十五話 動乱の宴の始まり
フランに連れていかれた亜族の巣は、そう言われても亜族の世界だと信じることができなかった。
道同様、空はない。しかし、明るいのだ。
とはいっても、無論色鮮やかな世界ほどの明るさはない。赤い月が煌々と輝いている夜のようだ。お陰で、藍夏にもある程度見通すことができた。
そして、その見通した先に、山のような影がある。
見上げなければならない高さに、二つの光。そこから下に伸びていく影は細いが、あるところからは膨らんでいる。何より、その影には二つの巨大な歯車があった。歯車の穴からは赤い夜のような背景が覗く。
「天輪竜」
藍夏は、小さく呟いていた。
地獄の番狼よりも大きい。全亜族の中でも特に大きな体躯を誇る竜の中でも大きな部類に入るのではないだろうか。それなのに、あまりに静かだ。息遣いの一つも届かない。
「フランさんの、旦那さん?」
海那がおずおずと横を見やる。そこにはフランが立っていて、ただ真っ直ぐに天輪竜を見据えていた。
「頼めるか?」
フランは海那の問いに答えることなく、いつも通りの声で言う。
「そういう約束だ。……しかし、二人少ないな」
天輪竜が答える。とても流暢な人語だった。声は静かに落ち着いていて、老紳士のような印象を受ける。
「あやつはまだ帰らぬ。娘はあやつを待つと言ってな。二度手間になるが、頼む」
そう言って頭を下げるフランに、天輪竜は微笑みを返した。……ように、藍夏には思えた。表情などほとんど見えないのだが、それでも、なんとなく。
「あの若人も、まだまだ落ち着かぬか」
天輪竜は笑い、「了承した」と頷く。これは影の動きで明確に分かったことだ。
「二人とも、紹介しよう。あれが私の夫、ルークだ。普段は家から動かぬのだが、今日は強引に連れ出した。ルークの呪力と経験があれば数瞬で極東列島まで送り返せる。準備はいいか?」
数瞬、という言葉に、藍夏はしばし沈黙してしまった。
いかに空間が歪んでいるとはいえ、何も法則性がないわけではない。
だが、針の穴に糸を通すどころの話ではないだろう。針は数十も並んでいて、同時に動き続けている。その全ての穴が重なる瞬間を正確に予測して糸を通すようなものだ。人間には真似できない。
「えぇ、大丈夫です」
ようやく答えた藍夏に、フランはゆったりと頷いた。
緩慢とも呼べそうな速度で、天輪竜、ルークの翼が動き始める。
その羽ばたきが徐々に早くなっていく様に見入っていた藍夏は、気付くと、眩しいほどの光の中に立っていた。
「……あ、お帰り」
懐かしい声がした。
目に映るものも懐かしい。調度品はほとんど石で、その中では浮いている布の暖簾。
暖簾の前には、やはり懐かしい人物が立っている。
「お帰り」
伶衣と、エリス。派閥の先輩二人に、藍夏は「ただいま帰りました」と笑みを返した。海那も「帰りました」と続く。
「あっちはどうだった?」
早速、エリスが問うてきた。
「亜島は楽しかったですし、環状列島は勉強になりました」
「色んな店あったんですよっ! 色んな! あ、それで、お土産も買ってきて!」
藍夏が答え、海那が騒ぐ。
それからゴソゴソと大荷物を引っ掻き回し始めた海那は、しばらく経って「ごめん、そっちだった」と藍夏に言った。少しは恥ずかしそうだ。
「うん、知ってる。何してるんだろうって思いながら見てたよ」
ひどいっ、という海那の抗議は無視して、藍夏も旅行鞄を開ける。ぎっしりだ。
「……と、まずは伶衣に届け物」
左手に持っていた袋を床に置こうとして、それがフランに渡されたものだと思い出す。
「へぇ、なに? 届け物ってことは代表から?」
「そ、フランさんから。そろそろ誤魔化しもきかなくなっただろう、って」
答えながら、藍夏は袋を差し出す。
伶衣は袋を受け取り、すぐに中身を取り出した。赤いコートだ。
「……これは、有り難い」
袋を置いて、コートを合わせてみる伶衣。赤コートの上に赤コートを合わせている様は少し笑えたが、よく見比べると、藍夏にも分かる。今着ているものの方が少し小さい。
「それで、伶衣には呪い道具の整備道具一式。士英に聞いたら、コートの手入れに使うのが困らないだろって言われたから」
