十一話 裏側
対象は変わらず。
二人はそれぞれ何事もなく。
進行は悪くない。しかし、特段良くもない。
状況的には、現状を継続でいいだろう。
それは報告だったのか、指令だったのか、協議だったのか、はたまた別の何かなのか。
士英は自身が運んだカノンからシノへの伝言を噛み砕いてみる。
対象とは、海那のことだろう。変わらずというのは、未だ呪いが発動しておらず、兆候も見られないということだと推測できる。
では、二人とは誰か。
士英の知らないところにいる二人、という可能性も十分にあるが、それなら考えても意味はないのですぐに除外した。
カノンが気に留めるような二人。無関係の二人なのか、密接に関係している二人組なのか。
二人組だとすれば、カノンとフラン、カノンとリリアンなども挙げられる。だが、何事もなく、という言い振りからして、カノン自身は含まれていないだろう。
二人とは、誰か。
その対象、二人に続く、進行の良し悪しや現状の継続というのは、そのままの意味で問題ないはずだ。
対象は変わらず、二人には何事もないから、良くも悪くもなく、予定を変更するには至らない。
「分からん……」
候補が何もないわけではない。しかし、絞り込むには情報が足りなすぎる。
士英は呟き、首を振った。
「どうかした? ……あっちで何か悪いことでもしたの?」
シェレの声は少し怒っている。当然だ。あの亜族の世界で断りなく別行動を取ったのだから。
「いや、二人組って誰のことかな、と」
ほとんど無意識に言ってしまってから、藍夏たちの前で言うべきではなかったと我に返る。
士英たちは今、姿を見せない遣いに先導されてフランのもとに向かっていた。士英が最前列で声の主を追い、シェレ、海那、藍夏と続いている。
「二人組? ううんと、藍夏と海那? シェレと士英?」
シェレには最低限のことだけ伝えてある。連邦との協力体制にはシェレも驚いていたようだが、そう気にしている様子もない。シェレは、士英の従者という立場を貫いていた。必要以上のことを考えようとはしない。
「でも、意外とさ」
藍夏と海那、ということはあるまい、と士英は考えていた。『対象』と『二人』は別物で、二人の方に海那が入ってしまえば、対象の方が分からなくなる。
だが、しかし。
「藍夏と士英って考え方も、あるよね」
シェレの言葉は盲点だった。
「二人とも海那を守ってるよね。伶衣もエリスもカノンも守ってるけどさ、二人が一番近くで守ってる」
ただ、そのまま納得するわけではない。士英には、連邦が自身と藍夏を気にするとは思えなかった。
「さっきからなんの話?」
後ろから藍夏の声が飛んできた。自分の名前が出て無視もできなくなったのだろう。
「カノンさんから課題を出されてな、その答え探しだ」
嘘ではない。
実際、あれだけの言葉をシノという初老の研究員が欲していたわけではないはずだ。あれをシノに伝えるという名目で、士英に教えた。それが現実だろう。
期待に応えると言ってしまってもいる。
「よく分からないけど、何か裏があるなら――」
「あるなら?」
藍夏の些細な怒気を、士英が煽る。
『着いたぞ』
数瞬の膠着を破るように藍夏が口を開けたところで、士英の前から声が響いてきた。
眼前には屋敷がある。
といっても、カノンの住んでいたものほど大きくはない。敷地はさほど広くなく、庭もなかった。立派なアパートのようにも見える。
「宿、か」
士英は呟いた。
『ここは入り口だ。中に入れば分かる』
声は言い、屋敷の中に入っていくようだった。
士英が続き、三人も後を追う。
正面の扉から中に入って、内階段を上っていく。中はいくつもの部屋に分けられていて、それぞれに番号が振られていた。士英の予想が当たっていたらしい。
しばらく無言が続き、三階の奥から二番目の部屋の前で、士英が立ち止まった。
『高価な呪い道具を買えぬ者が使う通り道だ。ここは監視もされていない』
どうやらフラン個人が使っているものではないらしい。それどころか、恐らく、普段は全く使わないのだろう。監視する価値のある呪い師は使わないということだ。
四人が納得している間に、ドアノブが独りでに動いた。ガチャガチャと勝手に動き、戸が開けられる。部屋の中は見えなかった。
『入れ。繋がっている』
言われるがまま、士英が入る。シェレもすぐに続いた。
