入学編04話 アンニュイモード
魔法学校という名前ではあるけれど、ここは魔法のみを学ぶ場所ではない。他国で言うところの“中等学校”と“高等学校”を合わせて一つにしたもので、学習内容は魔法、語学、算術、歴史、地理など多岐にわたる。
大領ごとに一つずつ、王都のみ三つ置かれることになっていて、十歳から十八歳までの子供が一挙に集まってくる大きな学校だ。下手な大学よりも規模は大きい。魔法立国と評されるダイノス魔法国に存在する最も規模の大きい学校だからこそ魔法学校と呼ばれるわけである。
技術の精を尽くして建設された石造りの城の中で、生徒たちは日々研鑽を重ねるのである。
もっとも、十歳そこそこの子供の集まる低学年、しかも昼食後の一番集中力の落ちている時間帯では、教師の思うように授業が進まないことがよくあるものだ。
「おい、ニコル、もっと丁寧に書け! って言うか綴りが違う! そこのお前! 人名の頭は皇代文字じゃなくて神代文字だろうが!」
教室内を巡回しながら高圧的な態度をとっているのは語学教師の男だ。いつもの彼はこんなにイラついてはいないのだけれども、授業の初めにとある男子がノートの端を折って遊んでいたのをきっかけに怒り出し、その後は現在に至るまでこの調子である。やれやれ、ただでさえ退屈な授業なのに、なお気分が悪くなる。
さっさと問題を解き終わった私は、目線を窓の外に向けた。
運動場では先輩生徒たちが魔法の練習をしていた。できることならあそこに加わりたいが、そんな我儘を聞き入れてくれる制度はこの国には無い。
父の時代には飛び級という仕組みが存在していた。ある程度の知識を持ち、高い魔法技能を示した者はその時点で進級となったのだ。
だが、とある国であまりに幼いうちから大きすぎる魔法技能を持った者が、反乱を企てたとして処刑される事件が起きたのを受けて、この国でも飛び級制度は撤廃された。
ある程度人格形成が終わるまでは時間をかけてカリキュラムに取り組むべきという判断だろう。理屈は理解できても感情で納得できない私である。
「はあ……退屈」
「おーいカンナ・ノイドぉ。声に出てるぞー」
うげえ、聞かれてた。
というか私、声に出してた? 無意識だわ。
語学教師が拳をワナワナと震わせながら歩み寄ってくる。
拳骨を見せて生徒を怯ませようとしているのだろうが、手の甲にあるホクロが小刻みに震えるように見えるからちょっと面白い。
すぐに怒鳴ったりしてこないのは、私が女子だからだろうか、私が美少女だからだろうか。いずれにしてもこのまま何もしないと怒られる。
怒鳴られようが殴られようが受け流す心構えはできているので恐ろしくも無いが、場合によっては尊厳を損なわれた気分になるのが嫌だ。
そこで私は本心を織り交ぜながらうまく言いくるめることにする。
「はい先生。退屈です。だって私はもっと先生の教えを聴きたいのに、先生ったら男子に構ってばかりなんですもの」
「そ、それはだな」
このたった一言で、先生は何も追及できなくなる。
授業が嫌なのではなく、授業が聴きたいと言った人間に何を怒るというのだろうか、いや、怒れない(反語)。
すると先生の感情の行き先はどうなるか。それは当然、事の原因……講義の最中に騒ぎを起こしたニコちんだ。
されど先生だって中年男性、大の大人である。ここで再び彼を叱り飛ばしたとて、それは端から見れば八つ当たり以外の何物でもない事は分かっているはずだ。
よって、先生の溜飲は下がらないかもしれないが、彼はここでは拳を下ろさなければならない。どうだいこの私の計算高さは。
「ぐぬぬ」
ぐぬぬって本当に言う人初めて見たよ。
まあこれで一件落着、と、思いきや。
「……何だよそれ」
不満げにつぶやいたのは、尊敬すべき兄と同じ名前を持つあの男だった。
「カンナの言い方だとさー、俺が悪いみたいじゃんか」
そーだよおめーがわりーんだよ。……とは言いたくても口に出すのは憚られた。
必要以上に責任を押し付け、特定の人間からの恨みを買うのも良く無いだろう。お金はなくても私は貴族だ。いくら辺境の地とあれど、誰かと揉め事を起こすのは好ましく無いとわかっている。
──だから。
「ニコちん」
私はにっこりと微笑んで言葉を紡いだ。
「わかんないことが増えてくるとやる気が無くなっちゃうのはわかるよ。だからさ、放課後一緒に勉強しようよ! ね?」
ニコちんはこちらを見て、怒っているような困っているような表情を浮かべる。何も言い返してこない。好きな女子から笑顔を向けられているのに落ちてくれないか。
ならば、こうする。少しだけ俯いて、こわばった表情で、若干の上目遣いで、目に涙を溜めて。
「……だめ、かなぁ?」
「──!!」
はい落ちたーーーーー!
