暗躍編14話 投獄、救出、黒幕は
……どうしてこのような事になったのだろう。
僕はただ、がむしゃらに正義を信じ、戦ってきただけだ。
それがどうしてか、頭頂眼を抉られ、手足を縛られ、牢に閉じ込められている。
情けなくも冷たい床に転がされて、芋虫のように地べたを這い回ることしかできない。
何とか首を持ち上げて、格子付きの小窓を見上げた。
月明かりが差し込む。
もう、外はすっかり夜だった。
それにしても、あの裁判は酷いものだった。
やってもいない犯罪の証拠を次々とでっち上げられ、僕の話など聞いてもくれず、あたかも初めから極刑が確定しているかのように淡々と進行していく様を、僕は眺めているしかなかった。
ただ、猿轡の帯を食いちぎらんばかりに噛み締めることしか出来なかった。
──家族は、どうなっているだろうか。
遠い異国の地で魔闘士としての資格を剥奪され、犯罪者として晒し者になっていると知ったら、悲しむだろうか。怒るだろうか。
いや、どちらだって構わないけど、家族にまで危害を加えられていないかが心配でたまらない。
「メイサ、エリス、セシル、アルカ……!」
家族の名前を呼ぶ。
悔しくて涙が止まらない。
何度も何度も何度も何度も、家族の顔が脳裏に浮かんでは消え、ぐるぐると頭の中で回り続けている。
せめて、皆は無事であってほしい。
──どうして、こんな事に!
本当は理解しているさ。
僕は嵌められたのだ、《謎の勢力》に。
僕があの場所でギャングを見張っていること、市民が殺されそうになったら止めに入るだろうこと、それを理解している人物こそが僕を罠に引き摺り込んだ張本人だ。
ロイン・ケーシィ支部長。
彼が一連の策謀に関与しているのは間違いない。
むしろ、《謎の勢力》とは彼によるでっち上げではないのか。
何故なら、その存在を教えてくれたのも彼自身だからだ。
いや違う。
彼と、その直属の部下こそが《謎の勢力》なんだ。
実際、裏組織が潰されているのはデータとしてもちゃんと残っているわけだし──ああ、そのデータの信憑性すら、今は無くなっているのか。
くそ! 考えれば考えるほどにドツボにハマっていく気がする。
出口のない迷路に放り込まれた気分だ。
入り口すら封鎖されて、文字通りの八方塞がり。逃げ場は無い。
「畜生!! 絶対に許さないぞ、ロイン・ケーシィ!!」
僕はもう、体全体を使って暴れまくった。
壁に頭を打ち付けようと、鉄格子に脚をぶつけようと、無我夢中で暴れ続けた。
やがて意識が遠のいていき、僕は気を失った。
失血と、脳震盪でやられてしまったらしい。
──
─
気がついた時には月明かりも傾いて、真っ暗になっていた。
どれくらい気を失っていたのか知れないが、とにかく頭が痛い。さっきぶつけた所だろうか。
ただでさえ頭部にダメージを負っているというのに、けたたましい音が壁の向こう側から聞こえて来て、脳内で反響しているようで極めて不快だ。
ちくしょう、この音は何だ。
工事現場のように激しい金属同士の衝突音が断続的に響いている。
「いたぞ! こっちだ──って、うわああ!?」
外からは看守たちの慌てる声まで聞こえてくる。
鳴り止まない爆発音や金属音。
先程は工事の音と比定したが、これは様子が違うぞ。
……もしかして、戦闘が行われているのか。
僕が状況の確認のために魔法力場を展開しようとすると、途端に眉間に激痛が走った。
頭頂眼を奪われていた事を、すっかり忘れていたんだ。
痛みに身悶えていると、突如として、僕のいた牢の壁が破壊された。
爆破された時のような壊れ方ではない。
何か熱量のある光線で丸く焼き切ったかのように壁が断たれ、切り取られた部分の壁が、栓を開けるように内側に押し倒されたのだ。
「こ、これは」
僕が目を丸くしていると、外から大きめの人影が入ってくるのが見えた。
暗くてよく見えないが、僕よりも大柄で筋骨隆々とした男性であることは間違いない。
「だれ、だ」
枯れた声を絞り出すようにして問いかける。
男はニヤリと笑って僕の方へと手を伸ばした。
ああ、顔が見えた。
この男は知っている。
「久しぶりだなクシリト先輩。今、縄を解いてやる」
「アセット……アミノフ」
鷲のような鼻に鷹のような目、ニヤリと笑うと目立つ犬歯、浅黒い肌に短く刈り上げられた赤い髪。
こんなインパクトのある見た目のやつを、見紛うはずがない。
アセット・アミノフ。
僕の魔闘士としての後輩で、何度か一緒に任務に行ったこともある。
今は確か、中級魔闘士。
「どうしてこんな所に」
「俺様の話は後だ。とにかくアンタには無事に脱出してもらうからな」
アセットは僕の拘束具を焼き切ると、僕を立ち上がらせようと軽く持ち上げた。
しかし僕は脚に力が入らず、立つ事もままならない。
そうと気付くや否や、アセットは僕の体をひょいと担ぎ上げるのだった。
「重ってえなアンタ。ま、振り落とされないように気張っててくれや」
そう言うと、彼は物凄い速さで拘置所の中庭を走り抜け、塀などもひとっ飛びで乗り越えた。
