02 僕はまだ僕が転生者だと知らない
「ちょっと、こっちに来なさいッ!! ミズハ!!」
鋭い口調でミズハと呼ばれたのは、しっとりと水に濡ているかの様な艶やかな光を反射する、少し跳ねた黒髪を短く切り揃え自然に伸ばした髪を持つ十歳くらいの少年だった。
ミズハの瞳は濃い紫色をしており、その目は少し細くも目の幅は広く、人懐っこくも老成した印象を見る者に与える年相応な目元には見えないが――――
「お姉ちゃん~~!! 日が暮れるまでには返って来るから、お母さんとお父さんによろしくって言っといて~」
その言動は――――人懐っこく子供らしい口調で、自らの責任を放棄し逃亡を図る弟に、姉であるクウは両手をふさぐ洗濯物入れ一杯に積まれた洗濯物の陰から顔を覗かせる。
ミズハの姉クウはミズハと似た顔立に、年の頃は十七、八。
肩の辺りまで真っ直ぐに伸びた灰色の髪と、厳しい印象を受ける目元に、瞳は明るい紫色をしている。
クウは弟の適当な一言に、目元を一瞬危険な角度に吊り上げるも、すぐに元の角度に戻した。
その顔は呆れ気味な色を浮かべているが「気を付けなさい~」っと、手伝いをさぼる弟を送り出した。
ミズハは、右肩から左腰へと背中にリレーのたすきの様に掛けた風呂敷袋を少し揺らしながら、ロート村の中央へと駆けてゆく。
ロート村は一辺が一キロほどある正方形の形をした、人口約五百人ほどの村で、古代の都市国家の様な考えのもとに造られてる。
村の周囲には、五メートル程の高さの丸太を加工した壁が立てられ、先端を円錐状に鋭くとがらせる加工をした上で、先端に金属の覆いを被せて鋭さを強化をしている。
その周囲に一メートル程の壁と同様の造りの杭を斜めに埋め獣除けとしている――――ちょっとした要塞の様な造りの村だ。
「お~い! ミズハ~ちゃんと夕方までには、返って来るんだぞ~」
畑の中から、ミズハより姉のクウに似た顔立ちと年齢の男性が手を振りながらそう言うと、「またね~お兄ちゃん」っと、ミズハも手を振り返す。
「ミズハ~ちゃんとお昼ご飯と水筒を持ったの~?」
「もった~」
「ミズハ~危ない事はしちゃだめだぞ~ちゃんと獣除けは持ったか~」
「んっ~~」
四十前後の男女が、先程の青年の近くで手を振りミズハに注意を促し確認をする。
男性は短くサッパリとした黒髪に、外仕事に従事しているにもかかわらず色白で日の光の影響を受けているとは思えない肌の色をしている。ただ、その体は仕事に必要な筋肉がしっかりと付いた体だ。
もう一人は、長い灰色の髪を動きやすいように頭の後ろで束ねた女性で、農作業に従事しているせいか、綺麗な小麦色の肌に太い手足をしている。
「もった~」
二人は家の手伝いを放棄して、森に薬草を取りに行く息子の後姿を見詰めながら、もう一人の息子に「お前もたまにはいいんだぞ遊びに行っても」と、三人の父アキヨミは言う。
「大丈夫だよ。父さん。それに、する事しないとクウに叱られるよ」
笑いながら父アキヨミに似た、おっとりとした感じの目を優し気に曲げソラは言った。
「あの子も家の手伝いだけじゃなく友達と遊びに行ってもいいのに……」
そう言うのは、母シーナだ。
クウの目付きが厳しいのは、母親譲りという事が分かる目付きに、碧眼と呼べるほど深くは無い緑色の眼の中には心配の色が浮かんでいる。
母親のシーナ以外の全員の瞳の色は、色の濃さこそ違えど紫色を基調としている。
そんな家族の心配をよそに、ミズハは畑の横を駆けて行き二分ほど走ると村の中央へと辿り着いた。
村の中央は広場となっており、広場の真ん中には苔のむした円形の台座に石の剣が刺さっている。
石の剣が突き刺さった台座の周囲には、石の剣を中心に噴水が囲むように作られ、大きな広場となっており、円形の広場の周囲に沿って様々な店が立ち並び、小さな村とは言え活気に満ち溢れ、村人の憩いの場となっている事が分かる。
