04 戦闘準備
「ヴォオオォォォオオオオ――――ヴォオゥゥゥウウオオオオ」
地球の引力圏を脱出するのに必要な第二宇宙速度を越えようとするロケットエンジンの噴射音にも匹敵する、と錯覚する程の、大地を震わす重低音の唸り声がロート村を守る高さ六メートルもの丸太の壁をものともせず、聞こえてきた。
村人の顔には、皆、不安と焦燥。そして恐怖が浮かび、冒険者・蒼の放浪者の面々を縋る様に見詰めた。
そんな村人の視線を受け、蒼の放浪者を代表しマーカスが口を開く。
「――――皆さん。静かに話を聞いてください。皆さんは今から一旦家に戻って、弓と矢を装備して、再び此処に戻ってきてください。そして、その時、他の家の人にも同じ話をしてください。それと、警鐘は鳴らさないように。魔物に聞かれ、こちらに意識を向けられるのは避けたいですから」
マーカスの指示に、村人たちは静かに頷くと動き出した。
「……どうする?」
マーカスは、蒼の放浪者のメンバー――――兄弟姉妹に聞いた。
「……この唸り声は、かなり歪んでいるけど……おそらくオオカミ系の魔物ね」
「……このままだと……犠牲者やケガ人が出るかな」
その言葉を聞き、この場に残っていた村人の表情は、さらに曇る。
”冷たい”そう思われかねない予想だが、明確な事実だ。
村人たちは、弓と矢を手にして、動物を相手に狩りをする事はあっても、魔物の相手をする事など殆んどない。
あったとしても、意図してではなく、森から縄張り争いに敗れ傷ついた魔物や、弱い魔物に襲われた場合、自衛のために戦う程度であり、それ以外では極力避けるように生活している。
それに何より、魔物は”魔力”を一定以上に有している存在である以上、魔力の持つ性質によって、魔物は魔力を持たない物理現象や純粋な物質に対して一定の優位性を持っており、魔力を有さない通常の物理的手段しか持たない村人では魔物の相手は手に余るのだ。
魔力は大きく分けて三つの性質を持っている。
一つ目は、無機物、有機物、問わず魔力を巡らしたり、纏っていない物質に対して、剛性、靭性、断性、耐熱性、燃焼性、耐水性と言った物質が、本来持つ性質に対しての優位性。
二つ目は、魔力は物質を構成する分子や原子、その中にある原子核や電子。原子核を構成する陽子や中性子と言った物質と結合する事で、構成された元素の性質を強化する性質を持つ。
魔力は、その性質によって、無機物・有機物問わず強化することが可能だ。
それ故に、動植物は魔力を取り込んで魔物化しようとする。
魔物化は、魔力を巡らしたり、纏ったりすることによる一時的な強化とは異なり、根本的な強化で、ある種の急速な進化と考えられているが、これは人間も例外では無い。
精神や身体に対する強い負荷や過酷な環境といった状況に身を置くことの多い者に、この急速進化とも言うべき現象が多く発生している。
このことから、急速進化の条件は一定以上の魔力を取り込む事と、心身への高強度負荷が急速進化の要因として考えられている。
三つ目は、一定量の魔力を圧縮し続け密度を上昇させると、魔力は重力を軽減する性質を持つ様になる。
この効果を大型の魔物は生物の本能として持つことで、自然と使用し、魔力による身体強化や急速進化以外で、巨体を支える方法として使用しているのでは、と考えられている。
「……取り敢えず、俺は確認に行ってくるぞ」
ゼシキはそう言うと、大弓を手に矢を番えた状態で、唸り声の聞こえた闇夜に溶けていった。
残った三人は、地面に各々の装備を拡げ戦闘の準備を整え始めた。
「……なぁ、魔力バッテリーはどうする?」
マーカスは大楯の背面に、縦横幅が十センチ、三センチ、一センチの紺色を基調をした長方形のプレートを、金庫のダイヤルの様な円盤に、色違いのプレートを差し込んでゆく。
プレートは、先端の四面に機械の接続端子に似た、縦の切れ込みが複数入っており、切れ込みの反対方向には指を引っ掛ける穴が開いる。表面と裏面には、顔が映るぐらいに磨かれた水色の楕円形の結晶が埋め込まれ、結晶から電気回路のプリント基板に走る導線に似た線が伸び、縦の切れ込みに向かって走っている。
