及対象となっているだろう。
場合によっては襲撃もありうる。
力の強い護衛をつけてもらうと共に、クシリトがいかに悪人であるか、無い事無い事の吹聴をして、味方を増やしてもらおう。
彼はさっさとマムマリアに帰ったはずだから、自分の支部の息のかかった者に根回しすれば危険度はグッと下がる。
守りに徹して貰えばしばらくは大丈夫だろう。
問題は俺か。
いきなり本丸を落としに来られたら非常に困る。
かと言って王都にいる俺が下手なアクションをすれば、一発で奴らの目に留まる。
“やはりカンナが黒幕だ”とより強い確信を与えて、向こうの士気を上げてしまうだろう。
だから、身を守るための警備を増強するのも、拠点を移動するなどして姿を眩ますのも悪手と言える。
最悪なのは──アロエに手を出される事だ。
マイシィ一派がアロエを殺すことはないはずだが、逆にアロエが自害を選ぶことは十分にあり得るのだ。
「ど、どうするんです? カナデ様」
「ちょっと待ってくれ。今考えてる」
もはや、こちらが誰も犠牲を出さずにいられるような状況では無いのかも知れない。
向こうはきっと、決死の覚悟でクシリトを救い出した。
場合によっては魔闘士協会全体を、あるいは国家を敵にしてでも構わないという強い意志を感じる。
犠牲……犠牲か。
手札を出し惜しみせず、使い潰すつもりで作戦を立てた方が良いな、これは。
なりふり構っていられるか。
「エス。シアノとビアンカを使おうと思う。が、立場上イブはあちらサイドにつく可能性があるからこの件は知らせるな。それからエックスには情報戦を仕掛けると伝達してくれ。できるだけ世論を味方に付けたいから、出版関係に強そうな面子の手配も頼む」
「りょーかいッ! ふふ、流石カナデ様。やると決めたら生き生きしてるねッ!」
そうだろうか。
俺は今、割と焦っているのだが。
「アタシはたとえカナデ様がどれほど悪人に堕ちても、地獄の果てまでお供いたしますよッ! その代わり、これからも面白い事、いーーーっぱい見せてくださいねッ!」
「──あははは!」
いいぜ。約束しようとも。
これからも沢山面白いものを見せてやる。
俺の理想的な環境を作り上げるその日まで、俺はどんな卑怯な手だって使おう。
「じゃ、いってきまーすッ!」
そう言うと、エスは床板を一枚めくり、隠し通路から地下道へと消えていった。
王都の自宅には流石に地下迷宮のようなものは作ることが出来なかったから、貴族エリアの下水道まで通路を伸ばし、活用している。
多少臭うし、古い街であるが故に下水道が埋設されているエリアも限られている。
だから隠し通路としては自由度は思ったほど無いものの、こればかりは仕方がないと諦めている。
さて、俺はアロエと話をしに行かなければならないな。
俺は椅子から立ち上がると、二階で眠っているアロエの所に向かうことにした。
──
─
「アロエ、入るぞ」
俺が寝室に入った時、アロエはまだ起きており、ベッドにうつ伏せになりながら読書の真っ最中であった。
肌が透けて見えるほどの薄手の白い寝巻き姿にうなじが覗く。
俺は唾を飲み込みながら、ベッドへと歩み寄る。
アロエはこちらに一瞥もくれず、本の内容に目を落としたまま声をかけてきた。
「エスは帰った?」
「ああ」
俺はアロエの側に腰かけた。
ブラウンの綺麗な髪をそっと撫でてやる。
彼女は少しくすぐったそうにしながら微笑んだ。
「っていうかさ、前から気になってるんだけどなんでエックスとエスだけコードネームなの。ウチにもなんかつけてよ」
「はいはい、また今度な」
「もうっ、すぐそーやってはぐらかす!」
エスとエックスね……本当はもう少しコードネーム持ちがいたのだが、死んでしまった。
最初期の《カナデ推しコミュニティ》以来のメンバーで、主にエックスの身内達だった。
エックスの名は、俺との下劣な関係から“エクスタシー”をもじったもの。
そのエックスから伝令役に最適と太鼓判を押されていたので、“スピード”の頭文字からエスと呼び始めたのだったな。
彼ら以降はいちいちコードネームを考えるのが面倒になってしまった。
