注文の多いカップ麺
自動ドアが開くと同時に、澤口は痩せた身体を滑りこませる。昼前のコンビニは閑散としており、澤口のほかに客の姿は見えなかった。
朝から何も食べていない(と言っても、目覚めたのはつい30分前だが)澤口は、腹ペコの胃袋をさすりながら弁当コーナーの前をウロウロしていたが、お財布事情と相談した結果、渋々カップ麺売り場に足を向けた。
「……ん? なんだ、これ……?」
澤口はコンビニならではの新商品のカップ麺が並ぶ棚の前で足を止める。その視線はある一つの商品に注がれていた。
「『注文の多いカップ麺』……?」
黒地に白い文字でそう書かれただけのパッケージは、美味しそうなラーメンの写真や派手なフォントで彩られた他の商品たちの中で一際異彩を放っていた。手に取ると、ずっしりと重い。
澤口は不意に身体を震わせると商品を棚に戻した。そして無言のままこの得体の知れないカップ麺をじっと見つめていたが、やがて再び手に取ると、まるで何かに操られるようにレジへと向かっていった。
「……買ってしまった……」
アパートの自室に帰ってきた澤口は、テーブルの前にどっかりと腰を下ろした。テーブルの上には先ほど買った例のカップ麺が鎮座している。
「ていうか、390円もするのかよこれ! これ買うんだったら普通にカルビ弁当買えただろ……はぁ……」
澤口はレシートを確認してため息をつくと、くしゃくしゃに丸めて部屋の隅のゴミ袋に向かって投げつけた。すると、台所の方からケトルのお湯が沸ける音が聞こえた。
「よし、じゃあ作るか。お湯の量は…………っ?」
透明のフィルムを剥がし、パッケージの側面を覗いた時に、澤口はある違和感の正体に気付いた。
このカップ麺は、商品名以外パッケージに何も書かれていないのである。
一般的なカップ麺は商品名やイラストの他、使用するお湯の量や待ち時間、かやくやスープに関する「作り方」が記載されている。
しかし、このカップ麺には作り方はおろか、使用するお湯の量すらも書かれていない。パッケージの側面には漆黒の世界が広がるのみだ。
「おい、どーなってんだよ……とりあえず開けてみるか」
恐る恐るパッケージを開ける。すると、中から夥しい数の小袋と生徒手帳ほどの大きさの冊子が顔を覗かせた。冊子の表紙には金色の文字で「説明書」と印字されている。
「なんだよこれ! 一体いくつあるんだ?……だからやたらと重かったのか……。それに、この冊子……カップ麺の説明書なんて、そんなの聞いたことないぞ」
説明書をパラパラ捲ると、細かい文字がびっしりと並んでおり、澤口は思わず顔を背けた。
「冗談じゃないぞ……お湯を注いでハイ完成がカップ麺の良いところだろ?これじゃあ作るのに何時間かかるんだ?こっちはもう腹減ってたまらないんだよ……」
空腹で気が立っている澤口は1人ごちていたが、やがて気を取り直すと説明書の1ページ目を開いた。
「『この度はお買い上げいただきありがとうございます。この商品は注文の多いカップ麺ですから、どうかそこはご承知ください』……やっぱり変な名前だよな……まあいいか」
奇妙な文章に首を傾げながらも、早く空腹を満たしたい澤口は説明書のページを捲った。
「『それでは、蓋を1/4めくり、麺を取り出し底にかやく①、かやく②を敷き、麺を戻して上からかやく③、粉末スープ①をかけ、お湯を下のメモリ(180ml)まで注いでください』……いや注文多いな!一回麺を取り出さなきゃいけないの!?分量も細かいし……なんなんだよこれ……」
小袋の多さからある程度は予想していたとはいえ、その予想を上回るあまりの注文の多さに澤口は思わず大きな声をあげ、カップ麺を睨みつけた。それでも、澤口は渋々といった調子で説明書を取り上げると、注文の通りにかやくと粉末スープを投入し、分量通りにお湯を注いで蓋をした。
「さて、これで何分待てばいいんだ?どれどれ……『お湯を注いだら、液体スープ①、③、仕上げの調味オイルを蓋の上で温めてください。液体スープ②、④は温めないでください。2分経ったら液体スープ①、②、粉末スープ②を入れ、お湯を上のメモリまで(300ml)注いで軽くかき混ぜてから蓋をして3分お待ちください』……スープ何個あるんだよ!どんな味になるんだこれ?……しかもまだ待たないといけないのかよ!」
澤口は上気した顔でカップ麺に向かって叫んだが、きっちり2分後に蓋を開けて手早く液体スープ①、②、粉末スープ②を投入し、ぴったり300ml注いでから軽くかき混ぜて蓋を戻した。
「『3分後、蓋を全て剥がし、粉末スープ③、液体スープ③、④、かやく④の順番に投入し、トッピングのチャーシューと調味オイルをかけたら完成です』……やっと完成か……」
3分後、澤口はすっかりげんなりした顔でスープとチャーシュー、オイルを投入し、ついにカップ麺が完成した。
「はぁ……なんだかもう疲れたな。あんま食欲も無くなったわ……まあいいや、食べるか……」
澤口は割り箸とレンゲを用意すると、スープにレンゲを沈ませて麺と一緒に口へ運んだ。
レンゲを口に入れた瞬間、澤口の顔はまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、身体はぶるぶると震えた。
それからもう一口麺を啜ると、一言叫んだ。
「美味ーーーーい!!!」
やたらと注文の多いカップ麺ってありますよね。