暗躍編09話 電話での伝令
部屋の扉にノックが三回。
扉越しに女性の声が聞こえてきた。
「クシリト・ノールさん。いらっしゃいますか」
「ちょっと待って、今開けるから」
僕は整頓途中の資料を軽くまとめて引き出しにしまい、鍵をかけた。
続いて部屋の扉を開錠して開くと、廊下で待っていた魔闘士協会の職員の女性がぺこりと頭を下げる。
「クシリト様宛に支部長より電話がありました。折り返し連絡をするようにと仰せつかっております」
「そうか、ありがとう。取り急ぎの案件かな」
「すみません、詳しくは……なにぶん電話など使い慣れておらず、その……」
「ああ良いんだ、気にしなくても。すぐに電信室に向かうね」
ぺこぺこと頭を下げる彼女を手で制しつつ部屋の鍵を閉め、僕も会釈をして階段へと向かった。
ここ、ハドロス領の魔闘士協会事務所は、コリト地区の廃止された魔法学校の校舎を利用しているために王都の支部よりも広い。
もっとも、二階の木造部分の部屋は普段はほとんど使われておらず、僕みたいに派遣された魔闘士のための宿所となっている。
電信室は、確か一階の事務室の片隅にあったはずだ。
この事務室というのが昔の教職員室を改築したものなので、入る時に僅かながら緊張してしまう。
きっと学生時代に悪さをして叱られたときの記憶が蘇るからだ。
「失礼します」
「ああ、クシリトさん。電話ですか?」
「そ。ちょっとかいちょ……支部長に呼ばれていてね」
僕は職員に案内され、事務所の片隅にあった木造の小部屋へと通された。
中には大きな箱状の機械と、そこから延びる受話器があり、それだけだった。
椅子も机も無い。
しかし、機械だけでかなりのスペースを占有されており、椅子があると逆に狭苦しそうなのでこれで良いと思う。
「さて、と。こいつの使い方は……」
この五年ほどで旧魔導帝国領内に電話が普及し始めた。
今まで各地に点在する時計塔から通信兵が光魔法を使い、信号をリレー形式で伝えるのが最も早い通信方法だった。
それが今や、電気信号のケーブルを主要都市間に敷設したことで一気に電話が通信の主役に躍り出た。
国によってペースは違えど、もう十数年もすれば裕福な家庭にはすべて電話回線が敷かれることになるだろう。
馬車から魔動車や鉄道へ。光通信から電気通信へ。
どんどん時代が変化していくのは面白みもあるが、どこか寂しいものでもある。
「あー、あー、こちらハドロス領魔闘士協会事務局。王都魔法協会支部へと繋いでほしい」
『承知しました。コード7・6にて待機してください』
数分の間があり、ようやく電話がつながる。
はじめに向こうの職員が電話を受け、僕が名を名乗ると間もなく支部長へと変わった。
「こちらクシリトです。会長、お待たせしました」
『うむ。ご苦労だった。しかし、電話というのはまだ慣れんな』
「まったくです」
ここから移動だけで一日以上はかかりそうな距離にありながら、ちゃんと会話ができるというのは素晴らしい事ではあるが、それ以上に気味の悪い事でもある。
「それで会長、火急の要件とは」
『そこまで大急ぎという訳でもないのだが、おぬしにやってもらいたいことがあってな』
「やってもらいたいこと、ですか」
僕は会長直々の依頼で《謎の勢力》を追っている真っ最中なのだが、それに関連する追加任務ということだろうか。
それとも全く別の仕事か。
『そなたの抱えている案件と関係があるはわからぬが、近辺に対応できそうな魔闘士はそなたしかおらぬのでな。話だけでも聞いてもらいたい』
僕は会長から、今回のミッションについて詳細を聞かされた。
ここ数日、ハドロス領の西隣にあるイグアード領にてギャングチームの活動がにわかに活発化し、周辺のチームを吸収して肥大化しつつあるらしい。
活発化の遠因はマフィアの衰退。
つまり、僕が今追っている事案である《謎の勢力》が、直接では無いにせよ影響を与えたのは間違いなさそうだ。
問題は、彼らギャングの活動が地方ギャングの域を超えて、広範囲に及びつつあるという事。
これではマフィアの世代交代が起きただけに等しく、住民にとっては好ましく無い状況と言える。
