十六話 太陽が沈む時
今日の士英は少し違っていた。
何が違うかといえば、服装だ。いつもは良くも悪くもラフというか、誰がどう見ても頓着などしていないことが分かる服装だった。
それなのに、今日は違う。
気合が入っているとでもいうのだろうか。黒を基調にした装いは、不自然ではない程度に決まっていた。それでも普段の士英の『ラフ』を知っている者からすると、結構な衝撃を受ける。
「そんなに珍しいかよ」
士英は小さく毒づいた。
今、士英は支部ビルのいつもの部屋にいる。伶衣やエリスといったお馴染みの面々はおらず、代わりに藍夏と海那がいた。当然だがシェレもいる。
「いや、だって、ほら、うん」
海那が何か取り繕おうとしたが、見事に失敗した。
「まぁ、構わん。俺が服に気を遣わないのは事実だしな。リリアンさんを悪く言ったわけでもあるまい」
それも関係はないが、と士英は言い捨てる。
今士英が着ている服は、今朝になって亜島から届けられたものだ。士英たちが環状列島から帰ったその日に、支部の監視をしていたカノンの従者を通してリリアンに伝えられた用件。戦闘服を作ってほしい、という士英の願いが聞き入れられたのだ。
「でも、布生成だったよね? リリアンさんの呪いって。そんな服も作れるんだ。なんか硬そうだけど」
どうにか話題を逸らそうとしたのか、それとも気になっていたことは事実なのか、海那は少し慌てながら言った。
「呪いだけじゃ無理だが、布生成では作れない素材を別で用意しておけば、作れないことはない。俺の刃生成なら、刃の他に柄と鍔をあらかじめ用意しておくようなものだ。正直言って馬鹿げた手間だが、リリアンさんならできる」
士英の場合は刃生成の力で刀剣全体を作れないこともないから、そちらの方が効率的だろう。
「何はともあれ、これで動けるようになった」
満足げに言い、士英は石の椅子に座り込んだ。続いて、他の三人もそれぞれ座る。今日は士英の戦闘服をお披露目するために集まったわけではない。
「それじゃあ、始める」
今回集まった理由、それは――
「支部長や伶衣とも相談したが、標的はやはり、鉄の派閥」
フランが士英に、そして支部に出した命令。極東列島四大派閥の席を奪うための作戦、その初動を説明するために集まっていた。
「武の派閥は列島最大と言っていい。構成員の数は管理局に次ぎ、亜族や呪い師に対する戦力では鉄と並ぶ。その上、戦争好きだ。相手取るなら、鉄の方がまだ楽だろう」
士英が言葉を切り、自分で用意した紙束を手に取る。藍夏が続くと、海那とシェレもそれぞれ目を通した。
そこに書かれているのは、鉄の派閥に関する情報だ。ほとんどはデータベースに載っていることで、わざわざページを教え検索する手間を省く意味合いが強い。
ただし、いくつかはデータベースにも載っていないであろうことがあった。
「鉄の派閥は代表、染井の他に、四人の幹部が支えている。最古参の黒田が参謀、続いて外交役の札木、財布を握っているのは唯一の女で鶴ヶ峰、武闘派の役谷は俺たちがいない間にここを襲ってくれた奴だ」
藍夏はわざわざ聞くまでもないことだろうが、海那とシェレは違ったらしく、紙をぺらぺらと何度もめくっている。
そして鶴ヶ峰という女幹部の項目に、その情報はあった。
「……今日は関西にある支部の視察で、明日帰ってくる予定。なに? これ」
それを読み、シェレが声を上げた。他にもいくつか、それほど個人的ではないにせよ、わざわざ調べる必要があるのかと疑いたくなるような細かい用事まで書かれている。それも一週間先まで。
「あぁ、そいつを明日、できれば今日のうちに殺す」
士英は平然と言い放った。
誰も予想していなかったし、するはずもない。それどころか面と向かっても理解しきれず、十数秒も沈黙が流れた。