藍夏は鞄の奥から引っ張り出した小包を伶衣に渡す。
「おぉ、ありがと。亜島のでしょ? 向こうのは質がいいからねぇ」
開けながら言う伶衣に苦笑しながら、藍夏は次のものを引っ張り出す。今度のは大きい。どこから持ってきたのかすら疑問な海那の巨大旅行鞄の一角を占拠していたそれは、エリスへの土産だ。
「エリスさんの好みも分からなかったので、やっぱり士英に聞きました。珍しい食い物って言われたので、エリスさんにはこれです!」
呪いまで用いられた冷蔵パックから出てきたのは、いくつかの肉の塊。
「番狼と炎尾と、その黒いのは百目汚泥の肝かな? ベタなのからゲテモノまで、流石は亜島ってところだね」
海那が「おぉ!」っと驚きの声を上げる。
「選んだのは誰かな?」
エリスが笑いながら訊ねた。
「番狼が私で、炎狐が海那です。百目汚泥――なんですか? これ――は士英に勧められました、はい」
百目汚泥。ヘドロに似たどす黒い肉体に無数の眼球を埋め込んだような亜族を、極東列島ではそう呼ぶ。その目を見続ければ気が狂うとも言われ、発見されれば即座に有害指定されるほどだ。
「まぁ、士英らしいっていえば士英らしいね。
笑いエリスに「すみません。本当にすみません」と藍夏がただただ頭を下げる。
「いや、いいよ。百目なんて料理するの久しぶりだし。士英に食わせれば喜ぶんじゃ――」
「想像しちゃうからやめてください」
過去に料理したことがあるという事実。そしてさも当然かのように告げられた士英が喜ぶという事実。それだけで藍夏と海那はお腹いっぱいになった気がした。
「……で、支部長が見当たらないんですけど、今日はいないんですか?」
窓から見える外は暗い。時差を考えていなかった。
「玄六さんなら少し席外してるだけだよ。しばらく前にフランさんから連絡あって、それで待ってたから」
「そっか……。なら、支部長には後で渡せばいいかな」
伶衣の答えに藍夏が頷き、小さな唸り声を漏らしながら腕と背筋を伸ばす。久しぶりに帰ってきて、どっと疲れが溢れ出たような気がしていた。
「そういえば、士英は?」
ふと、エリスが声を上げた。
「あぁ、私も少し気になってたんですよ、それ」
「フランさんからは特に何もなかったけど、また何か企んでるの? それとも一人だけ逃亡生活延期?」
先輩にもこの言われよう。藍夏は少しだけ士英に同情し、今回だけは誤解だからと首を振った。
「いや、環状列島でも亜族と戦ってたんですけど、私たちが帰る頃になっても戻ってこなかったんですよ。まぁフランさんには夕方には帰るって言ったみたいなので、ええと――」
向こうの夕方はこちらの何時頃だろう、と無意識のうちに部屋の中を見回し、藍夏はそれを見つけた。
二人の顔が強張っている。エリスに至っては、なんとか声を出さないように踏みとどまっているような状態だった。
「え、っと……」
何かまずいことを言っただろうか、と自問し、すぐに気が付く。
「あいつ、また一人で……って、シェレもいないってことは二人? でも向こうじゃ――」
伶衣が言いかけ、口をつぐむ。
「今は向こうで呪いを使えない。多分、フランさんもそう判断するはず」
そうだよね、と言われ、藍夏は頷いた。
「シェレも連れず、一人でした。その……、やっぱり特徴は少しでも減らした方がって」
藍夏が言い終える前に、エリスは脱力したように小さく息を漏らした。
「あの、馬鹿……っ」
小さな小さな叫びが、エリスの口から吐き出された。
どれだけの時間が経ったのか、時計がないこの部屋では分からない。
エリスは落ち着かない様子で何度も腕時計に目を落としていたが、とても時刻を訊ねられる空気ではなかった。
士英なら、どうせ死にはしない。
藍夏にはそんな感覚があった。根拠が何もないことは承知しているが、今この状況になっても士英が死ぬとは毛ほども思えないというのが、正直なところだ。
だから、藍夏には少し不思議に思えた。
どうして、二人はこんなに不安に駆られているのか。
これは海那も同じだろう。
