入学編05話 マイシィ、ストレスと
私──マイシィ・ストレプトには悩みがある。
それは、私とカンナちゃんに不気味なファンクラブができたことでもなければ、何人かの男の子にお付き合いを申し込まれたことでもない。ファンクラブの数がカンナちゃんに負けているのも全く気にしていない。全部どうでもいい話だ。
そうそう、たくさんの男の子たちが列を作ってカンナちゃんへ告白していたその時期。実は、私にも何件かお付き合いの申し込みがあったんだ。
私はまだ十歳で、魔法学校にも入りたての子供だ。慣れない環境の中で、それだけでも大変なのに、誰かとお付き合いなんて出来っこないと思って、全部断ったんだ。
それに、私には密かに想いを寄せている人がいるし、ね。
では何に悩んでいるのかというと、わけのわからない嫌がらせだ。
学校には個人用のロッカーがあるのだけれど、そのロッカーの中にどうしてかお守りだったりぬいぐるみだったり、私のじゃない物が入っていることが増えたんだ。怖かったのでそのままにしておいたんだけれど、しばらくすると今度は置いてあったものがズタズタにされてた。
はじめは私がフッてしまった男の人の誰かがいたずらをしているんだと思った。
それで、全員を呼び出してごうも……問いつめたんだけれど、誰も知らないって言うんだよね。
さて困った。ではいったい犯人は誰で、どんな目的でこんなことをしているのだろう。
私はここで、一つの考えに思いいたった。でも、その考えが正しいのだとすると、これは一人で解決しなきゃいけない問題ってことになってしまう。
誰かに相談するにしても、その子も狙われてひどいことをされてしまうような気がする。
カンナちゃんなら相談しても良いかな、なんて考えもよぎったさ。
でもね、あの子は誰よりも巻き込んじゃいけない気がしたんだ。私の問題に首を突っ込んだら、きっとカンナちゃんはあとに引けなくなってしまうから。
……本人は気づいているのかな。私を何かから守ろうとする時のカンナちゃんは、ものすごく怖い顔をするの。なんて言うかこう、表情は変わらないんだけれど、瞳の奥がずぅんと沈んでしまったような感じになる。
それで“怒り”っていう気持ちを全部身にまとったような、恐ろしい空気を作り出しちゃう。そのままカンナちゃんを放っておいたら、きっと大変なことになるって子供ながらにわかる。
だから、私は一人で頑張らなきゃいけない。一人で解決しないといけない。
これはひょっとすると、貴族同士の問題なのかもしれないのだから。
***
今から四か月ほど前の話。魔法学校入学から二か月くらい後だから、九ノ月のはじめだったかな。そうだ、中庭の植木が赤く色づいていたから、秋の終わりから冬になっていった頃だ。告白ラッシュが起きていた時期と同じくらいかな。
私たちはいつも通り、カフェテリアでご飯を食べていた。たしか、日差しがあたたかで気持ちが良いので窓側の席について、意外と外から寒い空気がおりてくるのがわかって、お日様に当たると暑いし、かといって足元は冷たいしで席を移動しようかどうしようかと話し合っていたはずだ。
そうやってわちゃわちゃしていた私たちのもとに、その人は現れた。
「ずいぶんと調子に乗っておられるようですわね」
「えっ……?」
とてもきれいな人だった。カンナちゃんほどではないけれど、すごく整った顔立ちの女の人。
ウェーブのかかったブロンドのロングヘアー、青い髪飾り。左右の目は切れ長で碧く、細い眉にまっすぐな鼻すじ。どこか周りを見下しているような表情が少し怖い。
来ている衣服も、デザインこそみんなと同じなんだけれど、使われている素材が何ランクも上質なものになっていた。
えんじ色の部分も、ただの布ではなくて細かい刺繍があみこまれている。
明らかに貴族。それも上級の貴族の女の子だった。
男の人を二人引き連れているけれど、家来っていう感じがしない。
もっとえらい人だろうと思った。
「あ! これは失礼いたしました!」
私は思わず立ち上がる。座ったままでは失礼になると思ったからね。
私につられて一緒に食事をしていたクラスメイトたちも立ち上がった。
右手を胸に当て、スカートの端をつまみ上げて軽くひざを曲げる。これがこの国での貴族の娘のお辞儀。
本当はもっと丁寧なお辞儀の仕方もあるのだけれど、それは国王さまや外国のえらい人に会う時ぐらいにしか使われないみたい。
カンナちゃんたちも私と同じポーズをとってご挨拶。カンナちゃんは家柄もあるからか、所作もバッチリ決まってる。
アロエちゃんとリリカちゃんは、なんか、おっかなびっくりって感じだったかな。あ、アロエちゃんとリリカちゃんっていうのはクラスメイトの女の子のことね。