一瞬にして赤面し、茹でダコみたいになったピュアボーイ。
「だ、誰がお前なんかとッ」
みたいなことをぶつぶつと呟きながら、わざとらしく私から顔を背けたのだった。
その様子を見て、教室の至る所からくっくと笑いを堪えるような音が聞こえてくる。
今度こそ一件落着だ。
「ち。気味の悪いガキめ」
先生が口の中で噛み砕くように漏らしたのを、私はばっちり聞いてしまった。言い返しはしない。
その代わり、心の中では中指と薬指以外の指をおっ立てた。この国でそのジェスチャーが意味するところはすなわち、
(ファぁぁぁック!)
……である。
やれやれだわ、とため息をついて。私は再びアンニュイモード。
ふと隣に目をやる。運動場の方では無い、隣の席の方だ。
いつもならそこにいるはずの、お人形のような顔立ちの少女は。
今のニコちんとのやりとりを笑って見ているはずの、赤い髪の少女は。
しかしそこは空席である。
普段から私の隣は彼女の定位置だったから、皆が遠慮して座らなかった。故に、私から伸びた影法師が凹凸に沿って映し出されている寂しい場所となっている。
今、ここにマイシィはいないのだ。
***
放課後、私と……名前忘れちゃった。全体的に丸い体躯が特徴の“なんとか君”は一緒に医務室へと向かっていた。
本館へと続く渡り廊下からは、夕日がちょうど山際に差し掛かっているところが見えた。ほどなくこの辺りは宵闇に包まれるのであろう。
この付近は学生が多く出歩くために保安隊が良く巡回しており、治安はそれほど悪くない。
とはいえ暗い中での下校は危険がゼロではないから、貴族の生徒は馬車を利用するのが普通だ。あるいは、遠方に住んでいるものは冬期の間のみ寮生活を選択するものもいるらしい。
私は魔法学校にほど近いマイア地区に住んでいるため、馬車を利用して二十分前後で帰宅できる。学校生活の初めの頃こそ兄と一緒に帰宅していたが、最近ではもっぱらマイシィの迎えの馬車に便乗させてもらっていた。今日も、その予定である。
医務室の周りに数人の男子生徒が人垣を作っていた。
彼らは私たちの姿を見るやいなや、さっと道を開けた。その様子は大海を割った聖者の如し、だ。そんな聖者がいたかどうかはあいまいだけども。
「マぁぁぁイシィぃぃぃ!」
と、私は元気よく医務室の扉をあけ放った。ふわっと部屋の中に新鮮な空気が流れ込むのが分かった。完全に部屋に入ってしまえば、そこに満ちるはつんと鼻を刺す医薬品の香り。
医務室に並ぶベッド、その最奥部の窓際のベッドに彼女はいた。
マイシィ・ストレプト。私の可愛いお人形さんだ。
「カンナちゃん、お疲れ様ぁ」
「お疲れ様。体調はどう?」
マイシィは私の問いかけにゆっくりと首を横に振る。
「……まだ、ちょっと優れないかな」
「そう、なんだ」
「マイシィちゃん、カフェで飲み物を買ってきたよ。飲む?」
そう言ったのは、丸い体の“????ティ”君。私以外と話すときには普通なのに、私が相手だと緊張してしまうおかしな子。
彼が手にした陶製の小瓶の中には、今しがたカフェで入れてもらった薬湯が入っている。何かの葉っぱを蒸してから乾燥させたものを煎じて湯に溶かしたもので、白湯に比べると覚醒作用と精神安定作用があるのだという。この辺りでは高級品だ。
