復讐編18話 偽りの姿
特に着席などを求められることもなく、気が付くと船は空へ浮かんでいた。
駆動音がわずかに響き始めたと思えば、昇降機に乗った時のようなふわりとした感じがして、それから窓の外を見ると、既に地面は数十メートルも下方にあった。
凄い。本当に浮かぶのか。
知識として知っていても、実際に体感するのはまた違う感動を呼び起こすものなのだな。
確か、招待状に本日の飛行ルートを示したカードが貼付されていたはず。
湖畔の街である古都プレシオスを飛び立った船は、湖をぐるりと一周し遊覧飛行を行ったのち、山地を抜けて王都レクスへ一直線といった具合だったかな。
カンナ・ノイドの立てた計画を実行するには、おそらく湖の直上に船があるときがベスト。次点で山地だ。
私は私の成すべき事に集中しなければ。
まずは──。
「飯、だな」
せっかくパーティにお呼ばれしたのだから、参加しないわけにはいくまい。
この大きな腹では踊ることはできないし、何より立場上、誰からもお声がかからないはず。
であれば栄養を欲するこの体のために、食べられるものは食べておくに越したことはない。
そう決めたら行動は早い。
私は自分の大きく膨れた腹を、そっと優しく撫でるのだった。
──
─
「おい、あの金髪の背の高いやつ、イブリン・プロヴェニアじゃないか」
「腹がでかいな。やはり、あの噂は……」
噂をするひそひそ声が、私の地獄耳には届いている。
仮面をつけているのに、私の存在はすぐに気付かれてしまうようだ。
ここまで明るい金髪の持ち主で、身体的にも特徴がわかりやすいとなれば、仮面など意味を成さないのだ。
それに、この場にいる連中が帝国派の貴族である以上、復権派としてのイブリン・プロヴェニアの名声を知らない者はいないだろう。
まあ、これは予想していたことだから何も問題はない。
むしろ遠巻きに見られている現状は、誰も話しかけにこないと言うことでもあるので都合が良かった。
「イブリン」
しかし、この状況下で話しかけてきた者があった。
碧の毛髪に子供のような小さな体、白いワンピース姿でヨロヨロ歩きの人物は、ビアンカ・カリームだ。
顔全体を白い面で覆っているが、その仮面はシアノのように整った顔立ちであり、ビアンカの素顔を知る者からすれば、“なんだ、全然変わっていないじゃないか”という感じだ。
「昨日は──いいえ、お初にお目にかかります。イブリン・プロヴェニアと申します」
私は彼女に貴族式の礼をした。
彼女も同じ姿勢を返そうとするが、なんだかぎこちない。
ロキに受けたダメージは彼女の体に重大な障碍を残しているのだ。
むしろビアンカが生きていることの方が奇跡的である。
「存じ上げているヨ、イブリン。それに、私達は初対面じゃないし、畏まるような間柄でもないダロウ」
「え、あ、そうなんですか──コホン、これはこれは失礼した」
私は咳払い一つで気持ちを切り替えた。
「マイコ様はどちらに」
ビアンカはホールの前の方に出来ている人だかりを示す。
身内の披露するダンスに酔いしれる、見物人の人垣だ。
「あの向こうにいる。大階段のすぐ脇の椅子に腰掛けているのを先程見たゾ」
「と、言うことはしばらくは会うのは難しいか」
人垣をかき分けてダンス会場を通り抜け、向こう側へ行くのは無理だろうな。
強行突破すれば何をしているのかと訝しがられるし、悪目立ちしてしまう。
それに、今踊っている者の中にシアノやスルガもいる。
本日の参加者の多くは当主に挨拶するのが目的だろうが、名目上はシアノ達がパーティの主役だ。
私などが割って入ることはできない。
一旦二階に上がって回廊を伝って船の前方に行き、大階段で会場へ降りるという手段もあるにはある。
だけどそれはマナー的にダメな気がする。
当主様が一階で挨拶をしている時に二階回廊を使うということは、つまるところ当主の頭上を超えていくことになる。失礼だと糾弾されかねない。
それに前方の大階段。あれはある種のディスプレイのようなもので、そこに立ち入るだけで非常に目立つし、そこにいる者に威厳を与えてしまう。
現に、あの階段を使ったのはニクスオット本家の者たちだけだ。
親族でもない私が使用するのは憚られる。
「まあ、頃合いを見て挨拶をすることにするよ」
「そうカ」
それまでは、立食のビュッフェの続きを楽しむことにしよう。
うん、それが良い。
「じゃあさ、せっかくだから一緒に食事でも──」
私がビアンカを食事に誘おうとしたその時。
私は視界の端に妙なものを捉えた。
慌ててそちらの方へ振り向くも、そこには誰もいない。
だが、今この船にいてはならない存在がいたような──。
「……? どうかしたのカ」
ビアンカの問いに、私は首を横に振った。
「いいや、気のせいだったみたいだ。……それよりすまないビアンカ。私は花を摘みに行こうと思う」
「それは、私もついていくべき案件かナ?」
何か作戦の一環だと勘違いしたらしいビアンカが、若干真剣な声色になって尋ねてきた。
私はくすりと笑って彼女に答える。
「この歳にもなって一人で手洗いにも行けないなんてことはないぞ。だからついてこなくて良い。ビアンカ様も用を足したいと言うのであれば別だが」
ビアンカはふう、とため息をついた。
私の真意を掴み損ねて、参っているような感じだ。
終いには深く考えることを諦めて、
