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とある御国でのあれやこれ。  作者: やおよろ
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絶対王政 アウァーリペリティア 元人間の少年吸血鬼


 吸血鬼には【先天性】と【後天性】がある。


 同種族、吸血鬼のみとの婚姻が可能で血裔は当然、吸血鬼になる。


 吸血鬼同士の繁栄で産まれた子供を【先天性】又は【純血】と呼んだ。


 吸血鬼同士の繁栄ではなく、何らかの理由に依り人間から吸血鬼へ成った者を【後天性】又は【混血】と呼んだ。


 人間から吸血鬼へ成るにはリスクが高く、最悪の場合は両者が死に至る。

 それでも、人間から吸血鬼へとしたいのは……人命救助か酔狂か。


 一度人間として死にかけ、吸血鬼として世に生きる一人の子供の話。



 絶対王政のアウァーリペリティア。そのアウァーリペリティアにある一つ、アーミッシュ王宮下街には、その政権を握る王が住まう王宮が建てられている。


 水が豊かなアーミッシュ王宮下街。その麗しい街並みは、現王の父が王の時に新しく改装されたが故。その時はまだ闇商売人も、吸血鬼も、地下街も無かった。

 ただただ和気藹々と身分差もなく平和な活気溢れる時間だっただろう。


 そんな、アーミッシュ王宮下街の丁度真ん中に噴水広場は有る。其処は幼い子から老いた人まで老若男女集まる場所だ。

 王宮から真正面に有り、明るくいつも誰かしら人が居る。 その噴水広場から、一本細い裏路地に入れば、薄暗い地下街アッシュムーアへの入り口がある。

 吸血鬼が棲む地下街への入り口が。


 その入り口は、裏路地には似つかわしく無い豪邸の裏に在る。


 その豪邸の持ち主は、アルセウス=クロッカス侯爵。


 アール・ドミニオン=クロッシェ王の血を引くクロッカス家。

 クロッカス家はクロッシェ王家から別れた少ない分家の一つ。

 そう、決して経済的に苦しかったわけではない。クロッカス家は、このアウァーリペリティアに建てられたアール・マジェスティ王宮に住まう彼の王の血裔なのだから。


 然し、どんな人にも……否、どんな家にも……裏と表は有るものだ。

 幼き子供が見てはイケない大人の秘密……。



 静かな暗闇の中に蠢く影が三つ。聞こえてくるのは、この街の象徴でもある噴水の水音と、瓶がぶつかる音、その中に入っている液体の揺れる音。そして、密談する男女の声。

 蝋燭の灯りが、ぼうっと揺らめき、密談する三人の人影の顔を照らす。


 その内の一人、紫苑色の髪を持った長身の男が口を開いた。


「それで、幾ら欲しい? 幾らで売るつもりだ?」


 試験管の蓋代わりのコルクを開け、中に入った赤黒い液を舐めて口元を歪めた。どうやら、彼の好みではなかったようだ。

 彼の口には、長く鋭い犬歯が……。

 蝋燭の灯りがその男のモノクルに反射して、彼の瞳がヘテロクロミアだと言うことを明らかにした。モノクルのされている側、総ての色を映す透明に近い銀色の瞳が灯りのモノクルの反射で煌めき、反対側の瞳は髪色と同じ紫苑色だった。

 モノクルに薄く紫苑に近い色でも塗ってあるのか、男の瞳はモノクル越しに見るとヘテロクロミアには見えない。


「ざっと5000万ペールってところ。正直言って、売れる味では無いでしょ?」


 男の問いに答えた金髪の女性。ブロンドと言うには明るすぎる金色の髪と濁った色をした青緑の瞳。その髪色に染めているのかも知れない。

 絹のドレスから手を伸ばし、男の手から試験管を取ると、中の赤黒い液を自身の手の甲に一滴垂らし、一舐めした。

 美味しくはないのだろう、女は顔を歪め「よくこんなモノが口に出来ることね」と明らかに、長身の男を見下した瞳で小さく言った。


 其れを見守る三人目の影。身形の良い、丸眼鏡の知的なこの男はこの家の主でもある。そして、金髪の女の夫でもあった。

 女と比べて透き通る様なサラサラとしたハニーブロンドの髪を清楚に切り揃え、絹の衣装と紅玉の装飾品。彼の経済的地位が高いことも、決して成金ではないことも、目に見て取れた。


