暗躍編11話 乱入者
世界歴一〇〇〇一年 七ノ月の二日。
六ノ月末よりイグアードに滞在すること数日、僕はついにギャングチーム《煉獄髑髏》のアジトを突き止めた。
方法は至極単純で、ガラの悪そうな連中の跡をつけて頻繁に出入りする場所をリストアップし、あとはもうしらみ潰しに忍び込んで内部を探ったのだ。
僕にとって音を立てずに屋根裏から潜り込むなど造作もないことだからね。
潜入不可能な場合は動物を使うこともある。“使い魔”と呼ばれる古の技術だ。
今回はそこまで手こずることも無く、案外すんなりと拠点が判明した。
奴らのリーダー格とされる人物が一つの建物に出入りを集中させており、その場所は港近くの廃工場、隠れる場所がいくらでもあるような環境だったのだ。
「……と、いうわけでギャングのアジトはわかりましたよ会長」
『うむ。では、取り決め通りまずは私の側近にのみ情報共有をしよう。君はそのままアジトの張り込みを頼むよ』
「了解!」
会長の側近までという限られた情報共有レベルで《謎の勢力》によるギャング潰しが決行された場合、情報漏洩元がかなり絞り込める。
……とはいえ、あからさまに漏洩を警戒している姿勢が間者に伝わってしまう可能性もまた否めないのだけど。
なんにせよ、ここで奴らが動いたなら大儲けものだということだ。
「ふぁああ、少し仮眠をとろう。夜の張り込みに備えないと」
電信室を出た僕は、大欠伸をしながら港近くに借りた自分の宿に向かって歩き始めた。
イグアードの魔闘士協会事務所には、大きな会館が備わっているくせに宿所は無いんだよな。
不便で仕方ないが、ギャングチームの監視のために港近くに常駐しているということにして無理やり自分を納得させた。はぁ。
──
─
七ノ月の六日。
錆びて外れやすくなった通気口のカバーを取り去り、内部へと体を滑り込ませる。
毎夜お決まりの“出勤経路”となった通気口を、音を打ち消す風魔法を使いつつ匍匐して進む。
音というのは空気の振動だから、逆位相の波をぶつけてやることで隠すことができるのだ。
クレーンをかけるための梁の上に飛び乗る。
光が当たらず暗い上に、鉄骨が遮蔽物になるから僕が潜んでいることなんて感知出来ないと思うけど、念の為に魔法で光を屈折させて迷彩を作り出した。
我ながら完璧である。
眼下には武器弾薬をせっせと運び込んでいるチンピラと、大砲や資材の上に腰掛けて談笑している幹部連中の姿があった。
幹部も随分若い。魔法学校を卒業してそんなに時間が経っていないような、成人前後の若者達だ。
学校内の素行の悪いグループがそのまま発展したような印象。
若さ故に、厄介だ。
こう言った手合いはそこらのマフィアよりよほど粗暴で、一般人を巻き込みやすいものだからだ。
しかし大砲まで引っ張り出してくるなんて、こいつら攻城戦でもやらかすつもりか?
いち地下組織の扱う武器としては分不相応すぎて、とてもじゃないが扱い切れるとは思えない。
だのに彼らは大興奮で武器の運搬を続けている。
言っちゃあ悪いがクサハミムシを運び入れる蟻の群のようだ。
僕は心の中で溜息を吐きつつ、観察を続ける。
《謎の勢力》の動向は気になるが、このままこいつらを放置しておくのも危険だ。
もう二、三日したら情報レベルを魔闘士協会全体に引き下げて、それでも動きがないようであればさっさとギャングを逮捕してしまったほうがいいかもしれない。
──そう考えていた矢先の出来事だった。
「なあ! 良い女見つけたから連れてきたぜ」
あり余る筋肉の至る所に刺青を彫り込んだタンクトップ姿の男が、少女にも見える若い女を半ば引き摺るように連れてきた。
女は泣き叫びながら、男の手から逃れようと必死で抵抗して身を捩る。
しかし男との体格差が大きく、いくら突っ張っても掴まれた腕を振り解くことができずにいた。
「暴れんじゃねえよクソ女」
男は女を思い切り平手打ちにして黙らせると、大砲の上に腰掛けていた男の前に突き出した。
大砲の男は瘦せ型で、手に持った魔法銃をいじりながらタンクトップの男に問いかける。
「おい、この女は何だ」
「こいつ男と一緒にいたんだけどよ、ヨーザイさんの好みじゃないかって思ってぶんどってきた」
「確かに、童顔で胸の無いヨーザイさん好みの合法ロリだが……男はどうした?」
「ハッ! 一発殴ったらべそかきながら逃げていったぜ!」
「なっさけねーやつ! ははは!」
女が下唇を噛み締めて痩せ型の男を睨みつける。
その目が気に食わなかったのか痩せ型の男が舌打ちをし、それに反応したタンプトップの男が女を蹴り飛ばした。
