暗躍編07話 Xyrito met Canna
「帝国派からの手紙を預かっていた、でしたっけ? クシリトさん」
カンナ・ノイドがそう言った瞬間、グリフィンとハーヴェイの顔が強張るのがわかった。
彼女は悪気も何もなかったようで、にっこりと微笑みを浮かべていて、中央貴族達の反応には気がついていない様子だ。
僕はもう苦笑する他なかった。
しかし、参ったな。
あの時の少女がカンナ・ノイドとマイシィ・ストレプトであると確定したのは良いけども、国王派の貴族達に帝国派との繋がりを疑われては僕にとって好ましい状況とは言えない。
それに、《謎の勢力》が国王派と通じている可能性が高い以上、彼らに目をつけられるのは非常にまずい。
こう言った話は、カンナが一人だけになったタイミングで話すべきだったか。
まあ、彼女に接触すると決めた時点である程度のリスクは覚悟の上だから、なんとか乗り切るしかないか。
──
─
僕がマイシィとニコルの結婚披露会場へと出向く数週間前のこと。
いつものように僕は一人、書斎に篭って調べ物をしていた。
要人を病死に見せかけて暗殺し、裏の組織を次々に潰して密かに勢力を拡大させているという《謎の勢力》。
僕は彼らと魔法国の国王派貴族との間に関係性があるのではないかと疑っていた。
僕が以前から追っていた帝国派貴族の飛空艇爆発事故の起きた時期と、《謎の勢力》の活動の時期とはピタリと符合するのだ。
こんな偶然はあるのだろうか。
因果関係が無いという方が不自然に思える。
飛空艇事故と国王派との関連を疑っていた僕だから、《謎の勢力》と国王派も自然と線で繋がれていく感覚があった。
しかし思い込みは良くない。
こういう時は反例を考えてみよう。
例えば、帝国派が消えたことにより社会に変革が起き、国王派の思惑とは無関係な組織が密かに勢力を伸ばしてきたというパターン。
国の一大派閥が消えたというのはそれだけで大事件なわけで、結果として第三勢力が動き出すのはおかしな話ではない。
が、だとすれば事故が起きてからマフィア潰しや不審死が始まるまでの期間が短すぎる気がするのだ。
これは事故以前から《謎の勢力》が帝国派がいなくなることを見越して準備を進めてきたことを暗示しているのではないだろうか。
少なくとも事故後に成立した組織ではないだろうな。
……ああ……いけない。
悪い癖だ。
持論が頭に浮かんでいる時にはどうやってもそちらの方に結び付けて物事を考えてしまう。
こうなれば容疑者達と接触して、どういう人物なのかくらいは把握しておきたくなってくる。
直接話を聞ける場があれば良いのだけど。
「マイシィ・ストレプトが地方貴族ノイド家の長男と結婚……これだ」
僕が手にしていたのは魔闘士協会の発行する機関誌だった。
拠点にしている地域の事件や政治などの情勢、世界の大きなニュースなどが細かい文字で羅列してある。
その中の、魔法国に関する項にてマイシィ・ストレプトが近日中に結婚式を挙げるという話に目が留まった。
しかも相手はノイド家。
もしかするとカンナ・ノイドとも会うことができるかもしれない。
彼女は帝国派からの手紙の件と、魔闘大会での無気力試合の件という二つの事象に関わっている最重要人物だ。
魔法研究者として世界を飛び回っている彼女でも、身内の結婚式くらいは参加するだろう。
しかし本当に良いのだろうか、冷静に判断せねばなるまい。
彼女と接触するということは、あの飛空艇事故の闇に踏み込むということ。
家族を危険に晒す可能性があるということ。
“不用意に陰謀へ首を突っ込まない”という妻との約束を反故にしてしまうことになるかもしれない。
「だが、これは仕事だ。手を抜くわけには……いかないよな」
僕は大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせた。
よし、これも正義のためだ、頑張ろう。
そうと決まれば早めに動かないと。
ツテを使えば国王派の一角であるグリフィンとは接触できるだろうから、彼に近づいて結婚式に参加してみよう。
──
─
