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悪堕ち詐欺に要注意

 衝撃の事実に気付いた俺の声は裏返っていた。焦りながらも俺をここにテレポートさせてきた女性にヘルプのサインを送ろうとしたが、肝心の女性がどこにもいない。

 あ、俺置いて行かれた。

 徐々に冷や汗がにじみ出てくるのを確かに感じた。ベッドで寝込んでいた女性……いや、魔王がゆっくりと起き上がりこちらを見た。

 やばい、最初の街で魔王と闘いになって強制敗北イベントみたいな展開になってる。

 魔王の手がスッとあがる。

 俺はここで死ぬのか。せっかく異世界転生したというのにこんなに呆気なく終わってしまうのか。

 だが、俺が予想していた最悪の展開にはならなかった。魔王の手がこちらに来いという手招きをしているではないか。思わず固唾を呑みこんだ。罠にでもかけようというのか。だがこの状況で逆らうことは死を意味すると俺は悟った。もはやどうにでもなれと半分ヤケになりながら恐る恐る魔王に近づいていくことにした。


「貴方がタクトさんね」


 俺は夢でも見ているのだろうか。若干熱のせいで赤くなっている魔王の顔だが、こちらに優しく笑いかけてきたではないか。

 俺の知っている魔王の在り方と全然違うんだけど。っていうか名前バレしてんじゃん。

 魔王は辛そうな咳をしながらベッドの横に置いてある小さなテーブルを指差した。


「悪いんだけどそこに置いてある書類を見てもらえるかしら」


 指を差された小さなテーブルの上には書類のような紙束が置かれてあった。魔王に言われた通り、手に取って紙に書かれている内容を見た。

 なんだこれは。すべて保険についての書類ではないか。死亡保険、火災保険、傷害保険、地震保険等々……いったいどういうことだ。


「貴方は今から私を倒すんでしょ? 私は今こんな状態だけど、それでもお互いが無事で済むわけがないわよね? だから貴方にもとても良心的な保険に入ってもらうの」


 仮にも魔王の口から保険という単語が出てくるとは思わなかった。俺の中の魔王のイメージが木端微塵に崩れ去っていく。というより俺に戦う意思などない。そもそも今日は街を適当にぶらついて帰宅する予定だったのだ。最低限の装備しか持ってきてないし、たとえフル装備だとしても勝てるわけがない。 

 魔王の方をチラリと見やる。俺の行動一つ一つを観察するように魔王の黄色い瞳がこちらをジッと見つめている。

 なんだろう、早く書類にサインしろと無言で迫られてる気がする。

 すでにヤケになり今更引くに引けない状態だった俺は考えるのをやめ、積まれてある書類の中身を一切確認せずにただ無心ですべての書類に自分の名前をサインした。

 何十枚にサインしたのだろうか。さすがに疲れた俺は、その場に倒れこみながら書類を魔王に手渡した。正直もう戦う気力なんてない。疲労感からか急に瞼が重くなり始めた。書類にはすべてサインした。つまり今俺が死んでも書類は通ってしまう。眠るな、眠ると死ぬぞ。だが人間という生き物は、いついかなる時も眠気には勝てない。俺は眠りに手を引かれるように目を閉じていく。最後に見た光景はクスっと笑いながら手をこちらに伸ばしてくる魔王の姿だった――。




 ――重い。

 最初に浮かんだのがその一言だった。ゆっくりと目を開く。まず視界に入ったのが赤いシーツのような布。背に感じる柔らかな感触はおそらくベッドだろう。どうやら俺は今横たわってベッドの天蓋を見上げているようだ。状況を把握しようと顔を横に向けると――




「うおあぁーっ!?」


 先ほど重いと感じた理由、それは――


「ん、んぅー……」


 魔王が俺を抱き枕のように抱え込んで手と足が絡み付いていた。

 俺は死んでいないのか? っていうか魔王と添い寝ってどういう状況なのこれ?

 魔王が起きないように慎重に絡み付いている手と足を退けようとするがビクともしない。さすがは魔王、力が凄い。

 って感心してる場合じゃなーい!

