1:アリア出奔_02
*
閉め切られた一室。五つの人影が顔を突き合わせていた。
「逃げただと!? ……“夢見姫”が、か?」
一瞬高まりかけた声が、何かに気づいたように再び潜められる。
香草茶を給仕する者はいない。五人だけの密談であった。
「それは確かなのかね」
「残念ながら。侍女が朝餉を届けに行った時には、すでに寝室はもぬけの殻。“夢路御殿”内をくまなく探しても姿はなく、部屋は荒らされた形跡もない。ただ、外套や細かな身の回りの物が数点なくなっている、との報告だった」
答える声はひときわ低く、中年に達していても豊かな張りがあった。
沈黙が落ちる。
嘆息する者、頭を抱えたそうな表情の者、まったく感情の窺い知れない者、反応は様々だ。
彼ら五人──“長老会”は組織の心臓部であり、最も大きな決定権を有する頭脳でもある。全員がそれぞれ忙しく飛び回っているのが常なのだが、緊急事態の発生により、朝も早くから半ば強制的に集合せざるを得なかった。
「それで、捜索は? 騒ぎになってはまずいが、夢見姫が衆目に晒されるのはもっとまずい」
「無論。取り急ぎ、情報収集に長けた一課の者を出動させました。だが事情を承知しているのはシャリトン課長だけで、人海戦術は姫の素性を悟られる危険性があり、とても踏み切れるものではない。
よって、三課を動かすことにしました」
声の主は四人に対して独断専行を詫びたものの、咎める者など一人もいなかった。むしろ迅速な対処に感嘆の色がにじむ。なにしろ前代未聞の非常事態なのである。
「三課の技能員か。極秘任務に適した者がいるのかね」
「いえそれが、レヴィス課長に確認したところ、主だった技能員はあいにく出払ってしまっていましてね……。
唯一すぐに出動できるのがあの混血者だというので、やむなく彼を向かわせるよう指示しておきました」
「あんな目立つ奴を、ですか? 警邏隊にでも怪しまれたら厄介なのでは」
「確かに人目を引いてしまうだろうが、現状他に手がない以上は致し方あるまい」
「あくまでも暫定処置です。休暇中の者や出張している者に連絡を取り、急ぎ加勢するようレヴィス課長が取り計らうことになっています」
納得の気配が広がる。
「とにかく一刻も早く連れ戻さなければ。誰にも素性を勘ぐられないうちに」
「彼女の先見の能力は、陛下の治世にとって――ひいてはこの国にとっても非常に重要なものですからね」
「そう。それゆえ夢見姫は我ら《クリスタロス》の旗頭に据えられた。失うわけには参りません」
「そもそも、あの姫に行く宛てなどないでしょうに。いっとき飛び出したとしても詮なきこと」
不意に、一人がはっとしたように顔を上げた。
「まさかとは思いますが、“日輪公宮”へ向かったという可能性は」
「ない、と思いたいところだな」
不穏な顔を見交わせば、瞬く間に懸念が膨れ上がっていく。
「……一課の者たちには、行政区方面を重点的に探させましょうか。万が一ということも考えられますし、もしも公宮を目指しているとすると、市井をうろつくよりもなお面倒なことになりかねませんよ」
最悪の事態をも視野に入れた提案である。
結局、逡巡はほんの数秒だった。
一同の意見は安全策を採ることでまとまり、すぐさま指令が各部署へと伝達されていく。
「民はもちろんのこと、一般所員にも事情を悟られてはならないというのは……なかなか骨が折れますな。打てる手が限られてきますし」
「まったくだ。しかし姫の姿を間近に見れば、勘の鋭い者なら何か気づいてもおかしくない」
「だからこそ御殿にこもっていただく必要があるのです。少しでも早く保護してさしあげねば」
口々に言い交しながら席を立つ。
次の集合刻限を確認すると、長老会一同は時を浪費することなく解散した。