それにしても……改めて見るとこの人、小さい。流石に十歳の私のほうが背が低いのだけれど、お付きの男性が二人とも高身長なので、こう、小ささが引き立てられてしまっている感じがする。
さすがに顔立ちは大人びているから歳上なのだろうと思い、胸元の校章を確認すると緑色だった。
校章の色は学年カラーを表していて、一年生は白色。他の学年は虹の七色がそれぞれ割り当てられて、卒業までその色を維持することになっている。
八年生が卒業すると、一年生がその人たちの色を引き継いで二年生に進級するの。今の最上級生が青色なので、緑色の彼女はきっと一つ下の七年生だ。
ああ、大先輩だ、どうしよう。
「なんですか。人のことをジロジロと観察して」
先輩の眉がピクリと持ち上がる。あまりに小さいから年齢を確認してましたなんて言えないな。
「いえ、その……以前どこかでお見かけしたような気がして」
「それはそうでしょう。入学式にて学年代表の挨拶をしましたもの」
それを聞いて思い出す。ああ、確かあの時に一人だけ高さが足りずに踏み台を使っていた……。
「……なにか?」
「あ、いえ……何とも思っていませんよ」
チッ、とわざとらしく大きな舌打ちをする先輩。
青ざめる、私。
「ほんっとに調子に乗った子たち」
先輩はイライラを隠さず声色に全部乗っけて吐き出した。ため息とセリフが同時に出た感じ。
すると、お付きの男性の一人が一歩前に出て言った。もう一人のお付きの人と背格好から顔立ちまでそっくり。双子の兄弟かな。
髪の色は金なんだけれどクローラ様よりずいぶん明るくて、加減によっては白っぽくも見える。男性にしては髪が長めで、そこから覗く赤色の瞳がちょっと怖い。
「申し訳ないが、平民格の者は一旦席を外していただきたい。元来クローラ様と口を利けるような立場ではないのだからな」
クローラという名前を聞いて、さらに思い出した。
魔法学校に入る前、フマル家をお父様が訪ねていらっしゃった時、学校にはフェニコール家の令嬢も通っているから失礼の無いように、と確かにおっしゃっていた。
気を付けるように、だったかな。とにかくクローラ・フェニコールとは関わらないように、と釘をさされたのだ。
どうしてかと言うと、私の家とフェニコール家は国の中でも対立する立場にあるからなんだって。
この人がクローラ・フェニコール様だったんだ!
……と、気づいた時にはどうすることもできない状況に置かれていた。ていうか目をつけられた時点でどうしようもなかったかも。私なにかしたかなぁ。
「聞こえなかったのか。平民格は下がれ、と言ったんだ」
男の人は語気を強めてそう言った。この人もきっと貴族のご子息なのだろう。クローラ様についているということは、フェニコール家にゆかりのある人たちなのかもしれない。
アロエちゃんとリリカちゃんはすっかり委縮してしまい、テーブルに食事を残したままそそくさと立ち去ってしまった。
なんだか貴族の嫌なところを見せてしまったようで申し訳なく思う。あとでちゃんとフォローしておかなきゃ。
「おい」
二人が去った後も、男の人はまだ怒り静まらない様子だった。
「私は平民格は下がれと言ったんだ。辺境貴族など、もはや平民と同じだろう」
カンナちゃんのことだ。カンナちゃんに立ち去れと言っているのだ、この人は。
確かにカンナちゃんの家は中央の貴族とはちがうけれど、ちゃんとした家柄の子だ。それなのにこの言い草はあんまりではないか。
しかし当の本人は全く気にも留めない様子で、ひざを曲げて一礼すると、そのままカフェテリアを出て行こうとした。
「ああ、良いんですのよ。私はあなたにも言いたいことがあるのですから。カンナ・ノイド」
クローラ様はカンナちゃんをその場で押し留め、
「ロキ。あなたも機転が効くのは良いけれど、私の考えにもっと気がつきなさいな」
男の人を叱りつけた。
「は。どうか出過ぎた真似をお許しください」
先程までえらそうな態度をとっていた男の人は、左手を腰の後ろに、右手をそっと胸に当てて頭を下げた。貴族男性の敬礼だ。
すると最初の時とは逆回しにしたように、スッと一歩後ろに下がる。なんだか、一昔前の歌劇を見ている気分。
先王様が魔法立国を目指してがんばるお話の中にもこんな場面があった気がする。
「マイシィ・ストレプト」
「は、はい」
「カンナ・ノイド」
「はっ」
クローラ様は私たち両方をしばらくの間にらむように見つめた。
間をおいて、すぅっ……と口元に笑みを浮かべたの。
でもね、目はぜんっぜん笑っていないのですごく怖いの!