ミズハは人の賑わう店には目もくれず、黒を基調とした旗に、黄色い月と水面を照らす月明かりと幾重もの広がる波紋を描いた旗がはためく、一軒の『冒険者ギルド・ロート村出張所』と書かれた看板が掛けられた店へと入ってゆく。
「おはようございまぁ~す」
「はい、おはようございます。ミズハ君。今日も出掛けるのですか?」
『良く出来ました』と言わんばかりの幼い子供をあやすような口調で聞き返したのは、三十代前半の茶色い髪が少し内向きに肩の辺りで曲がったボブカットの女性だ。
細い目と緑の瞳の上に、縁が青い楕円形の眼鏡を掛け、真面目な印象を受ける。
彼女の着ている服は、麻でも無く、木綿でも無い不思議な質感の服で、絹にも似た光沢と滑らかさを見て取れる質感を持つにもかかわらず、硬さも見て取れる既存の自然繊維や化学繊維とは異なる不思議な素材でできている。
服は白い生地を基調に、青、赤、金色の線による円を組み合わせた幾何学模様が刺繍された足首まで覆い隠す程、丈の長いワンピースだが、見た目に反して動きやすく作られている。
ミズハが入った「冒険者ギルド・ロート村出張所」は、扉が部屋の幅一杯に開放され、奥には大きな木製のカウンターが部屋の端から端へとつながる様に置かれている。
カウンターの左右には、枠の色の異なる大きな掲示板が設置され、掲示板には左右共に十枚に満たない紙が貼られていた。
「うん、今日は……西の森に行くつもりだよ。エルザさん、今週は何が良いですか?」
何かを期待するような眼差しをエルザに向けるミズハ。
「そうですね~今週は……」
ぺらぺらとカウンターに置かれた紙に目を通し、白紙の紙にチェックした内容を書き込んでゆく。
「はい、今週はこんなところですね。薬草は赤ヨモギ、ヨモギ、オオバヨモギ、etc、etcが、それぞれ各十枚(生)で上質なら、大銅貨一枚ですね」
ミズハは、あからさまに残念そうな表情を顔に浮かべた。
「……変わらない……」
「ふふふ、そうですね。基本的に、この辺りの日常薬草類や日常食用動植物類の引き取り価格は、一月ごとに一度決まるとなかなか変動しませんから……あぁ、ですがミズハ君? だからと言って、動物や魔物を倒そうとしては駄目ですよ。ミズハ君は狩人さんや冒険者さんでは無いんですから、買取しか出来ないからと言って、危険な事をしては駄目ですよ……駄目ですよ?」
最後の駄目押しと言わんばかりに、二度も『駄目ですよ』と念押しをする。
「は~い、行ってきま~す」
「待ちなさい。ミズハ君、今日は暑いですから外に行くならちゃんと日傘を持って行きなさい」
エルザはそう言うと、カウンターの下から和傘に似た大きな白い日傘を取り出しミズハに渡す。
「ありがとうございます。じゃぁ、行ってきまぁ~す」
元気良く、そう言うとエルザの手から、今週の日常薬草リストと日常食用動植物リストを受け取り、腰に付けた巾着袋の中から小銅貨二枚を取り出し、エルザに手渡すと店を後にした。
「ミズハ君~領収書~~……あの子こうした事をするのなら領収書は受け取って保存しておかないとって言っているのですが……仕方がないですね。後で纏めるように言えばいいのですから……取っておきましょう」
たすき掛けにした風呂敷袋を揺らしながら、駆けて行く幼い後姿を見詰めながら、溜め息をつくも手の掛かる子を見るような目で、ミズハの背中をエルザは見送った。
◇ ◇ ◇ ◇
「……暑い」
ロート村の東西南北の四方にある、大きな二重の門を通ると、ミズハはエルザより手渡された体を覆うほど大きな日傘を差した。
開かれた笠の表面には、冒険者ギルド・ロート村出張所の看板の横に描かれていた紋章と同じ図柄が掛かれていた。
「あ~あ、生き返る~」
日傘を差し日陰を作っただけなのだが、妙に年寄り臭い事を言いながら、四日月の強い日差しの中、三十分ほど歩き続けると目的の森が見えてくる。