「5000万ペールだァ? そりャまた、随分な値段張るこった」


 女が提示した値段は、男の予想を遙かに超えていた様で冗談だと言いたげな表情だった。


「はーァ、天下のクロッカス侯爵は金不足かァ? 可笑しいなァ、王家に近しい侯爵家が金不足たァ、聞かねえぜ。あぁ、5000万ペール位、端金だと言いたいんだな、コレだから『人間』様は」


 喉の奥で厭らしく笑いながら、男は皮肉を口にした。人間、その単語を強調しながら。


「失礼だな。ロズウェル君」


 今まで、大人しく聞いていただけの男が反論した。

 丸眼鏡の男、彼はアルセウス=クロッカス侯爵。ロズウェルと呼ばれた紫苑色の髪の男が言うように、この街で王家の次に財力が有る家だ。

 ロズウェルがくつくつと笑う中、冷静な眼差しで彼を射るように見るアルセウス。




「そう、5000万ペール位、あたしからすれば端金。アンタらからしたら、大層なお金かも知れないわね。アンタらからしたら。だけど、いくら不味くてもアンタらがコレを吸わずには居られないでしょ? コッチに来たら、騎士団が問答無用で狩りに来るからね」


 そんな中、女が気怠そうに言った。気怠そうに……否、絶対的な上下関係を意識しての発言か。女は薄ら笑いさえ浮かべていた。絹のドレスでいくら着飾っても、椿や薔薇の露でいくら香り付けても、女の成り上がりで傲慢な性格は変わらなかった。

 彼女は、マリーナ=クロッカス侯爵夫人。


 侯爵夫人と言うには、淑女としての淑やかさも、知性さの欠片もなかった。

 其れもそうだろう。マリーナは、アルセウスの様に貴族の生まれではないからだ。


「相変わらず、馬鹿にしたような物言いだな。地上の女は怖いねェ。クロッカス侯爵も大変なことで」


 ロズウェルは、マリーナの暴言も傲慢な態度も気にしていなかった。彼にとって、それは見慣れた〝人間〟だったからだ。人間は如何せん、種族意識が高すぎるのだ。そして、多種族に偏見を持ち、更には排他排斥しようとする。ロズウェルは人間こそが一番愚劣で哀れな生き物だと考えていた。

 アルセウスはそんな妻の態度に一喜一憂し頭を痛めている。可哀想な事に、まんまと罠に掛かった自分の父を恨むほか無い。アルセウスは、マリーナがこの様な人物だったとは知らなかったのだ。この時代は、よくある親が決めた、婚約者だったから。それが、相手側の政略結婚だったことを知ったのは、アルセウスが侯爵の地位に就いてからだった。


「しかし……奥さん、アンタ勘違いしてるぜェ? 別段、俺ァ等はコレを摂取しなくたって生きていける。その吸血衝動が故に摂るだけだからなァ」


 呆れを口にしたロズウェルは、マリーナから試験管を貰い、それにコルクの栓をして元の場所へと戻した。

 試験管の中に入っている赤黒い液体、それは酸化を始める前の、血液。誰の血液か等、誰も知らない。 ロズウェルは勿論、アルセウスも。アルセウスはこの密会の立会人で、場所を提供しているだけに過ぎになかった。

 マリーナの始めた闇商売と言おうか。アルセウス自身、この様な汚い商売に手を染めたくはなかった。彼は、この国の経済を任されている家系、真面目に働き、人と語り合う、これが幼きアルセウスの望んでいた商売であり、将来だった。


 〝地上に滅多に上がれない吸血鬼の為、無償の血液を渡す〟


 そんな都合の良い話が在るわけがない。この国は、王の発言総てに重みがあり、絶対なのだから。そして、地上の人間は皆一様に吸血鬼が嫌いだからだ。


 そんな何処と知れぬ人からあれやこれやと理由を付けて血を貰い、それを吸血鬼に売る。これが、マリーナの見つけた、種族の別れたこの国での稼ぎ方だった。



 無論、吸血鬼が血を吸わねばならないと言うのは人間の想像であり思い込みだ。

 ロズウェルの言う通り、吸血鬼が必ずしも血を摂取しなければならないわけではない。吸血鬼も、普通に飲食をすれば生命維持に問題や支障等無い。血を摂取するのは吸血鬼特有の欲求とも言える。