しかもね、いきなり無表情に戻ったかと思えば、突然こんなことを言い出したんだ。
「あなたたち。あんまり調子に乗ってると痛い目に遭いますわよ」
これわおどしだ。こわくなんてないんだからね。
カンナちゃんは私なんかと違って、とても落ち着いている、ように見える。
「ご忠告いただき至極感謝いたします」
カンナちゃんはクローラ様のおどしに、なんと礼で答えたの。挨拶の時と同じくスカートを持ち上げてひざを曲げるポーズ。
でも、先ほどと違うのは、カンナちゃんはひざを折ったままの姿勢でぴたりと止まったことだ。頭は下げたまま、カンナちゃんは言葉をつづけた。
「そして僭越ながらお尋ね申し上げます」
「おい、貴様! クローラ様に対してなんて無礼なっ」
お付きの男の人が怒りだしてしまった。無理もないよね。
どうもこの人たちは中央の貴族とその他の人たちとの身分の違いをはっきりさせたいみたいだから。
地方の貴族は平民と同じと言い切ってしまう人たちだから、カンナちゃんの態度が気にくわないんだ。
「良い! 下がりなさい、ロキ」
「し、しかし―――」
「黙れ」
食い下がろうとする男の人に、今まで黙っていたもう一人の男性が待ったをかけた。
いや、ちがう。今の声を聞いてわかった。
この人は、女の人だ。
すごく背が高くて、全体的に細身だし、髪も短かくて、何より制服がスカートではなかったので全く気が付かなかった。今更ながら見てみると、確かに上に来ているのは女子の制服だ。でも下はチェック柄のズボン。
クローラ様に隠れて見えづらかったけれど、剣を腰に差しているのが分かった。そうか、この人は騎士なんだ。
「しかしだな」
それでも男の人は不満を口にしていた。
止めたのは、やっぱりクローラ様だった。
「お黙りなさい。きょうだいゲンカなら後にしてちょうだい。まったく……」
クローラ様は再びカンナちゃんの方へ顔を向ける。
「それで? カンナ・ノイド。私に何を聞きたいの?」
「はっ。先ほどご忠告いただいた件なのですが、私には、何がクローラ様のお気に召さなかったのか見当がつかないのです。今後もお気に障ることが無いよう、どうかご教示いただけませんか」
確かにカンナちゃんの言うとおりだ。魔法学校の生活にも慣れてきて、ちょっぴり浮かれていたのは間違いないのだけれど、それがクローラ様を怒らせた原因だとは私も思えない。
私たちの意図しないことでクローラ様と対立することが続けば、家同士の問題につながってしまうかもしれない。そんなことになれば、お父様にも迷惑が掛かってしまうわ。
「私からも、ご教示お願いいたします」
私もカンナちゃんと同じようにクローラ様へ礼をした。
クローラ様はフンと鼻を鳴らして、
「そんなもの───」
高らかにこう言った。
「ファンクラブに決まっていますわ! わ、私にだって存在しないというのに、なんだってたった十歳だか十一歳のあなたたちにそんなものができるのですか!」
その瞬間。
私は。
面倒くさい人だな、と思った。