海那も楽しそうに入って、最後に藍夏の手を引っ張る。藍夏は覚悟も決められないまま引きずり込まれた。
戸の先は暗かった。
しかし、亜族の世界のように全くの闇というわけではない。
薄闇の中でカーテンが揺れる。カーテンの向こうには淡い光が揺らめいていた。蝋燭の灯りに似ている。
一歩踏み込むと、そこが存外に狭いことが分かった。四人で立っていても苦にならない面積はあるものの、カノンの屋敷のような壁が遠くにある感覚はない。
椅子があった。見える限りで四つ。小さな丸テーブルが少し離れたところにあり、その脇にも椅子が一つあった。
そこには、誰か座っている。
反射的に誰なのか確かめようと目を凝らし、藍夏は息を呑んだ。
誰かが座っている椅子の横に、背の高い影がある。二・五メートル、あるいは三メートル弱もあるだろうか。隣に座っているはずの誰かの顔は見えないのに、その影の顔はよく見えた。
羊の頭蓋骨。
首から下は背丈の割にとても細く、影に同化するような黒衣をまとっているように見える。
「……影の王?」
影の王。影食いと影縫い、彼ら影の子の群れを統べる亜族の中流に位置するものだ。子たちのように生き物から肉体を奪うことはせず、種としての姿を持っている。
羊頭の痩躯。童話に出てくる悪魔のような姿だ。
「彼が案内役を務めてくれた」
士英には頷きのみを返す。
少しずつ目が慣れてきた。
影の王の『服』の端まで見えるようになると、当然、その横に座る者の姿も見えてくる。
細い。だが影の王ほど不釣り合いな細さではない。座っているのでよく分からないが、立てば士英よりも少し高いほどの背丈だろうか。それでも士英よりは細く、スレンダーという言葉が似合いそうだ。
「命により、連れてきました」
命とは、何か。
藍夏は思ったが、その士英の言葉で理解できた。そこにいる細身の者は代表の一人、フランだ。
「ご苦労」
女の声。藍夏とてフランが女だとは知っていたが、少し驚いてしまった。
そこに座る女は、あまりに歪な印象を抱かせる。大柄な男、例えば士英の稽古の相手をしていたワンなどが殺気をみなぎらせれば、こんな気配をまとうのかもしれない。
この細身の女からそれほどの気配を感じることが、にわかには信じられなかった。
「水面海那。よく来た」
フランの声に、海那はおどおどと慌てる。
「緋田藍夏。そちらは久しいが、……まぁ覚えてはいまい」
藍夏も言葉は返せなかった。返せるはずもない。
「あぁ、そういえば、そうでしたね。あの頃の炎幻はどんな男だったんです?」
藍夏に会っているということは、無論、その親である夏か藍に会っているということだ。
士英が問うたが「ふむ」と声を漏らしただけで、フランは何も答えなかった。
「……それじゃあ、ここはどこですか? 宿に入る前はまだ日がありましたし、途中窓からも夕日は見えました。でも、ここは夜みたいですね。そうでなくとも、日が届いていないです」
やはりフランは答えず、「もう少し寄ってくれ」と誰かに言った。
士英に、というわけではないだろう。なら藍夏か。それも違うだろう。
海那は藍夏に疑問の眼差しを向けたが、藍夏にも答えは分からず、首を振るだけだった。
と、そうこうしている間に、フランに近付くものが現れる。
光だ。
カーテンの向こうにあった光がフランに近付いていく。
「カボチャ……?」
カーテンをすり抜けるように近付いてきたのは、楕円に近いオレンジ色。くり抜かれた目と口から光が漏れているランタンのようなカボチャ。勿論、今はハロウィンではない。
「まぁ亜族は幽霊や悪魔と似たようなものだからな。こんなのがいてもおかしくはない。……流石に呆れるが」
士英が呟く。
「阿呆。こんな亜族がいるものか。これは人工だ。死にかけた火虫に殻を与えてやったに過ぎん」
「良い趣味してますね。……いえ、嫌味ではなく」
フランは不機嫌そうに、しかし満足そうに鼻を鳴らす。藍夏にも二人の距離感が少し掴めた気がした。
「それで、どこです?」
「どこでもいいだろう」
すげない答え。
士英も諦めたようで、四つ並んだ椅子から一つを手繰り寄せた。そして士英が座る前にシェレが座り込む。
「膝の上、座ってもいいんだよ?」
士英は二つ目の椅子に座った。
藍夏が迷いながら続くと、海那もぎこちなく座る。
それから、沈黙が流れた。
