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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
至るべき世界
83/91

八十二話 魔晶と研究とその真相


 男は血塗れの外衣を引き摺って壁伝いに歩いている。

 零れ出る血液の量は尋常ではなく、血糊が壁に線を引いている。彼が生きていられるのは持ってあと数分といったところだろうか。


「全くやってくれやがる、あのクソ女。普通戯れで人の研究倉庫に毒撒くかよ」


 そんな状況だが、男はどこか余裕げに悪態を吐くと、目の前に転がっていた小瓶を拾い上げた。

 きゅぽ、とコルク栓を抜き、血の流れる口を大きく開けて一気に飲み下す。


「まぁ急ごしらえの保険(・・)は二つ用意してある……だがそれだけだ。余裕のある身体の使い方は出来ねぇ、こいつを使い潰すことを考慮すりゃ実質一つってとこか」


 苛立ちの感情をぶつけるように、空の小瓶が後ろへ投げ捨てられた。今更割れたガラス片が増えようとも、既に瓦礫まみれの景観に影響も何もありはしない。

 血混じりの唾をそこへ飛ばして、彼は再び立ち上がる。


 その表情には苛立ちと怒りと嫌悪と――負の感情がない交ぜになって、彼の顔に幾つもの皺を刻んでいた。くたびれた若草色の袖を大きく払い、付着していた己の血液を飛ばす。


 今、彼にそれ以外の感情は刻まれていはいない。

 かつて同じ学び舎で育った死体を踏み越えてなお、崩れ落ちた瓦礫と同じように彼の視界へ入らなかった。

 有象無象の死体は、彼にとって瓦礫と何ら変わりがない。


「次会ったら確実にぶっ殺して……いや、んなこと考えるのは後回しか」


 彼は割れた窓から身を乗り出し、遠くで圧倒的な存在感を放つ化物(・・)の姿をその目に捉えた。


「魔力を無理矢理纏めて、様々な粘土をこねくり合わせて形を整えたような不出来な怪物、か。は、ったく俺のお手伝いはゴミを造る為のもんじゃねぇんだぞ、気持ち悪いもん製造しやがって――」

「おや君が瀕死とは珍しいな」


 その背に、声が掛かった。

 この崩れた都市で生存し、尚且つ平然とこんな場所を歩行する人間など数えるほどしかいない。

 彼は眉尻をぴくりと上げ、背後を見た。


「……あ?」

「もしかして本当に死に体だったりするのかい? なぁ、なぁなぁどうなんだ君、もしそうなら私に死ぬ痛みを教えておくれよ。もう何百回と死と再生おっと複製を経験している大先輩の君に言っているんだけど」

「なんでテメェが……? っておいおい、テメェこそ肉片になって死ぬ寸前にしか見えねぇよイカレ女」


 イカレ女、と。

 そう呼ばれて何故か気を良くした彼女は挨拶とばかりに手を上げる。二の腕から先がないため、肩がほんの少し上がっただけだが。


「これが生憎私となる前に切り飛ばされてしまってね。いやはや面白い展開だとも思ったのだけど――これは私も死んでしまうかもしれないな。ハハ、ハハハハハ、そりゃあいい、死ねるモノなら」

「うるせぇんだよ、耳に障るから喋んな。一人劇場がしてぇなら俺がいないところでやってろ」

「つれないねぇ、いいじゃないか魔法使いのよしみだろう?」

「イカレた狂人と研究者の俺を同一視するな、虫唾が走る」

「おっと辛辣だね。なんだ、まだ余裕ありそうだねぇ、つまりストックはあるというわけかい。ざーんねんだなあ、私としたことが少し昂ってしまったじゃないか。けれど残りは少ない(・・・・・・)と見た。オンボロ物件に解毒薬使ってまで使い潰しているってことはそうなんだろう? そんなに強かったかい? 苦戦したかい? どんな相手だった? なあ教えておくれよ」


