霊性の時間
精神科のデイケアの室内は、森閑として、静謐であった。
テレビを見ている夫人も居れば、漫画を読んでいる若い青年も居た。
崋山 流星は、日課である、自分の手のデッサンを描いていた。それは駄作であった。
書き終えて、彼はデイケアの喫煙所へ行った。喫煙所で煙草を吸って、彼は一息ついたのだった。
崋山は、一ヶ月前にアスペルガー障害の診断を受けた。それは、彼の虚構の人生の終焉であった。
それから、この精神科のデイケアに崋山は世話になっている。
彼は喫煙所から出て、窓から外の風景を眺めた。マンションと蒼空が広がっている。殺風景かも知れないが、崋山は精神的に気晴らしになる。嗚呼、こんな風景もあるのか、と思う。しかし、そのあと崋山は深い悲しみに包まれる。光がデイケアを優しく包んでいる。
崋山の携帯電話が鳴った。知り合いの安東からであった。彼はデイケアから出て、ロッカールームで電話に出た。
「そろそろ、来てよ。庭師の仕事、気晴らしになるからさ。」
「まだ、ちょっと調子が悪いんです。すいません。」
と崋山は言って電話を切った。
彼はデイケアに戻った。
もう六月の半ばであった。雨の多い季節であった。
生温い気温が外には満ちている。
崋山は深い暗闇の中で、哀しみの光に照らされては、その光は消えていく。
看護師から
「崋山さん、デッサン、上手いね。」
と言われても、崋山は表面上は笑って振舞ったが、内心は悲しかった。それは自分の哀しい習性であったからだった。
*
デイケアの休みの日は、崋山は公園を散歩した。
晴天だった。樹々が瑞々しく、草木が生い茂っている。そのなかをかれは歩いた。
自然の中を歩いていくことは、彼の精神の癒しであった。
図書館に崋山は行った。彼は文学青年であった。夏目漱石やら、ドストエフスキーやら、どしどし借りて読んでいた。意味の分からない箇所も熱心に読んでいた。
*
中学校からの友人の椿レイアとたまに、喫茶店へ行って話をすることもあった。レイアは介護の仕事をしていた。
レイアは
「気の持ちようよ」
と崋山を励ますのだった。
デイケアで、彼は読書に飽きた。彼はデイケアの、カーペットに寝転んだ。不安も有る。安心感もある。疲れもある。歪んでいく精神が、解きほぐされていくのを崋山は感じる。
医師の診察は簡素であった。
無意味な時間のようにも、崋山には思えた。
彼は家に居ることが出来なかった。彼は直ぐに散歩や図書館に行った。
デイケアで虚無の日を送ることもあれば、生の希望に満ち溢れた日もあった。
崋山の自身の障害の受容は、かなり時間がかかった。デイケアに、来ている意味の理解も。
崋山は小説や詩を書くこともあった。
拙い短編小説であった。主題も文体も定まらない駄作であった。彼の絶望は深くなるばかりだった。
題名は
「霊性の時間」
とした。
崋山自身の日常生活を描いていた。彼は小説という虚構に生きていた。
デイケアは柔らかい光に包まれて、古代の霊性に立ち返っている。・・・・・