ロート村から三十分ほど西に歩いた所に、広がる広大な森・ラビアント大森林は、近くのラビアント大連峰に連なる山々より流れ出た雪解け水が大地を潤し、自然豊かな森を形成している。
ラビアント大森林は、数多くの動植物が生息する森で、山脈の地下には、無数の小さな地脈と四つの大きな地脈が重なりあう収束点でもある場所だ。
ただ、地脈が通る以上、付随する形で地脈にそって膨大な魔力が流れ、多くの動植物が魔力の影響を受け魔物化している危険な場所でもある。
魔物とは、動植物が一定以上の魔力を吸収した場合、生物として根本的に変化した生物の事を指しす言葉で、魔物となる事を魔物化という。
魔物化した場合、成りたての初期の頃は、まだ魔物としての体が安定せず、それ故に安定するまで魔物化した動植物は、自らの身体能力に見合った量の魔力を吸収しなければ、元の動植物に戻ってしまう。だが、大半の動植物は元には戻る事は無く、中途半端に変化した体の崩壊に苦しみながら時間を掛けて死んでゆく。これは急速に魔力を取り込んだ副作用とも言われている。
だからこそラビアント大連峰の麓と、ラビアント大森林の奥深くでは、日々、魔物達が縄張り争いを繰り広げているのだ。地脈からあふれる良質の魔力を、より多く取り込み完全な魔物になろうと。
だが、そのおかげで、森の奥深くに入らなければ、人も森の恩恵を受けられる。
森の中に入ると、そこには明るい屋久島と表現できる光景が広がっていた。
直径が一メートル以上もある上に、高さが三十メートル程度は平均と言えるだけの木々が当たり前の様に乱立した、太古の森っといった印象を受ける森であり、森の中の木々は乱立しているにもかかわらず、木々は程良い間隔をあけて生えており、木漏れ日が木々の間を縫い差し込んで来る。
森の中は、あまり湿り気が無くカラッとした空気が流れるも、木の根元には瑞々しい苔がむしている。
その様な森の中を、ミズハは迷う事無く進んで行き、三十分ほどで目的地に辿り着く。
ミズハが目指していた目的地は、周囲の木々の間隔が大きく開いた円形の場所だ。
地面には草がミズハの膝下ほどの高さにまで伸びているが、開けた空間の中央付近の草だけは、直径十メートル程の円形に刈り取られており、綺麗な刈り取り具合から人工的なものだと分かる。
これはミズハが七歳の時に、この場所を見つけて綺麗に刈り取ったからだ。
ミズハは、刈り取られた草むらの端にある平たい大きな石の上に腰掛け、背中を通す形でたすき掛けに背負っていた風呂敷を石の上に拡げた。
風呂敷の中には色々と入っており、お昼ご飯や薬草を包む布や古紙を和装本風に綴じた本と筆。正確に言えば、蓋付きの筆で筆ペンに似た筆だ。当然、持ち手の中には墨を入れて使用することが出来る。
他には、かせ状に巻いた縄に柄と刃が一体型になった小型のナイフ。そして何やら用途の知れない円柱の形をした金属が入っており、材質を鉄と考えた場合は四キロほどの重さになる。
腰に付けた竹を加工して作った水筒から水を飲み、一息つきながらミズハは――――
「よかった……まだ、誰にも見つかっていない」
辺りを見回し、前に来た時と変化が無い事を確認し安心すると、「よっこいしょ」と、独り言を言いながら立ち上がり、前に来た時、近くの木に隠す様に立て掛けて置いた三メートル程の楕円形の木の棒を手に取り、先端に広げた風呂敷の上に乗っている円柱状の金属の重りを取り付けた。
ミズハは、先端に四キロほどの金属の重りを取り付けた三メートルの長さの木の棒を、槍を構える要領で構える。
「やっぱり……重い……」
三メートルもの長さの木の棒の先端に四キロもの重りを付けているのだ。重いのは当然だ。
ミズハは、今よりも幼い頃に、男の子なら誰もが一度くらいは行った事のあるチャンバラ遊びをしていた時、他の子供たちが剣の長さの木の棒を我先にと手に取る中、ミズハだけは何故か剣の長さの棒ではなく長い木の棒を手に取った。
何となくミズハにとっては、剣のサイズの棒よりも、長い槍のサイズの棒に親近感を抱いたのだ。
