卒業式に決闘する話
武道場に入るのは何回目になるのだろう。二年間通い続けてきたこの場所がいつもよりもの寂しく感じる。
窓の外では卒業生が桜並木を通りながら別れを惜しみ合っている。まだ肌寒い春風が誰もいない道場に花弁を運び込んでいた。
「おいおい、サボりは良くないぞ」
私の耳に身体を透過する様な凛々しい声が飛び込んできた。聞き慣れた暖かい声音の方に踵を返すと青年が証書の筒と花束を手に立っている。
「式は終わったのでサボりじゃないです。部長こそこんな所で何してるんですか?」
青年は一礼して歩を進めた。彼が"この場所"にいる姿を視るのも今日で最後になるんだ。私は気持ちを隠す為に視線を下げる。何も言わずに卒業してくれた方がずっとずっと楽だったのに……。
「三年間の想い出の詰まった場所を最後に見たかったんだよ。それに部室に防具置きっぱだったから持って帰らないとな。というかもう部長じゃないだろ、譲ってやったんだからしっかりやれよ」
部長がお前なのは心配だけどな、笑いながら青年は武道場を見渡していく。彼の頭の中では多くの記憶が流れているのだろう、その輝かしい記憶の中に私は居るだろうか。私はこのまま彼の"記憶"の中にいた有象無象の後輩女子として残っていくのだろか。
――そんなの絶対に嫌だ!
「部長、いや橘先輩。私と決闘してください!」
私の声が二人だけの武道場を駆けていく。勝てるなんて思ってない、私は高校から剣道を始めた。対して橘先輩は全国大会を征した正真正銘の猛者だ。国体でも結果を残し、大学から引く手あまたの彼と渡り合えないのは分かってる。
それでも、このまま記憶の中で生きていく自分を許すことができないんだ。
「――お前、二年間で俺から何本とれたか覚えてるか?」
「0本です……」
「それでもやりたいならやってやる。俺がお前に教えてやれる最後の機会だ、根性みせて一本とりにこい」
穏やかに話していた彼の雰囲気が一転し、張り詰めた空気が空間を支配していく。彼の鋭利な瞳が私を見据えていた。
――ああ、これだ。これこそが私が憧れてきた彼の姿だ。
入学式の時、偶然迷い混んだ"この場所"で彼の模擬試合を観た。素人でも解る威圧感と相手の動きを先読みして動く彼は鬼神の如く部員を蹴散らしていった。私は彼の一挙一動から目が話せず、気づいた時には入部届を握りしめて再度"この場所"にきていたんだ。
今思えば不純な入部理由だったかもしれない。仲良くしてくれた同期の皆や慕ってくれた後輩には絶対言えない秘密だ。
「はやく着替えて下さい。今日で蹴りをつけてあげますよ」
「ははっ、威勢だけは良いなおい。完膚なきまでにボコッて勝ち逃げしてやるよ」
どこか嬉しそうな先輩が男子更衣室に入っていく。盛大にメンチを切った私も更衣室に向かった。
胴紐を結ぶ指が震える。入部してから先輩にはしごかれてきた。彼の得意な技、タイミング、癖は全て知っている。数え切れない程に戦ってきた。それでも彼から一本をもぎ取っている自分の姿が想像できない。
私も彼の背中を追い続け全国に出場する程の実力を身に付けてきた。しかしながら彼の背中は離れていくばかりだ。私が一歩進む間に彼は足早に駆け上がっていき気づいたら背中さえ見えなくなっていく。
面を抱えて更衣室を出るとビュンッと素振りする音がする。先に着替え終わった先輩が重りを竹刀に付けて振り下ろしていた。
常人は振りかぶるだけで根を上げる重さを軽々振り下ろす姿は本当にかっこ……ごほん、尊敬する。
「お待たせしました。手加減はいりません本気で来て下さい」
「ああ、元からそのつもりだ。可愛い後輩の本気視せてくれ」
「か、かわ……ごほん。では二本先取で」
彼が一礼して帯刀する。私もそれに続き、コートに入る。
ああ、これが本当の最後。
「「お願いします!」」
二人の声が混ざり会う。闘いの火蓋は今落とされる。中央で蹲踞し、一呼吸をおいて試合の幕が開けた。
一足一刀の間合いを保ちながらお互い牽制する。
先輩の得意技は突きだ。全国の学生を下してきた突き技は、気づいた時には喉元に届いている。警戒するべき技はそれ以外にも逆胴、引き面と多様だ。 対する私は先輩の剣速にはやや劣るけど差し面と出小手に自信がある。なんとか読みあいを征してより速く打ち込まないと勝てない。
鍔迫り合いに持ち込まれたら引き面で取られるから一撃目に決めるしかない。長くなれば体力面でも私が不利になる。
竹刀で互いの中心を取り合う。立ち位置を変えほんの僅かな隙を探し続ける。延々にも感じさせるこの掛け合いは突如終わりを告げる事になった。
――そこだ!
