02 普通の日1
誰も居なくなった昇降口へと飛び込み、かかとを踏んだ上履きに足を取られながらも階段を2段飛ばしで走る。
目的地である2-Ⅾの教室は目の前だ。中からは出席を取る担任の声が漏れ出ていた。
「筒井 由伸~。ん? 筒井はまた遅刻か?」
「待って!! いますっ! ここにっ!!」
バンっと扉を開け、肩で息をしながら教室に滑り込む俺。
その姿を見た担任教師は、いつもながらにあきれ顔だ。
「まったく、お前はいつもギリギリ……。いや、今日はアウトだな」
「セーフセーフ! 全然セーフですよねっ!?」
「はぁ……。アウトにしてやりたいところだが、必死に走ってきた事に免じておおめに見てやるか」
「ありがとうございますっ! 神様仏様っ!」
「仏の顔も三度までと言ってな……。いやもう三度目はとうに過ぎてるな。
だいたいギリギリのバスだからって話は前に聞いたがな、それなら……」
この後の小言は聞いていない。いつもの事だし、たまに間に合わないバスであっても、滑り込めればセーフなのだ。うん、たまにが週1くらいであるって程度だ。
だいいち遅刻であってもそんなに問題はない、着けばよかろうなのだよ。そういう事にしておこう。
「はぁ……。筒井、聞いてないだろ?」
「聞いてますともー!」
「返事だけはいいんだよな。もういい、席に付け」
こうして解放された俺は、自分の席である窓側最後列の特等席へと向かう。
朝の陽ざしが気持ちいい席だが、それ以上に最高の癒しグッズがある席だ。
それは目の前をひょこひょこと動く、灰色の猫尻尾である。
つんつんとつつけば、そのもふもふは俺の手を振り払うように逃げた。
「なんだよよっしー」
「おはよー司」
よっしーとは俺の事だ。筒井由伸、だからよっしー。
そして振り向いたのは釣り目の男、高鷲 司。青い目と、グレーの髪、そしてもふもふのネコミミが特徴のいわゆる獣人だ。
ちなみにガチの獣人愛好家に言わせれば、ケモレベル1程度であり、コスプレと大差ないと評されている。
「しっぽもふらせてー」
「やめろ気持ち悪い。だいたいそっちの趣味はないだろ?」
「いやいや、もふもふは正義。目の前にもふもふある限り、求めてしまうのが人間というものだよ」
「うぜぇ……。はやく席替えしてくれないかなぁ……」
「俺はこの席を手放すつもりなどないぞ!」
「はいはい」
コイツとは出席番号順でも目の前で、それなりに話をしたことはあった。けれどこうやって前の席になる事はなかったため、最近までこのもふ欲に抗えない事に俺自身気づいていなかったのだ。
すばらしいもふもふ。これを知らなかった俺が、それまで何を楽しみに生きていたのか思い出せないほどだ。そんなもふもふを追いかけ、そして逃げられるうちに朝のHRは終わりを告げた。
「で、今日はなんで遅刻しかけたんだ?」
「いつも通り。バスが遅れたから、電車の乗り継ぎに失敗した」
「一本早いバスに乗れって前も言われてただろ?」
「ふふふ……。間に合うか間に合わないかのスリル、それが良いのだよ」
「本音は?」
「二度寝最高」
「わかる」
「だよな!?」
司も同じく朝は弱いのだ。まぁレベル1程度と評されるとはいえ猫なんだから、自由気ままに暮らしたいんだろう。授業中だってあたたかな日差しを浴びながら、うつらうつらとよく船をこいでいるのだから。
そんな話をしていれば、周囲も騒がしくなる。HRと一限目の間という短い時間ではあるが、俺たちにとっては大事な隙間時間だ。
皆が朝の挨拶と、他愛のない話をしている。その中でも、女子たちの話が耳に入ってきた。
それによれば今朝の情報番組でえらいイケメンが映ってたなどど、無駄に盛り上がっているのだ。
やっぱり男を顔でしか見ていないのか、なんて斜に構えながらも考えてみれば、テレビに出ているのだから当然だ。
けれどそのつんざく声を拾えば、どうやら「今朝のギフテットさん」なるコーナーに出ていた一般人らしい。
はー、イケメンでギフト持ち、天は二物を与えるもんなんだねぇ。俺にもおこぼれを恵んでほしいもんですよ。
そんなどうでもいい話を聞き流していれば、一限目の授業が始まる。外を眺めれば青空の下、巨人の像が遠くに霞む。俺にとっては見慣れた光景。けれど大人たちにとっては、変わってしまった光景。
その巨人は、俺がまだ5歳の頃に現れたらしい。俺にはおぼろげな記憶しかないが、月と呼ばれるこの星の周りを回っていた星が落ちてきたんだとか。それを支え、世界を守ったのがあの五体の巨人。
世界は守られ、元の日常が続くかと思われたが、現実は非情だ。大きく世界は変わってしまったのだ。
そのうちの目に見える部分が、司のような存在だ。獣人を含む、亜人と呼ばれる存在。見た目こそ違うが、人間と同じように暮らす者たち。
エルフやドワーフなんていう、大人たちが空想の世界にだけ見た者たちが、この世界に現れたのだ。
だけど実際に日常的に目撃するようなものでもない。
亜人は亜人同士で暮らす事が多いらしく、司のように人間の学校に通う事の方が稀だ。
べつに偏見があるとか、そういう問題ではない。ただただ目立つからという理由だ。
まー、身近にないだけでその辺も色々面倒な問題が起きてはいるらしいが、それ以上に厄介な事も起きたので亜人差別がどうだとかいう話は結構うやむやだ。
むしろ差別だと叫ぶ者の方が「差別を作って儲けたいのではないか」なんて言われてしまうほどに、この国に限って言えばそういう意識がない。うん、多分ヲタクとか、ケモナーと呼ばれる人種のせいだな。
それ以上の問題というのが、さっきの女子たちの話にも出ていた「ギフト」と呼ばれるものの存在だ。簡単に言えば超能力。なんかいろんな事ができるらしい。テキトーな解釈だけど、実際そういう他ない。
有名どころで言えば、火を出したり水を出したり。鳩を出したり、引いたトランプを言い当てたり?