 長々強い台詞に男は鼻白み、面倒臭そうにその場の壁へ寄りかかる。

 みしりと壁が割れそうになるも、即座に亀裂が修復(・・)されたことにより壁が崩壊することはなかった。


「うるせぇな。殺すぞ……っと、テメェには逆効果だったな。で? 俺に接触しに来たのは単なる暇潰しじゃねぇんだろ」

「おお、おお、流石は同胞だ、このイカレ女の思考を先読みするとはやるじゃないか。では、ここは一つ頼めるかい? 最悪他を当たればいいのだが、君のが一番良い」


 愉快気な女に苛立ちを覚えつつも、男は「待て」とだけ返した。

 表情は苦々しげに歪められていたが、やがて諦めた目を女へ向ける。


「思考時間のために取って置いてたんだがな、だから黙れ、気が散る。あと少しで終わるんだよ」

 数秒。数十秒。数分経過。

 大人しく口を閉じていた女がそろそろ限界を迎えようかというタイミングで、

「終わった」


 男は小さな吐息と共に、その場へ腰を下ろした。


「くたばる寸前の肉体(・・)でいいならくれてやる」

「ああ、正直に言って助かったよ。君が近くにいてくれてよかった、おおそうだ、今度ご褒美に一発ヤら」

「うるせぇ早くしろ」

「そうかい? では、遠慮なく――」


 ずるり。

 女の身体から霧状の魔力が流れ出す。紫の霧がつうと地面を伝い、最後の台詞を発したきり動かなくなった男を呑み込んだ。

 霧に絡め取られた男の姿が粘土のように歪められて溶けていく。

 男の肉体を取り込んだ霧は、失われた部品を埋めるように女の身体へと纏わりついていった。


 まず左の眼窩を覆い、右腕を覆い、そうやって四肢を、全身を埋め尽くして、やがて五体満足の女が、霧の中から姿を現す。

 女は確かめるように右腕の二の腕より先の部分を動かし、拳を握り締め、指を一本ずつ動かし、頷く。

 まばたき数回。ぎょろりと眼球の黒目が一周する。


 女は満足げに口元を歪めて恍惚な笑みを浮かべた。


「やっぱり視覚は二つなければならないな。平面で見る世界は少し、頭痛が酷いものだねぇ」


 言って、慈しむように瞼を手で覆った。毒沼のような魔力は全て彼女の中へと戻り、そしてそこには男の肉体などどこにもない。

 男の肉体を魔力の霧で溶かし、女は自らの肉体へと取り込んだのだ。


「――相変わらず、気味の悪い」


 首元のマッサージと伸びを行って身体を解している女の背後、黒く硬質化した天井部分に穴が空くとそこから男が降りてきた。

 若草の外衣を新たに、色白の素肌と乱れた茶髪。不健康を極めたような男が床に着地し、女の姿を見ると汚物でも見るように眉をひそめる。連動するように鳴らされる舌打ちを、女は鼻で笑った。


