十一・五話 襲撃
「報告します!」
雷鳴が轟いた。断末魔の叫びを掻き消す雷鳴だ。
「東側、壊滅しました。負傷者は退避、ただいま南から増援を回しています」
そう報告するのは若い男だ。額から汗を流してはいるが、目に恐怖の色は浮かんでいない。若さの割には場数を踏んでいるのだろう。
「人員は戻せ。持ち場を離れるな」
対するのは壮年の男。スーツを着ているが、佇まいや眼光を見れば分かる。堅気ではない。それどころか、色褪せた世界でも歴戦に数えられる。
「敵は生成系一人だ。薄く展開すれば数の利は活かせん」
ここは極東列島。血、亜、あるいは無名の派閥の支部近く。
その支部である低層ビルの南東に、男が陣取っていた。周囲には数人の男女が控えている。見えるかどうかは別として、皆、歯車の翼を持つ竜の紋章を鎧や盾、籠手に刻んでいた。
「たった一人に、などと言うのは、あまり品が良くないな」
男は独りごつ。
言うまでもなく、これは襲撃だ。それも鉄の派閥単独による襲撃ではない。
「北側、影の子が撤退したとの報告がありました」
鉄の派閥が陣取っているのは南東。構成員もおおよそ南と東に配されている。
では、北と西には何がいるのか。
「武の派閥、本領発揮か?」
男が笑う。
「攻勢に出ろ。防衛の呪いに注意、本部ビルを壊さないように再度徹底」
本部ビル、とは、支部ビルのことである。未だ列島では、カノンとフランが裏にいることまで知られてはいない。……というより、士英ら構成員と連邦の一部構成員が知っているに過ぎないのだ。
「赤衣、そろそろ終わりに――」
言いかけた、その時。男たちが眺める先で、砂埃が吹き上がった。
「何を派手にやって……」
一瞬、ギロリと眼光が走ったように見えた。
「観測班、今すぐ報告を」
怒号に近い声を上げると、周囲の呪い師たちも臨戦態勢を取る。何かがおかしい。
「……新手が現れたとのことです」
先ほどとは別の者が報告した。女だが、そう若くはない。
「西に一体、東に一体」
途切れ途切れに言う女の指先には蜂のようなものが止まっている。雫虫だ。そして、それは今も羽ばたいている。
「西の方は人型だそうです。四つ目の女。亜族か、半亜か。亜族だとすると候補が多いですが、半亜の場合、眼蛇虫かと」
眼蛇虫。半透明のミミズかヌタウナギのような姿をしていて、大きさは三十から四十センチほど。力の弱い人間や人型の亜族に寄生し、その肉体と栄養を共有することで生きる。
イーリィに寄生した亜族だ。
「東に現れたのは、恐らく四腕鬼。武装は太刀が二、大槍が一、大槌が一」
続けられる報告に、男は唇を噛んだ。想定外だった。近頃は姿を見せていなかった亡者の方が出てくるとは考えていたが、全く未知の新手が出てくるとは想像もしていなかったのだ。
「固有名は? 半亜が元呪い師ならば、呪い師だった頃の情報を」
男が叫ぶも、答えは返ってこない。
一分は過ぎた。その間にもビルの周囲で暴れ回る者がいる。四腕鬼。列島では数年に一度見るかどうかという鬼が、明らかに敵として現れた。この状況が偶然の巡り合わせだと思えるなら、それは脳が無意識に現実逃避を始めた証拠だろう。
「データベースにそれらしい情報はありません。元呪い師ではなく、また固有名を持たない者たちか、あるいは列島の者ではないかと」
女は言い、チラリと後ろを見た。砂埃の中に、時折鉄色と雷が光る。
「撤退する。武にも通達を。私は少し出る」
男が拳を強く握った。そこには鉄甲がはめられている。
「援護します。役谷さん」
脇に立っていた者たちからも数人が名乗りを上げ、役谷と呼ばれた男を筆頭に、ビルへと走り出す。
色褪せた月が、静かに夜の世界を照らしていた。
×××
「すみません。助かります」
赤いコートに身を包んだ女、伶衣が頭を下げる。
「構わないわよ。新しい子たちは可愛かったしね。ワンだって楽しんでたんだから」
一層慌ただしくなった戦場の中で、常識の範囲ギリギリまで露出した格好の女が笑う。頬骨の辺りで二つの目が蠢いていた。今はリーイィだ。