「支部長と先輩は、今隠れ家の様子を見に行っている。これはカノンさんがずっと前から用意していたらしいんだが、知らされたのは少し前だ。それで、残る伶衣は鶴ヶ峰を狙っている。殺せれば御の字だが、まぁ明日俺が出ることになるだろうな。情報元は昔からの付き合いがある男だ。信用していい」
その沈黙を説明不足のせいだと思った士英は説明を加えたが、藍夏たちはまだ声を発さない。
結局、沈黙が破られたのは再び十数秒が過ぎた時、海那の驚きの声によってだった。
「ちょっと待ってよ! 殺すって――、殺すって、どういうこと!?」
海那は声にならない声を上げてから、立ち上がって叫ぶ。
「……?」
士英は数瞬首を傾げ、「あぁ」と小さく声を漏らしてから笑う。
「まず、俺たちが鉄の派閥を狙っていると知らしめる。幹部が一人死んだところで機能できなくなる鉄の派閥ではないが、少なくとも衝撃は与えられるだろう。同時に他の派閥にも声明を出して、牽制する。武あたりは出張ってくるかもしれないが、他二つは静観を強めるはずだ」
今までも管理局と中立域は大事になる前に身を引いた、という実例を士英が挙げる前に、海那は「違う!」と再び叫んだ。
「殺すっていうのは、殺すってことなの!?」
「……? それ以外に、何かあるのか?」
そんな答えに、海那は力なく椅子に座り込む。足から力が抜けたようにも見えた。
「この人、何か悪いことしたの?」
先ほどまでの力強さは、もうない。
「何を悪いと言うかによる。まぁ俺たちを敵に回したのが悪かった、と言うのが妥当だろうが、お前が言ってるのはそういうことじゃないんだろ?」
海那は肯定も否定もしなかった。どうにか士英の目は見ているものの、そこに士英に対する感情は見つけられない。
「これは戦争だ。法律がない世界で、どちらが自分を守るかの戦争。俺たちは力でもって立場を示す。先に喧嘩を売ったのは相手だ。非道だと罵られる道理はない」
たとえ罵られようと、士英は、無論他の構成員たちも立ち止まりはしない。海那を除き、ここにいる全員が理解していることだ。その海那も、落ち着けば理解するだろう。
「強制する気はない。嫌なら来ない方がいい。今回の作戦、断ったところで代表たちも追い出したりはしないはずだ。……だが、先に乗ると言ってきたのはお前だぞ、藍夏」
士英は、藍夏を見下ろす。座高の差はそれほどではないし、テーブルを挟んでいるせいもあって高低差はそう感じられない。だというのに、それは見下ろすとしか表現できない視線だった。
「分かってる」
あの日、夏休みが明けて間もない日の学校で、藍夏は士英にメールを送った。
今回の一件で指示に従うから戦わせてくれ、と。
そんなことを言わずとも、派閥に属しているのだから戦うことになるとは思っていた。それでも士英がこの戦いの中核を担うのは確実だったし、シェレも含め言動から何かを知っているのかもしれないと思わせる節もある。
ともに戦えば大切な何かに触れられると、確信さえしていた。
「でも、海那は――」
言いかけ、すぐに言葉を切る藍夏。どうやら横にいる海那を意識しているようだ。
シェレが小さな笑みを浮かべ、士英に一瞥を向けた。
『怖いらしいね』
ほとんど見えない口の動きと視線で、そう言う。
「分からんでもない」
士英の呟きに、シェレは少し驚きを見せる。それから何事か言おうとしたが、ほとんど同時に藍夏が口を開いた。
「海那とは一緒にいたいけど、危険な目には遭わせたくない。……人殺しにも、関わらせたくない」
藍夏はそれきり黙り込んだ。海那も何か言おうとして、小さく首を振ってうつむく。
「この世界に安全なところなんぞあるまい」
士英はいつもと変わらぬ調子だ。
「それでも、ここは平和だぞ? 呪い師ならどこかしらの派閥で食わせてもらえる。突然襲われて死ぬようなことも少ない」