士英は何も話す気などないらしく、腕を組み瞑目している。
その斜め横でシェレが楽しそうに足をブラブラと振っていた。何か喋り出してもおかしくはないが、全くの無言を貫いてもおかしくない。
海那はあちらを見て、こちらを見てと忙しなかった。とても自ら口を開ける状態ではない。
藍夏もそれぞれの表情を窺っている。ただ、カボチャランタン型火虫に照らされたフランの顔だけは横目でチラリと見ることしかできなかった。
彼女はほとんど無表情と言っていい。冷たい視線はどこも見ていないようだが、見据えられたらと考えるだけで背筋が冷たくなった。
それに、左目の下にある歯車の刺青が恐怖を煽る。士英の話では夫である天輪竜を表しているらしい。天輪竜とは鉄の派閥の紋章にもなっている竜で、歯車の翼を持つ。
この沈黙は、なに。
藍夏の心情はそれに尽きる。
カノンの屋敷では好意的に迎えてもらった。門を入ってすぐに明るい子供たちを見かけたし、屋敷の中でも比較的暖かかった。
だが、今はどうか。
犬猿の仲というのも頷けるものだ。どちらが良い悪いではなく、タイプが違いすぎる。
藍夏はため息をついた。ついてしまった。
「退屈か?」
フランが冷たい声を吐く。
「……。ええと、そのぅ……」
生まれてからこれほど答えに困ったことはあるだろうか、と自問する。両親が他界し、武の派閥からの誘いを断った時でさえ、もっときっぱりと答えていた。
「喉が乾きましたっ!」
助け舟、ではないだろう。出し抜けに海那が声を上げた。
「リンデ」
「かしこまりました」
フランの声に影の王が頷き、姿を消す。リンデという名らしい。
やや沈黙があって、再び影の王、リンデが現れた。手に持ったトレイにはティーカップがいくつか乗っている。
士英が立ち上がり、丸テーブルを近くに運んだ。リンデはその上にティーカップを置いていく。四つ。どれも中身は同じで、紅茶だろうか、湯気を上げている。
「無糖だが、構わんか?」
誰も否と言う者はいなかった。
「お茶も出してもらいましたし、そろそろ本題に入りませんか?」
紅茶を一口飲み、士英が言った。
「あぁ」
フランは頷き、目元と口元に微笑を浮かべる。
そして、海那を見やった。
「そこの娘、少し借りていいか?」
意味を問う時間などなかった。
いや、それどころか、返事をする暇さえなかった。
気付いた時には海那の背後に何者かが立っていて、声を上げる前に海那を連れて消え去ったのだ。フランとリンデもいなくなっている。
「……これは」
紅茶で潤っていたはずの喉がカラカラに乾いている。
「これは、どういう……?」
一拍あり、藍夏は愕然とした。
今のこの状況についてもそうだが、自分の反応にも驚き、呆れている。
どうして、悠長に訊ねてなどいるのか。訊ねた相手が、――士英が仕組んだことくらい明白なのに。
「良い傾向だとは思うがな」
その士英が小さく笑う。
「見境なく敵意を撒き散らして、それでどうなる? 誰彼構わず警戒するのはいいが、それは全てに対処できるならの話だ。お前はカノンさんやフランさんはおろか、俺やシェレさえ対処できない。警戒して、どうなる?」
あまりに平然としている。それが何よりの証拠だ。共謀していたか、知っていたか、そうでなくとも推測はしていたのだろう。
一も二もなく炎を浴びせていれば、可能性はあったかもしれない。
藍夏はそんなことを考えたが、すぐに内心で否定した。士英に悪意があったなら、藍夏の反射的な攻撃を『警戒』していたはずだ。それに『対処』できない士英ではない。
「どういうつもり?」
思わず紅茶に手を伸ばしていた。あるいは、敵が淹れたものかもしれないのに。
だが、毒の類いは入っていなかった。かなりの遅効性なら別だが、それなら既に手遅れだ。
藍夏は残っていた紅茶を飲み干す。熱さが、少しは頭を冷やしてくれた。
「お前に一から説明しても納得はしない。納得してほしいとも思わんが、意固地になられると困るんでな」
士英も紅茶を飲む。そこに緊張の色は見られない。
ともに戦闘向きの生成系呪い師。炎と刃、性質は違うが、どちらが有利ということもあるまい。ただ、近距離から同時に攻撃したら、勝つのは刃生成だ。炎では殺すのに時間がかかる。
遠距離、互いが互いの呪いを避けられる距離になると、有利なのは炎生成だろう。攻撃の届く範囲が広いから、その分だけ当てやすい。