いやそれただの手品だろっていうものもあるし、ヤバイのもあるらしい。
らしいってのは、俺にその能力がないからよくわからんって事だ。残念ながら、俺には空を飛んで遅刻を回避する能力なんかは備わってないわけだしな。
まー、そういう奴らをギフト持ち、「ギフテッド」なんて呼ぶんだとよ。あー、うらやましい。
んで、残念ながらそういう能力持っちゃった奴らってのは、悪用するよね。俺もする。絶対する。
透明化とかほしいもん。ナニをするかは聞かなくとも分かるだろう。健全な男の子の浪漫よ。
そんなこんなで治安の悪化というか、混乱もあって司みたいな獣人ってのも、粗末な問題として認識されているわけだ。いいのか悪いのか、どうなんだろうね。俺には分からん。
もし俺にそんな能力があったら、なんて妄想をしていれば、午前中の授業はあっという間に過ぎ去った。
ぼーっとしてただけだが、一度も当てられなかったんだからラッキーだ。おそらく答えられなかっただろうからな。
「よし、司! 学食行こうぜ!」
「わかったから尻尾を引っ張んな」
ため息混じりの抗議の声なんて無視だ無視。
もふもふとその長いリードを握りしめ、俺たちは教室を出て行く。
学食の人気メニューと言えば、日替わり定食だ。あたりの日とハズレの日があるが、まぁそれは好みの問題。
安くてうまいおばちゃんの気まぐれ定食の内容はなんだろうとウキウキしながら食堂に入れば、デカデカと「ハンバーグ定食」の文字が目に入る。
「よっしゃ! 今日は当たりだ!」
「僕は焼き魚定食が良かったな」
「えー、魚とか食うのめんどくさいじゃん。骨あるし」
「よっしーは魚食うの下手すぎなんだよ。まぁいいや、今日は天そばにしよっと」
食券を買い受け取り口に並べば、おばちゃんの元気よく対応している姿が映る。
流れるように料理を出してゆく手際の良い姿は、腕が何本もあるように錯覚するほどだ。
まさかおばちゃんは多腕の亜人だった!? まぁ、そんな事はないんだけど。
「はいハンバーグ定食ね! 目玉焼きはおまけだから!」
「お、ラッキー。ありがとね〜」
「えー、天そばにはないの?」
「付けても良いけど合うのかい?」
「貰えるならほしい!」
「はいよ、熱いから気をつけなよ!」
司の天そばのかき揚げの上にどっしりと乗せられた目玉焼きは、重さに耐えきれずその姿をつゆの中に沈めていった。
いやしかし、当たりのハンバーグ定食の上にさらにおまけ付きとは、今日はかなりツイてるな。
ニマニマとしながらハンバーグをつつけば、司は熱々の蕎麦を必死にふーふーと冷ましている。
「猫舌……」
「うっせえ!」
「器貰ってこようか?」
「べっ、別にこんくらい平気だし!」
ぷんすこという音が聞こえて来そうな様子で、箸で持ち上げていた蕎麦を頬張れば、案の定熱かったのかむせかえっている。無茶しやがって……。いや、無茶させたのは俺か。
そんな司に水ととりわけ用の器を持ってきてやれば、ぐいっと飲み干し呆然と天井を見上げていた。
「悪かった」
「マジで熱かった……」
「時間はあるしさ、ゆっくり食えよ」
「あぁ……」
さすがにその後は司も意地を張らず、器に少しずつ移して冷まし、セルフわんこ蕎麦にしていた。
にゃんこによるセルフわんこ蕎麦と言いかけたが、本日二度目の失態は回避成功だ。
「長く……、苦しい戦いだった……」
「いや、ただのそばだぞ!?」
「ざるそばにしておけばこんな事には……」
へたりとネコ耳を垂らして言うが、そんなに後悔するような内容でもないんだけどな。
まぁ、司にとっては大変だったんだろう。