表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明日は嫁入り、今日は初夜  作者: 飯島鈴
第一部 それは夏が見せた陽炎か、命が見せた灯火か
9/97

八話 黄昏の平穏

 藍夏は。

 藍夏と海那は、最初の三日間をその屋敷だけで過ごした。

 外を見たい気持ちも、勿論ある。三日目には気を遣って静かにしてくれた海那は、藍夏よりもずっと外を見て、歩きたかっただろう。藍夏が外出を許してくれない代わりに屋敷の住人たちから外のことを聞いて、なんだかそわそわと落ち着きがなくなっていった。

 その住人たちのことを、藍夏は三日かけてじっくりと見た。

 住人だけではない。屋敷の中だけで分かることは全て見て、勉強するつもりで過ごした。

 元から、立場の問題もある。亜島には観光や挨拶に来たわけではなく、理由も分からず――あるいは教えてもらえず――狙っているという大派閥や亜族の一派から逃げるために来たのだ。

 それでも、気を張らずに観光できないことはない。というより、カノンをはじめとした屋敷の人々にも、それは勧められた。

 それに、藍夏にも一から十まで断る気はない。

 四日目の今日は外に出る予定でいた。海那にも伝えてある。こっちの考えを押し付けてごめん、とも謝っておいた。

 だが、三日も引きこもったお陰で、二つある『暫定』本部の内情は――勿論三日で可能な範囲だが――ほとんど見て取ることができた。

 まずは住人の種類。

 大黒柱というか王様にカノン。その横でひっそりと、……ではなく、身勝手に走りそうになる彼を引き止めて叱るのが、妻であるリリアン。

 そこから一歩下がったようなところに、奴隷たちが並ぶ。藍夏が思っていた『奴隷』とは全く違い、どちらかといえば孤児院の子供たちといった印象だ。彼ら彼女らは半数近くが呪い師だが、亜族も少なくない。頑張っても半人型としか呼べないような者もいたが、不思議と馴染んでいた。

 奴隷は数十。正確には五十二ということだったが、藍夏が自分の目で見ることができた数は半分ほどだ。

 驚くことに、奴隷たちの大半はカノンに懐いていた。どういう意味で懐いているのか、藍夏はある程度のところで考えるのをやめている。藍夏にも申し訳ない気持ちはあったが、ぬめっとした膜が全身を覆っている亜族の少年とカノンが『寝ている』ところなど想像したくはない。

 これだけでも五十四人の大所帯だが、そこに使用人として住み込みで働いている者たちが十数人加わる。彼らは皆呪い師だ。

 屋敷の歴史はそれなりにあるらしく、またここにカノンが住むようになった理由にも事情があるらしい。今ではいるのかいないのか、一般人からは存在しているのかさえ半信半疑といった程度に見られているという。街の中心地からも離れ、閑散としたところに屋敷はある。

 その屋敷はとても広く、七十人ほどの大所帯でも狭苦しさは一切ない。まぁ、海那の方は歓迎してくれた奴隷たちの部屋を渡って歩いてもみくちゃにされたそうだが。

 屋敷の中心には中庭がある。さながら洋風庭園の立派なもので、この成り立ちを奴隷たちは誇らしげに語ってくれた。

「最初にこの屋敷に来た奴隷が任された仕事は、奥様のお世話だったんですよ。でも奥様はああいう方ですし、昔はもっと尖っていたみたいなので、その奴隷には仕事が回ってこなくて」

 奴隷の一人がそう教えてくれた。

 金で買われ、屋敷に連れてこられる。そこで仕事を言い渡され、でも自分は不要で……。それはどんな気持ちなのだろう、と藍夏は考えてみたが、想像の一つもできなかった。どうあっても、本当の意味では理解などできない。

「最初の奴隷は、何か仕事が欲しくて、その頃はまだ荒れていた中庭の手入れをさせてもらえるように頼んだそうです。ご主人様は昔からああいう人で、すぐに許可して、時折様子を見に行ったとか。……まぁ間違いなく行きますよね。絶対お尻触りましたよね。胸大きければ揉みますよね、絶対。ていうか胸なくても触りますから。私たちじゃなきゃセクハラですよ、あんなの」