三人とも、亜島の東側がどうなっているかは聞いた。士英がそこの出身であることも。
「だが、呪い師である以上、安全なんてものはない。危険が嫌なら、逃げ回らずに戦え。戦って、力を付けて、勝てばいい。海那を逃げ回らせてどうする? 仮にお前が守る力を持っていたとして、お前が死ぬのと、海那が死ぬの、どちらが早い? 先にお前が死んで、その後はどうする?」
そこから先は、誰にでも分かることだ。
「力を示せ。俺は弱い。伶衣も弱い。支部に強い者はいないが、やることはやると示してきたつもりだ。だから守ってもらっている、なんて甘えは言わないが、お前たちが力を示すなら、俺は力を貸す」
ややあって、士英は小さく咳払いした。シェレに笑みを向けられたが、そっぽを向いて目を閉じる。表情は隠せても態度は隠せないらしい。
「ねぇ、士英」
海那が士英の目を見据える。
「その人殺したら、次はどうするの?」
「派閥としての立場を宣言する。鉄の派閥から席を奪うが、それ以外に手を出すつもりはない、と」
鉄の派閥だけでも、正面から戦えば負ける。奇襲しても派閥そのものを潰すことはできないだろう。
武や管理局が加勢すれば、結果など目に見えている。
「私は、……私は、何か役に立てる?」
懇願するような声だった。声は震えているが、涙の色はない。
「ある。一番重要な役目だ、なんて言ったら、嫌になるか?」
嘘ではない。士英が嫌になるほど、どうしようもない事実だ。
海那は強く頷いた。
そして、藍夏の手を取る。
「頑張るから」
それ以上、何も言わなかった。
「ねぇ、士英」
まだ日は高いが、部屋の中はある程度涼しい。今年は一番厳しい時期に快適な気温の地域へ行っていたためか、藍夏もあまり夏だと実感できずにいる。……まぁ、今はもう九月なのだが。
「ずっとそれ着てるけどさ、気に入ったの? それとも、やっぱり警戒中?」
この部屋には、今は二人しかいない。海那とシェレはどちらからともなく、二人で出ていった。ビルからは出ていないはずだが、どこにいるのかは二人も知らない。
「慣らしに決まってんだろ。今朝届いたばかりで、明日実戦だ。それも幹部襲撃。少しでも慣れておきたい」
藍夏が言ったのは、リリアンお手製の戦闘服のことだ。最初は着てみせただけなのかと思っていたが、着替える様子がないため気になっていたらしい。
「そんなに着づらい服なの? 戦闘用なのに?」
自分でも少ししつこいかと思ったが、藍夏も気になって仕方がない。それに、なんでもいいから会話していたい、という気持ちもあった。
「穴の位置は慣れるしかないからな」
「……穴?」
二人の会話はどんどん迷走というか、変な方向に細かくなっていく。
「刃を出す穴だ。正確には、呪力で自動修復してくれる箇所。……まさか、俺が適当なところから刃ぁ出してると思ってたのか? そんなことすれば服の意味がなくなるぞ」
心底呆れるような声音に藍夏もイラッとしたが、どうにか堪える。
「だったら肌からなんて出さなきゃいいじゃん」
あれだけの同時生成や制御ができるなら、身体から離して生成することも容易いだろう。藍夏にもできることだ。
「炎やら電気と違って、空気中からの呪力供給がほとんどないんでな。肌に触れさせておいた方が楽なんだよ」
呪力供給というのはそのままの意味だ。
藍夏の炎が可燃性や助燃性の空気よりも呪力を糧として燃えるように、生成系の呪いによる物質や現象は呪力を得ることで存在する。その呪力をどこから得るかだが、『現象』の場合は呪い師と空気中の両方から、『物質』の場合はほとんど呪い師からのみだ。
燃費だけでいえば現象の方が効率的だが、他の物体などへの影響力では物質の方が勝る。一長一短というわけだ。