「わかった、行ってくると良いサ。私はシアノの踊っている姿でも眺めにいくことにしよう」
と言い残し、人垣の方へと歩いていくのだった。
私は背を向けるビアンカに会釈をして、彼女とは逆の方向、船の後方へ向けて歩き出した。
──
─
「さて、どこに行ったかな」
私は先程視界に入った“違和感”の正体を突き止めるべく、船の一階後方、機械室の前までやってきていた。
機械室の中からは作業員たちから飛び交う怒号が漏れ聞こえている。
時折慌しく船員が出入りしているところを見ると、飛空艇を飛ばすのにどれだけの労力が必要かが見て取れる。
人の出入りの折、扉が開いた瞬間に中を垣間見ることができたが、大きな水槽のようなものに何かしらの魔法をかけている作業員の姿があった。
「水魔法で大気中から集めた水分を、今度は雷魔法を使って電気分解して水素と酸素に分けているのよ」
「……へえ、その分離した水素を使って宙に浮いているわけですね」
背後から凛と澄んだ声が聞こえて、私はごく自然にその声と会話を続けた。
どこか懐かしい、一見優しくも、その実何の感情もこもっていない不思議な声。
「お久しぶりね、イブ。ふふ!」
私が声の方へと振り返ると、そこには私が先程視界の端に捉えた“違和感”の正体──というより異様な存在が立っていた。
身に纏う真っ赤なドレスには、襟や袖口などところどころに白い綿のような装飾が付けられており、紅白のコントラストが非常に目を惹く。
仮面で顔は見えないが、その髪の色はオレンジがかった金色であり、ややウェーブがかかったようなロングヘアスタイルだ。
仮面舞踏会の場であるが故に、彼女も例に漏れず顔を隠しているわけだが、それは長い白髭の老人を思わせる仮面であった。
面の上部にドレスと同じデザインの三角帽子が装飾されている。
赤い帽子に白髭の爺さん、ねぇ。
真っ赤なお鼻の動物が似合いそうなコスチュームである。
記憶のどこかに引っかかる含み笑いの声は、どことなくクローラの声質に似ているような気がした。
どちらかと言うとハスキーな、それでいて澄み渡った美しい声だ。
「もしかして、フロル・フェニコール様ですか」
彼女はふふ、と笑うと、付けていた好々爺の仮面を外す。
思った通り、そこには切長の瞳に細い眉、真っ直ぐな鼻筋というクローラにそっくりな顔があった。
彼女はクローラの叔母であり継母の、フロル・フェニコールその人で間違いない。
だが、しかし。
彼女は毒を煽って死んだはずである。
死体だって発見されているし、葬儀も行われた。
葬儀後に遺体が帝国派に奪われたというのが唯一の謎であったが、まさか生きていたのか。
「出来れば、イブ、貴女には容姿じゃなく所作で見抜いてほしかったわ」
「無茶をおっしゃらないでください。私はあなたを殺したつもりでいたのですから、まず発想の中に含めることが難しいのです」
フロルはにっこりと微笑んだ。
それはもう、満面の、と言う表現がぴったりなくらいに満面な笑みだった。
「貴女が殺したわけじゃあないでしょう?」
確かに、あのときは毒を渡されたフロル本人が、毒と知りながらそれを飲んでしまったのが直接の“死因”だ。
しかしイブリン・プロヴェニアの心中には“私が殺した”と深く刻まれている。
殺した行為そのものは後悔はしていないとはいえ、どこか心の中でずっと引っかかってしまっているのだ。
「私の毒が原因なのですから、私が殺したも同然では」
「いいえ、そう言う意味ではないわ。ふふ、貴女まさか、まだ気付かれていないとでも思っているの?」
表情を変えずに、フロルは言う。
私は彼女の言葉を聞いて、ああなんだ、そういうことかと肩を竦めて見せた。
「やれやれ。そりゃあアンタが私のことをいつまでもイブと呼ぶからさ。付き合ってあげていただけだよフロル・フェニコール……いや」
私は氷魔法で剣を作り出し、その切っ先をフロルへと向けた。
彼女は微動だにせず、剣を見ることすらなく、真っすぐに私の目の奥を見通してくる。
まるで脳内を透かし見られているような、そんな気分だ。
私は呼吸を整え、言葉を繋げた。
おそらく確信に触れうるような、重要な言葉を。
「シズオカ マイコさん、だったか?」
フロルはやはり表情一つ変えない。
が、その細い眉が数ミリ上に持ち上がっていくのを私は見逃さなかった。
やはり、目の前にいるフロルは敵の本丸、シズオカ マイコなのだ。
「わざわざサンタクロースの恰好で現れるのだから、当然私を挑発しているんだと思ったよ。その存在を知るもの以外にはただの奇をてらった仮装に見えただろうからな」
マイコはふふふふ、といつもより多めに笑った。
これが彼女なりの“大笑い”の表現なのか。
いずれにしても、私の台詞にいちいち反応してくれていることは間違いなく確かだ。
「あらあら、異世界人であることを隠していたわけではないのね、カンナ・ノイドさん」
ああ、あかんて。
急にほんとの名前を呼ばれちゃったらさ、折角イブを意識してポーカーフェイスでいようと思っていたのがブレてしまうじゃないか。
ついつい、にやけてしまうではないか。
「ハッ! ようやく巡り合えたな、マイコさんよ。……ちょっと表に出て、ゆっくり話し合おうぜ」
高度千メートルくらいの上空から、一緒にスカイダイビングと洒落込もうじゃないか。