「おやおやぁ、また解析に失敗したのかい。だから簡単だと言っているじゃないか、これは〝呪縛〟の延長であるのだと」

「結果を編み出すだけなら可能だがお前の仮定は理論にはできねぇんだよ、魔法そのものが不可解でな」

「なるほど良い誉め言葉だね。皮肉なことに、それだから私はこのまま(・・・・)ではあるのだが」


 女は破れた衣服を魔力で縫い直して局所を守るように巻き直すと、どこか不満げに頬を膨らませて男を見やる。


「私も君のように身体を複製できればよいのだけどね、如何せん君の〝錬金〟は私には真似られない。こうして破れた無機物まで元には戻せないのさ」

「お前の奇想天外魔法と俺の複製じゃ根本からして別物だ」


 ――で。

 錬金の魔法使いは後ろを振り向いて、遥か後ろへ声を掛けた。


「いつまで見てんだ? そろそろ入って来いよ」


 男の大声が背後に響き渡る。

 がたり、瓦礫の踏みしめる足音が二人へ届いた。呪縛の魔法使いがつられてその方向へ首を傾けた。


 意識を向ければ確かに反応が二つ。

 一つは小さく、もう一つは――。


「おっと気付かなかった。何しろ追っている気配とは違うものだったからつい、ね……ふむ? この魔力はまさか」

「そのまさかよ」


 暗がりから、一人の魔法使いが通路へ姿を現した。

 気付かれたと理解した瞬間にはずかずか歩いてくるその女は、紅蓮のローブと青の長髪を靡かせて――二人の眼前で立ち止まる。

 後ろ手には少女の手を引いていた。

 先ほどのもう一つの反応だ。薄桃色の髪が見え、おずおずといった様子で付いてくる少女の表情が浮かび上がってくる。


「ええ、入ってくるタイミングを見計らって損したわ……ギリアム、ディッドグリース。久し振りね」


 〝火炎〟の魔法使いは前と変わらぬ二人の様子を懐かしげに見つめて、再会の台詞を述べるのだった。





 ◇





「――そんなわけで、危そうな臭いを嗅ぎつけてわざわざ中央大陸からすっ飛んで来たんだけど」

「ん? ああ……それじゃあこの子が件の〝勇者〟なのかい? あっはは、見るのは初めてだけど、至って普通の女の子にしか見えないねぇ」


 魔法使い三人を内包する会談が、廃墟の通路を占領して行われていた。焼き飛ばされた撤去された瓦礫に錬金で合成された床にちょこんと座るリーゼが三人を遠巻きに見つめつつ、話を聞いている。

 ギリアムは疲弊した様子でサーリャとディッドグリースの会話を聞きながら、時折周囲へ視線を散らせていた。


 サーリャが話す内容は先の再会と邂逅で話した内容と相違はない。この大陸に訪れた理由、それからリーゼの不調など。語るには長すぎる魔物関連の話題もここではじっくり行える余裕もあったため、どのような旅を経てきたかも一通り掻い摘んで説明を終えたところだった。


 ディッドグリースもギリアムも興味深げに耳を傾け、真剣に聞き入っていた。

 根っからの研究者であるギリアムは当然として、勇者のあの話を聞かせればディッドグリースが喰いつくことも、サーリャには計算済ではあったのだが。


 サーリャは暑そうにローブを脱ぎ捨てて内着になると、ギリアムによって造り直された床へ置く。魔力を編み込んでいるローブは役に立つ代物ではあるが、熱気が篭って少々暑いのだ。特に火炎魔法を扱うサーリャには。


「そんなわけで私達もね、色々と理解不能だったりするのよ。最初は戦争に割り込むつもりでいたけれど……」

 窓の外の化物(・・)に目配せし、溜め息がちに言う。

「アレが出て、全ての生存者の反応が途絶しちゃってるわ。敵も味方も……多分、あれは」

「そいつに関しちゃ事は単純だ。この施設にある禁書庫いずれかの禁術、それを使った合成魔物(・・)みてぇなモンだろう」


 ギリアムはつまらそうに言う。

 結果の知れていた失敗作を破棄する時のような、どこか諦観した口ぶりがサーリャの頭に引っ掛かった。

「禁術ねぇ……」

 学校施設に貯蔵される禁書庫なら、可能性はあった。

 合成魔物――人と人とを何らかの儀式や材料へと使用してしまった、ということ。

 まるでその目で見てきたように述べるギリアムに、サーリャは聞き返す。


「まるでアンタが造りましたみたいに言うじゃない?」

「んなわけあるかよ。俺は知っているだけだ、合成された魔物(・・)とくりゃお前もピンと来るんじゃねぇのかよ」

「魔物……? まさか、クロードとか言わないわよね」

「ああそうそう、魔物研究のクロード・サンギデリラの仕業に決まってんだろ。あの失敗作はあの野郎の研究成果に他ならねぇ――ま、あいつにとっては失敗作ではないんだろうがな」


 大木の何倍も巨大なアレが〝研究成果〟と来た。

 何千ものヒトを化物へと変えたアレが、〝合成魔物〟と。


 ディッドグリースは「なるほど」と納得げに頷き、サーリャとリーゼはその言葉に苦い顔を浮かべる。


「人間らしく怒ってる表情見んのは久し振りだが。まぁ〝この戦争が可笑しい〟って気付いているんなら理解できるわな、お前も」

「理解って……何を理解しろって?」

「あの魔物が造られたのは決して戦争を終わらせるためでも、偶然禁書庫から持ち出したわけでも、魔法使いの最終兵器でもねぇってことだよ。ヲレスに一度引っ掛かけられてるお前なら……原因は分かんだろ?」

