身代わりの人形
私は、しがない古美術商である。
今日は、古物商許可が下りている、正規のオークションに参加していた。
出産を控えた妻に、何かしらの土産でも買っていってやろうと考えたのだ。
だが特にめぼしい品はなく、巻物を一つ、50万で落札して終わってしまった。
その帰り道、変な男に話しかけられた。
「そこの道行く旦那、お待ち下さい」
「なんだ、お前は」
「私は前々から、その巻物を狙っていた者です。今日は、どうにかその品を譲っては頂けないかと思いまして、会場から出てくるのを見張っておりました」
「そんなに欲しかったのなら、何故オークションに参加しなかった?」
「恥ずかしながら、古物の認可証を持っていません。ですので、私は開催されている場所にすら入れない始末です」
「事情は分かった。とは言っても、私も大枚を叩いて落札した品だ」
「勿論、存じております。ですので、落札された金額に少々色を付けて、というのはどうでしょうか?」
私は商売の虫が疼いた。
元よりこのような巻物には興味が無く、右から左に動かして金を集めるのが仕事である。
この様子ならもう少し値段をつり上げられるだろうと考え、嘘の話を作る事にした。
「お前の言い分は理解した。しかし此方もこの様な品が欲しいと、人づてに頼まれたものでな。簡単に譲るわけにはいかないよ」
「この様な品、でしたら他にもあるではないですか。私は、その巻物が欲しいのです。なんとかお頼み出来ませんか?」
私が悩んでいるフリをしていたら、男が分かりましたと声を上げた。
「では、80万プラス、この身代わりの人形と交換でどうでしょうか」
金額を聞いて内心喜ぶも、私は渋い顔をした。
「身代わりの人形だと? 胡散臭い」
「いやいや、これは神木が使われた本物です。本来、降り掛かるであろう不幸を、この人形が肩代わりしてくれるのですよ。ご家族の安全のために、一つどうですか」
家族、それは今の私には心引かれる言葉であった。
元よりオマケの品であるし、どう計算しても損にはならない。
私は男と交換し、木彫りの人形を持って妻がいる病院に向かったのである。
「何処へ行かれていたのですか、奥様の陣痛が始まっておりますよ」
病院に辿り着くと、私を出迎えたのは鬼の形相をした看護師だった。
急いで分娩室に通される。
すると、ベッドの上に青い顔をした妻が寝ていた。
「アナタ、来てくれたの」
私は妻の手を握りしめた。
「当たり前だろ。私達は夫婦じゃないか」
「ごめんなさい。でも、今まで色々あったから、いざとなったら来ないと思っていたの……」
「確かに。だが過去は過去だ。これからの事、子供の事を一緒に考えていこうじゃないか。これは、その証だよ」
私は、身代わりの人形を、妻の右手に渡した。
その時。
妻が動物のような悲鳴を上げ、体を動かし始めたのである。
白かった顔が鉛のように変色し、苦悶に絶える表情になっていた。
明らかに普通の陣痛とは違っていたので、私はもうすぐ生まれるのだと思った。
だが周囲を取り囲んでいた看護師達は慌てふためき出したのだ。
「心拍、血圧共に高すぎます。奥さん、落ち着いて深呼吸して下さい。今のままでは子供まで危険になりますよ」
看護師の叫びも、妻の耳には届いていない。
他の人達も忙しそうに、点滴やらマッサージを繰り返している。
私は顔面から血の気が引き、何も出来ず呆気に取られていた。
「旦那さん、ボーッとしてないで奥さんに話しかけて! 最悪の場合、二人とも死んでしまうかもしれませんよ」
私は婦長さんらしき人に叱咤され、飛び跳ねるように妻の元に駆け寄った。
頬に涙が滴るのも気にせず、彼女の右手を握りしめた。
「大丈夫か、お前」
だが、妻は獣のように荒い呼吸を繰り返している。
「……頼むから、私を1人にしないでくれ。子供の顔が見たいから、生き残ってくれ。もう浮気はしない。近所の人妻にも手を出さない。出産後も、黙ってれば風俗やキャバクラぐらいは良いかと思ったが、それだって止める。だから、死なないでくれ」
私は妻の右手を、握りしめた。
その時。
力が強すぎて、木彫りの人形の尖った一部が、妻の手に食い込んだようだ。
反射的にバッと手が放される。
「そんなに握ったら痛いでしょ、このダメ亭主がっ!」
妻は顔を赤らめて怒り、人形を私に向かって投げつけたのだ。
人形は私に命中し、血を吹き出して床に倒れ込んでしまった。
その姿を見て妻はスッキリしたらしく、顔色が元に戻っていた。
看護師達も脈と呼吸が正常になったと、喜びの声を上げている。
そして無事、出産も終わったようである。
私は、薄れゆく意識の中。
あの人形に感謝しつつ、気絶したのであった。
「真実の仮面」という作品と同軸のお話です。よろしければ、そちらもどうぞ。