それがまさか、カンナ・ノイドの方から手紙の話題を振ってくるとは思わなかった。
国王派貴族のツートップの前で、帝国派との繋がりまで匂わすような物言いをされてしまったのも、想定外だ。
逆に言えば、カンナがこの情報をおおっぴらにするということは、手紙の内容はやましいものではなかったのかもしれないな。
「僕は当時、家族旅行中だったのだけど、船着場で青い髪の青年に急に話しかけられて手紙を渡されたんだよ。多分、スルガ・ニクスオットだと思う。彼とは面識がなかったけど、向こうはひょっとしたら僕のことを知っていたのかもね」
別に隠し立てすることもないので、ありのままを話した。
向こうにやましい事が無いように、こちらにも後ろめたいことは何も無いのだ。
「それは、どんな手紙だったのだ?」
今度はグリフィンがカンナに質問を投げかけた。
彼の表情を見るに、何かを隠している様子は感じられない。
手紙の存在は今しがた知ったばかりといった様子だ。
……スルガからの手紙と、事故あるいは組織は無関係なのだろうか。
カンナはグリフィンの質問にも物怖じせず返答をした。
「何のことはありません。確か、“魔闘大会に参加しろ”の様な内容だったかと。細かい文面は覚えておらず申し訳ないのですが、内容は合っているはずです。マイシィと彼女の従者も手紙を読んでおりますので、気になる様であればご確認ください」
「いやいや、何もカンナ嬢を疑っているわけでは無い。帝国派というのが懐かしい響きだったのでな。そうか……当時はそなたも大変だったろう」
カンナは困った様な引きつった笑顔に変わり、心無しか目を伏せてしまった。
「はい。あの頃は、色々と……辛い日々ではありました」
カンナは当時、交際していたロキト・プロヴェニアを帝国派の襲撃により亡くしていたはず。
さらに交友関係にあったイブリン・プロヴェニアは帝国派に寝返り、クローラ・フェニコールは行方知れずとなった。
その辺りの調べはついている。
確かに辛い時期だっただろう。
「あー、すまない。僕のせいで嫌な事を思い出させてしまったかな」
僕が謝ると、彼女は少しだけ気持ちがほぐれた様で、僕の目を見て笑いかけてくれた。
「いいえ、クシリトさん。あの頃から、私を支え続けてくれる存在がいるので大丈夫なんです。それが、こちらのアロエ・ノイドです」
僕がカンナの隣にいた茶髪の女に目をやると、彼女は「どうも」と小さく呟いてペコリと頭を下げ、しかし慌てた様に貴族式の礼をし直した。
調べによると、彼女は元々平民で、ランタン・ノイドに見初められて養女となったはず。
だがどうも、カンナの話を聞くに、本当の事情は少し違う様だ。
「アロエは元々私の級友でしたが、恋人を亡くした私を懸命に支え続けてくれたのです。いつしか私達は友情を超えた親愛で結ばれるようになりました。ですから私が父に頼み、ずっと一緒にいられる様にとノイド家に加えてもらったので……って、これは秘密なのでした」
そう言って口元を手で覆い隠すカンナ。
困り顔でしばし目を泳がせていた彼女だったが、やがて上目遣いでグリフィンとハーヴェイに目配せをし、はにかんだように笑った。
「えへ♡」
へぇ、なかなかにあざといじゃないか。
なんというか、自分の容姿の長所を理解して使いこなしている感じがする。
流石は貴族の娘といったところか。
自分より上位の者に取り入る術を、貴族生活の中で自然と身に付けているわけだ。
カンナは額から鼻筋にかけての大きな傷が目立つものの、それを上回る美しさ可憐さが魅力となっている。
いや、傷がある事がスパイスの様に美しさをより引き立てているのだ。
って、こんな事を考えていたら妻に怒られてしまうな。
しかし事実だ。
現に、貴族代表の二人は既にメロメロになっているようだ。
「ふぉふぉ、いや、吾輩は何も聞いておりませんぞ。なあ、グリフィン殿?」
「はは、あー、きっと小鳥のさえずりを空耳しただけでしょうな。ははは」
僕はふっと息を漏らすと、彼らに合わせてこう言った。
「では、僕もきっとカナリヤの歌声に惑わされただけでしょうね」
