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暗躍編04話 謎の勢力

 ある日、僕は魔闘士協会のマムアリア支部に呼び出された。


 大きくて重たい木製の扉を薄く開く。

 それだけで人ひとりが通るには十分すぎるくらいの隙間が開くので、中に入るとそのまま扉を閉めた。

 元々はアーケオ教の教会だったという古めかしい石造りの建物に、所狭しと長机が並べられ、多くの事務員が何やら書き物をしたり算術に(いそ)しんでいたりと(せわ)しなく働いている。


 事務仕事は大変そうだな、などと他人事のように考えながら、僕は受付の男性に声をかけた。


「かいちょ……支部長殿に呼ばれてきたのだが」


 おっと、危うく会長と言いかけてしまったが、ここは協会支部。そのトップは支部長という立場だ。

 ここの支部長ロイン・ケーシィが世界の魔闘士協会の支部の中で最高齢の老人であるから、冗談で会長と呼んでいたら妙に慣れてしまった。

 とはいえ本当の魔闘士協会会長よりもよほど貫禄があると、僕は勝手に思っている。


「上級魔闘士クシリト・ノールさんですね。彼は支部長室にてお待ちです。ご案内は……」

「大丈夫。必要ないよ、ありがとう」


 何度も呼び出されて何度も通った建物だ。

 今さらガイドは必要あるまい。

 受付の男性もそのことはわかっているから、僕の返事は予定調和。彼は笑顔で見送ってくれた。


 僕は他の職員たちにも会釈をしながら、隅にある昇降機へ向かった。

 昇降機の魔石操作も自分で勝手にこなし、雷魔法を起動する。

 すると感じるは上昇の加速度。

 乗り込んでから僅か十数秒で三階に到達すると、このフロア唯一の部屋である支部長室へと直行した。


 数度のノック。

 相手の返事が部屋の中から(かす)かに聞こえたのを確認し、中へと入った。


 入口正面の大きなデスクに、彼の姿があった。

 魔闘士協会マムマリア支部長は、白いローブを身に(まと)い、長い白髭(しろひげ)()で付けるようにして座っていた。

 以前に会った時よりも頭部の肌色の面積が増えているように思う。

 もうほとんど毛根は残っていまい。


「やあ、クシリト。今回も急ですまないね」

「いいえロイン会長殿。僕にとってこれこそが仕事ですから」


 僕が魔闘士になってから三十五年が経過しているが、そのうち二十年ほどはこのマムマリアが拠点だ。

 僕の生まれはエイヴィス共和国だが、初任務で(おもむ)いたこの国で妻に出会い、五年の交際期間を経て結婚。

 しばらく僕の地元で生活したものの、子供が生まれたのを契機に、妻の地元であるこの国へと居住地を移したのだ。


 それからというもの、僕はずっとこの会長殿に世話になっている。

 そこそこに実力があったものだからか、会長殿に直接呼び出され、難題を任されることも数知れない。

 厄介事が押し付けられていると言ってしまえばそれまでなのかもしれないけれど、会長としては問題が素早く片付くし、僕もそれなりの報酬を貰っていたからお互いが良好な関係でいられている。


「僕が呼ばれたということは、また小難しい問題ですか」

「はは、確かにおぬしを頼る時はそういう時が多いからな」


 老人は自分の髭を撫でつけながら苦笑いするのだった。

 無茶振りの多いことは自覚していたらしい。


「君を呼んだのは、最近にわかに活動が活発化している地下組織について調べてほしいからなのだ」

「地下組織というのはマフィアのことですか」


 会長は、首を縦には振らなかった。


「いいや、わからぬ。魔法国を中心に、旧魔道帝国のエリアで活発化しておるということしか情報が上がってきておらぬのだ」

「一切が謎の、地下組織……しかし、僕のところに話が来たということは、実態は掴めずとも存在はしているということですよね」

「左様」


 ロイン会長は深く頷いた。


 彼は机の引き出しから数枚の資料を取り出すと、僕に差し出してきた。

 僕はそれを受け取ると即座に内容に目を通す。

 一枚目と二枚目には住所もしくはアクセス方法、疑わしきマフィアの名前、とある。

 これは……。


「発見されたマフィアの拠点のリスト、ですね。この、横線で消されているのは」

「既に廃棄された施設、という意味だ。三枚目を見てくれぬか」


 僕は言われるがままに三枚目を見て、驚いた。

 内容は一、二枚目と同様にマフィアの拠点リストだったのだが、ほとんど全ての施設に横線が引かれている。

 いくらマフィアが頻繁にアジトを移動するとはいえ、この廃棄施設の量は異常ではないだろうか。


「ここ十年ほど、マフィアの拠点が発見されるや否や廃棄されるといった事例が急増しておるのだ。しかも、ただの廃棄ではなく、何者かに襲撃されてやむなくと言った感じでな」

「マフィア同士の抗争では?」


 僕はそう思ったが、どうも不可解な点が多いらしい。


 会長殿(いわ)く、以前からマフィア同士の小競り合いは頻繁に起きており、拠点の潰し合いなどザラであったが、ここ最近の事例ではかつてとは違う現象が平行して起きているのだという。


 マフィア同士の抗争は“テリトリーの奪い合い”の意味合いが強く、一つの組織が撤退したのちに別の組織がその地域に入り込んでくるため、犯罪件数や違法薬物の流通などが一時的に増えるのだとか。