肩に担がれた状態で遠ざかっていく刑務所を眺めていると、僕の意識はだんだん朦朧としていき、やがて再び途切れた。
***
次に目が覚めたとき、真っ先に感じたのは柔らかな布の感触だった。
ほのかに陽光の香り漂う真っ白なシーツ。
ベッドの四隅には装飾付きの柱が並び、天蓋へとつながる。
赤いカーペット、アンティーク調の戸棚。
どこか、貴族の屋敷の中のようだった。
「お目覚めですか、クシリトさん」
僕は声のした方に目を向ける。
優しい顔立ちをした青年が、にっこりと微笑みながら僕のベッドの側に椅子を置き、腰かけていた。
武官の礼服のような衣装に身を包み、腰に剣を帯びるその青年の事は、見覚えがあった。
「君がいるということは、ここはストレプトの屋敷なのか」
青年──エメダスティ・フマルは柔和な表情で頷いた。
彼はマイシィ・ノイド・ストレプトの縁戚で、元は平民だったが魔闘大会での功績により一代限りの貴族格を与えられた存在だ。
「今、マイシィを呼んできますね」
「な、なあ待ってくれ」
主君を呼びに行こうと立ち上がったエメダスティを、声だけで呼び止めた。
まだ体がうまく動かない。
縛られていた期間が少々長かったからだ。
「どうして僕を助けたんだい。僕はこの国の裁判で犯罪者と認定された死刑囚だぞ」
エメダスティは椅子に座り直すと、口元は笑顔のまま、しかし目元は真剣な面持ちになって話し始めた。
「あなたが犯罪者でないと確信しているからです」
「何故そう言い切れる」
「僕らもそれなりの人脈がある、ということです」
エメダスティは両手を組んで前のめりになった。
ついに笑顔が消え、真顔になると、続きを語り始める。
「クシリトさん、《銀の鴉》という名に聞き覚えはありますか」
「シルヴァクロウ?」
知らない名前だ。
地名? 人名だろうか。
なんだか記憶のどこかに引っかかりそうで引っかからない、そんな感覚がする。
もしかして、初耳ではないのか。
僕はここ数日の中で、その名を耳にしたことがあるような、無いような。
「旧魔動帝国領内で、俄かに勢力を増している地下組織の名前です。あなたは彼らの罠に嵌められたんだ」
「──!! そうか……《謎の勢力》──《銀の鴉》と言うのか」
僕がロインに頼まれて追っていた裏組織潰しの黒幕、そいつらの存在をエメダスティは、いや、マイシィ一派は既に承知していたのだ。
ロイン本人がその組織の一員であることも、おそらく裁判官の何人かが組織に与するものだということも、マイシィ達は情報として掴んでいたに違いない。
ストレプト家は国王派の家柄故に《謎の勢力》とも関わりりが深いかもしれないと思っていたのだが、とんでもない。
彼らはむしろ、第三者として勢力の存在に気が付き、組織の足跡を追う立場にあったのだ。
「そうか……もしかすると僕は、選択肢を誤っていたのかもしれないな」
「と、おっしゃいますと?」
「ハドロス領での滞在期間中、カンナではなくマイシィと話をしていたら、もしかすると今回のような事件も起きず、逮捕もされず、ロインたち《銀の鴉》を追い詰めることが出来ていたかもしれない、と、ふと思ったんだよ」
僕がそう言うと、エメダスティは少し怪訝な表情に変わる。
一瞬だけ眉間に皺を寄せて、間もなく真顔になった。
「カンナちゃんと話をしたというのは、マイシィの披露宴でのことですか?」
「いいや」
僕は少しだけ首の動きを織り交ぜながら否定した。
「パーティの二日後、だったかな。彼女の家に行って話をしたんだ。家の事とか、研究の事とか」
「その時あなたが彼女に会った目的は、本当にそんな世間話をするためですか? 違いますよね」
エメダスティはなかなかに核心を突くような質問をする。
その通り。僕がカンナに会ったのは、そこに飛空艇事故の真相の手がかりがあると思ったからだし、《謎の勢力》に繋がる情報が転がっている気がしたからだ。
「クシリトさん、あなたが披露宴に来たのは、そもそもカンナ・ノイドに接触するためではないのですか。そして、その時彼女の奥底に何か得体の知れないものを感じ取った。だからこそ自宅まで出向いたんだ」
「鋭いな、エメダスティ君」
ほとんど正解と言っても良いだろう。
ベッドに横たわる僕の目の前に腰掛ける若者は、カンナに何か計り知れないものがあると言っているが、僕からすれば彼自身もまた底が知れない存在に見える。
やはりカンナと共に育ってきたという境遇が、彼に年齢以上の風格をもたらしているのだろうか。
「……クシリトさん。あなたはやはり、彼女に目をつけられて毒牙にかかったんですよ。僕が直感したように、彼女もまたクシリトさんが何を追っているかに気が付いたのでしょう。あるいは、披露宴に来た時点で罠に掛かっていた可能性もありますが」
僕もまた、ハドロス領に来た段階で《銀の鴉》の手の中で踊らされていただけなのだと考えている。
悔しいが、その意見には同意せざるを得ない。
しかし、“彼女”とは。
その言い方ではまるで──。
「《銀の鴉》を率いているのは、カンナ・ノイドなんですよ。彼女こそが黒幕なんだ」




