1 憧れの冒険者組合へ
落ちつけ、落ちつけ、私。
「ふうっ……」
胸に手を当てて、息を吐く。
それでも心臓はどくどくと激しく波打っていた。
不安な気持ちのまま、冒険者組合の建物を見上げる。
木造の巨大な建物は、私の小さな体と比べてとても恐ろしいものに感じた。
けれど……。
私もお兄ちゃんのように立派な冒険者になりたいのだ。
非力な私がどこまでできるのかわからない。
それでも私が冒険者になることが、ここまで育ててくれた兄への恩返しになるのだと信じている。
扉に手を伸ばし、一旦は入る決意を固める。
しかし、迷いが出てくる。
やっぱりやめて帰ろうか……、いや、ここで帰ってはだめだ……、でも……。
私はなんども迷い続けた。
辺境の地から四日もかけてここまで来た。
だからあきらめるわけにはいかないのだけれど、私なんかが通用するのかどうか。
いくら考えても不安は消えない。
手を出し、引っ込め、また手を出し……と私は不審者のようだったかもしれない。
何度同じ動作を繰り返したことか。
突然、背後から肩を叩く者がいた。
「ねえ、あなた。もしかして冒険者になるつもり?」
私が振り向くと、高級そうな革鎧に身を包んだ女性がいた。腰には長剣をぶら下げている。笑顔で私に話しかけてきた。
年の頃は二十代前半だろうか。十四歳の私から見たら大人のお姉さんに見える。
首元に煌めくのは五つの宝石が埋め込まれたチョーカー。
兄から聞かされていた冒険者という存在。
宝石の数から、少なくとも二級冒険者以上であることがわかる。
一方の私は短剣こそ持っているが、もちろんチョーカーなどはない。
首飾りを付けていない私を見て、私が冒険者ではないとわかったのだろう。
「えっと……、その……」
返答に困り、私は俯きながらもじもじしてしまう。恥ずかしくて両手を胸の前に合わせたまま、下を見ることしかできない。
消え入りそうなほど小さな声で「はい……」とだけやっと答えた。
「やっぱりそうなんだ。それにしても、あなたみたいな年端のいかない女の子が冒険者とは世も末だよね。って、私も初めてここに来たときは十四だったっけ」
その言葉に、私は花を咲かせるように笑みを作った。
彼女を見上げ、
「わ、私も十四歳です……」
なんとか声を絞り出すことができた。
「そうか、そうか。何か事情があるんだよね。私もそうだったよ」
一人で納得するように彼女は、うんうん、と肯いていた。
「よし、お姉さんが色々と教えてあげるよ。あなたはどこから来たの? 冒険者登録はまだなんだよね? 名前は何て言うの?」
矢継ぎ早に質問され、何から答えたらいいのかわからず、えっと、とか、その、とか返しているうちにあれほど開けるのを躊躇っていた冒険者組合の扉を彼女は軽い仕草で開けてしまった。
私の手を引き、中へと足を踏み入れる。
私は思わず、
「ああ……」
感嘆にも似た声を漏らしてしまった。
あとから考えると、ただただむさ苦しい男たちが集まっているだけの場所でしかない。基本的に冒険者のほとんどは男性で女性は少ない。本来は私のような少女が来るような場所ではないのだ。
だけどこの時の私から見たら夢のような場所だった。
兄から何度も話を聞いていた、憧れの冒険者組合。
ここからすべてが始まるのだ。
***
「ほら、こっちこっち」
お姉さんは私を引っ張って冒険者組合の受付らしき場所へと導く。
まだお姉さんの名前も聞いていなかったし、自己紹介すらしていなかった。
「メルダ、この子新入り。冒険者登録をお願い」
メルダと呼ばれた冒険者組合の職員は「わかりました」と答え、あたふたするだけの私を尻目に書類を用意した。
「では、こちらにお名前の記入をお願いします」
自分からは何もしないうちに、勝手にことが進んでいく。
私は流されるままに震える手で、書類に名前を書き込む。
震えながらもなんとか名前を書ききることができた。
書いている最中に、横から「え」、とか、「嘘……」とか呟きが聞こえた気がする。
その理由はすぐにわかった。
書かれた名前に驚いていたのだ。
私の名前は、フィル・バルディクス。
名前を書き終わるやいなや、お姉さんが私の顔を覗き込んできた。
「嘘!」
お姉さんが叫び声を上げた。
「嘘、え? ほんと?」
私の頬を両手で包み込む。
「あなたって、もしかしてルディアス騎士団長様の関係者? そうなの?」
目の前に突然迫ってきたお姉さんの顔にどぎまぎする。
埃で薄汚れており、男勝りだと思っていたお姉さんの顔は近くで見ると意外にもきれいだった。光り輝くような蒼い眼が印象的だ。
「は、はい。ルディアスは私の兄ですが……」
ルディアス・バルディクス。
私の唯一の家族であり、自慢の兄だ。今はこの王国の騎士団長をしている。
お姉さんと冒険者組合の職員メルダさんは、顔を合わせて目を丸くした。
