入学編03話 ぐうの音
「──よって、我々の額にある頭頂眼は、脳の一部から発生しており──」
あ、あの子、今転んだ。
「──増幅された思念が世界の理にアクセス──」
おお、今のをキャッチするなんて、なかなかやるではないか。
「──イドさん」
パス回しが上手い。
ああっ、でも相手のブロックもすごい!
あれを振り切ってゴールを決めるには風魔法で──
「カンナ・ノイドさん」
「──!? は、はいッ!!」
私はふと我に返った。教室内の全員がこちらを見ている。
今は……そうだ、午後の講義、魔法術の座学の時間だ。名前は忘れたけれど、制帽を被ったベスト姿の先生が教壇に立ってこちらを睨みつけていた。
私としたことが何という失態だ。授業中に余所見をしてしまうとは。
「珍しいじゃない、あなたが授業を聞いていないなんて」
「申し訳ありません。外の球技が気になったもので、見入ってしまいました」
先生はやれやれとばかりに肩を竦めて、それから教室内をぐるりと見回す。やがて一人の生徒を指名して、言った。
「ニコル君。今の所、カンナさんに説明してあげて」
名前を呼ばれた少年は、やや気まずそうな顔をし、狼狽えた様子で返答をする。
「お、俺ッスか!?」
「当たり前でしょう。あなた以外のどこにニコル君がいるの」
うちの兄もニコルなのでその言い方をされると内心複雑ではあるのだが。まあ教室の中にいる同名の人物は一人しかいないからね。
しかし一体なぜ彼が指名されたのか。馬鹿なのに。私に授業の内容を伝えるのに最も不向きな人種ではないのだろうか。
そう考えて、私は一つの説に思い当たる。
彼は、ニコちんは内職の常習犯である。内職と言っても自宅でやる副業のことではなく、授業中に絵を書いたり手紙をこっそり回したり、あるいは別の教科の宿題を消化していたりという、授業とは関係のない行為をすることである。
思うに、私が屋外の体育の授業に目を奪われていた間も、ニコちんはせっせと内職に励んでいたのだろう。そこで先生はふたりとも吊し上げるために、あえてニコちんを指名したのだ。
当然彼もまた授業に集中していないのだから、答えられるはずがない。嫌味な行動をする先生だが、今回に関しては私にも落ち度があるため何も言い返す事はできない。
いや、でもこのままニコちんが何も答えられなかったらどうなるだろう。きっと先生は私達を叱りつけ、結果として授業そのものが遅れてしまうだろう。すると、私達とは関係のない生徒にも迷惑がかかってしまう。
そうすると、彼らの怒りの矛先は私になってしまうのではないだろうか。それはまずい。貴族というだけで目立つのに、余計な感情までくっついてくるのは避けたい。
べ、別に名前が兄と被っている馬鹿のことはなんとも思ってないんだからね! 助け舟を出そうとか庇ってあげようとかは思ってないんだから!
──いや、まあ、割とマジで何とも思っていないんだよな。
「先生、大丈夫ですよ。私は理解できてますから」
「ほう……?」
先生が目を細めた。
「確かに呆けてはいましたが、事前に予習もしておりますので簡単にならば説明もできますよ」
「なるほど。ではカンナさん、ニコルくんの代わりに説明してもらえるかしら」
おや。先生の態度に少し違和感を覚えた。口元が笑っているし、目線からも怒気を孕んでいるようには感じない。どちらかといえば優しい表情で、見守ってくれている、みたいな感じだ。
もしかして、私がこう言い出すのも見越していたのか。先生の掌の上だったのだろうか。
私の成績がそれなりに良いのは彼女も当然把握している。一方で彼女はニコちんを含めた一部生徒の頭の悪さや授業態度の悪さにも頭を抱えている。話を聞いていないからと言って、もう一度生徒に何度も同じ説明をするのは億劫だから、私を使って代わりに授業をさせようとしているに違いない。
それならば一丁、その予測をも超えてやろうではないか。
目を閉じてすぅっと息を吸い込む。
ゆっくりと深く息を吐いて、目を開いて私は始めた。──私の授業を、だ。
「私達には──」
私達の体には三つの目がある。
まず、左右にある二つの目。これは光を感知する機能があり、視覚を司っている。
そして額にあるのが頭頂眼で、こちらは魔法力場の感知とその発生を担っている器官。
私達の目は脳と直接繋がっていて、実際、胎児の発生を調べると、脳から別れるように目が出来上がることがわかる。私達は脳内で増幅させた思考を、頭頂眼を通じて世界に映し出し、魔法を行使するのだ。