『しかも奴ら、武器弾薬をせっせと集めているらしい』
「抗争でも始める気でしょうか」
『おそらくはな。……で、ここからがそなたに関係ありそうな事柄なのだ。単刀直入に聞こう。ギャングチームの拠点潰しに《謎の勢力》は動くと思うか?』
確かに可能性はあるが、難しいところだ。
《謎の勢力》の目的の一つが治安維持だとすれば、当然、治安悪化の原因になり得るギャングを潰す方向で動くだろう。
ところがマフィアの拠点潰しに別の目的があった場合、つまり治安が良くなったのはただの結果であり目標は別だった場合は、ギャングチームなど放置されるかもしれない。
潰したマフィアが消えたことで何が起きたとしても組織とは無関係だからだ。
こればかりは憶測に基づいて調査を進めるしかない。
「確証は持てませんが、しかし奴らの尻尾を掴む事ができる可能性があるならば、こちらも動くべきでしょうね」
僕がそう言うと、会長はふっと息を漏らしたかと思うと静かに笑い始めた。
『はは、いや、おぬしならそう判断するだろうと思ったよ。して、どう対処するつもりかな?』
「ギャングのアジトは掴めていないのですよね? でしたらば、まずは場所の特定ですね」
『……頼めるか?』
僕は即答した。
「もちろんです会長。ただし──」
ただしを付けたのは、会長に頼みたいことがあったからだ。
僕は魔闘士協会内部に《謎の勢力》と通じている者がいると思っている。
それは訓練されたスパイとは限らない。何気なく友人知人に話してしまった内容が流出しているだけなのかもしれない。
だが少なくとも、奴らに情報が流れているルートが協会内部に存在するのは間違いない。
その情報漏洩の根源を見つけ出さねば今後の活動に差し障る。
だから僕は、ギャングのアジトが発見されても協会のデータに書き加えないでほしい事や、情報を共有する人間を限定してほしい旨を会長に申し込んだ。
限られた情報共有の中でギャングの拠点が《謎の勢力》に漏れたなら、そこに間者ないし漏洩クソ野郎がいると判明するからだ。
『おぬしが協会内部まで疑っておるとはな』
「いいえ会長。僕は協会だけでなく、あらゆる場所に奴らの情報網が敷かれていると考えています」
仮に奴らと魔法国貴族の間に強いつながりがあるとすれば、その程度の情報網はあって当然。
何と言ったって魔法国国王派はいち国家の中枢にいるような派閥なのだ。
どこに縁者が紛れていてもおかしくない。
『わかった。そなたの言うとおりにしよう。働きに期待しているぞ、クシリト・ノール。だが、無茶はするなよ』
「はい。あなたの期待に沿う働きをして御覧にいれましょう」
そう言って、通信を切った。
ふう、と大きく息を吐く。
表情や身振り手振りが見えない分、ひとつひとつの言葉に気を付けなければいけないから、普段よりどっと気疲れする。
より電話が普及すれば、こんなものも慣れてしまうのだろうか。
ふと脳裏に浮かんだのは、妻の姿だった。
我が家に電話があれば、出張先からいくらでも会話ができる。
普段接してやれない娘たちや息子とも、もっとコミュニケーションが取れる。
そうなればなんと素晴らしい事だろう。
長い時間通信をしすぎて通話料が大変なことになりそうな予感もするのだけど、家族の絆が金で買えるなら安いものだ。
さて、やることは決まった。
イグアード領のギャングの調査のため、ここから西へ半日ほどかけて移動しなければ。
しかしその前に、できればカンナ・ノイドにも会っておきたいな。
もう少しあの子の話を聞いてみたい。
彼女が現在の《謎の勢力》に繋がっているのかは分からないが、十年前の帝国派の一件にはどこかしらで絡んでいそうだと思える。これは直感だな。
その直感の根幹にあるのは、やはり彼女の持つ独特な空気感だろう。
どこかこちらを見透かしたような、心を覗き込まれるような、あの感じ。
長年の魔闘士としての勘が「彼女には何かある」と告げているのだ。
「よし、行くか。マイア地区へ」
僕は自分に言い聞かせるようにつぶやくと、両の頬をぴしゃりと叩いて気合を入れた。