無論、今は近距離だ。
その上、士英の力は刃生成だけではない。鬼の特異個体は肉体強化系の呪い師に匹敵する身体能力を持つ。流石に手練が全力で施した強化には及ばないが、藍夏の身体能力でついていける差ではない。
仮に遠距離であっても、不利だ。
「実力行使に出ない、か」
やろうと思えばやれている。殺すにせよ、ただ自由を奪うにせよ、藍夏には立場もないため、何かするつもりならいつでもできたはずだ。
藍夏はどうにか自分を納得させ、ため息をついた。
「口つけてないけど、いる?」
シェレがティーカップを示してみせた。
「いや、大丈夫」
首を振り、士英の目を見据える。士英はさほど気にする素振りも見せず、目を逸らした。
「ランタン、寄ってくれ」
フランとリンデに置いていかれたのか、あるいはここでの役割を任されていたのか、カボチャランタン火虫はまだ部屋を淡く照らしている。
士英に呼ばれ、ランタンは四つの椅子と丸テーブルに寄ってきた。虫というだけあって本来は羽で飛ぶのだが、姿がカボチャランタンになった今は浮遊しているようにしか見えない。
藍夏には、それが少し心地良かった。蛍光灯に照らされていては気分も落ち着かないし、虫に羽音を立てられても鬱陶しい。
「何をしようとしているのか、俺にも推測することしかできない」
言いながら、士英はカーテンの向こうを見ていた。手振りでランタンを寄せ、灯りの下でも見たようだが、あまり反応はない。藍夏からは外など見えなかった。
「ただ、殺したりするつもりなら、さっさとやってるだろう。今お前が俺を敵視していないのと同じだ。それに、あの人はカノンさんと違って、無闇に殺したりはしないからな。今は待つしかない」
無責任じゃないか、とは藍夏も思う。この事態を招いたのは士英だ。
では、翻って。
自分はどうだろうか、とも藍夏は考える。
結局のところ、ただ無知なだけの同輩だと思っていたから手を貸したに過ぎない。今でも手を貸したいと思っているし、助けられるなら助けたいとも思っている。
「でも、無理だ……」
堪えきれず、声が漏れる。
一口に高等種と言っても、その幅は広い。高等種になりたての呪い師と、大規模派閥の幹部とでは、同じ高等種でも力量に大きな開きがあるのが現実だ。
呪いの相性があるにしても、藍夏は士英より弱い。嫌だが、そう自認していた。
そして、その士英でも恐らくは力が足りない。
「気概だけでどうにかなるなら、この世界も簡単だ」
士英が内心を見透かすように笑った。しかし、それは自嘲だったのだろう。
「どっかの規格外でもなければ、徒党を組んで数で威張るしかない。事実、どこもそれで成り立っている。どうする? お前は」
何を問われたのか、藍夏には今一分からなかった。言葉だけを見れば、派閥に属し続けるかどうかを問うていたように思える。
だが、そうではないのだろう。
そうした一面もあったはずだが、他にもっと大切な意図がある気がした。
「保留する。まだ、そんなに強くない」
強くなりたいな、と祈るような思いがあった。
何があったわけでもない。義理も何もない。だというのに、どうして海那にこだわるのか。
藍夏は自問し続けた。
その海那がフランに連れられて戻ってきたのは、士英とシェレが寝て、起きた後のことだった。
「よく分かんないけどね、検査? してもらった」
翌日、なのだろうか。
今は空も明るく、時計が指している時間も朝なので、あれは昨夜だったのだろうと藍夏は結論付けている。
いつも通り元気な海那をはじめとした四人は、昨夜の部屋とは違う、明るく広い部屋に通されていた。建物は同じらしいが、宿の戸の件がある。確証はなかった。
「本当に大丈夫? 何かされなかった?」
「それ何度目? 藍夏、過保護」
海那に笑われ、藍夏も苦笑する。
昨夜連れていかれた先で、海那は検査を受けたらしい。ただ、検査とはいっても、病気の検査のように大仰なことはなく、連れていかれた部屋で一時間ほど雑談しただけだという。それだけで海那の呪いの状態を見抜く程度の設備と技術が揃っているわけだ。
「でもさ、士英?」
心配に心配を重ねる藍夏から逃げ出し、海那が口を尖らせる。
「知ってたなら、先に言っておいてほしかったんだけど」