 後半はただの愚痴だ。それもノロケの類いだった。

 幸い、藍夏と海那は被害に遭っていない。最初こそ会う度に怖かったが、今なら分かる。カノンは相手を選んでやっているのだ。多分。

「それで、少しずつ綺麗にしていったんです。私たち奴隷の誇りなんですよ、ここは」

 強引に軌道修正された感は否めなかったが、藍夏も誇りとまで言われる庭園を見れば、納得してしまう。

 幻想的とさえ言っていいだろう。

 ところどころに白く大きな柱が立ち、小さな花を咲かせた蔦が巻き付いている。葉と花の天井、カーテンのようになっている場所もあった。

 中心近くにはささやかな噴水があって、周りに白い長椅子が置かれている。そこではリリアンが何をするでもなく座っていることが多かった。

 それに、この庭では綺麗な蝶なども見かける。中には藍夏と仲良くなった切っ掛けの幻蝶もいた。

 洗練されていると言っていいほどの草花が庭中を覆っているが、中にはプランターや植木鉢に植えられた『素人っぽい』ものもある。そこを通りかかると、時折嬉しそうに話しかけてくる奴隷がいた。自分が植えたのだと、自慢半分恥ずかしさ半分で語ってくれる。

「平和だな」

 それが、藍夏の結論だ。

 初日にもふと思ったことを覚えている。

 奴隷や従者、人間に亜族。立場が違いすぎるはずの者たちが集まっているのに、そこに不和はなく、皆が皆自由に、自分なりの幸福を謳歌している。

 それは最初からあったわけではないだろう。

 リリアンは身売り同然で嫁いできたのだと言っていた。旧姓でもある『アスキス』はしばらく前に没落した名家だったらしい。

 一人目の奴隷も、幸せとは呼べない生活から始まったはずだ。買われ、仕事を与えられたにもかかわらず、不要とされる。幸せだったとは思えない。

 それでも庭を整え、一代では成し遂げられなかったものの、今の幻想的な姿を作った。

 屋敷の縮図なのだろう、この庭園は。

「藍夏?」

 藍夏に割り振られた部屋からは中庭が見下ろせる。海那の部屋はそうでもないらしいが、ほとんど藍夏の部屋で過ごしているので大差ない。

「ごめん、少し考え事してた」

 庭から目を離し、藍夏は鞄を手に持つ。今日は四日目。ようやく外に出る日だ。

「考え事なんて歩きながらでもできるよ? ……いや、歩き始めたら他のことを考えたくなるのかな? まぁ、とにかくっ! 早く行くよ!」

 海那は待ちきれないとばかりに小走りで部屋を出ていってしまった。

 藍夏も笑い、後に続く。


 大きな門の前で待っている者がいた。

「早いな」

「先に来てた人がそれを言うかな」

 士英は無感情に言い、藍夏の答えにシェレが笑った。

 この二人は既に何度か出歩いている。士英はまだ道を覚えていないようでシェレに付き合ってもらっていたらしいが、そのシェレも士英を何度も誘っていた。

「シェレはまだ英語とか分からないんだよね。亜族の言葉はなんとなく分かるんだけど」

 藍夏は絶句しかけたが、かろうじて頷く。

「つまり、士英が通訳で、シェレちゃんが案内係?」

「そういうこと」

 初日の馬車でも少し違和感はあった。それは屋敷で過ごすうちに確信に変わり、今では当然のように捉えている。

 亜島には公用語という概念がない。

 あるいは、ほとんどの言語が公用語として扱われているとでも言うべきか。

 屋敷に住む者の大半は日本語で話していたが、英語やロシア語で話している者も見かけた。士英曰く、街の中はもっと混沌としているらしい。

「そういえばさ、変装とかしなくていいの?」

 なんだかワクワクしながら海那が言う。変装したいらしい。

「変に目立つのも良くないし、自然体でいい。リリアンさんに言えば大抵の服は作ってくれるだろうが、今から頼みに行くか?」

 今から頼んでも間に合わないだろう、とは、藍夏も思わない。カノンの妻であり、派閥の構成員でもあるリリアンの呪いは生成系の布。呪いの腕によっては複雑な作りの服を恒久生成さえできる。……勿論、直接戦闘向きではない。