根拠はないが、今回に限っていえば、士英は死にそうになる前に呪いを使うなり、逃げ出すなりすればいいだけの話だ。命を落とす可能性は低い。
突然の出来事で命を落とす可能性はあるだろうが、それなら夕方までに帰るなどと連絡することはできないだろう。士英が使える連絡手段は雫虫くらいのものだ。一秒や二秒で言葉を送ることはできない。
だから、士英には命に関わるほどの危険はないと藍夏は確信していた。
ただ、同時に。
士英と、伶衣と、エリス。この三人のことを、藍夏はほとんど知らなかった。ここ一ヶ月で士英のことを知る機会は多かったものの、三人の関係性というのはほとんど知らないのだ。
藍夏には、何も言えない。海那と二人で、静かに士英の帰りを待つことしかできなかった。
カチッ、と小さな音が鳴る。エリスの時計だろう。
ほとんど同時に「ウゥ」と犬か狼の唸り声が聞こえた。見れば、そこには伶衣の従者、影の子のヌイとクイがいる。
「来るって」
亜族の世界に潜っていたのだろう。そこで異変を察知し、主人に伝えたのだ。
そして、伶衣の言葉通り、部屋に二つの影が現れた。
「ただいま帰り――」
「遅いッ!」
いつもと変わらぬ士英の声を、怒号が遮った。エリスの本当に怒ったところを見るのは藍夏にとって初めてだ。
「ええと、エリス? その、士英は――」
シェレが何か言いかけたが、士英が手で制する。
「すみません、先輩」
士英は小さく頭を下げた。
「その傷は……?」
見れば、士英は傷だらけだ。服もあちこち破けたり穴が空いたりしている。色鮮やかな世界に戻ってきてもこれほど残っているということは、元はどれほどの傷を負っていたのか。藍夏は目を伏せた。
「屍の奴にやられました。羊頭に、大鎌。こっちじゃ見ない奴で、見誤りました」
トン、とエリスが士英の肩に手を乗せる。手は肩を強く掴み、瞳は瞳を睨んだ。
「それで、先輩」
士英は軽い声音とともに、肩を掴んだままの手に触れた。ほとんど抵抗しない手をどかし、もう片方の手を自身の腰に伸ばす。
「刀、フランさんに買ってもらったんですよ。……ただ、まだこっちじゃ使えなくて。できれば、持っていてくれません? 勿論、余裕があったらでいいんですけど。うちに置いとくのは色々と不便で」
右腰から赤黒い血色の刀を、左腰からコケむした岩のような刀を外し、器用に片手で持って差し出す。
「いつまで?」
「代表たちが乗り出すまで、です」
エリスはそれを両手で受け取り、胸に抱えた。
「こっちは大変だったんだよ? 襲撃されて。伶衣がどうにか抑えてくれて、ワンさんとリーイィさんに助けてもらって……」
「知っています。聞きました」
藍夏は目を逸らす。今エリスの表情を見るのは、何故か躊躇われた。
「仕返しはしますよ、勿論。もうすぐ、もうすぐ始まります」
士英は笑っていた。そちらを見ていない藍夏にも、声音で分かる。
ふと海那の不安げな表情が目に入り、手を伸ばした。海那はすぐに寄ってきて、その手を握る。強く握る。
「士英、あなたは――」
エリスの悲痛な声を、士英は遮った。
「命令です。武か鉄を潰せ、と。でなければ、今はまだない五つ目の席を作れ、と」
士英とシェレを除く全員が絶句した。エリスと伶衣は可能性の一つとして考えていたかもしれないが、それでも言葉を失っている。
「誰かいますよね?」
士英がどこへともなく声を投げる。
「聞こえていれば、リリアンさんに伝えてください。戦闘用の服をいくらかお願いできますか、と」
答えはなかった。だが、士英は満足したらしい。
「シェレ、一度家に帰るぞ。道を案内してくれ」
周りに何も説明せず、士英はシェレに目を向ける。シェレは無言で頷き、士英の手を握った。
「それでは、先輩」
士英が微笑む。
「刀、お願いします。結構気に入ったので、それ」
そして、士英はシェレに連れられ、部屋から消えた。
残された四人が沈黙していられたのは、ほんの数分だった。
士英が去って少し経った頃、部屋に玄六が現れたのだ。藍夏たちが土産を渡す暇などあるわけもなく、それは告げられる。