「……っ」


 サーリャはギリアムを睨み付け、ああと後頭部を引っ掻いた。数年前に手酷く痛めつけられた人物の名を挙げられ、済まし顔が出来るサーリャではなかった。

 ――どこまでも自らの研究へ没頭する彼の姿勢を例に挙げられたのなら、この騒ぎは、この戦争は、それしかなさそうだ。


 憤りに奥歯を噛み締めて、サーリャは額に手を当てた。


「戦争の場を整えたのは、自らの研究の一環ってこと?」

「っは。あの野郎が今現在(・・・)何をしたいかなんて俺にもさっぱりだが、戦争を引き起こしてこの魔法都市に攻め込ませたのが奴であることは、疑いようもない真実だぜ」

「――そう」

「何驚いた顔してんだよ。自分の研究なら同じ学び舎の人間だろうが仲間だろうが大切な人間だろうが研究材料にしちまう狂人の集まりだぜ? 戦争起こして都市を実験の箱庭にするくらい訳ねぇだろ」

「うんうん、私もクロードなら私もやりかねないと思うけど、流石に規模が違うねぇ」

「………………………………だから私はこんな都市に居たくなかったのよ」


 他人事のように話すギリアム然り、衝撃の真実を暴露されてなお平然としているディッドグリース然り。

 サーリャは余りの感性の違いに溜息が洩らす。


 その上で、隣で身体を震わせているリーゼの肩をそっと抱き寄せた。リーゼは凄絶な顔を二人に向けながら、しかし彼女が自分から口を開くことはない。

 勇者という機構(システム)の制約、勇者という皮を失ったからというのもあろう。

 それだけではなく、サーリャはリーゼに言い聞かせてもいたのだ。

 これから話す相手には何を言っても無駄だと理解させて――その上で、ここまで足を運んだ。


 以前のリーゼならば黙っていることなど不可能であったが、今の(・・)リーゼにはそう釘を刺している。そして彼女はそれに従った。

 とにかく今は我慢して貰うしかない。


「知ってて何もしなかったわけ?」

「最初から知ってたら叩き潰してるに決まってる。いやまさか、あんなモン生み出す為に手伝わされてただなんて誰も思わねぇだろうが?」

「……は? ちょっと待って、アンタ――あいつに加担を」

「勘違いすんな、俺が手を貸したのは人体魔晶化(クリスタライズ)計画の続きだけだ。敢えて失敗作を造るつもりは更々ねぇよ」

「……クリスタライズ計画って、それ頓挫したやつでしょ?」


 人体の魔晶化。才能が足りなかったがために成長限界を迎えた魔法使いを一流へ変えるべく発案された計画。言ってしまえば魔力保有量の外付け装置だ。

 魔素の塊である魔晶を肉体と結合させることで、魔物が持つ基準値まで人間の魔力量を引き上げる研究。だがそれは致命的な欠陥が見つかり破棄されたはずだった。

 サーリャが知る限りでは、そこで研究は終わっている。


「……じゃあ。あの子、は」


 脳裏に浮かぶ、先ほど邂逅したノアの姿が脳裏を過った。

 あの少女の胸部で輝いていた結晶、アレは――紛れもなく、魔晶である。それも魔物の魔力そのものを内包した、高純度の結晶。


「奴は単独でも研究を続けていたんだよ。んで俺がその研究に協力して完成したのが特殊強化結晶――リキャストクリスタルと名付けられた、半永久的に魔力を生成し続ける魔晶だ。だがこれも魔法使いとの相性が悪いもんでな、やはり魔力同士の拒絶反応が避けられない代物だった。拒絶反応は魔法使いが個々で持つ()()が魔晶を拒むことで発生する。ならば魔法に親しみのない者ならば魔力反応の結果は変化するのだろうか、とクロードは考えたわけだな。まさか戦争で送り込んできた敵兵士を実験体するつもりだとは思わなかったが」