「ううん、お世話になってるだけだしね」

 海那が首を振ると、士英は頷きを返して背を向けた。門に手をかける。

「今日は馬車はない。手配が面倒だからな」

 それだけ言い、士英は歩き出す。すぐにシェレが続き、海那が藍夏の方を見た。

「お先にどうぞ」

 海那の後に出た藍夏が、門を閉める。大きさの割に軽い。

 久しぶりに屋敷から出て見えたのは、林だった。屋敷の表門から出てすぐのところは林になっている。切り開くという話もあったそうだが、カノンがそのままにしておけと言ったらしい。まぁ、目隠しにはちょうどいいだろう。

 その林の脇を通るようになだらかな坂を下っていくと、街が見えてくる。規模はかなりのものだが、やはり目立って背の高い建物はない。

 この辺りまで来ると、周囲にも人影が増えてきた。

「何か気になるものがあったら遠慮なく言ってくれ」

 海那の足では小走りになってしまう速度で歩き続けてきた士英が一気にペースを落とす。ちらほらと商店らしきものも並び始めた。

「オススメの場所ってどこかある?」

 きょろきょろと辺りを見回しながら、海那が訊ねる。士英は少し悩んでから腕時計に目を落とした。一応電波時計だが、亜島においては時刻の自動修正などない。その上士英は面倒臭がって時差の調整もしていないので、針が指しているのは日本時間だ。そもそも亜島に外部と同様の時が流れているかは疑問だが。

「飯には早いか」

 独りごち、「どこかあったか?」とシェレに丸投げする。

「士英、奴隷商とご飯屋さんしか見てなかったからね」

 シェレはシェレで呆れるように言い捨て、それきり黙り込んだ。

 一分か、二分か。長くはないが短くもない程度に、沈黙は続いた。

 とうとう海那が我慢できなくなってもう一度口を開こうとしたところで、シェレが「うんっ」と元気な声を上げる。

「適当に何軒か雑貨屋さんを回ろうか。……ていうか、ここ、日用品以外だと普通のお店って少ないんだよね。何か欲しいものでもあれば分かりやすいけど」

 呪い師の島と言っても過言ではないのが、ここ亜島だ。呪いが発展している国の中では下から数えた方が早いほどに呪い師と一般人の関わりが薄い極東列島人からすると、良くも悪くも『珍妙』な店が多くなってしまう。

「お土産買っていく相手でもいればいいんだけど、ほら、藍夏って友達少ないし……」

 予想外の方向から唐突に向けられた鋭い言葉の針にチクリと胸を刺されながら、藍夏は自分が欲しいものを考えてみる。そうでもしなければ友達を作らない言い訳を考えてしまいそうだった。

「いやまぁ、別に欲しいとも思わないけど」

 呟いてから、首を振る。

「お土産といえば、エリスさんと伶衣に何か買ってった方がいいかな」

 亜島まで来たのは夏休みの間だけでも逃げることが理由だったが、藍夏にはそれだけとは思えない。というより、他に目的があって、その言い訳に逃亡を持ち出した可能性すらないとは言いきれないと思っている。

 どちらにせよ、藍夏は観光気分というのもどうかとは考えているが、だからといって今この時にも列島で戦っているかもしれない派閥の先輩に何もお礼をしないのはどうか、とも考えているのだった。

「先輩には何か珍しい食べ物だな。まぁ買うにしても最終日かその前日に、それも長持ちする物だが」

 エリスは料理番だ。どうして非戦闘員の中でも特に必要性がない料理担当を二番目に支部に入れたのかはまだ聞けていないが、どうやら料理は単なる仕事ではなく何よりの趣味であるらしいとは知っている。

 最終日までにオススメを聞いて回って何か決めておこう、と藍夏は頭の中にメモする。

「伶衣はまぁ、呪い道具か。戦闘に必要な物は揃ってるはずだから、服の手入れに使うような物でも買えば困りはしないと思うが……、喜ぶものは分からん」

 服の手入れ、という言葉が士英の口から出てきたことに藍夏が驚いていると、シェレがくすくす笑った。それに気付いた士英が、振り返って藍夏の怪訝な目を見つける。

「……あいつのコート、相当ボロいだろ? あれ、派閥に入った時からフランさんに貰ってんだよ。それでずっと使ってる。今のは三年か四年前に貰ったもので、まぁ、俺が知ってるのはそのくらいだからな」