貴族の子息令嬢も集まる学校ということで、カフェにはしっかりと常備されているのだ。
「ありがとうエメ君。早速いただきたいと言いたいのだけれど、実はさっき同じものをカイン先輩が買ってきてくれたんだー」
「え? カイン来てたの?」
「うん。だからエメ君の買ってきてくれたほうは、おうちに帰った時にみんなで飲もうね」
カインというのは私たちの4つ上の友人であり、私に関して言えば炎魔法の師匠でもあるお方だ。
彼は鍛冶屋の息子で、幼少の頃より火と共に生活をしてきた経歴から炎魔術は子供たちの中では抜群に上手だった。実家の工房にもお邪魔させてもらったことが何度かある。私はそこで炎のイメージを定着させ、魔法の効力を著しく上昇させることに成功するのと同時に、物質の性質をより詳しく知ることが魔法の効果に多大な影響を及ぼすことを知ったのだ。
「で、そのカインは?」
「ほんの数分前に帰っていったよ。どっかですれ違わなかった?」
「僕たちは見てないね。行き違いになったのかな」
残念だ。カインに会ったら上級生の間なんでいる魔法のことなど、いろいろと聞きたいことがあったのにな。昨日も会うにはあったのだが、ちょっとしたイベントに付き合ってもらったため、肝心の魔法については何も収穫を得ていない。
まあ、いつでも会えるから問題ないか。
「飲み物のお礼をちゃんとしたかったのだけど、言いそびれちゃったから、明日会えると良いな」
マイシィはそういうと、すっと目を伏せた。元気がない。彼女にしては珍しく、気落ちしている。
本来、マイシィはわんぱくな娘だ。本当に貴族の娘なのかというくらい、昔から泥んこになってまで遊ぶ子だった。木登りに川遊び、虫取りなんかは普通だった。
炎魔法を覚えてからは、その辺で歩いている小動物を捕まえては焼いて食べていた(たいていは一口味見をした後にエメダスティに押し付け、彼の今の体形を形作る遠因になったのだけれど)。
幼少期には辺境の環境に触れて庶民感覚を養え、というストレプト家の教育方針は、これでもかと言わんばかりにマイシィの人格に影響を与えている。
勝ち気で強気で、それなのに淑やかな美少女、それがマイシィだ。
それに反比例するかのように、彼女には貴族的な強かさはあまりない。直球勝負ができない搦め手ばかりの相手だと、彼女の脆さが浮き彫りになってしまうのだ。
「それで、ちょっと聞きづらいんだけどさ。あの人たちは、結局あれから何もしてこなかった?」
エメダスティは私が聞こうと思い、しかし一番聞きづらかったことをずけずけと質問した。お前、私といる時もこんな感じで話せよ。
「うん。医務室には来なかったよ。だから逆に授業もさぼれて、ゆっくり寝られてラッキー! って感じ」
嘘だ。さっき言っていたではないか、まだ体調が優れない、と。
私は尋ねた。
「明日は学校に来れそうなの?」
「んー……明日、の体調次第かな」
体調次第とは言うが彼女の体調は心理的なストレスからくるものだ。そう易々と回復するものではないだろう。気のせいだろうが、心なしか頬がこけているようにも見える。
──マイシィをここまで追い込んだ相手がいる。
クローラ・フェニコール。
ストレプト家と対立する、フェニコール家。この時代においていまなお無視できない影響力を誇る、四大貴族の一角である。