「おい、やめろセキメド。ヨーザイさんに引き渡す前に傷物にする気か!」
「──俺が……何だって?」
倉庫の奥から、タンクトップ男と同じくらい筋肉質で、かつ引き締まった体つき男が現れた。
浅黒い肌に短く刈り揃えられた金髪。
無駄を削ぎ落した、いかにも戦闘慣れしていそうな風貌。
他者を威圧するような鋭い眼光で廃工場内を見回すと、ギャングの構成員たちが一瞬で直立不動の姿勢を取った。
ヨーザイ・オルガノ。このギャングチームのボスである。
「よ、ヨーザイさん好みの女を連れてきたんですが、こいつ聞き分けが悪くて」
ヨーザイはタンクトップの男に歩み寄る。
タンクトップの男は困惑しつつもへらへらと笑うことしかできなかった。
が、刹那。男の身体は顎への突き上げを食らって宙に舞い上がる。
ヨーザイがいきなり殴りつけたのだ。
「てめぇ、俺のモノに先に手ぇ出したら容赦しねぇっていつも言ってるよな、あァ?」
「ひィッ!?」
ヨーザイは唾を吐き捨てた後、地面に転がっているタンクトップ男を踏みつける。
痛がる部下の様子を気にすることもなく、彼はかかとをぐりぐりと押し当てていた。
その姿勢のまま懐から葉巻を取り出し、風魔法で先端をカットして炎魔法で炙る。
そうして火のついた葉巻をふかし始めると、今度は灰をタンクトップの男の手の上に落とすのだった。
灰が触れた瞬間、男は熱がって手をばたつかせた。
「フン、だがこいつは良い女だ。見つけてくれた礼はしなくちゃな。……てめぇを協会襲撃の隊長にしてやるよ。これでいいか」
「あ、ありがとうございやす!」
タンクトップがうつ伏せのままヨーザイに礼を言うと、ヨーザイはようやく足を上げて男の元から離れた。
その足で女の所へ向かう。
女が恐怖のあまり頬を強張らせるが、ヨーザイは女の前にしゃがみこみ、その顔を優しい手つきで撫でた。
「来いよ。向こうでキモチイイことしようぜ」
「ぃや──ッ」
女は歯をカチカチ鳴らしながら、ヨーザイの体を押しのけるようにして腕を伸ばした。
しかし彼の体はびくともしない。
足の裏が地面に接着されているのではないかと思えるほどに、彼は微動だにしなかった。
ところが、ヨーザイには明らかな変化が見られた。
青筋を立てて、眼を見開き、口角を持ち上げて狂気を孕んだ笑みを見せたのだ。
「──気が変わった。てめぇを今から嬲り殺す」
ヨーザイは女の体を腕一本で持ち上げると、空いたほうの腕で女の衣服を引き裂いた。
「いやあぁぁアアア!?」
女の絶叫が工場内にこだまする。
いやいやと体をくねらせるがヨーザイの腕力を上回ることなど到底できない。
女はヨーザイから腹に膝蹴りを入れられると、反動で思い切り嘔吐した。
吐瀉物をかけられたヨーザイは激昂して女を壁に押し付け、下着を剥ぎ取った。
思わず目をそむけたくなる光景がそこにあった。
しかし僕はこれを放置できない。
《謎の勢力》を追うために、ここは静観を決め込むのがベストだとはわかっていても、僕は魔闘士として彼女を助けなければならない。
本当ならば、最初に暴力を振るわれた時点で僕が間に割って入らなければだめだったのだ。
それを、任務を言い訳にして傍観してしまった。
自分に腹が立つ。
なんとしても女を救い出さなければ。
事態が急変したのは、そんな時だった。
「──なッ!?」
驚愕の声を上げ、ギャングチームが固まった。
が、それは僕も同じだった。
梁の上から飛び降りて女を助けようとした瞬間、けたたましい音と共に黒い影が工場内に飛び込んできたのだ。
音の正体は、工場の壁面をぶち抜いたときの衝撃音だった。
砂埃を巻き上げながら、黒き影はゆらりと立ち上がる。
「だ、誰だてめぇは!」
ヨーザイが叫ぶ。
彼の視線の先には、黒鉄の装甲に身を包んだ仮面の人間が立っていた。
不自然に手足が長く、身長は二メートルを優に超える、不気味な姿。
人型をした外骨格生物のようにも見える。
「お前、この野郎!」
タンクトップの男が転がっていた鉄パイプを拾い上げ、“外骨格仮面”に殴りかかる。
外骨格仮面は鉄パイプを手掌で受け止めるとそのまま掴み上げ、タンクトップの男は勢い余って投げ飛ばされる格好となった。
タンクトップの男に続く形でチンピラ連中や幹部クラスの男たちがそれぞれ武器を手に飛び掛かるが、外骨格仮面はそれら全てを華麗にいなし、一人につき一発ずつ反撃のための殴打を繰り出していた。
その一発一発が急所を突く必殺の一撃になっており、ものの数分でギャングたちは総崩れとなっていった。
「て、てめぇ……一体」
外骨格仮面は首をならすような仕草を見せると残っていたヨーザイに歩み寄っていく。