そして何よりも、ロマンも感じたのだ。それがどういう感情なのかは、まだ幼いミズハは分からなかったが、兎にも角にも長柄の棒が気に入ったのだ。
槍の長さの棒を手に取ると、自然と使い方を理解し、大人が子供の相手をするように、同じ年頃の子供たちをあしらってしまった。
それも数人を同時に相手にしての話であり、ムキになった子供たちが集団で、「魔王め!! 我ら騎士団が成敗してくれる~~!!」っと、間合いを詰められれば、「ぱぁ~ん、ぱぁぱぁ~ん、ぱぱんぱぁぱぁ~ん、ぱぁ~ぱぁ~ぱぁ~ぱぱぁ~、ぱぁ~ぱぁ~ぱぁ~ぱぁぱぁ~……俺の名前は引導替わり~冥土の土産に――――成敗!!」っと、棒の持ち手の位置を短く変えて刀の様に対応し、相手との距離が離れれば棒の後方を持ち対応する。
その動きは、まだまだ粗削りではあるものの、誰かに教わった訳でも無い、一人で辿り着いた槍の使い方だ――――それも大身槍という通常の槍よりも大きなく、多少扱いの異なる槍の使い方だ。
少し年上の子供達も悲しくなる程にあしらわれ、癇癪を起し突っ込んできた子供にも、ミズハは容赦なく相手の足を払い尻もちを着かせ脇を、「こちょこちょこちょぉ~」と、追撃したり、振り下ろされる木の棒が、ミズハの持つ棒に当たる瞬間を見計らって弾き、手を痺れさせたりした。年長の子供たちも、ついには泣き出してしまう程の差がそこにはあった。
ただ、後で家族にはやり過ぎだと叱られてしまい、それ以来、外で振るう事は禁止されてしまった。ただ、家の中でなら振るっても良い許可され、ミズハは家の中と家族の前では通常の木の棒を振るい、外では誰にも見られない様に気を付けて、木の棒の先端に重りを付け、重りの重量を段々と増やしながら、槍として振るう事が日々の日課となっていた。
ミズハの日課は別段難しいモノではなく、槍の基礎中の基礎の動作を只、延々と繰り返すだけで、別段誰かと戦ったり試し合ったりするわけでは無く。独りで寂しく素振りを行っているだけだ。
ミズハの日課の内容は単純だ。
まず、服を脱ぎ下着一丁なると、脱いだ服を綺麗にたたむ事から日課は始まる。
なにせ、夏でも冬でも運動をすれば通常よりも多い量の汗をかき服が湿って濡れてしまうからだ。
そうなれば湿りやにおい、汚れで家族に、外で棒を振るっていることが知られてしまう。知られずとも怪しまれたりはするからだ。
これは日々、姉が両親以上に考える事を教え続けた結果でもある。つまり、こうした隠し事に関する思考力も姉のクウのおかげという事だ。
そんな事を考えながらミズハは日課を開始した。
両手で棒の中ほどよりも少し後ろを、適当な手の幅で持ち、持ち手の幅と位置を変えずに突く――――諸手突き。
槍を持つ前の手を軽く握り、手の中で槍が滑る様に動けるだけの空間を作り、前の手は動かさずに後ろの手だけで槍を前へと送り出す突き――――送り突き。
諸手突きから送り突きへと繋げた突き――――諸手送り突き。
棒を振り上げて、振り下ろす――――振り下ろし。
棒を上下左右に払う――――払い。
棒を下から支えるように構えて突く――――うわ突き。
棒の持ち手の位置を変えて、間合いを調節しながら、上記の動作を行う――――自在。
自在に剣の動作と体術の動作を加えた――――変幻。
棒を片手で操作して突く――――片手突き。
棒の最後尾、槍で言うところの石突の部分で攻撃する――――砕き。
前の手を動かさずに、後ろ手を上下に弧を描く様に動かして相手の攻撃をいなす――――散し。
棒を振り上げ振り下ろしながら、持ち手を左手前から右手前へと変える――――逆転。
これら十二の型をミズハは、誰に教わる事も無く、独りで考え付いた――――それも大身槍の基礎技術へと辿り着いたのだ。
もちろん、型だけでなく型の名前もミズハが考えたのだ。
ただ、この言葉は槍の型と同様にミズハ自身が思い付いた言葉で、家族も村人も聞いた事も無い言葉だ。
