7 食堂で小休止
そのまま無言で私たちは街まで帰った。
私とライラさんは土まみれで、なんというかとてつもなく激しい畑仕事でもしたような有様。
そして、ライラさんは無言のまま、とある店に入った。
私も仕方なく一緒についていく。
どうやらそこは『昼の和み亭』という食堂のようだった。
今は食事どきではないのか、他に客はいない。
私たちが椅子に座ると、店員さんが目を丸くした。まあ無理もないだろう。なにせ土にまみれた二人組みが入ってきたのだから。
それでも触れてはいけない空気でも察したのか、そのまま注文を取る。
「い、いつもので……いいですか?」
おどおどした様子の店員さん。
顔なじみなようではあるが、ライラさんは無言でただ頷くだけ。
店員さんは逃げるように奥へと戻っていった。
***
無言のまま食事を終え、ライラさんがやっと口を開いてくれた。
「いったい、何があったっていうの……なんで敵は逃げてくれたの……?」
ライラさんは当たり前のことを聞いてくる。
私は首を傾げながら答えた。
「ライラさんがあまりに強すぎるから逃げ出したのではないでしょうか」
おバカな子を見るような目で、ライラさんが私を見る。
なんでそんな目で私を見るのだろう。
「んなわけないでしょ……」
ぼそりと呟く。
「そもそもフィルはあれが異常な状況だったって思わないわけ?」
私はなおも首を傾げる。
「私にとってはあれが初めての依頼ですから。よくわかりませんが、あれって普通のことじゃないんですか? よくある日常なんじゃないんですか?」
「そんなわけないでしょうが! あんな化け物の集団、ダンジョンでもまず見ないわよ」
「そうなのですか」
「ありえないでしょ! それに敵の集団から逃げようとして走り出したら、後ろで敵が何十匹も叩き潰されてたでしょ。あれで思考が完全停止。いったい何が起こったのよ」
「いや、あれは私が」
「ん」
「私が攻撃して……」
「んん?」
ライラさんは私が何を言ったのか、理解できていない様子だった。
「で、でも……ライラさんの攻撃ならもっとすごいんですよね? 魔法も使えるわけですし、一級冒険者ですし」
「……んんん……?」
ライラさんがふたたび黙り込む。
私は何も言えず。
うーん。
私はうまくやれたのか。
それとも失敗してしまったのか。
どうにもわからなかった。
「フィルさ、念の為に確認しておくけど、もしかして私を化け物なみに強いとか思っていない?」
「でもライラさんは一級冒険者なんですよね? すごく強いんですよね?」
「いや、まあ、それなりに強いけどさ。というか今の冒険者組合で私に勝てる人ってほとんどいないけどね。それでもあの数って一級冒険者でも無理なんだよ」
「数の問題……ですか?」
「そりゃ私だってゴブリンの十匹や二十匹くらいならなんとかいけるよ。でもね、あんなのは無理。あなたのお兄さんのようなとんでもない化け物……いえ、特級でもないと」
「ライラさんはお兄さんと面識があるんですか?」
「私が十五のときだったかな、センスを見込まれて王立魔法学院へ一年間通っていたの。その時の指導教官がルディアス様。当時は先生って呼んでいたけどね」
「お兄さんが先生をしていたのですか」
これは初耳だった。
「とっても、かっこよかったんだから。でもまあそこで特級のすごさを知ったのも事実ね。なんとか一級までは登ってきたけど、あの領域には手が届きそうもない」
「そんなにすごいんですか」
正直、私にはよくわからない。
兄は強いと思うのだけれど、稽古のときは私があっさり勝ってしまうことが多かった。
本気を出してほしいと何度、兄にせがんだことか。
「ルディアス様だけじゃないのよ。あそこの指導教官は化け物ばかり。特に私に対してやたら厳しかったあの女ときたら……」
「すごくお強いのですか?」
「強いなんてもんじゃないわよ。二重分身なんて使ってくるのよ。つまりは二人同時に相手をするの。化け物級を」
「そうなんですか。つまり当時、ライラさんはまだ分身ができなかったわけですね」
「当時はって、今でも無理よ」
私は少し目を丸くした。
「え? できないんですか?」
おそらくは真顔になっていたであろう私に、呆れた声でライラさんは返す。