「あっちはワンに任せていいだろうから、あたしたちはこっちに専念する。流石に、数だけは多いし。所属は?」
「こっちは武の派閥が大半です。鉄もいますけど、戦闘に参加する気配はありませんでした」
襲撃は予想できていた。しかし、それは奇襲という形ではなく、堂々とした宣戦布告に始まった。
猶予を与える。その間に降伏し、構成員の身柄を差し出せ。
大体そんな文言で一方的な連絡があったが、支部に残っていた三人は当然のごとく無視。下手に包囲から抜けようとすれば危険なため、非戦闘員の玄六とエリスは立てこもり、伶衣が迎撃に出た。
敵は鉄の派閥と武の派閥の連合隊。数は五十を超えており、伶衣一人でどうにかできる数ではなかった。
玄六の雫虫でカノンに連絡を取り、増援を呼んだのが十分ほど前。亜族の道を通ればもっと早く到着できたはずなのに、増援が着いたのは五分前だ。
その間、伶衣は半分死んだような気持ちでビルの周囲を駆けずり回っていた。
「いやね、着いてはいたんだけど、本当にまずくなるまでは待とうかってワンと相談して。そうした方が強くなれるでしょう?」
伶衣の内心を読んだ上で、リーイィはそんなことを言ってのけた。
「このビル壊れたらカノンさんが別のとこ用意するって、分かってます?」
「まぁ、次のはもう用意してあるしねぇ」
無論、伶衣も無傷ではない。赤コートのお陰で目立ってはいないが、自分の流した血でも濡れている。息は切れているし、集中力も切れかかっていた。
「この状況、あいつなら、士英ならどうしたと思います?」
戦いながら、伶衣は問うた。
「んー。まぁ、結果は変わらないだろうね。一人じゃ無理。ただ従者の相性だと士英の方が上だし、あの子の性格は……ねぇ?」
リーイィの小悪魔的な微笑は、女の伶衣の心にもドキリと刺さるものがある。
「これで、真似事ですか」
呟き、伶衣はため息をついた。
「まだまだ精進しないといけませんね。士英なら、多分、次の襲撃をずっと遅らせられましたから」
「あの子が戦った後に積み上がった死体。あれは、うちの男より残酷だものね」
伶衣は力の抜けかかった足を強く踏み出し、弱気になりかけた頭を切り替える。
相手は逃げていく呪い師たちだが、離れたところで指示を出していた連中が尻尾を巻いて逃げるとは思えない。十中八九、部下たちが逃げる時間を稼ぐために出てくるはずだ。
気を引き締めなければいけない。
いくら心強い味方がいても、戦場で気を抜けば簡単に死ぬ。
「ヌイ、クイ、離れないで。出来る限り逃がさず、狩る」
×××
鉄の派閥と武の派閥、襲撃に参加した両者の構成員たちが撤退を終えたのは、色褪せてなお輝く太陽が昇りかけた頃だった。
死傷者は三十名を超え、特に鉄の派閥に多かったという。理由は、言うまでもない。
四腕鬼。
刀と槍と槌を持った鬼が、亡者の二つ名を与えられた呪い師のように、執拗な追撃を行ったのだ。
無名の派閥との関係性が明白であるため固有名こそ与えられなかったものの、その四腕鬼の存在は知れ渡った。同時に、眼蛇虫に寄生された女についても噂は流れている。
時間の問題だ、と言う者がいた。
今回の襲撃が失敗したことにより、両派閥はしばらく動けなくなる。
しかし、ある時を過ぎれば、残るは全面戦争の道のみ。
そしてそれは、時間の問題なのだ。
「ねぇ、どうなると思う? リリアン」
男は微笑を浮かべる。
「それはあなた様次第だと思いますけれど、違うのですか?」
女も微笑んだ。
「いや、ね、僕が言っているのは、彼らのことだよ。若者たちがどんな結末に至るのか。それは、僕にも想像することしかできない」
女は答えなかった。
男は、それでも満足だった。
「水面海那。彼女は勿論だとも。しかし、ね」
男が膝に乗せられた少女の頭を撫でる。
「他の少女たちのこと、気付いているのかね、士英君は。フルートと僕は戦禍の外にいる。なら、戦禍の中にいる二人の少女は、そして、少女の隣に立つ二人の若者は――」
少女が目を開け、眠そうに見上げる。
「果たして、どうするんだろうね」