カンナはおどけたような態度の僕らを見るなり、自らの口元に寄せた手の指を軽く曲げつつ、くすりと笑う。
「案外、正体は口汚い鴉の鳴き声かも知れませんよ?」
そう言うと彼女はひょいと後ろに一歩退いて、黒いドレスのスカートの端をつまみあげ、頭を下げた。
その姿は、銀の嘴を持つ黒い鴉が羽を広げて踊っているよう。
「では御三方、私などがあまり長く話しておりますと他の皆々様が御三方に話しかけられなくなってしまいますので、私はこれにて。どうか今宵はごゆるりとお過ごしくださいませ」
カンナに続く形でアロエという女も頭を下げた。
彼女らは優雅に身を翻すと、風のように、あるいは本当の鳥のように颯爽と去ってしまった。
なんというか掴みどころの無い、独特な雰囲気を持つご令嬢だ。
向こうから一歩踏み込んできたかと思えば、こちらが手を伸ばすと途端にすっと退いていってしまう。
そんな掴めそうで掴めない感じが、“彼女をもっと知りたい、近づきたい”という感情を導き、そのうち興味を抱かずにはいられなくなる。
なんとも不思議な空気感を醸し出していた。
「ふぉふぉ、クシリト殿も鼻の下が伸びていますぞ」
「──ハッ!?」
僕はハーヴェイに指摘されるや否や、慌てて表情を引き締めて背筋を伸ばした。
そんなに緩んだ顔になっていただろうか。
いけないいけない、僕は妻子ある身なのだからあの程度のあざとさに絆されているようじゃダメだ。
「まあ、あの鳥は我々には決して落とせぬ鳥なのだがな」
「グリフィン殿、それはどういう意味でしょうか?」
「あの女は帝国派の策謀によって大切なものを失くしたのだ。それ故、どんな男にも媚びを売る癖に誰一人として靡かない、孤高の存在になってしまったのだ」
大切なものとは、先程言っていた恋人のことだろうか。
内心でそう考えていると、ハーヴェイがグリフィンの言葉を補足するように話し始めた。
「ふぉふぉ。彼女は十年ほど前、帝国派に毒殺されかけ、結果として身籠っていた子を流産しているのです。以来、彼女は“女”を武器にすることはあっても、女として男を愛するどころか誰にも心も体も許さなくなったのです。グリフィン殿の言わんとしているのはそういうことですな」
「子供を……それは気の毒に」
僕の妻は割と丈夫な方だが、それでも長女の出産の際は色々と大変だった。
予定日よりもかなり早くに産気付き、やや未熟な状態で娘が産まれたのだ。
その影響で長女は今でも体が弱いのだけれど、生きて産まれてくれただけでもありがたいものだ。
もしもあの時長女が亡くなっていたなら、僕らの悲しみはどれだけ深かったろう。
改めて子供を作ることに罪悪感すら感じてしまうかもしれない。
そうすればきっと、今みたいに子供達に囲まれた幸せな生活は訪れなかったはずだ。
さて、どうしようか。
もう少し彼女と話をしてみたいが、今の状況で話しかけるのは過剰接触な気がする。
それに、僕と出会ったあの時期に子供を亡くしたのだとすれば、僕と顔を合わせると彼女は嫌でも子供のことを思い出してしまうだろう。
できれば忘れたい記憶のはずだ。
少なくとも、兄と旧友との結婚披露の場で悲しい気持ちにさせることは良く無いことだ。
「ハーヴェイ殿、カンナ女史と後日話をする機会は作れるでしょうか」
「それは……何故ですかな」
どうしてか、ハーヴェイの表情が少し強張った。
しかし、さて、どう答えたものかな。
馬鹿正直に“捜査にご協力”なんて言えるわけがない。
なぜならば目の前のハーヴェイ・シジャクも、グリフィン・ベイカーも《謎の勢力》の容疑者なのだから。
「彼女の魔法研究に興味があるのです。僕も一応魔法で生計を立てている身ですから、お互いに意見交換をしてみたいなぁと」
僕がそう言うと、ハーヴェイは安心したように破顔し、柔らかな笑みを浮かべた。
「ああ、良かった。吾輩はてっきり軟派な話かと」
「よしてくださいよ。僕のパートナーは妻以外あり得ませんから」
あはは、と苦笑しつつ、僕は心の中の手帳にメモをした。
“カンナ・ノイドに動機あり。ハーヴェイ・シジャクはカンナ・ノイドに肩入れ気味”と。