 ただ、血を摂取しないとその身体能力や治癒力に影響が出たり、感染症に掛かったりする為、定期的に血を摂取するだけで、それは、人間で言う薬やワクチンの様なものだろう。


 血を吸う、これを除けば後は普通の人間と大差は無いのだ。

吸血鬼だからと言って夜を好むわけでもない、刺激物を好む者だって居よう。日中外を歩き回る吸血鬼も居る。然し、それらは【純血】ではないとも言われている。


 それに、身体能力が高いとて、一端のスポーツ選手を少し圧倒する程度で大したことはない。



「奥さん、間違ってんだぜ。俺ァ等の中には血を必要としない者もいる。血が嫌いな者もいる。血に拒絶を示すものだって居る。こんなクソ不味い何処の誰とも知れん血は誰も欲しがんねェ。

 要するになんと言いたいか言ってやろうか? こんなクソ不味いヤツは要らねェんだよ。お前は自分の息子に腐ったもん食わせられんのかァ? それと一緒だ」


 今回が初めての客である、ロズウェルに向かってマリーナは強く睨み付け歯軋りをした。今まで、有無を言わさない『人間』と言う立場から下級生物たる哀れな『吸血鬼』に『血をくれてやっていた』立場だった。どんな高額を示したって、買わない奴なんて居なかった。商売に置いてクロッカス家は絶大な力を及ぼすからだ。


 それなのに、今、マリーナの目の前に座るこの紫苑色の髪を持つ男は、はっきりと『要らない』と言った。即ち、『買わない』と。


「なァ、既に何人かに売ってんだろ? その力を誇示してよォ。見苦しいぜ、奥さん。アルセウスは、そんなこったァしねェからな。奥さんの独断だとしても、これでよく稼げると思ったよなァ? 奥さん、監獄塔に行きてェのか? 侯爵家が闇商売とは重罪だろしなァ、それこそ騎士団様が来ちまうぜ」


 ロズウェルは、そんなマリーナを見ながら続けた。それは脅しにも似た反論。声は段々と大きくなっていく。アルセウスに信頼を持っているのか、ロズウェルはマリーナのみをその左右違う色の双眸を歪めながら見詰める。


「少し静かにしないか、息子が起きてしまう」


 冷静に声を発したのはアルセウス。然し、時は既に遅かったとも言えよう。何せ、その愛しの息子はこの一部始終を見ていたのだから。


「息子だァ? アルセウス、気づいてねぇのか? 俺ァ、その餓鬼も見届け人だと思ってたぜ?」



 アルセウスの発言に対してニィッと口の端まで歪めたロズウェルは、アルセウスの後ろの木彫のドアを指す。

 ドアの向こうから、何かが震えぶつかったかのようにカタンっと音がした。




 アルセウスはドアをそっと小さく開けた。其処には、アルセウスと同じハニーブロンドの髪に、マリーナの様な濁った青緑の目を持った4歳位の男の子が居た。


 マリーナは、それを認識すると小さな声を上げ、ドアの方へ、今までの話を全て聞いていた子供の方へと体を向けた。


「ど、どうしたんだい。こんな真夜中に起き出して、ちゃんと寝ていなきゃ駄目じゃないか」


 膝を折り、視線を合わせると、窘めるように、宥めるように、アルセウスはその子供の頭に手を乗せ話し掛けた。


「ねてたよ。でもね、おきちゃったの。ねむたくないの。だから、パパとママのとこにいったんだけど、いなくて、それで」


 幼く舌足らずな口で一所懸命伝えようとする子供は見ていて可愛らしいが、今は真夜中、皆が寝静まる暗黒の時間なのだ。子供は起きていてはいけない時間。良い子は眠っている時間だ。


