暗躍編05話 マイシィの騎士
「カンナ。……カンナってば。お父様のご挨拶始まるよ。いつまで食べてんのさ、ウケるんですけど」
「ん、そういうアロエこそどれだけ飲むんだよ。ウケるんだけど」
先程空にしたはずのグラスに、なみなみと葡萄酒が注がれている様を見て、俺は苦笑した。
流石は酒場の娘。大した酒豪である。
ハドロス領アクリス地区。
我が実家ノイド家の屋敷があるマイア地区のすぐ隣に位置し、王立魔法学校と、その付随施設がある他は何もない山林だった──はずの場所。
現在では鉄道に先立つ“鉄道馬車”の開通により、学校の周辺は急速に開発が進んでいる。
例を挙げれば、元々ハドロス領の中心街にあった地方闘技場の老朽化に伴う同地区への移転や、駅前に新設された大会議場。季節の花や外国の動物の展示が楽しめる動植物園の計画もある。
今のところ完成まで漕ぎ着けたのは大会議場だけだがな。
その大会議場にて、本日はとあるイベントが催されることになっている。
というより、今がまさにそのイベントの開始時刻であった。
「あーえー、ほ、本日は我が愚息ニコル・ノイドとストレプト家長女マイシィ・ノイド・ストレプトとの、け、結婚披露パーティに、えーお集まりいただきまして、えー誠に有難うございます」
「お、おお親父。き、きき緊張しすぎだ!」
「もうっ、ニコルの方が緊張してるじゃん。しっかりしてよね私の旦那さま!」
世界歴一〇〇〇一年、六ノ月。
晴れ渡る夏空の元、我が幼馴染マイシィと我が兄ニコルは入籍した。
マイシィは二十七歳、兄は三十二歳。
日本人的感覚からすると違和感はないのだが、実はマイシィくらいの年齢での結婚は魔法国の中央貴族としては晩婚であると言える。
貴族は血脈の維持が第一目的化している家も多く、さっさと結婚を済ませて少しでも妊娠確率を上げたがるものなのだ。
では昔から交際していたはずのマイシィと兄の結婚が何故遅れたのかというと、マイシィが国中を動き回って非常に活発な活動をしており、落ち着ける環境ではなかったからだ。
さらに、ストレプト家の事情が合わさって少々揉めたことも、これまで正式な結婚に至ることが出来なかった原因の一つである。
ストレプト家の当主キナーゼとその妻カーパスの間にはマイシィ以外の子がいない。
長寿な代わりに妊娠の失敗率が高いというこの世界の住人特有の事情の煽りをモロに喰らってしまっているわけだ。
一応マイシィの年下の伯父が後継者の候補であるが、ストレプト家は血の断絶のリスクが依然として高く、マイシィの籍は残しておきたいという思惑があったようだ。
──今思えば、すんなり孕んだ俺は運が良かったのか?
いや、流れてしまったら元も子もないけどさ。
結局、国王の許可もあってマイシィはストレプト家としての籍も残しつつ、ノイド家の一員に加わるという形を取ることになった。
故にノイドの名はミドルネームに収まることになる。
今後は姓を場面ごとに上手く使い分けていくのだろう。
「マイシィちゃん、おめでとう! ドレス、よく似合ってるよ。すごく綺麗だね!」
「ありがとうリリカちゃん! 今はイグアードに住んでるんだよね? 遠いのに来てくれて嬉しいよ!」
「何言ってるの、友達なんだから当たり前でしょ? それになんだかんだでハドロス領の隣だし。ねえねえ、それより一緒に写真撮ろうよ! あたしのステキな旦那さまも交えて!」
マイシィは真っ赤なドレスを身につけて、首には花で作られた首飾りをしている。
日本とは違い、花嫁が白い装束である必要はない。
“その場で一番華やか”であれば結婚披露の場としては何も問題が無いようだ。
彼女の周囲には旧友たちや貴族の令嬢、子息などが集まっている。
何というか、花蜜に群がる虫の群れのようだった。
俺は花嫁に集る虫ケラ連中を遠巻きに見ながら、適当に食料を摘む。
流石にストレプトが金を出しただけのことはあって、料理は格別だ。
同じ客なら食わねば損、損。
うん、花より団子とはこの事だな。
「ねえ、あんたはマイシィのところに行かないの?」
「今更挨拶が必要か? それに俺とアイツが仲悪いの知ってるだろ」
「ハレの日くらい仲良いフリくらいしたらイイじゃん、ウケるわ」
そうやって俺の隣で笑っている翠色のドレスを着た女はアロエ・ノイドだ。
俺の愛しの妻である……と、言っても父に頼み込んでノイド家の養子にしてもらっただけで、戸籍上は義理の姉という扱いになっている。
一緒に暮らしているから実質的には夫婦で間違いないのだけどな。
「それにしても、なんか、懐かしいね」
「マイシィとかリリカとか?」
アロエは首を振った。
「そうじゃなくてさ、あんたが女の格好してるの。銀の長髪に黒のドレス。どこからどう見ても貴族令嬢って感じ?」
「……本物の貴族令嬢なんだが?」
普段は髪を短くして男装で過ごしているから、とてもじゃないが令嬢には見えないのは認めよう。
しかし今日は特別だ。
正装が必要な時くらい、俺だって女らしくするのだ。