先輩の隙など刹那の瞬間しかない、小手先の小技で一本とれる訳もない。瞬発的に地面を蹴り飛ばし彼の間合いに跳躍した。
より前に!より速く!
全身の力を込めて竹刀を走らせる。フェイントなんていらない、あっても読まれるだけだ。より速く!より強く打ち込む!
私の竹刀は大きく撓り、先輩の面に最短距離で近づく。彼は私の急な動きに対応が遅れている!いける、このままぶちぬいてやる!
私の竹刀が彼の面を捕らえる瞬間、そこにあった筈の面金が突如消え、竹刀で受け流された。
しまった、対応された!?
後悔したときにはもう遅い。私の頭に火花が散るような鋭い痛みが走る。
返し面……完全に意表を突いたのに先輩は私の動きを超えた速さで返し技を美しく打ち込んでいった。
「面ーーー!」
先輩の声音が私達しかいない道場を通り、校庭に逃げていく。
「……っぶねえ!なんとか間に合わたわ」
「――もう一本残ってます!」
直ちに中央に戻り、私達は二本目を始めた。私は先の失敗もあり迂闊に手を出せず、一足一刀の間合いを保って先輩の動きを伺っていく。
しかし、瞼を閉じた刹那的な隙だった。十分あった間合いが一気に消えている。異常な跳躍力、相手のどんな隙も見逃さない洞察力……。
本当にこの人は凄い!でも今回だけは負けたくないんだ!
先輩の竹刀が私の喉元に迫るのを感じる。ああ駄目だ分かってしまう、もう間に合わない……何をしても先に先輩の突きが到達する、完全に負けてしまう……。
それでも諦めない!!!!
負けられない、先輩に教えてもらった二年間を無駄にしたくない!貴方の弟子はこんなに強くなったんだって安心して卒業させてあげたいんだ。
下がらない下がったら駄目だ!私は前に跳躍し、同時に手首のスナップを活かして剣先を細かく返す。
――見える。突きを打つために伸びてくる小手が視界に入っている。絶対に当てる、決めてみせる!