「何時から居たの。ダメでしょ、立ち聞きなんてしちゃ。ちゃんと寝てなきゃ、眠れなくても布団の中で目を閉じれば眠たくなるって教えたよね? 悪い子になったの」


 マリーナは急に猫撫で声になり、子供へと語りかけた。生憎、ロズウェルからは背中しか見えないため彼女がどんな表情で話しているのかは見えなかった。

 唯一、子供が怯え泣きそうな顔になったことだけ見えたので、とても、母親とは思えない表情をしていたのかも知れない。

 ごめんなさい、ごめんなさい、と子供が震えながらマリーナに言う。子供にアルセウスが優しく肩を抱き、大丈夫だと言うが、子供に対するマリーナの当たりは未だに強いまま。

 その光景を、ロズウェルはただ一人愉しげに見ていた。そして、口を開く。じっと、一方的に子供の目を見つめて。


「やぁ、少年、おじさんとお話ししないか? 少しは眠たくなるかもしれないぞ」


 すると、今まで泣いていた子供がふと泣き止む。そして、無邪気に頷いてロズウェルの元へ歩む。止める母の声も、息を詰まらせる父の様子もそっちのけで。


「だから、アタシは子供(ガキ)が嫌いなのよ。なんなの、生意気。アンタを生んでやったのはアタシじゃない!」


 ヒステリーを起こし喚くマリーナを宥める者は居ない。アルセウスは、マリーナを一瞥するだけでロズウェルの方、我が息子を見ていた。


「おにいさん、だれ? ママのしりあい? おきゃくさん?」


「お兄さんかァ。俺ァね、少年。少年のママじゃなくて、パパのお友達だよ」


 ロズウェルが子供の目を見つめ言葉を発する度、左右色違いの瞳は淡く光る。



 アルセウスの友を名乗る吸血鬼。


 リラルーク=ロズウェル。【純血】の吸血鬼、ロズウェル家の第二代目当主。人間と友好的でカフェ経営をする父母の元に生まれた一人息子。特徴的なヘテロクロミアの瞳と、母譲りの紫苑色の髪を持った中性的な顔立ちの男。性格は父親似。

 人間と友好的な吸血鬼の家庭で有りながら、リラルークが持つ能力は相手を軽い催眠状態にさせるもの。掛けられた相手は一生、光……色、希望を喪うと言う、およそ友好的とは思えない能力だった。


 能力の使用法は、ただじっと対象者を見つめ、言葉に意を込めるだけ。

 それは、今、ロズウェルが、クロッカス侯爵夫妻の子供にしていること。アルセウスは気付いたのだろう、ロズウェルの瞳の輝きから、察したのだろう。最早、我が子が我が子では無くなると理解し、小さく首を横に振った。マリーナはロズウェルの能力こそ知らないが何か嫌な悪寒でもしたのか、子供をロズウェルから離そうと試みる。


「パパのおともだちさんなの? じゃあ、わるいひとじゃないんだね! ……あれ? パパってだれだっけ? おばさんだれ? いや! さわらないで!」


 子供のきらきらと輝いていた目から不意に光が無くなった。そして、首を傾げると自分をロズウェルから離そうとする母親を見るなり、拒絶した。ロズウェルはただ一人、にやりと下卑た笑みを浮かべた。


「おばさん? アンタのお母様でしょうが。アタシはアンタを産んでやったママなのよ。おばさんじゃないわ。なんなの、なんなのもう。こんな餓鬼吸血鬼にでもなってくれたら捨てられるのに!」


 マリーナは自分がおばさん呼びされたことに腹を立てた。我が子から母親と認識されていないと言うその事に腹を立てた。

 子供を掴む手に力が入り、子供の細腕に血が滲む。子供は痛がり、その手から逃れようとロズウェルの服を掴む。母親とは思えない台詞を吐き捨てるマリーナに、親には向かないのだ、と、ロズウェルは呟いた。


「パパを忘れたのか、ルイス。ああ……ロズウェル。お前は残酷だ。昔から変わらない」


 諦めた顔でそっとそう呟くと、マリーナを子供から離した。子供の細腕はマリーナの長い爪が刺さり血が流れて痛々しかった。「ごめんな、ルイス」と、アルセウスが子供の頭を撫でると、その血塗れの両腕から目を逸らすように瞼を閉じた。


「俺ァ、昔から変わろうとは思ってねェ。ああ、一つ変わったな。俺ァ、親が嫌いになったんだ。見てしまったからなァ。親の目を」


 泣く子供の頭を優しく撫で、抱き締めながら、紫苑色の瞳に悲しみを浮かべる。透明に近い色の目に憎しみを浮かべる。

 アルセウスは分かっていた、分かってしまった。ロズウェルの能力を。使用法を。絶望を。言い知れぬ怒りをただ欲求の為の吸血行為で発散しながら、溜まっていく、そのループを。




 夜も更けようかとする、この国に。良い子はまだ寝ているこの時間に。

 ただ短時間で幸せな家庭から、軽い地獄絵図へと変わったクロッカス侯爵邸。


 机の上には誰のとも知れぬ出自不確かな血液の入った試験管を入れてあるケース。

 ソファーでは、ロズウェルが座り血塗れの両腕で泣くルイスと呼ばれた子供を抱いている。アルセウスがそれを悲しげに見ながら、マリーナを力尽くでルイスから離している。マリーナはヒステリックに叫びながら髪をぐしゃぐしゃに乱しルイスを睨んでいる。