――――だが、規則性と明確な意味を持った言葉なのだ。
十二の型をひとしきり繰り返し、額に滲んだ汗を手で拭った回数が二十回を越えた辺りで、ミズハはようやく一息付いた。
その頃には、既に陽は傾き始めており、ミズハは未だ副次的な目的――――日常薬草をまだ採って行っていない事を思い出す。
「あ……まずい、まだ薬草を取っていない。このままじゃ疑われる……」
考える事を教わっても子供である以上は、集中すればすぐに忘れてしまうのは仕方がない。
ようやく問題に気が付いたミズハは、棒の先端に付けた重りを取り外し、棒と一緒に適当に近くの木の傍に置くと薬草を探し始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
「こんばんわ~」
日が暮れ辺りが薄暗くなった村に、明かりが灯り始める時刻。
冒険者ギルド・ロート村出張所に明るい声が響き渡る。
時計の針は午後六時を回り、辺りが暗くなったのを見咎めた冒険者ギルド・ロート村出張所のギルド職員エルザは魔術によって発生した、ロウソクや油の灯す明かりにも似た、人を安心させてくれる暖かな光を灯した魔道具・光量三段調節機能付き三色発光ランプ『トリニティー』をギルドの壁に取り付けている最中だった。
基本的に、このような辺境の村では魔術の恩恵を日常的に受けるのは難しく、冒険者ギルド・ロート村出張所以外で灯る明かりの殆んどは、照らす範囲の少ないロウソクの明かりや油系を使用したランプの類が灯っているだけだ。ただ、それも毎日、灯すとなると一月でかなりの額になる。
平民の平均月収の最低金額が約大銀貨一枚前後で、ランプに使用する油系の中で最も安い油を一日・四時間・一ヶ月使用した場合、約小銀貨四枚にもなる。ちなみにだが、大銀貨一枚は、小銀貨一枚の約十倍の貨幣価値がある。
それ故に、明るく暖かな人を安心させるタダの光りが灯ったギルド出張所は、人が集まる憩いの場となっているのだ。
当然ギルドは人が集まる以上は一定の利益が見込めると考え、夕暮れからは昼以上に、飲食店としての経営に力を入れるのだ。
人の多い町や都市のギルドなら当たり前だが、辺境の村では人の数も少なく収益もほとんど見込めないが、それでもこの様に店としても開いているのは、冒険者ギルド出張所は、ある種の公共性も担っていると、冒険者ギルドが考えているからだ。そうでなければ、お金の掛かる魔力式の魔術ランプを灯したりはしない。
そんな忙しい最中にやって来たのが、服に少し泥を付けた少年ミズハであり、右手に持った袋はバレーボールほどの大きさに膨れ、袋からは青々とした草の匂いが漂ってくる。
その匂いに微かに眉を吊り上げるも、すぐに元に戻しエルザはミズハを手招きする。
「こっちに来てくださいミズハ君」
壁にランプを掛ける手を止めずに手招きだけすると、すぐにランプを壁に掛ける作業に戻ったエルザに、内心ビクビクしながらも、手に袋を持ったまま彼女に近付いた。
「ミズハ君……今は何時か知っていますか?」
「……」
(どうしよう……誤魔化す? ……それとも、正直に質問に答える方がいい? ん~駄目だ、これはこの前もあった様な気がする……)
少し考えるとミズハは口を開いた。
「ろっ六時くらい?」
「ここにギルドより預かった時計があります。何時ですか?」
そう言って彼女が指さした、カウンターの後ろの壁に掛けられた時計の針が、長い針は真上を差し、短い針は真西を差していた。
「……三時?」
”ぷっつん”
ミズハの後ろから、そんな音が聞えた気がした。
「いたたたたたた、痛いっ!! 誰!?」
いきなり耳を引っ張られ思わず声を上げ後ろを振り向くと、そこには姉のクウがいた。
クウは仁王立ちで、こちらの耳を未だに引っ張ったまま、こちらを睨み付けている。
「あ・な・た・はッ、いくつかしらミズハ?」