 それから「もっと困らない物ならヌイクイの餌な」と付け加える士英。言い終えてから歩くペースが少し上がった。

「もしかして、恥ずかしがり屋さん?」

 海那の言葉にシェレが笑いを堪え、士英は明らかに不機嫌な歩調で歩き続けた。


 よく分からない声が二重唱となって響く。

 一人は紙幣を持って怒鳴るように声を投げつけ、もう一人が手をぞんざいに振りながら応戦していた。

 怒鳴っているのは士英だ。番狼との戦いの後で咲川と話しているところを見ていた藍夏にはそれがただの演技だと分かるが、それでも鬼気迫るというか、正直言ってあまり近寄りたくない。それも色んな意味で。

「頑張れっ!」

「士英、負けたら自腹だからね~」

 海那とシェレはそれぞれ応援し発破をかけている。

 こんな状況に陥った理由は、あまりに単純だ。

 三軒目の雑貨屋で藍夏と海那がともに二、三個ずつ好みの小物を見つけ、買おうとした。しかしこの店は円を扱っておらず、ドルなりユーロなり他の通貨で払う必要があったのだ。

 それ自体に難癖を付けるほど、士英も非常識ではない。

 ただ店主――かなり気が強そうな中年の女だ――の言っている為替レートを信じはせず、シェレを街にいくつかある掲示板に走らせた。すると、店主の提示したレートと掲示板のレートにかなりの開きがあることが分かったのだ。

『軍に通報すんぞ、ババア』

『うちは開店時間の相場でやってんだよ』

『やっぱ軍の世話になりたいか』

『嫌なら帰りな』

 とは、シェレの翻訳である。まず信用できないが、何故か正しいように思えた。ちなみに軍とは亜島で最大の勢力を誇る準大陸級派閥で、消滅した王家に代わって自治のようなことをしている。

 そんなわけで士英と店主は五分以上も戦い続けているのだが、雇われらしい若い店員も他の客も、ほとんど気にしていない。どうやら日常茶飯事のようだ。

「時は金なりって言葉、知らないのかな」

 これ以上続くようなら多少高くてもさっさと買ってしまおう、と心に決めた藍夏の横で、シェレが言う。

「あれ、同時に値切ってるからね? 何銭かの違いならそんなに大きくないけど、普通に値切らないで買うと倍近く違うよ? あと、もうすぐ終わるから」

 士英曰く、数千円らしい。それが半分となると……、藍夏は黙って行末を見守ることにした。

 その直後、店主が大仰に叫んだ。両手を大きく広げ、何事か呟く。

 すぐには何も起きなかったが、何かが起きるのだと藍夏にも海那にも分かった。周囲で店員が慌てだしたのだ。

 しかし結局のところ、何も起きやしなかった。

 いや、正確には起きたのだが、それがあまりに静かで一瞬だったから、何かが起きたのだと理解できなかったのだ。

 店主の首元に六本の細い刃が突き付けられている。いつの間にか肥大化し、また巨大な鉤爪を持つ蜥蜴のようになっていた店主の右手にも数本の刃が絡み付いていた。腕からは鮮血が垂れている。

「どっちが先に呪いを使ったか、言ってみろ」

 日本語だった。

 士英の言葉に、店主は首を振る。腕が人間のものに戻り、刃の隙間から引き抜かれた。

「三五〇〇円だ」

 少し奇妙な発音だが、やはり日本語。それも、円。

「俺はもう少し負けられると思うがね」

 後ろからでも、藍夏には分かる。

 今の士英はとても嫌味な笑みを、とても楽しそうな笑みを浮かべ、そして勝ち誇ったように店主を見下ろしているのだろう。


「ていうか、あんな堂々と呪い使ってよかったの? 刃生成って、あんまり多くないでしょ?」

 四人は今、軽食屋の屋台の脇に置かれたパラソル付きのテーブル席でケバブのような肉料理を食べている。

 テーブルにはサンドイッチのような形のものから、串焼きや薄切りのもの、ハンバーガー風まで置かれていた。正式な名前を藍夏は知らないが、列島でも時折見かける料理だ。

「別に、あのくらいでバレるようならとっくにバレてる。船でバレて着いたところでバレて馬車に乗っている間に三回はバレてた」

 それだけ相手が亜島を監視しておらず、また亜島は隠れ蓑に適しているということだろう。木の葉を隠すなら森の中、ではないものの、この四人が気を抜いてケバブなど食べていられるのだから相当だ。