 ロズウェル一人が吸血鬼。

 吸血鬼に依る一家殺害でも行おうとしたかのようなこの状況。いや、侯爵家子息を誘拐しようとしているようにも見えるこの状況。


 この家にはもう希望なんて無くなってしまったのだ。


 微かな光がカーテンの隙間から差し込む。ロズウェルはルイスから離れるとニヤニヤ笑いながら、帰る支度を始めた。


 四人も居ながら無言の室内。居心地が悪い事だろう。


 ロズウェルは、何事も無かったかのように鞄を用意し、燕尾のジャケットを羽織ると帰る準備が出来たのか最後に一言残して去っていった。


 其処からは早かった。マリーナが憑き物が落ちたかのように静かになると、テキパキと試験管類をゴミ箱に捨て、血の付いた手を洗い、服を着替え髪を梳くと、ルイスを抱えて家を出て行ってしまった。


 アルセウスは家出とは思えない妻の格好から、何故ルイスを連れて行ったのかを理解してしまい深い溜息を吐いた。


「全て、マリーナが居なければ……」


 口から出たその言葉にアルセウスは驚いた。まるで、自分ではないと言いたげに。


「あの女が居なければ……ルイスは帰ってきてくれる」


 マリーナが居なければ、本当にルイスは帰ってきてくれるのか? アルセウスは違うと言いたかった。


「あの品のない金目当てのハイエナさえ居なければ」


 違う、違う、違う。


「ロズウェルが……ルークが、そんな事するわけ無い」


 彼奴は変わったんだ、昔から、私たちとは違ったんだ。


 アルセウスの口からは次から次に、意思とは関係のない台詞が出て来る。頭を抱え、その場に座り込んだ。

 玄関の戸が開く音がした。マリーナが帰ってきたのだろう。姿を現したマリーナは血塗れでまるで紅いドレスを纏っているようだった。ただ、何処にも愛する息子、ルイスは居なかった。


 マリーナは疲れたのか、パタリと倒れた。


 それを、冷ややかな、其れで居て嗜虐的な眼差しで見つめるアルセウス。


 ああ『人間』は、何て恐ろしい。

 アルセウスは自由すら聞かなくなった体で、自分がする事を傍観しながら嘆いていた。




 ぼんやりする視界の中、ルイスは目を開けた。


 身体中が痛い、熱い、寒い。ああ、ぼくは死ぬんじゃないだろうか。


 誰かよく判らない人の大きな家で、知らない大人に囲まれて、女の人から痛いことされて、紫の髪色の男の人に頭を撫でられて、自分と同じ髪色の男の人が女の人から自分を離してくれた。

 そして、静かになったと思ったら、紫の髪色の男の人は荷物を纏めて帰って行った。彼はあの家の住人ではなかったのだろう。紫の髪色の男の人が帰って行ってから少し経つと、女の人が動き出して自分を連れ出した。

 早朝の風は冷たくて、シアビランの噴水の音を運んでくれた。

 人気のない街の路地裏に連れて行かれると何かで思いっ切り刺された。腕を、脚を、頬を、腹を、胸を。


 切り裂かれるような痛みに気が飛びそうになるけど、そんな間すら与えてもらえずに、またグサリと刺される。


 痛くて痛くて、叫ぼうとしたら、口にタオルを噛まされて、息も出来なくなって、それで、それで……。


 痛い、痛い、痛い、痛い。痛いしか考えれない。痛いしかない。なんで、どうして、だれかたすけて、お願い。いいこにするから……。


 言いたくても言えなくて。


 もうこのまま死んだ方が楽なんじゃないかって思えてきて。



 眠たくなってきたなぁ……。



 重みに瞼を任せて…………おやすみなさいしよう。



 あぁっ……。マリーナ……。マリーナ……。


 すまない、マリーナ。


「全く、リバフ父上には困ったことだ。こんな女を跡継ぎ息子の嫁に貰うとは」


 クロッカス侯爵邸、客間。その部屋の一角に女が横たわり、辺りは血溜まりになっている。

 ブロンドとは言い難い明るすぎる金髪、青緑の濁ったような瞳を持つ眼球、朱い朱い絹のドレス、血溜まりに伏しているのはマリーナだった者。瞳孔はこれでもかと言うほどに開いていた。