そして一言、呟いた。
「……シルヴァクロウ」
何とも渋みのある、男の声。
全身が装甲に包まれていたために分からなかった性別が、声にて判明した。
シルヴァクロウというのが彼の名前か。
一体何者なのだろう。
僕は女の救出を一旦保留にして、しばし状況を見守ることにした。
もしかすると、シルヴァクロウが《謎の勢力》の関係者かもしれないからだ。
「く、来るんじゃねぇ。近寄るな」
ヨーザイは、あろうことか女の体を盾にした。
女を再び片手で持ち上げ、己の身を隠すようにして構えたのだ。
半裸になった女は虚ろな目をしてシルヴァクロウの方を見ていた。
すると、不思議なことにシルヴァクロウの脚がピタリと止まる。
女を盾にされて困惑しているのだろうか。
無関係の人間でも、女なら大事にするという性質なのかもしれない。
だが彼の発したのは予想外の台詞だった。
「……お前、リリカか? ハドロス領の、リリカだろう?」
すると、女の瞳に光が戻る。
一方で、女の表情はさらなる恐怖に歪んでいくようだった。
「う──そ。その声……カイン先輩?」
「……カイン? 知らないな」
「嘘! 忘れもしない、あなた、マイシィちゃんを襲ったあの人でしょう!?」
「さぁて、ね」
マイシィ!? マイシィ・ノイド・ストレプトの事なのだろうか。
どうしてこのタイミングで彼女の名前が出てくるのだ。
いや、待てよ。
あの女、どこかで見たことがある。
──確か、そうだ、マイシィの結婚披露パーティに来ていなかったか。
何故だ、どうしてだ。なんの因果でこのような場所に連れてこられてしまったのか。
ひょっとして、この状況こそ《謎の勢力》の策略なのか。
いいや、それも違う。冷静にならないと。
リリカと、カインと呼ばれていた外骨格仮面の様子を見るに、彼らの遭遇は全くのイレギュラーのように見える。
カインが《謎の勢力》から送り込まれたギャング潰しの刺客である可能性は非常に高い。
彼にとってはリリカがこの場に囚われている事態は全くの想定外であり、本来の目的はあくまでギャングの拠点を制圧する事だと考えたほうがまだしっくりくる。
だとすれば、この偶然は彼にとって致命的なインシデントだ。
わざわざ仮面を身に付け、偽名まで名乗ったのに正体を看破されてしまったのだから。
「は、ハハ……なんだてめぇら知り合いかよ」
ヨーザイは目を見開き、口に笑みを張り付かせながらリリカを抱き寄せる。
右腕を手刀の形にしてリリカの首元に当てると、手の周りに魔法力場を高めつつ、舌なめずりをした。
「動くなよ。でないとこいつの命がどうなってもしらねぇぜ」
彼は圧倒的不利な状況を、人質によって打破できると考えたようだった。
ところが、カインが口にしたのは斜め上の一言だった。
「……別に構わない。むしろ、死んでくれないと邪魔だからさっさと殺せ」
「は?」
カインは両掌を上に向けて肩をすくめ、ヨーザイを挑発する。
余裕の構え。
本当にリリカの事を邪魔に感じているような、そんな雰囲気。
「い、良いのかよ。てめぇら知り合いだろ!?」
「……お前こそ、口だけかよ。ほら、さっさと殺れよ、三下」
「くッ──!」
ヨーザイの震える手刀に風の層が宿る。
ゆっくりとリリカの首に風の刃が押し当てられていく。
首から出血し、泣き叫ぶリリカ。
暴れるリリカを抑えつけようとヨーザイの左腕に力が込められ、そして──。
「やめろおおおおお!!」
刹那。
ヨーザイの右腕が宙を舞った。
鮮やかな赤色の飛沫で軌道を描きながら、回転しつつ地面へと落下していく。
さらに、蹴り飛ばされたヨーザイは資材の山の中に体を突っ込ませていた。
「ぐああああぁぁッ!?」
ヨーザイは失った腕の付け根を左手で懸命に押さえながらのたうち回っている。
失血が酷い。
早く止血をせねば、死んでしまうかもしれない。
僕の腕の中には、怯えた子鹿のように震えるリリカの姿があった。
そう、寸でのところで助けに入ったのは、僕だ。
カインは一歩も動く事なく傍観しているのみ。
やはりこの男、知人であるはずのリリカを本気で見殺しにするつもりだったのだ。
あのまま僕が事の成り行きを見守っていたら、この子の命は失われていたんだ。
危ないところだった。
「……お前、魔闘士か!? どうしてこんなところに……!」
狼狽えたように数歩後ろ下がるカイン。
僕は抱いていたリリカを地面に下ろすと、カインに正対して頭を下げた。
「こんにちは、僕は上級魔闘士クシリト・ノール。君たちには、じっくり話を聞かせてもらわないといけないね。悪いけど、逮捕させてもらうよ」