「そういえばさ、生成系っていうんだよね? 二人の呪いは」

 口の端をチリソースで汚した海那がくりくりと目を輝かせながら首を傾ける。

「なんで士英のは『鉄』じゃないの? 藍夏の呪いが『爆発』とか、『下火』とか、そういう感じになってるようなものだよね?」

 下火というのは少し違うのではないか、と藍夏は思ったが、そこにツッコミを入れるより先に言うことがある。

「よく気付いたね」

 普通、言われなければ気にしないだろう。それも自身の呪いが生成系ではなく、それどころかどの系統のものなのかも分かっていない状況なのに。

 ――いや、何も分かっていないからか。

 藍夏は微笑ましく思うと同時に一抹の寂しさを覚え、嬉しそうに笑う海那の口元からソースを拭い取った。

「私の『炎』とか、伶衣の『電気』、リリアンさんの『布』とか。生成系にはそういう幅の広い呪いもあるけど、反対に『刃』とか『服』とか、幅の狭いものもあるんだよ」

 やれることの種類は、勿論広義的な呪いの方が多い。ただし、それは汎用性と引き換えに器用貧乏になってしまう可能性も持っている。

 逆にやれることの少ない狭義的な呪いは、ある種の特化に似ていた。同じことを広義的な呪いでやろうとすれば、より高い技量を必要とする。

「どっちが強いとか、どっちが優れてるって話ではないけどね。私なんか、炎そのものは慣れてても、爆発とか苦手だし」

「あれは炎ってより化学物質だがな」

 二人の言葉に「そっかぁ」と納得したように頷いた海那は、それから、やっぱり楽しそうな笑顔で士英の方に目を向けた。

 正確には、士英の手元。そこにあるのは、大きめに切られた肉が五、六個連なっている串焼きだ。

「それ、美味しい?」

「美味いぞ。……まぁ、お前の食ってるやつよりは歯応えがあるから、好みかは知らんが」

 対して海那はカレーのナンのような小麦粉か何かで作られた生地で肉と野菜を挟み、チリソースをかけた物を食べている。ほろほろ、とまではいかないものの、肉は柔らかくジューシーだ。

「一口貰うっていうのは、まぁその、あれだから、なんのお肉か教えてくれない?」

 海那の声を聞きながら、肉を一つ頬張る士英。それを根気よく咀嚼し、飲み込む。

「番狼だ」

 さも当然だと言わんばかりの答え。

 そして、沈黙。

「いや、メニューに書いてあっただろ、番狼って」

 何かがおかしいと気付いた士英は一旦串焼きを紙コップの容器に置いて、すぐそこにある移動販売用の屋台を指差す。

「ええと、ごめん。どこから何を言えばいいのか……って、これは!? これはなにっ!?」

 あたふたしながら手に持っていたそれを置き、必死の形相で問いただす海那。

炎尾(えんび)だろ? ……あ、炎尾ってのは炎を使う狐な? 小型の亜族で……あぁ、そういうことか」

 士英は何度も頷く。

「お前ら、英語読めないのか。ちゃんと英語で書かれてた『ケルベロス』とかも、読めなかったわけか。それで亜族肉だと知ら――」

 言い終える前に、士英の手元で紙コップが燃えた。それだけではない。テーブルにあったケバブ風肉料理の全てが燃やされ灰になり、残ったのはシェレが死守したいくつかのみ。

「なんで、なんで――ッ」

 藍夏が堪えきれずに怒号を上げる。

「なんでそんなところに連れてきたァ!!」

 一瞬だけ屋台の店主がピクリと震えたが、テーブルの三人はそんなこと気にしていない。一人だけ視界の端で捉えていた士英は後で謝る時の言葉を考えながら、ため息をついた。

「亜島の名物料理を食いたいって言ったの、誰だよ」

 言うまでもなく、それは藍夏と海那だ。

 それからしばらく、というか屋敷に帰るまで二人は士英を無視し続けた。ついでに、夕食に出された肉料理にも戦々恐々していた二人だ。

 しかし、寝る間際になって「でも、美味しかったなぁ」と海那が呟いたことで、士英の無視される生活は半日で終わることとなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