「……ん~取り敢えず、何が起こるかは、わからないから……一ギガかな」
リーリナは、全身を覆うほど大きな外套の中から、同じようなプレートを取り出し床に並べると色々と確認し始めた。
リーリナが取り出したプレートは、縦がニ十センチほどあり、埋め込まれた楕円形の結晶に色は無く、無色だ。
「……前途洋々とはいかないわね。リーリナ、マーカス、一応、オオカミ系と考えて動くとして、拡散型定型魔術をメインに使用して小型を一気に倒していくから、敵味方識別用の術式は合図を送ったら起動して頂戴。誤爆はしたくないからタイミングには気を付けてね。ああ、でも識別強度はこちらに委ねて頂戴――――」
そう言われ、リーリナもマーカスも露骨に嫌な表情を浮かべる。
当然だ。敵味方関係なく無差別に飛んでくる自立誘導型術式によって発動した魔術は、属性に関わらず設定された魔力の大きさや目標の表面積ないし質量を目指して飛んでくるのだ。
オオカミの大きさは基本的に人間と大差ない。形状は大きく変わるが、質量という点においては六十キロから八十キロと人間とあまり変わらず、細かく設定されていない自立型定型術式の場合は、無機物の持つ重量は探知されず、有機物――――つまり、金属といった無機物の類や、既に死んだ動植物由来の素材には反応せず、生きている生物その物の重さに反応して判別し飛んでくるのだ。
そうなると、重さは人も狼もあまり変わらない。かと言って、他の細かい設定を組み込むと発動に時間がかかる。
だから、打つだけ撃ち、あと付けで予め同期しておいた敵味方の識別術式を起動し魔術を発動するといった方法を取るのだが、識別強度が低いと飛んできた魔術が不安定な軌道を取ったり、そのまま近くに居る者に飛んで行き、当たる事もある。
だから、二人とも嫌な表情を浮かべたのだ。
もちろん、リーリエの事を信用しているが、目の前でいきなり飛んできた水の塊や炎の塊が方向転換するというのは、気持ちのいいものではない。
ましてや、雷属性系統なら制御は非常に難しく、あらかじめしっかりと設定しておかないと、術者が判断を下すよりも早く着弾する。前に一度、新しい戦術を試したいと言われて、付き合った事もあったが、リーリエが識別強度を最大にするよりも早くに、リーリエも含めた四人全員に『雷槍』と呼ばれる魔術が着弾し酷い目に遭った。もしあれが実践なら敵に倒されるよりも早くに倒れただろう。
「とりあえず、準備が整ったら、広場の建物に結界術式を展開しましょう」
リーリエはそう言いながら、カバンの中から持ち手の付いた高さ十センチ、直径五センチほどの円柱が三つ縦に重なった魔動機を十個取り出し、リーリナ達の前に置いた。
「球状結界ではなく、纏い型か」
「ええ、そうよ。球状だと建物の保護には向かないわ。だから、建物の形状に沿って纏う形で展開可能な結界発生魔動機を出したのよ」
「……使わないことに越したことは無いかな……安全的にも懐的にも……」
うんうんと、二人も同意する。
結界発生魔動機は、その消費魔力ももさることながら、何度も使用可能な充填式は高く、魔力使い切りタイプは安いという製品の特長から、使い切りタイプを選ぶ人が多いが、基本的にどちらもギルドからの貸し出しであり、魔力が無くなり機能しなくなったからと言った理由で捨てる事は許されない。そんなことをすれば、次から貸し出してもらえなくなるか、貸し出しの際の料金が、信用を取り戻すまでかなり高く設定されるからだ。要はギルドのブラックリストに載るという事だ。
だからと言って、魔物がうろつく野外での野宿の際、これがあるのと無いのとでは危険度が全く違う。
その上、結界発生魔動機は、種類が豊富で機能もかなり異なるものがあり、今回、彼女が用意した結界発生魔動機は、三つの円柱が縦に重ねられたタイプで、色は深い青を基調にしたモデルだ。
結界発生魔動機の表面には、直径三センチほどの簡略化した紋章が描かれており、描かれた紋章は企業ロゴの様にも見える。
紋章は、直径三センチほどの白丸に、一ミリほど大きな外円が重なった日食のリングの様に描かれた円で、円の下半分からは、二本の線が水面に広がる波紋の様な曲線を描き、その上に、小さな点が雪のように描かれている。