「あの方々より、命令が下った。……既に聞いているようだな? 対象は武の派閥、あるいは鉄の派閥。どちらかを大陸級の地位から引きずり下ろす。それができなければ、四大派閥に並ぶ力ありと示し、極東列島五つ目として大陸級派閥に連なること」
玄六は一旦言葉を切り、それから一層重苦しい声で言う。
「それ以上は望むな。あの方々の言葉を真に受けてはいけない。大陸級は支部の手に余るのだ。潰すことはおろか、正面から戦っては遠からず負ける。相手を消耗させ、力を削ぐだけでいい」
支部長、嘉喜玄六。
呪いは拡張系、模倣演算。自らが知る人物の思考を模倣し、演算的に思考する呪い。拡張系の中でも扱いにくい呪いではあるが、玄六の場合は恵まれていると言える。
カノンとフラン。二人の代表の思考は、とても難解ではあるものの、同時にとても単純に最適解を導き出せる。
「今回の件、士英が私の指示に従うとは限らない。あれが従うのは私ではなく、私の上にいるお二方だ。何かが起きている。それは覚悟しておくように」
それだけ言うと、玄六は再び部屋を出ていってしまった。支部長という椅子に座っている以上、そして上下から厄介者に挟まれている以上、あの初老の男に安寧はない。
「藍夏……」
海那が藍夏の袖を引っ張った。
「あのさ――」
「頑張ろうね」
その言葉を遮り、藍夏は言う。
「私はほら、まだ未熟だから。海那と一緒にいるためには、海那にも協力してもらわなくちゃいけない。お願いしても、いいかな?」
海那は諦めるように首を振り、「勿論」と頷いた。
「私は、まぁ士英に賛成かな。生半可に叩いたんじゃ、わらわら出てきて面倒になるだけだし。……ただ、潰そうだなんて思わないけど」
そう笑って、伶衣も玄六に続いて出ていった。
「エリスさんは……?」
刀を抱えたままのエリスは、しかしいつもの佇まいに戻っている。
「仕方ないでしょ、こういう派閥なんだから。士英は士英で昔からああだし。生意気だし向こう見ずだし馬鹿だしアホだし時々馬鹿にしてくるけど、ほら、私は先輩なんだからね」
ほとんど罵詈雑言の声を吐き捨て、小さく微笑んだ。
「ていうか、この刀、重すぎない?」
どうやら呆れているようで、藍夏もようやく安堵できた。
無論、全体的な状況からすれば、安堵などは無縁の騒乱が始まりそうなのだが。
帰ってからの数日、藍夏は一時間か二時間おきに端末を見ていた気がする。寝る前には入念に確認して、朝起きたら何より先に更新情報を漁った。
その他にも支部で玄六やエリスにも話を聞き、状況を頭に叩き込んでいく。
そうして集めた情報を総合していくと、その場にいなかった藍夏にも大体の事情は理解できた。
武の派閥と鉄の派閥は、ともに全体の方針として海那を狙っていたわけではない。あくまで幹部やそれに近い立場にいる者の一部が独断で行動していただけ。
しかし、その行動によって両派閥からは被害が出てしまった。特に鉄の派閥の被害は大きい。
幸いにも海那が戦闘に巻き込まれることは稀だったが、それは士英と伶衣が未然に防いでいたからだ。そしてその二人は、程度や姿勢の差こそあれ過激と言えるだろう。
夏休み前には士英と伶衣の詳細な情報も掴んでいなかっただろうし、独断で動いていたために動かせる兵力にも限りがあった。
それでも海那を狙った結果、無視しきれないほどの犠牲が出たのだ。
仮に先に手を出したのが自分たちだとしても、仲間の死に憤るのは仕方ない。それが無法の世界をともに生きてきた同じ派閥の者だとすれば、尚更。
その武と鉄が互いの状況を知らぬわけもない。両派閥は協議し、比較的人手の増える夏休み中に手を組むことに決めた。
それが、あの支部ビル襲撃である。
まず鉄の派閥の幹部一人を擁する先遣隊が宣戦布告とともに襲撃した。それで成功すれば御の字。成功せずとも、相手の手の内を探り消耗させればいい。その後、数日も置かずに本隊が襲撃するはずだった。
しかし、現実にはその襲撃は行われていない。
眼蛇虫の半亜と四腕鬼による迎撃。それは両派閥とも全く予想していなかったことらしく、その並外れた力もあって、襲撃は中止となったのだ。
元々その作戦のみでの協力体制だった武と鉄が今何を考えているのかまでは、藍夏には分からない。