さして怒っているようには見えないが、拗ねているようではある。椅子に深く座っていた士英はため息をつき、視線を逸らした。
「言って、素直に従ったか?」
「勿論」
「藍夏は?」
「……」
海那に視線を向けられ、藍夏は期待の視線で返す。
「私にだけでも教えてくれたらよかったじゃん」
藍夏はうつむいた。
「お前に言ったら一時間も経たずに藍夏に伝わる。意味ないだろ」
今度は海那がうつむいた。
「ともかく――」
「口は悪いけどね」
士英が言いかけたが、シェレが遮った。
しかし、それ以上は何も言わない。士英は怪訝な目を向けたが、諦めて続けた。
「戦う力も考える頭もないなら、ある奴に従っていた方がいい。俺も自慢するほどはないが、お前らよりはマシだ」
言ってから、シェレを睨む。シェレは笑っていた。
口は悪いけど。
士英が敢えて言わなかった言葉だ。
「だけどさ」
拗ねている。それは確かだが、ようやく、それよりも大きな感情に士英も気付いた。
「仲間だっていうなら、信用してほしいじゃん。信用してくれないと、こっちも――」
言葉はそこで切られたが、ほとんど意味のない自制だ。
士英は何度目かのため息をつき、うつむいたままの海那を見据える。
「味方でも、敵でもいい。戦いもせず、この短期間で、どうやって信用する?」
冷たい声だ。
「一ヶ月や二ヶ月馴れ合ったくらいなら、一戦交えた方がまだ相手のことが分かる。さっさと信用してほしいなら剣を持て。呪いがなくとも戦える。戦えないなら、待てばいい。待てば、自ずと答えも出る」
そして、言う。
「剣を作るか? 前に出るのが嫌なら、槍でもいい。腕力なんぞなくとも、戦える亜族はどこにでもいる」
とても冷たく、他意を感じさせない。
「それは……」
しばし沈黙し、海那も答える。
「まだ、ちょっと、無理……だと、思う」
士英は冷たく息を吐き、立ち上がった。
そのままシェレを連れて、部屋を出ていく。シェレさえも、一度も振り返らなかった。
「まぁ、流石に、あれはちょっと言い過ぎだと思うけどさぁ」
海那が呟く。
そこは朝いた部屋ではなく、もっと狭い、藍夏たちに割り振られた個室だった。
「でも、言いたいことは分かるよ」
広い部屋にいるのが辛くなって、海那はこの部屋まで来た。藍夏も付き添っていて、慰めるような言葉もかけていた。
「それに、自分のこともよく分かってないのに信用してって言うのも、おかしな気はするし」
肩に手を置き、頭を撫でて、海那の独白のような声を聞く藍夏。
疲れているのかもしれない、と思う。番狼戦のことも、有耶無耶にしたままだ。海那が狙われているということも、深く話してはいない。逃げているようなものだった。
慣れない土地で過ごしているのも大きいだろうし、一足飛びで亜島から環状列島まで来たのだから、体調も良いはずはない。
「何か、教えてもらえた?」
今はそっとしておくべきかもしれない、とも思ったが、今後回しにすれば、次もそうする。藍夏は続けた。
「呪いの検査だったんだよね?」
海那は疑問の表情を浮かべていたが、すぐに首を振った。
「まだ何も、だって。呪い師だっていうのは確実なんだけど、呪いはほとんど見えないって」
そう、と言いかけたところで、その言葉の意味を理解する。
「ほとんど……?」
藍夏が呟くと、海那が笑った。
「だって、そうじゃん。本当に何も分かってないなら、誰も狙わないよ。狙うんだから、何があるのかは知ってるってことなんだし。それなら……」
動転しそうになって、どうにか踏みとどまる。盲点、と言うには大きすぎる穴だ。藍夏は呪い師たちの情報網を知っていたから、初歩的なことを見逃していた。
「なら、海那の呪いが何か、フランさんは――」
違う、と内心で叫び、言い直す。
「武も鉄も管理局も、知ってるってこと……?」
自分が予想していなかった方向に転がっていっていることに、藍夏は今になって気付いた。
不安はあるが、現実味はなかった。
狙われていると言われても、実際に襲われたことはない。あるとすれば、派閥の支部を襲撃されたくらいだ。
何がいけなかったのか、なんて、問うまでもない。
何もいけないことなどなかった。悪いことなどしていない。
悪さの一つもしていない善人が、――無垢な少女でさえ、理不尽に殺される。
それが呪い師と亜族の色褪せた世界なのだと、藍夏は思い出した。