「こんなふうに!」
私は掌を上に向けたまま、腕を地面と水平になるまで持ち上げた。
その掌を、炎が覆う。私が炎魔法を行使して作り出したものだ。炎は火の粉を巻きながら天井近くまで立ち昇り、現れたときのように一瞬にして消えた。ただ、周囲を舞う火の粉が、先程まで存在した炎の威力を物語っている。
遅れて、おお、とどよめきの声が上がる。想像を超える魔法の威力に驚いたんだろう。
ここにいるほとんどの者がろうそくほどの火を作り出すことができる。一方で齢十歳にして大きな炎を作り出せる者はそう多くはない。炎のなんたるかを理解している子供が少ないからだ。
炎の正体を知らないから、うまく想像力=創造力を働かせることができない。創造力が無いから、魔法として顕現しない。そういうことだ。
「だから私達は学ばなければいけないのです」
そう言って、私は次々と魔法を行使する。
水の球を弾けさせ、風が水滴を払い、筆記用具が宙に浮く。
「そのために魔法学校があります! 共に学び、共に成長しましょう!」
「はい、そうですね。ですから余所の授業の観察をするのではなく目の前の授業に集中しましょうね」
私の独演会は、先生の一言であっけなく中断された。
ぐうの音も出なかった。ぐう。
***
魔法学校での生活が始まってから早三ヶ月が経った。色々なことがあったので一部ご紹介しよう。
まず、私は非常にモテた。
私の美貌ゆえにわかりきっていたことだったが、いやはや、それでも想像以上のモテっぷりであった。自分用のロッカーには、毎日のようにラブレターが挟み込まれているし、放課後には私に告白をしようと、男子が列を作っていたこともあった。
面白いことに、列の先頭にいたのはニコちんだった。
あの男、エメなんとか君にはさんざん煽るようなことを言っておいて、その実自分も私のことが好きだったのだ。もちろん、コテンパンにしておいたさ。
私はまだ十歳だというのに、五つ以上も上の先輩方が告白してきた事もある。
小児性愛者だろうか。もちろん、全員下僕にしておいたさ。
モテたという話ばかりで恐縮だが、この三ヶ月はこんな事ばかりで本当に忙しかったのだ。
あ、私ばかりがモテたのかというと実はそうではなくて。我が親友のマイシィにも固定ファンがそれなりに付いたみたいだった。
噂によると、上級生達の間ではカンナ派とマイシィ派とで抗争も勃発しているのだとか。嘘だ。もちろん作り話だ。
本当はカンナ派とマイシィ派とで交流会や討論会も定期的に開催されているのだという。気持ち悪い。
「はあ、なんか良いことないかなぁ」
私は大きくため息をついた。
──昼休みのカフェテリア。
大きな窓から差し込む太陽光線は明るいが、私と、マイシィを含む数人の女子グループは日差しを避けるように部屋の隅の方で固まって談笑していた。季節は冬に差し掛かって気温はずいぶんと下がってきたが、その代わりに日差しは斜めから差し込むようになってきた。直射日光に当たっているとさすがに少し暑い。
それに、特に貴族の令嬢にとってはお肌のケアも大切と言ってクラスメイトが気を利かせてくれたのもあり、日陰に移動したというわけだ。私もマイシィもそんなことを気にする子ではないのだけれどね。
食事はとうに食べ終えて、給仕の女性が皿を下げてくれたところだ。普通は自分で返却口までトレーを運ぶのだが、学校側も貴族令嬢に気を使っているらしい。それで今は温かい薬湯をカップの中で揺らしながら、ガールズトークの真っ最中である。
私たちのように日陰を陣取る女子が多いようで、普段日陰者のように扱われている生徒たちは軒並み日向に追いやられているのは少し面白い。
その中には私とマイシィの事をジロジロと見てくる厄介な連中も交じっている。以前私に告白してきた野郎どもと、マイシィの周りをうろつく馬鹿者どもだ。
「カンナちゃんってモテモテだから、良いことばっかりなんじゃないの?」
名前もよくわからないクラスの女子がなんか言っている。
この年で男にモテて良いことなど、そうそうあるわけがない。男に言い寄られることが真に人生においてのプラスになる時期があるとすれば、もう少し大人になってからだろう。権力闘争とか、そういう時に役に立ちそう。うん。
別の女子が言う。