 しかし、今回の事例ではむしろ拠点が襲われた後は犯罪件数がぐっと減るのだという。

 治安が良くなり、マフィアとは関係のない窃盗や性犯罪も抑制されるそうだ。


「良い事……のように思えますが、我々のあずかり知らぬところで何かが起きているというのは不気味ですね」

「その通りだ。それにな……」


 会長は引き出しから分厚いファイルのようなものを取り出した。

 手渡せないほど大きいため、僕を近くに来るよう手招きをして、そいつを机の上に広げた。


 ファイルに綴じられていたのは周辺三か国、マムマリア王国、エイヴィス共和国、ダイノス魔法国の有力者たちの個人情報だった。

 政治家や王族・貴族、地方の有力地主に至るまで、出生から現在までの足跡がまとめられている。

 流石(さすが)に一人も余さず隅々まで調べられているという訳ではなさそうだが、それでも僕が耳にしたことのあるような権力者は軒並(のきな)み情報化されていたから凄いことだ。

 過去何十年というデータの集合体が、このファイルに厚みを与えている。


「良いかクシリト、ここを見てくれ。こやつと、こやつ、あとそれからこのページと……」


 会長はファイルをめくりながら、特定の箇所(かしょ)を指で指し示していく。

 有力者たちの死亡日時とその死因の欄だった。


「──この十年間で亡くなった者たち、ですね」

「左様。何か、気付くところはないか」


 会長殿が示した人物たちの死因を、もう一度よく見てみる。

 特に、変わったところは無いように……いや、ある。

 不可解な点が、一つだけ。


「“病死”としか書かれていませんが、彼らは一体何の病気で?」


 会長が僕に強い視線を送り、静かに首を振った。

 わからない、の合図。


 やはり、思った通り。

 ──彼らはすべて、原因不明の病で死んだのだ。


 試しにこの十年よりも前に亡くなった者たちのページを見て見ると、確かに“病死”の記述しかない物も多くみられたが、具体的な病名が書き添えられたものもまた多い。

 また、落馬や魔動車による事故、野党による襲撃なども以前の方が多い気がする。


「明らかに、十年前から死因が変化していますね」

「“明らかに”という表現は軽々しく使うものじゃないと思うが、私もそう思っておるよ。そしてこの死因の変化と、マフィアの拠点の問題は時期を同じくしておる」

「何者かが関与している、ということですか」

「その通りだ」


 十年前、何が起きたのか。

 考えられる可能性は……僕が以前より気になっていたあの飛空艇の事故、だろうか。

 魔法国の帝国派は以前よりマフィアとの癒着を疑われていた。

 彼らが滅んだことでマフィア内の勢力図が大きく変化した……ということだろうか。

 しかし、それでは死因の変化とは直接結びつかない。


是非(ぜひ)探ってみてはくれぬかクシリトよ。治安の向上だけならば私も目をつぶっただろうが、この謎の病死がもしも“暗殺”の痕跡なのだとしたら、黙ってはおれぬ。魔闘士協会として適切に対処せねば」


 僕は会長の言葉に大きく頷いた。

 正義を執行することで権威を維持し、その対価として特権を与えられている魔闘士の身としては、どんな些細(ささい)な悪意の形跡も見逃すことはできないのだ。


「会長殿、これらの資料をいくつか複製しても?」

「ああ。下の階に複写機があるから、ぜひとも使うが良い。必要ならば私直属の部下をあてがうが、いかがかな」

「はい、助かりますが、今は大丈夫です。必要があれば、その時声掛けしますね」


 僕は会長の言葉に肯定的な返答をしたが、内心は誰かにこの作業をやらせるつもりは無かった。

 僕の心には一点、引っかかっているものがあったからだ。


 それは、会長殿が何気なく発した“マフィアの拠点が発見されるや否や廃棄される”という一言。

 魔闘士協会がマフィアの活動拠点を探り当てた時期からあまり間を置かずに《謎の勢力》がマフィアを襲撃、拠点を潰しているのだとすれば、それは即ち“魔闘士協会に間者(スパイ)がいる”という可能性が高いということ。

 僕が何かを探り始めたことに《謎の勢力》が勘付いた場合、次に狙われるのは僕、あるいは僕の家族ということになってしまう。

 特に後者を狙われる事態は絶対に避けなければいけない。


「では会長、資料をお借りしますね」

「ああ、持って行ってくれ。だが、資料の扱いは慎重に頼む。私も、直属の部下以外にこの話はしておらぬのだ。正直、今は身内も怖いのでね」


 やはり、会長殿も気にしていたのか。

 間者の存在を疑い、腹心の者だけでこの疑惑を調べるつもりなのだろう。

 万が一《謎の勢力》が協会内部に入り込んでいるのだとすれば、会長の命も危ないということになるからな。


「心得ております。では、また後程」

「頼んだぞ」


 ドアが閉まる直前、嬉しそうに笑顔を見せる会長の姿が目に入る。

 僕も笑顔で会釈を返すと、扉は慣性のままに動き、小さく音を立てて閉まるのだった。


──


 この瞬間、僕と謎の勢力《銀の鴉(シルヴァクロウ)》との戦いが幕を開けた。

 彼らとの戦いが世界を大きく変貌させてしまうことになるなど、この時の僕は知る(よし)も無かったんだ。

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