「突きーーー!!!」
「小手ーーー!!!」
喉に衝撃を感じた。不思議と痛みを感じなかった。先輩が斬新を綺麗に決めている姿が見えた。
――負けた……ストレートで、一本も取れなかった。
「いやー今のは危なかったぞ!お前本当に腕上げたな。二年前は初心者だったのに見違えたぞ?」
先輩の嬉しそうな声が聞こえたが顔を上げる事ができない。痛いからではない、ただただ自分が不甲斐なかった。
「……」
「おい、どうした?座り込んで、もしかして怪我したか?わ、悪い本気で打ったから大丈夫か?」
「違うんです!」
心配そうに近づいてくる彼に私は叫んだ。
「違うんです……私、私は!」
一本取れたらずっと言いたい事があった。側に居て、一緒に過ごしてこの想いは大きくなるばかりだった。
頬を伝って、隠そうと見せないように抑えていた物がひんやりした床板に落ちる。
「――三崎、お前……」
「卒業なんてしないでよ。ずっと面倒みてくれるって入部した時に言ったくれたのに。私が部長なんて無理だよ!先輩から一本も取れない私が……」
堰を切った様に想いが溢れてくる。ああ、嫌だ。重たい女だって思われたくない、可愛い後輩のままで居たいのに……先輩への想いが溢れていく。同時に今までの出来事が走馬灯の如く走り去っていく。
「お前なかなか太刀筋いいな。え、初心者?安心しろ、俺が上手くなるまでずっと見てやるから」
入部しに来た私に先輩が丁寧に素振りを教えてくれた記憶。
「――よくやったよ。お前は」
始めての試合で負けて落ち込んでいる私の頭を先輩が撫でてくれた記憶。
「声出せ、掛かり稽古あと50!」
夏合宿、吐きそうなキツイ練習。馬鹿みたいに五月蝿いセミの鳴き声に包まれた道場で私達に渇をいれてくれた記憶。
「っしゃーー!」
全国優勝し、コートから戻ってきた先輩と抱きあって喜んだ記憶。
数えてたらキリがない。大切な記憶で心が満たされている。
私が剣道を続けてきたのは貴方に気に入られたいから。貴方と一緒にいられるから。頭を撫でてもらえるから。
――貴方が好きだから。
止めどない感情と涙が零れていく。するといきなり視界が開けた。先輩が私の面を外したからだった。
先輩の姿が間近にある。今までの追いかけ続けてきた先輩の姿が。
「ふふっ、酷い顔してるぞ。三崎」
「わ、笑わないで下さいよ!こっちは真剣なんですよ!」
はいはい、先輩は笑いながら頭を撫でてくれた。それは優しく暖かく心を落ち着かせていく。
「先輩、好きです」
「ああ」
「好きです、好きです……」
「ああ」
「好きでなんですよー」
「泣くなよ、ガキかお前は」
本当に子どもみたいだ。こんなに泣いたのも久しぶりだ。でもやっと言えた、心に秘めていた彼への想いを。
「あーそうだ。これやるよ」
急に立ち上がった先輩がこちらに何か投げてくる。辛うじて受け取った物は先輩がいつも使っていた鍔だった。つばめが描かれたそれを以前私が綺麗だと誉めたことがある。
先輩は姉にもらった大事な物なんだと教えてくれた。
「こ、これ。いいんですか?お姉さんがくれた大事な物だって……」
「んーまあそうだけど。二年間逃げず俺についてきた三崎へのご褒美だ」
「は、はい……」
「じゃあもうそろそろ帰るわ。明日早いし」
「え、ちょっと待って下さいよ!」
「じゃあな。これからも頑張れよ。お前ならきっと大丈夫だ。なんたって俺の後輩なんだからな」
「せ、先輩ー!」
「だから泣くなよ!じゃあ帰るな」
先輩は最後に私の頭をポンポンしてから去ろうとした。
「先輩!」
「んーなんだー?」
「先輩は私のこと好きなんですか?」
「お前が個人で全国優勝したら教えてやるよ」
「えー!なんですかそれー!待ってくださいよ。私も一緒に帰りますから」
「なら早くしろ、置いてくぞ」
まだ答えを聞けなくても構わない。私は必ず強くなる、今はもう新しい目標が出来たから。私は駆ける、立ち止まっている時間なんて無いのだから。
「只今より女子個人の部決勝を執り行います。正面に礼。お互いに礼」
「「しゃーす!」」
私はつばめの鍔を握りながらコートに入った。見ててください先輩。私勝ちますから。
勝って貴方に会いに行きます。今度こそ貴方の返事を聞きに。