「お前もどうだ? 時には身体から直接出してみるといい。新しい世界が見えるかもしれんぞ」
士英が茶化すように言った。
「そうだね、そうすれば多分あの世とか見えそうだけど、遠慮しとく」
いかに自分が作り出したものといえど、炎に巻かれれば焼け死ぬ。
「それで、実際」
藍夏はため息を押し殺し、改まった様子で口を開いた。
「明日の襲撃、成功しそうなの?」
鉄の派閥幹部、鶴ヶ峰。呪いは干渉系の空間操作。個人としては空間そのものを圧縮したり、打ち出したりすることに長けている。総合的な戦闘力では幹部の中でも武闘派と呼ばれる役谷に及ばないが、一対一だと藍夏にも勝つ隙はない。
「可能性は十分にある。一応、伶衣は断念したと報告があったが、呪いが不利なんだから無理をする必要もない」
空間そのものを圧縮するといっても、それは絶対的なものではない。より強い呪いや、元から桁外れに頑丈な物体があれば難しいだろう。
しかし、空間操作と生成系、特に炎や電気の相性は悪い。それらは空間そのものを押し潰されては、相当な力量差がない限り太刀打ちできないだろう。刃生成なら比較的対抗できる。
「ただまぁ、情報は正確だった。流石は管理局の人間だということで……」
士英の声が小さくなっていき、最後には「どうした?」と問うた。藍夏がきょとんとした顔で士英を見ていたのだ。
「情報は分かるけど、管理局って……?」
管理局。言うまでもなく極東列島四大派閥の一つであり、構成員の数では列島最大だ。今関わってはいけない派閥の筆頭でもある。
「いや、協力者の所属だが?」
言ってから、「あぁ」と納得するような声を上げる士英。
「なんだ、どうして管理局の奴がうちに協力してるのか分からないのか?」
そういうことかぁ、と士英は一人で勝手に納得して黙り込む。藍夏が視線だけで続きを促し、ようやくまた口を開いた。
「うちで金と立場を保証している。あいつ自身、そう管理局を気に入ってるわけじゃないらしい。あそこに所属してる理由は楽だからとか言ってたが、あまり褒められたことばかりをしてるわけでもあるまい。あっちを追い出されたらこっちに入れてやるって契約だ」
そして「お前、知らなかったのか?」と笑う士英。
「いや、知らないけど……」
「なんだ……、そうか」
知っていて当然、とでも言いたげな態度に腹が立ったが、藍夏は自制する。士英とはこういう男だ。
「ともあれ、情報が正しいなら、あとは全力を尽くすまで。失敗したら練り直そう」
なんとも気楽な声に聞こえるが、勿論、能天気というわけではない。
士英には襲撃を成功させる自信があるものの、予想外の事態が起きれば失敗する。そして予想外を予想して対策を立てることなどできない。考えても無駄なのだ。
「そうだ、明日の作戦が始まったら、お前ら二人はここに来い。伶衣が迎えに行くはずだが、確実じゃないからな。今日のうちに準備しておけ。長くなるぞ」
またも唐突な言葉。
「ここに来い? 長くなる? それって、つまり――」
「まさか戦争が始まっても呑気に二人暮らしを続けるつもりでもないだろ?」
士英は笑った。
幸い、今日は土曜日である。残りの時間を目一杯使えば、そう目立たずに長期外泊の準備ができるはずだ。
しかし、藍夏は思う。
「もっと早く言ってくれても、いいんじゃない?」
「……当然、自発的に来るもんだとばかり思っててな」
頬をかきながら吐き出された言葉に、藍夏はどっと疲れを抱いた。士英が士英なら、藍夏も藍夏だ。
諦めて、ついでに反省して、海那と一緒に帰ろう。
そう思った藍夏の元に、「泊まる部屋決めたよっ!」と元気な声が飛んでくる。疲れが数倍になり、藍夏は上げかけた腰を石の椅子に落とした。
「もう、いいや」
お陰で、硬くなった感情が少しずつ解れていくようだった。