 このままじゃ金縛りにあったように体を動かすことができない。とりあえずなんとかして魔王と向き合うように体の向きを変えてしまおう。そうすれば魔王を押して脱出できるかもしれない。魔王に気付かれないように少しずつ体を回転させていく。

 よし、なんとかバレることなく魔王と向き合ったぞ……ってやばい、顔が近い。

 俺と魔王の顔の距離がわずか数十センチしかないことに気付いた。正直いまだに女性慣れしていない俺にとっては刺激が強すぎる。俺は最終手段、目を瞑って押す作戦を実行に移した。

 もうちょっと上、いや下か? こんだけ密着状態だと手の可動範囲も限られてくるな。とりあえず肩らへんを押してみるか。

 おおよその位置で両手を止め、ゆっくりと魔王の肩に手を伸ばす。

 

 ――むにゅ。


 ん? むにゅ? なんかめっちゃ柔らかいんだけど。魔王の肩ってこんなに柔らかいんだなー……いやちがーう!? こ、こ、こ、これは……胸だーッ!


「あっ……んっ……」


 いかん、何お約束展開をやってんだ俺は!

 豊満な胸の弾力に思わず理性が崩壊しそうになるが、相手は魔王だ。バレたら間違いなく殺される。しかし俺は今目を瞑っている状態だ。人間とは視界を遮られると色々な妄想をしやすく興奮状態になりやすい。このままでは本気でまずいと思った俺は急いで魔王の胸から手を離し、目を開いた。


「おはようタクトさん」

「あっ」

 

 黄色い瞳がこちらを見ている。

 終わった。俺の異世界人生は魔王の寝込みを襲った変態として終幕を迎えるのか。

 俺は頭が真っ白になり、魔王と向かい合ったまま身動き一つ取らずにその場で硬直した。そんな俺がよほど可笑しかったのか魔王はまたもクスッと笑って俺の顔を手で引き寄せ、胸へと押し付けた。


「むぐぅっ!?」


 苦しいという気持ちと気持ちいいという欲望が同時に渦巻く。俺にはこの魔王が何を考えているのかさっぱり理解できない。


「触りたければいつでも触らせてあげるわよ。だってタクトさんはもう――」


 俺は確かに聞いた。耳元で囁かれたその言葉を。俺は勇者なんかじゃないし、世界をどうこうしようといった願望もない。ただ、異世界に転生できたことを喜び、第二の人生を楽しく過ごそうという楽観的な生き方をしてきた。だが、それは今このときをもって終幕を迎えた。魔王が俺に囁いた言葉……それは――




「貴方はすでに悪に身を堕として私たちの物になったんだもの……」




 信じられないなら鏡を見てみるといいわ、と魔王が囁く。

 俺は急いでベッドから起き上がり、鏡に自分の姿を映した。あれだけ清楚感の漂っていた茶色の髪にところどころ黒い瘴気がメッシュを入れたように混ざっていた。顔の左半分には一本の黒い線が額から左目を通って顎の下まで繋がっている。自前の鎧も黒一色と化し、目の色も黒色から魔王と同じ黄色に変わっていた。

 なにこれ……めっちゃかっこい……いやいや待て待てそうじゃない。悪堕ちしただって? 俺が?

 これは夢なんじゃないか、と思った時は頬をつねるのが鉄則だ。実際に両手で頬をつねってみる。

 めっちゃ痛い。

 夢じゃない。ということは悪堕ちしたという事実も受け入れなければならない。

 いったいいつどこで? 俺には心当たりが――


「あっ、あった」


 魔王の部屋にテレポートされて対峙したあの時、何故か保険の書類にたくさんサインをさせられた。あれだけの書類をサインするのにいちいち中身など確認してられないと思い、内容も見ずにすべてにサインした。おそらく魔王はあの中に魔王との契約書を忍ばせておいたのだろう。つまり、それ以外の書類はその契約書を隠すためのダミーだったのだ。

 やられた……詐欺には引っかからないと思っていたのに……。

 すべてを納得し終えると俺は再び魔王に視線を移した。魔王はベッドから起き上がり、ニコニコしながらこちらを見ていた。赤いネグリジェに豊満な胸が一層映える。先ほど事故で……ホントに事故だからな! コホン……事故で胸を触ってしまったが、あれは間違いなく……ノーブラだった。

 俺はあの感触をいつまでも、決して忘れないだろう。

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