「リバフ父上は何をお考えだったのだろうか、金目当てなのは見て取れたろうに」


 一度に全てを喪い、絶望に顔を染め涙を頬に伝わせるのはアルセウス。その顔は笑っていた。意と反する言葉の羅列は、喪失感と絶望したアルセウスを粉々に壊すには充分だった。


「ああ、ロズウェル。いや、ルーク。ルイスをどうか頼む。生きていてくれ、ルイス、私は陰ながら見守るよ」


 ロズウェルの名を呟きながら、息子が生きていることを望むアルセウス。例え忘れられても、例え吸血鬼になっていても、例え死霊になっていても、見守ると決意するアルセウス。跡継ぎなど要らない、妻など要らない、クロッカスの花を枯らし絶やしさえしなければ、アルセウスはそれで充分だった。


 家紋であるクロッカスをマリーナの横に添える。紫色のクロッカス。


「君を愛したのが原因なのなら……。ルイスが居なくなってしまう原因を作ってしまったのが君なのなら……。私は、これを後悔としよう」


 『愛の後悔』紫色のクロッカスに篭められた一つの思い。

 『青春の喜び』『切望』と、一般的に言われるのなら、出来ることならルイスが立派に成長して青春と呼べる甘酸っぱい人生が送れるように、切実に願った。


 それは、かつてロズウェルに能力を試行され色の判らない人生を送ってきたアルセウスのただ一つの我儘だった。アルセウスにとって、ルイスは光。絶望と言う闇を照らす一筋の光だった。まだ小さいけれど、アルセウスはその光が頼りだった。然し、それはロズウェルに依って消されてしまった。


 アルセウスがロズウェルを恨む事はなかった。アルセウスにとって唯一の友人だったからだ。『人間』と『吸血鬼』相容れぬ時代の中、出来た小さな友愛。家族よりも其方を選んでしまった自分が嫌いだと初めて思えた。


 アルセウスは涙で頬を濡らしながら、壊れたように笑い続けていた。


「すまない、マリーナ、ルイス……」





 その後、パパやママがどうなったかは知らないよ。ううん、知りたくないね。だって、ぼくを見捨てたもん。リラおじさんはね、パパは悪い人じゃないって言ってくれるんだけど……ぼくは、そうは思わないかな。だったら、どうして、ぼくは吸血鬼になってまで生き続けなきゃいけないんだろう。ぼくは、もう疲れたのに。リラおじさん、ママについては一言も何も教えてくれない。あ、もしかしたら、ぼくにはママもパパも居ないのかもね。


 本当のママとパパが居なくても良い。


 ぼくには、厳しいけど優しいお母さんみたいなイリーナおばさんと、何考えてるかまるで判らないけど美味しいご飯作ってくれるウォンテッドお兄さんと、素敵な目の色してる背高のっぽのリラおじさんが居るから。

 ママとパパ、それからお兄ちゃんまで出来たみたいだね。お兄ちゃんとパパはあんまり仲良くないみたいだけど、反抗期かなぁ。

 とにかくね、ぼくは今すっごく幸せって言うのかな、毎日が楽しいよ。


 あ、おじさんの髪の色、きれいだね。ぼくと似てる。あれ? おじさん泣いてるの? 痛い? つらい? 苦しい? わかんない。ぼくには、何にもわかんないよ。

 ぼくの話って、泣くようなものかな?


 おじさん、変な人だね。でも、どうしてだろう。おじさんと話してると懐かしくて温かくて、涙が出て来るよ。あれあれ? おかしいよね。おじさんは人間で、ぼくは吸血鬼だから、関係無いはずなのにね。今日、たまたま噴水広場で出会っただけ、なのにね。

 あ、そうだ。ぼくね、此処の噴水の音聞くと落ち着けるんだ。此処を知ったのつい最近だけど、なんだか小さいときから聞いてるみたいに思っちゃうの。おかしいかな。



 もう行っちゃうの? 大人って、忙しいもんね。ねぇ、おじさん。また会えるかな? ぼく、暇だから、よく此処に来てるんだ。子供だと吸血鬼なんて分かり難いでしょ? イリーナおばさんも地下より地上に居た方が良いって言うし、ね、おじさん、また時間が合いたら此処でお話しよ。そしてね、こーひーが美味しい喫茶店に行こうよ。

 ぼく、おじさんが来るの待ってるね。うん、それじゃあ、行ってらっしゃい。



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