先程まで片耳を摘まんでいたのが、今や両耳を摘まみ、クウは知っているはずの答えをミズハに問いかけた。ただ、耳を掴む力は優しく、正直あまり痛くは無い。
「じゅっ、十歳です、はい……」
「そうね、十歳よね? でも十歳の子供がこんな時間まで森で薬草取りなんて危ないと思わなかったの? ましてや家族が心配すると思わなかったの? ねぇ? ミズハ聞いてる?」
今や耳ではなく、両頬を摘まみ”フニフニ”と揉みしだきながら、さらに追い打ちを掛けるクウは、普段着の上からギルド出張所から支給されているギルドの紋章が付いたロングエプロンを着ている。
ロングエプロンは給仕用と言うよりは作業用言った見た目であり、エルザの着ている服と同じ配色と素材で作られている。
飾り気は少く無く、ポケットの数や位置。肩紐の形や位置が着脱しやすい機能性優先した作りとなっている。
ただ、所々にちょっとした装飾が施され、うっすらとした薄化粧の様な品の良さを感じさせ、外に着ていったとしても恥ずかしくないデザインとなっている。
それから三十分ほどお説教を受けたミズハは、ようやく解放された。
食事処がメインに変わったギルド・ロート村出張所から、まだ給仕の仕事があるクウに「寄り道せずに真っ直ぐ帰りなさい」と促され先に帰らされた。
ただし、手に持っていた薬草の入った袋は、「これは没収よ。反省しなさい!!」と、取り上げられてしまった。
「はぁ~、お尻を叩かれなかっただけ、まだマシかぁ~」
肩を落としながら帰路に着いたミズハが家に戻った時には、ギルドの時計の短い針は十時を回っていた。
当然、遅くなり過ぎたことを両親にも叱られたものの、心配もされ。
「ミズハ……次に、こんなに遅れるなら……ギルドでの冒険者の真似事は禁止よ」
母にそう釘を刺され、思わず父と兄に助けを求めたものの、二人共母と同じ意見の様で”うんうん”と無言で頷いていた。だがそんなことは予測済みだ。
ミズハは腰に付けた巾着袋の中から、今まで稼いだ日常薬草や日常食用動植物のお金を、わざわざ両手を揃えて可愛らしく母へと差し出した。
「おでぇかんさまぁ~これでお許しくだせぇ~。越後谷さんも庄屋さんもお力を貸してくだせぇ~お願げぇします~お願げぇしますだ~んっだぁ~」
両膝を揃え床に付けた姿勢で、お辞儀を何度もしながら、そんな事を言い出したミズハを見て、母はこめかみにぴくぴくと青筋を浮かべる。
その姿は、クウにそっくりだ。いや、クウがシーナにそっくりなのだ。
父と兄は、危険を察知し母から距離を取り始めたが、お辞儀をしているミズハからは見えるはずも無く、ミズハは未だお辞儀を繰り返している。
「おでぇ……お許しくださせぇ! お許しくだせぇ! !!……ごめんなさい! ごめんなさい! もう、きゅぅっ」
服の襟と襟の間の隔を狭めて、動脈を締め付ける肌襟締めに似た締め技で、ミズハの動脈を母シーナは締め付けた。
「「母さん!?」」
軽く動脈を締め付けられ気が遠くなるも、すぐに襟を締め付ける力が弱まり、ミズハは母を見上げる。
母・シーナはミズハの両頬を親指と人差し指で”ふにふに”とも見ながらミズハに語り掛ける。
「いいミズハ? あなたは時々変わった事を言うけれど母さん気にしていないわ。でも、今は冗談を言っている場合では無いの。母さんもお父さんもクウもソラも本気で心配していたのよ」
当然だ、森には動物だけでなく、魔物までいるのだ。その上に、毒性の強い植物や虫、その他にも魔力の影響と言った環境要因。少し考えただけでも、これだけの危険性がある以上、心配するのは当たり前だ。ましてや、ミズハは十歳の子供なのだ。
「……ごめんなさい」
ミズハは素直に謝った。
反省の色が見て取れると、母・シーナは少し皴のより始めた顔に優し気な微笑みを浮かべた。
「しわしわ……」
少し悲しげな声でミズハはそう言った。
お読みいただいき有り難うございました~
次は、金曜日の二十一時に投稿する予定です。