次の動きに備えて協議しているのか、それとも元通り別々に動いているのか、はたまた責任の所在を巡って争っているのか。まぁ駆け引きはあるにせよ、仲違いして自滅してくれる、なんてことを望めないことくらいは藍夏にも分かる。
「こんなことしてて、いいのかな」
ぽつりと海那が呟いた。
藍夏は端末を制服の左ポケットに仕舞い、「ううん……」と声を漏らす。
周囲には二人と同じ制服の若者が大勢いた。高校だ。夏休みが終わり、二学期が始まっている。ほとんどの生徒は夏休み気分が抜けずに浮かれているが、藍夏と海那は沈んでいると言っていい。
「もう私たちのこともバレてるんだよね? やっぱり、支部にいた方が……」
緋田藍夏。生成系炎。高等種。無名の派閥所属。
水面海那。呪い不詳。下等種。無名の派閥所属。
それが管理局と中立域によるデータベースに載っている二人の概要だ。備考の欄には学生という情報も書かれていた。そうでなくとも、二人の在籍している学校など調べようと思えば簡単に調べられる。
「でも、私たちは学生なんだから」
そんなことで理由になるのだろうか、と藍夏は少し自嘲する。
「士英とエリスさんも、昔は高校通ってたらしいし。あの二人が制服着てるところなんて想像できないけど」
藍夏は笑ってみせた。
「そうなんだぁ。その時も士英が後輩だったのかな」
「いや、同じ学年だったみたい。学校でも先輩って呼んでくるから苦労した、ってエリスさん言ってたし」
「二人って、昔からああなのかな」
他愛ないことで笑って、気を紛らわせる。油断してはいけないが、気を張り詰めすぎると肝心な時に疲れてしまう。
「あの二人はなんかあるよねぇ。帰ってきた時も、少し変だったし」
藍夏は会話を続けた。不安がらせなくていい、と思えば思うだけ不安や心配は伝わってしまうのだろうが、それでも不安がらせたくはないと思ってしまう。
「士英は食べるの好きだもんね。エリスさんの料理美味しいし。……でも、エリスさんの方はどうなんだろ。なんか、どっちかっていうと――」
そこまで言って、はっと手で口を押さえる海那。
「え、なに、何かあったの?」
戸惑いながら、キョロキョロと周囲を見回す。何もない。もうほとんど誰も藍夏たちには気を留めず、各々の話に花を咲かせている。
「いや、その、なんていうのかな。二人って十年以上の付き合いなんだよね? やっぱり私たちには分からないお互いのことが分かるっていうか、阿吽の呼吸なのかなぁって」
海那の言葉に、「まぁ、それはあるよね」と頷く藍夏。単純な戦闘力では、藍夏の方がエリスより上だ。五分どころか、一分あれば勝敗を付けられる。
それでも、士英は藍夏よりエリスの方を信頼しているだろう。
これは伶衣も同じだ。伶衣に至っては何においても藍夏より優っている。生成系の中でも似通った性質の炎と電気。得意分野に違いはあるが、藍夏は伶衣に何か一つでも勝てる自信はない。
「まぁ、私たちは私たちにできることをやるしかないよ」
戦争は既に始まっている。
士英とて無闇に独断専行には走らないだろうが、どの程度連携できるかは分からない。玄六も言っていた。直属の上司である玄六にさえ、従うとは限らない。
ならば、士英は何に従って動くのか。
二人の代表。
それは力だ。力と、信頼と、他にもあるかもしれない。
そのうちの片方だけでも、エリスと伶衣は持っている。玄六も同様だろう。
独断に走らないとすれば、士英は三者と協調する。事情もあるから、海那の言い分も無視したりはしないはずだ。
藍夏は、自分はどうすればいいか考えた。結論は出ているのに。
右ポケットから携帯電話を取り出し、メールを打つ。
「藍夏も、行くんだね?」
海那が静かな声で問うてきた。
不安はある。心配してくれているし、心配させている。でも背中を押してくれるらしいと、藍夏には分かった。
「行くよ。戦う。士英たちを見習えば、少しは強くなれると思うから」
そうすれば、海那ともずっと一緒にいられるから。
言おうとしたが、やめた。
わざわざ言葉にしなくても、伝わっているだろうから。
言葉にしたら、色褪せてしまいそうだったから。