×××
夜。
士英は、まだ石造りの調度品で溢れる部屋にいた。
今も二人だ。しかし、相手は違う。
「酒、久しぶりですね」
「士英は、あまり飲まないからね」
士英の言葉に、エリスは懐かしむような笑みを浮かべる。
「誰かさんが悪酔いするもので」
「嫌なの?」
「いいえ。付き合いますよ」
とても静かだった。今この瞬間に襲撃者が来てもおかしくはないというのに、あまりに落ち着いている。
「士英、死なない?」
エリスが問うた。やはり静かに落ち着いた声ではあったものの、その奥には熱く震えるものがある。
「えぇ、死にません」
士英は自信に満ちた声で返す。エリスも苦笑し、「どうして?」と笑った。
「……」
しばらく沈黙し、グラスに入った酒に目を落とす士英。急かすこともなく、エリスは口が開かれるのを待った。
「昔のこと、少し思い出してましてね」
小さく笑う。
「殺しても死なないような奴が、こっちの世界にはいるらしいです。俺は死にません。死なずに……」
ニヤリと笑い、士英は酒を呷った。エリスはその中身が限りなくジュースに近いものだと知っているから、違う意味の笑いを漏らす。
「じゃあ、いつか教えてもらえるんだ。士英の昔のこと」
エリスも酒を呷る。士英は「ほどほどにしてくださいね」と呆れ、空になったグラスを置く。
「全ての答えが出たら、ですよ」
それから沈黙が流れた。窓から時折風が吹き込むくらいで、それ以外はほとんど静寂と言ってもいい。
長い時間が過ぎた。二十分や三十分ではない。一時間か、二時間は無言が続いた。
「フランさんはああ言いましたけど、俺たちだけじゃ大陸級にはなれません。戦闘力だけではどこまで行っても準大陸級。大陸に通用する影響力がないといけませんから」
武力だけでは、どれだけ繁栄しても世間が認めることはない。
「どこまでやれば、代表方が出てきてくれると思います?」
士英の問いに、エリスは少しだけ唸った。
「……全てが明るみに出たら、だろうね。よしんば準大陸級になっても、まだやることが残っていたら、あの方たちは出てこないと思う」
ですよね、と士英は苦笑した。
「その時まで、刀、お願いします」
微妙な沈黙が流れる。先ほどまでの心地が良いものではなかった。
エリスは続きの言葉を待ち、士英にもそれは分かっていたから、ぎこちなく沈黙が破られる。
「先に謝っておきます。多分、結構怒ると思うんで」
吐き出された言葉に、「はぁ……」と呆れるようなため息。
「分かったよ。怒る準備しておくから、覚悟しておくように」
二人は、そのまま夜を明かした。
何をするでもなく、時折他愛のない話をして、その度に小さく笑いながら。
そして日が昇る頃になって、部屋を訪れる者がいた。伶衣だ。
鶴ヶ峰の監視をしていた伶衣の報告を聞いているうちに、玄六も現れる。こちらは寝ていたようで、最初の言葉は「まだ起きていたのか」だった。
この四人は、もう十年以上の付き合いになる。
エリスが小学校を卒業する年に士英が来て、彼はすぐに亜島と環状列島で過ごすことになったが、今度は入れ替わりで伶衣が来た。伶衣の方がほんの少しだけ後輩だが、士英は気にせず同期として扱っている。
エリスが高校に上がる頃には士英も列島に慣れていたから、同じ年に入学した。その三年はとても慌ただしいものだったが、呪い師としては静かに過ごしていた時期でもある。
それは、もう終わった。
今年の春、それが起きたのだ。
まだ藍夏とも出会っていなかった頃、海那の呪いが初めて表に出た。同じような時期に、シェレとフルートがカノンの屋敷に迎えられている。
十余年で静かな時は終わった。
人々の営みを照らしていた太陽が沈み、闇の中から異形たちが這い出してくる。
太陽の下で人間を装っていた異形たちが、化けの皮を現す時だ。