しかし一度定着してしまったものを変えるのも変なので、俺は初期メンのことをいまだにコードネームで呼び続けている。
もはやニックネームのようなものだ。
今アロエに何か名付けるとしたら、何だろう、“ラブ”かな。
安直すぎるか。やっぱ無し無し。
──どうせ、こんな関係性も間もなく終わるのだし。
「なあ、アロエ」
俺はアロエをめちゃくちゃに抱きたい衝動に駆られるが、ぐっと堪える。
伸ばしかけた指を、そっと引っ込めて握りこぶしを作った。
「──ッ」
「……どしたん、カンナ?」
アロエは俺の様子がいつもと違うことに気が付いたのか、本を閉じて起き上がり、ベッドの上にぺたんと座り込んだ。
俺の顔色を窺うように覗き込んでくるが、俺の顔が怖かったのか、一瞬だけ怯んだ。
「な、なによ。そんなカオしてさ」
「話があるんだ」
アロエはベッドの上を立膝の状態で移動すると、俺の隣に腰掛け直す。
背筋を伸ばし、姿勢を正すと、彼女の形の良い大きな胸が存在を主張するようにぐいと持ち上がった。
いかん、見とれてしまう。
俺はなるべく視界にアロエを入れないよう、顔を背けた。
そんな俺の態度に、アロエも何かを察知したらしい。
「別れ話?」
「……そうだ」
アロエの言う通り、俺は別れ話をしに来たのだ。
「どうして別れたいの?」
「お前のことが嫌いになったんだ」
「……嘘つき」
アロエは俺の顔を両手で挟み込むと、力を込めて無理に自分の方へと向き直らせた。
俺の視界に真剣な面持ちで、だが、どこか笑っているような、そんな顔が映った。
「ウチを危険から遠ざけたいからそうやって嘘をつくんでしょう? だったらそうやって言えばいいのに。馬鹿だなぁ」
その通りだった。
マイシィ一派どの戦いになれば、アロエも必然的に危険な立場となる。
それに、アロエはマイシィの友人だ。
旦那が友達と戦うところなんて見たくもないだろう。
だからここで関係を精算して、無関係な人物として田舎にでも引き籠もらせようと考えたのだ。
「何でもお見通しかよ」
「へへ、何年一緒にいたと思ってんの」
俺の肩に頭を乗せるアロエ。
何て愛おしいのだろう。
髪がくしゃくしゃになるまで撫でくりまわしたい。
「なら、解ってくれるよな。俺はお前を死なせたくないんだ」
姿勢はそのままに、彼女は答える。
「一旦離れて生活するのは認めるよ。だけど絶対別れないかんね」
「頑固だなぁ」
「知らなかった?」
「はは、知ってた」
結局のところ、アロエはいつだって一番の理解者なのだ。
俺が彼女を気遣って策を巡らしても、彼女は本質を見抜いてそれを看破し、最終的にはずっと隣にいるのだ。
自分の意見を曲げないくせに、その実俺の求める展開に沿うような解を提示してくるという、ある意味で究極のイエスマンと言えるのではなかろうか。大したものだよ。
「カンナが忙しい間、ウチは何処にいればいい?」
「実家……はお姉さん夫婦がいるんだったか。お前に管理を任せてあったコリト塩湖んとこの新興住宅地って、確か空きがあったろ? ひとまずはそこにいてくれ。あくまで俺とはケンカ別れした体でな」
「了解」
とりあえずの方針は決まった。
これでアロエを戦火から遠ざけることができる。
早速明日にでも出立してもらおう。
この家も、いつ襲われるかわからないからな。
「ねえ、カンナ。あんたさ……ウチにずっと隠し続けていることがあるでしょ」
不意に、アロエがそんなことを言い出した。
「何のことだ?」
アロエは俺から体を離すと、少し膨れ面になって俺の方へ体を向き直らせた。
「ロキ先輩には打ち明けてたのに、ウチには言ってないこと。この際だから全部教えてよ。……あんたが使う変な言語も気になるし、よく考えたらウチ隠し事ばっかされてるじゃん」
──ああ、そうか。
アロエには俺が転生者であることや、魂の性別は男であることを話さずにいたな。
この際だから、ちゃんと話しておこう。
どんなに下衆な話でも、アロエはきっと受け止めてくれる。そう確信できるから。
一度離れ離れになる前に、二人で過ごす最後の夜。
しばらく会えないのだから、今のうちに話せることは話しておこう。
朝になるまで、もう少し時間はあるのだから。