「なんか、簡単にできるように言ってくれるわね」
「え、だって……。分身なんて、速く動けばいいだけですよね?」
「速く動けばいいって、そんな簡単なもんじゃ……」
少し押し黙るライラさん。
何かを少し考え込み、「まさかね」と呟く。
恐る恐るというように口を開いた。
「もしかして……。フィルも分身できちゃったり?」
笑いながら「なんてね」と言うライラさん。
しかし目はまったく笑っていない。
ちょっとだけ怖い。
さすがに一級冒険者ともなると多重分身くらいは簡単にこなすと思う。
一方で、私は水平三重分身が限界だ。
でも前方三重分身と組み合わせて三×三の九体の分身まではいける。
垂直方向も合わせるともっといけるけど、それはけっこうきつい。
ライラさんが簡単じゃないと言ったのはたぶん四重分身とかそういうことなのだろう。私も四重分身は無理だ。
でも何かが間違っているような気がしないでもない。
ここはなんて答えるのがいいのだろうか。
変な駆け引きをせずに、そのまま素直に答えるしかないと思った。
ライラさんがコップの水を飲もうと口にした時、私は口を開いた。
「私なんてたいしたことができないです。せいぜい三重分身くらいしかできなくて……」
ぶほっ、と水を吹き出すライラさん。ごほごほと咳き込む。
「さ……三重……。じょ、冗談でしょ?」
これは、その程度しかできないのかという意味だろうか。
きっとそうだろう。
「でも私、今日、冒険者になったばかりですし。普通の七級冒険者はもっとすごいものなのですか?」
ライラさんに真剣に尋ねる。ライラさんは軽いパニックに陥っているように口元に拳を当てる。
「どうも話が噛み合わないみたいだけど、フィルは一級冒険者ってどのくらいの強さだと思ってるのかな?」
顔をひきつらせながら、私に尋ねてくる。
「どのくらいですか。どう答えたらいいのか。私よりずっと強くて、手の届かないくらい先にあって……」
「あ、えっとさ。ちょっと質問を変えるね。さっき魔物に囲まれたでしょ? 気がついたらいつのまにか、周囲の木々が鋭利な刃物で斬られたようになぎ倒されて。そのあと、何十体もの魔物が引き裂かれたり、圧死したりしたでしょ? あれって一級冒険者なら簡単にできたり、とか思ってないよね?」
さらに顔をひきつらせながら、ライラさんが聞いてくる。
「お、思っていません!」
私はライラさんにぐいっと顔を寄せて叫んだ。
「簡単どころか、一級冒険者なら小指の先を動かす程度にたやすくできるんですよね。たぶんあそこにいた魔物なんて全部あっさりと切り裂くのも容易なんだろうと思います。ライラさんが今回あえて敵を逃したのは、相手の真の目的を探るためとか、なにか深い理由があってのことだと……」
早口でまくしたてる私の口に、ライラさんは人差し指を付きたてて止める。
「つまり、あれは誰がやったのかな? あの惨劇とも言える状況は。私はリッチがやったものかと思ってたんだけどさ。えっと、簡単な確認なんだけど。もしかしてさ、あれやったの、フィルなんてことないよね……さっき、私が攻撃、とかなんとか言ってたけど……」
ライラさんの顔はものすごく険しく引きつっています。
怒っているのでしょうか?
これは怒っているのでしょうか?
ものすごく、怒っているのでしょうか?
あの程度しかできなかった私に失望しているのでしょうか。
私の目には涙が滲む。
あんなことしかできない自分が悔しくて惨めだった。
「は、はい。私がやりました。えっと、その……。あの程度しかできなくてすいません。でも、まだ、私、七級冒険者ですし……」
こんなに弱くて非力な私なんて、ライラさんに見限られてしまうかもしれなかった。
「ま、まだ今はこのくらいしかできなくて、とても弱くてライラさんの足元には到底及びませんけど……。で、でも、これからがんばりますから、どうか私を見捨てないでください」
私はさらにライラさんに顔を寄せる。
ライラさんはそれを避けるように私から顔を背け、そして頭を抱える。ぶつぶつ、ぶつぶつ、と独り言を言っていた。「もしかして、とんでもない化け物は目の前のこの子?」現実を受け止められないような感じで呟いていた。
私はそんなライラさんに戸惑うばかりだった。