「でもさー。なんか告白してくる人たちみんな、影のある人多くない? マイシィちゃん狙いの人たちもなんか違うというか、理想の男子ではないよね」
「「それな」」
マイシィと私の声が重なった。
私だって女だ。ラブいロマンスだって少しは夢に見るものだ。
しかしそれはこの狭い領域の王立魔法学校にいるような有象無象ではなく、もっとかっこよくて、スタイルも良くて、私の話をよく聞いてくれて、何より経済的にも幾分か余裕があるような……そういう男の人が対象だ。
女の子は理想主義者でもあり、現実主義者でもあるのだ。
「とはいっても先陣切ってカンナちゃんに告ってたニコちんは、他の人よりはフツー? 馬鹿だけど」
「ニコル君ってちょっと子供っぽいだけで、顔は悪くないよね。隣のクラスでニコル君の事かっこいいって言ってた子もいたし」
クラスメイト達は口々にそんなことを言った。
ニコちんが先陣切って私に告白してきた事件は、今やクラス内で周知の事実として扱われている。奴の行動が我がファンたちの過激な行動を呼び起こしたと言っても良いので、私はつくづく奴が憎いのだけれど。
クラスメイト達の話のタネにされて散々いじられ、社会的制裁は既に受けたと思うから、私からは何もしないつもりだ。
「タウゼル君はカンナちゃんかマイシィちゃんのこと好きなのかな?」
クラスメイトの口から、急に知らない名前が出てきた。誰のことかがわからないので、とりあえずこう答えておくか。
「何でそんなこと聞くの?」
すると彼女はもじもじしながら言うのだ。
「だって……ニコル君のやることに付き合ってるから馬鹿っぽく見えるだけで、ほんとはすごく優しいでしょ? どっちかに気があるなら……あたしじゃ勝てないなーって」
話を聞いていて誰のことか分かった。タウりんのことかーーーー!!
「私たちは別に興味ないから、勝手に貰っちゃえばいいと思うよ」
マイシィが答えた。
そう、ニコタウコンビは同郷で、それもごく近所に住んでいただけで深いつながりはない。現に私は友人枠として彼らをカウントしてはいない。嫌いではないのだけれどね。
しかし、同級生の恋バナを聞くのってちょっと面白い。なんだかニヤニヤが止まらないんだ。ガールズトークもたまには良いものだね。
「マイシィはさ、誰かから告白されたりとかは無かったの?」
頃合いを見て、私はマイシィに話題を振ってみた。
考えてみれば、私とマイシィの立場は少し違う。私の取り巻き連中は列をなしてまで積極的にアタックしてくるのに対し、マイシィファンクラブのメンバーは、遠巻きに彼女を眺めていることが多い。だから彼女に告白したという話は聞かない。
「私はその、あんまりかな」
なるほど、あまりということは少しはあったのだろうな。
仮に何人かから告白されたとしても、マイシィがそれに応じることは万に一つも無いだろう。なぜかと言えば、彼女には他に想い人がいるからだ。
「マイシィにはちゃんと相手がいるからねー。そう簡単になびくことはないか」
私はマイシィをからかってみたくなって、あえてクラスメイトの二人に聞こえるようにそう言ってみた。
「え、マイシィちゃん彼氏いるの?」
「マジ? ウチめっちゃ気になるんだけどー!」
マイシィは慌てたように両手をわたわたと振っていた。やっぱり可愛いな、私のお人形さんは。
そのお人形さんは私の方を見て、ほっぺたを大きく膨らませて抗議の視線を向けてくるのだった。
「もう、カンナちゃんが変なこと言うから! 私はその……まだ、付き合っていないというか告白もしたことないし」
「でも、好きな人はいるでしょう?」
私は悪い笑みを浮かべながらマイシィに詰め寄った。
すると、クラスメイト達も口々に
「マイシィちゃんの好きな人、おせーておせーて! ウチ、誰にも言わないからさ」
「あたしも気になる! だれだれぇ?」
とマイシィ相手に尋問を開始した。
はじめ、困ったような笑顔を浮かべていたマイシィは、やがて、顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「ん~とね」
ああ。何気ない所作も可愛らしい。
この先、誰もマイシィを貰う人がいなければ、私が貰ってしまいたいくらいだ。
「……秘密!」
彼女は悪戯っぽく笑った。
貴族のご令嬢にはふさわしくないような、にぃっと口角が大きく広がった笑み。それがなんだか、とっても彼女らしくて素敵だと思った。