紋章の下の部分には、紋章の名を示す名前らしき文字が描かれている。
「んッ? ギルド・キサラギの結界発生魔動機か……」
そう、結界発生魔動機と紋章を確認して、手帳を取り出し、眉間にしわを寄せるマーカス。
手帳には、いくつもの数字が描かれまるで家計簿の様にも出納長の様にも見える。
「仕方がないかな。流石に、これが無いとケガ人では済まないと思うかな」
三人は小声でそんな相談をしていると……
「皆さん。心配はいりませんよ。ギルドに連絡を取って事情を話しましたから、今回損害が派生したとしても――――補填してくれるとのことです」
「「「「!!」」」」
冒険者ギルド・ロート村出張所の中から、駆け寄ってきたエルザは三人の会話を聞き、そう伝えた。
「「ありがとうございます!!」」
「……エルザさん。ですが、その……調査依頼の方は……?」
「そちらの方は、多少遅れても一月間きっちりと調査してくれれば構わないとのことです。ですが、あくまで依頼期間内での話です。他の冒険者チームとの調査結果と合わて、考える必要があるからでしょう」
「……まぁ、研究者のお守りを依頼されるよりはいいわね」
「ああ、あいつら、危険が近付くとに冷静さを失うものが多いからな。失うだけならいいが、そのまま危険に向かって走って逝くやつもいるからな」
「それは言えるかな。そういう状況ほど考える必要があるのに、その知能を何処かにおいて……」
リーリナ達は会話を切り、武器に手をかけ警戒する。
「おーい、俺だ。俺」
そう言いながら、闇夜より軽装の鎧から伸びた布をはためかせ飛び込んできたのはゼシキだ。
ゼシキは、弓を左手に持ち兄弟姉妹たちの目の前に、十メートル程の高さから綺麗に両手を着け片膝を立てたで体勢で着地すると――――
「待たせたなッ!」
恰好を着けて着地したゼシキは、そのままの体勢で、少し間を溜めてから顔を上げ、これ以上は無いといったドヤ顔でそう言った。
この場にいる者たちを和ませ、緊張を解きほぐそうとしての事だが、その為にわざわざ、魔力を巡らし身体強化をした上で、さらに魔力を纏って――――魔力を体内に巡らせる事で生物の場合は、生物が生来持つ基礎能力を向上させることが出来る
おおまかに言うと、筋力や免疫力、骨の強度、傷を負った際の細胞の再生速度と言った能力の強化だ。
それに対して、魔力を纏うという事は、魔力で作られた適応力の高い身体強化服を着る様なもので、簡単に言うとパワードスーツのような効果を発揮する服を身に纏う技術という事だ。――――三十メートルほど離れた地点から、一足飛びに跳躍し綺麗な放物線を描きながら着地したのだ。
「「うぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉ…………」」
村人たちは一瞬、盛り上がったものの、すぐに状況を思い出し声を潜めた。
そんなゼシキの行為に、姉妹兄弟たちは冷めた目で見つめた。
何せ、ゼシキは着地の前に「俺だ。俺」と小声で言いながら武器に手を掛けた仲間に攻撃されない様に言いながら着地したことを知っているからだ。
そして、当の本人はと言うと、恥ずかしかったのか無言で兄弟姉妹に近付いた。
「……」
「……報告だが……」
「……ああ、そうだな。報告してくれ」
広場には、送迎の宴に来れなかった村人も、始めから送迎の宴に参加し一旦家に戻っていた村人も、弓と矢を手に集まり、結界に守られた建物に避難すると、偵察から戻って来たゼシキの報告に耳を澄ませて聞いていた。
「……残念だが……魔物の姿は捉えられなかった」
その一言で、村人たちの表情は安堵に包まれる。
だが、そんな村人たちとは対照的な表情を蒼の放浪者の面々は浮かべていた。
「駄目だったか」
「ああ、でも森に汚っ――――」
ミシシシィィイイイシシシシシ――――ミシイイィ
纏い型の結界を展開していたはずの木造三階建ての建物が、結界の強度限界を超える圧倒的な衝撃を直上から受け耐えきれず――――倒壊した。