わざわざ今日の日のために一週間かけて髪を伸ばした──頭皮細胞を魔法で活性化すると伸びるのが早まる──し、最近ちょっと不摂生だったのを反省して野菜食中心に変えつつダイエットも頑張ったのだ。
ここまでしてなお令嬢に見えないと言われたら泣くぞ、俺。
「お前だって今やノイド家のご令嬢なんだから、しっかりしろよ」
「言われなくてもわかってますよーだ」
そう言うとアロエは右手を胸に当て、左手でドレスのスカートをつまみ上げると軽く膝を折るようにして頭を下げた。
綺麗な貴族式の女性の礼が、もうすっかり板についている。
ただ一点、こちらを上目で見つめながら舌を出しているのが小生意気で気にくわないけど。
「カンナちゃん、アロエちゃん。ふ、二人共。ひ、久しぶりだね」
不意に男性から声をかけられて、俺たちは軽く驚いて固まった。
しかも緊張しているのか、若干滑舌の悪い、挙動不審とも受け取れる話し方。
何者かと顔を向けてみれば、そこには背の高い美青年が立っていた。
襟足だけ長く伸ばしたような髪型の、茶髪の青年。
太い眉は柔和なカーブを描きつつもきりりと整っていて、目鼻立ちもしっかりしている。
瞳はグレー。
しゅっとした顎のラインは、どことなくマイシィに似ていた。
「……誰だっけ」
俺が彼に向かってそう言うと、アロエが俺の肩を小突いた。
「エメダスティでしょ。覚えてないの?」
「悪い悪い、冗談だよ。久しぶりだな、バカダスティ」
俺が右手を差し出すと、エメダスティ・フマルは何の迷いもなく俺の手を握り返した。
シェイクハンズ。
俺がこの国に持ち込んだ挨拶の仕方だが、エメダスティも覚えていたらしい。
──俺とはもう長い事、険悪な関係だというのにな。
「ばッ……ゴホン。久しぶりだね、カンナちゃん。元気だった?」
「ハッ。毎晩アロエといちゃいちゃするくらいには元気だぜ。お前は……独身だったか」
エメダスティはこれほど容姿が整っているのに、いまだに独身、どころか彼女を作ったことすらないと聞いている。
学校では後輩女子に何度か告白されていたはずだし、校外でも“お姉さまがた”が旦那そっちのけで黄色い声をあげるほどの人気があったのだがな。
まさかとは思うが、まだ俺の事が好きだなんてことは無いよな。
まあ、太っていた時からすると見違えるほどのイケメンに育ったし、俺に女の心が残っていたなら多少考えてやっても良かったかもしれない。
もっとも、俺は子供が流れたあの日から、“女”の部分をどこかに置き忘れてきてしまった。
女という性を武器にすることはあっても、心から男性に惹かれることは、もう一生ないと思う。
そんな俺を他所に、エメダスティはしれっと言ってのけた。
「僕はカンナちゃん以外に好意を寄せたことは無いからね」
「しれっと告白すんなや」
俺がエメダスティを睨むと、あろうことか奴は不敵に笑うのだった。
「過去の話だよ。今更君と恋仲になりたいだなんて思わないさ」
「……むぅ」
何故だろう。
こいつの一挙手一投足がすべて癇に障る。
幼い頃の、あの気の弱くてまんまるなエメダスティはもういない。
ここにいるのは俺の全く知らない男だ。
自信家で、好戦的で、だのに緊張した時だけ滑舌が鈍るという変な癖のある、傍から見たら好青年、俺から見たら嫌味な奴、だ。
「それじゃあ、僕は他の人と挨拶しなきゃいけないから、またね」
「うっせー。ニ度と話しかけてくんな」
「こらこらカンナ。こんな場所で口汚い話し方はしないの。またね、エメダスティ。マイシィの護衛、頑張ってね」
手を挙げながら背を向けたエメダスティの、腰に輝く剣の鞘が目に入る。
ストレプト本家より下賜された、装飾の入った豪華なものだ。
──マイシィ・ノイド・ストレプトの騎士。
それが今のエメダスティの肩書である。
魔法学校八年の時、エメダスティは魔闘大会にて地区優勝を果たしている。
俺が出場しなかったのだから、前年の準優勝者たるエメダスティが優勝を飾るのは当然の成り行きだったかもしれない。
問題はその後だ。
エメダスティは続く全国大会で四強入りを果たし、さらに翌年の魔闘大会成人の部に出場したかと思えばあっさりと全国優勝を勝ち取ったのである。
そうなれば、国を超えて数々の特権を持つ魔闘士を目指すのが普通の人の考え方だ。
しかしエメダスティはそうではなかった。
優勝を引き合いに一代限りの貴族格を要求し、国王もこれを認めてストレプト家の正式な騎士になったのだ。
たぶん、今の俺とあいつが戦ったところで俺の方が圧倒的に強いだろう。
なにせ俺は定期的にエイヴィス共和国に赴き、戦闘能力では俺の知る限り最強の三人組に稽古をつけてもらっているのだから。
しかし、エメダスティの諦めずに真っすぐ道を突き進んでいく姿勢は末恐ろしいものがある。
故に俺はあいつと関わりたくないのだ。
「カンナちゃん、僕は君を……必ず止めて見せる」
去り際に小さく呟いたエメダスティの台詞を、俺の地獄耳は聞き漏らさなかった。