お姉さんが私の顔を手で包んだまま、まくしたてる。
「ルディアス様って、特級冒険者から王国騎士団入りして頂点まで上り詰めた、あのルディアス・バルディクス様よ。私達冒険者の目標であり、誇りでもある、あの。あなたが彼の妹さんってこと?」
「はい……」
突然、お姉さんは私をぎゅっと抱きしめて叫んだ。
「ああー。なんて可愛らしいの、愛しいの。私、ライラって言うの。よろしく! 私が手取り足取り何でも教えてあげるから。ああ、あのルディアス様の妹なんて! 今日ほど幸運な日はないわ! よろしく! フィル!」
私の身体はライラさんに密着する。背中に回された腕にはさらに力が加わった。
「ひいやぁぁ」
私は誰かに抱きつかれたのなんて初めてで、素っ頓狂な声を上げてしまう。
カウンターの向こうではメルダさんがくすくすと笑っていた。
ライラさんは満足するまで私を抱きしめたあと、二の腕の太さを確かめたり、腹筋を確認してきた。しまいには太ももまでをまさぐってくる。意外と細いのね、とか、柔軟性はありそうね、なんて独り言を言っていた。
そんなライラさんを見て職員のメルダさんは、ごほん、と咳払いをした。
「ライラさん。いい加減にしてください。フィルさんが困ってますよ」
メルダさんに言われてライラさんがやっと私を開放してくれた。
「こちらのライラさんは第一級冒険者です。フィルさんは七級から始まります。いろいろと教わるといいですよ」
「そうそう、私に教われば二級くらいまではいっきに行くわよ。普通の人ならどんなにがんばっても三級止まりだからね」
「ライラさん、言い過ぎです。二級までいっきに行くなんてことはないです。あなただって二級になるのに五年かかったじゃないですか。まあ、五年でもかなり早すぎる方なんですけどね」
ライラさんは指でぽりぽりと頭をかく。
「まあ、そうなんだけど、私の勘が告げてるのよ。この子は天才だって。なんたってあのルディアス様の妹よ。とんでもない魔力を秘めているに違いないわ。そうだとしたら一級冒険者、あるいはルディアス様のように特級だって夢じゃ……」
二人のやり取りを聞いていて、私は思わず口を出してしまった。
「あ、あの……、私、ほとんど魔力がなくて。最後に計測したのは二年前でしたけど、ほとんどゼロで……」
それを聞いてライラさんとメルダさんは顔を見合わせた。
それでもライラさんは気楽に私に言ってくる。
「まあ、成長に応じて魔力量が増えるってケースもあるしね。とりあえずまた測ってみたらいいんじゃない?」
メルダさんも頷く。
「そうですね。魔法が開花するのが遅い人もいますし。計測だけでもしてみますか?」
そう言って奥から持ってきたのは両手で抱えるほどの水晶玉のような物。下には何やら針がついており天井方向を指している。
ここに手をかざすと針が右方向へ回転して動き、目盛りを読むことで魔力量がわかるらしい。
水晶玉の上に手を置いてみる。
針が微妙に左に触れたような気がした。
「ゼロですね」
「みごとなほどのゼロだけど……。若干、針が左に動いてない?」
ライラさんが首を傾げる。
「ええ、まさかマイナスってことは……」
「ないよね……」
「ないですよね……」
メルダさんまで首を傾げていた。
「魔力量がマイナスなんてことはあるんですか?」
私は二人に尋ねる。
メルダさんがそれに答えてくれた。
「この魔力量を測定する装置は、手から放出される魔素を測定しているんです。魔法を使える人は必ずその魔力量に応じて微弱な魔素が漏れるのでそれを測定しています。でもマイナスなんてことは今までありませんでした。魔素を吸い取る魔物とかはいますが、まさか、そんな人間なんていないですから。もう一度手をかざしてもらってもいいですか?」
私はおそるおそる水晶に手をかざした。魔物と同じ扱いをされやしないかと不安を感じたが、今度は針は微動だにしなかった。
「動きませんね」
「動かないねー」
ライラさんは口をとがらせて「さっきのはたまたま何かの間違いで動いたのかもね」と言い、私の魔力量はゼロだということで結論付けられた。
「まあ、魔法の発現時期はひとそれぞれだし、気長にまとうよ」
ライラさんはそう言ってくれたが、一般的に魔法の発現が早いほど、能力が高い傾向がある。兄においては五歳で発現して天才だと騒がれたらしい。
それでも兄のようなケースが稀なことであり、一般的には魔法の発現時期はまちまちだ。十五歳を過ぎてから発現することだってある。
私のようなケースなんてありふれたことなのだが、私はどうしても冒険者としての階級を上げ、立派な冒険者になりたいのだ。
【読者様へのお願い】
『面白い』、『続きが気になる』と思われましたら、
↓下の【☆☆☆☆☆】での応援やブックマーク登録をお願いします。