「……そう」


 サーリャはふつふつと怒りが沸き上がるものの、呆れがちに嘆息するだけに留めた。


 話すギリアムに悪気や負い目など欠片もないのだ。これもこれでヲレスやクロードと同じ、人の道を外れている類の研究者であり、価値観を通常の人のそれで考えてはならない。


 しばらくその空気へ触れていなかった困惑は大きいが、今は慣れるしかなかった。

 サーリャが割り切れずに、どうして隣のリーゼが我慢できるというのか。


 昔の感覚を思い起こす。人としての感性を捨て去るような、彼らと接するときの――そう、常に合理的な思考を。自分を中心に捉えて世界を回すあの感覚を。

 ――。


「つまり、アンタはアレ(・・)以外は関与してるってことね。それなら、幾つか聞いておきたい事が残ってるんだけど」

「いや、さっきも言ったが俺は魔晶造った程度に過ぎねぇ。俺が知ってんのはここ数日独自に奴を探ってたからだぜ? そこんとこお前も(・・・)勘違いしてるみてぇだが」

 ギリアムは目を細めると、機嫌悪そうに続ける。

「最近の奴には俺も違和感を覚えていてな。裏で妙な事やってる雰囲気があったもんで、色々調べてたんだが」

「違和感――ねぇ。アンタさっきも含むような言い方してたけど……クロードがおかしいって?」

「あぁ、そうだ。アイツはおかしい。俺もクロードって人間に詳しいつもりはねぇが、ここ最近は特にな」


 こめかみを叩きながら、ギリアムはその違和感を一つ一つ挙げていく。


「クリスタライズ計画以降、奴は妄執に取り憑かれた顔で魔晶の研究に没頭するようになった。それまでは主に魔物自体の研究を行っていた彼が、途中で切り上げてまで、だ」

「ああ、それなら覚えているよ。確かにあの必死さは中々見ていて面白かったけれど、クロードらしくはなかった気がするねぇ」


 ディッドグリースもそれには賛成していた。


 生憎とサーリャはその場に居合わせている訳ではなかったが、確かに少し違和感はあった。

 魔物の研究が終わったのならばともかく、途中で終わらせてしまうとはどういった風の吹き回しか。失敗した研究にムキになるような性格ではないはずだ。


「それから、奴は度々都市から姿を消すようになった。他の魔法使いも加味して考えりゃ外出は珍しくもねぇが、奴はどちらかと言えば部屋に篭るタイプだったからな、外出する時もヲレスのように伝言を残ていくはず人間だった――が、それがない状態がしばらく続いたわけだ」

「……伝えないこと自体に問題はないけど。突然だったのなら、不自然ではあるわね」

「俺達に表立って協力を仰いだことも気になる。今までどの魔法使いも積極的に他者へ干渉する者などいなかったが、クロードは魔晶の件では積極的に報告と協力を募っていたからな、俺は興味本位で手を貸してやったが」

「それはむしろ手伝ったアンタに違和感があるんだけど」

「あ? 使えそうな研究なんだから手ぇ出すに決まってんだろ」


 ああ、奪ってしまう為の協力か。

 口にこそしなかったが、サーリャは率直にそう思った。


「極めつけには、奴は間接的に〝断層〟の魔法で俺を一度殺しやがった。この戦争中に――だぜ?」

「……え?」

「独自に調べてたって言ったろ? 禁書庫でクロードの目論見に気付いた辺りで殺られたんだよ、結晶が完成すればお前は用済み、とでも言わんばかりにな」


 忌々しげに、ローブの内側から書物を取り出した。

 それは血塗れの書物であったが、ギリアムが魔法で血を分解するとすぐに文字が読めるようになる。


「論文……?」


 文面に目を通したサーリャの顔が強張った。本を手に取り、ページを捲る。

「魔物の意志介在における、変異魔力の関係性……へぇ」

 題された論文の内容は、今までの旅で見つけていた魔力に関する物と全く同じ結論を示すものだったからだ。


「クロードはこの辺りから人造魔晶の構想を得ているんだろう。あの失敗作も、人間(・・)を儀式に使ってるってんなら根元はそこにあるはずだ」

「昔からこんな論文があったなんてね……禁書庫にってことは、未発表のまま葬られたんでしょうけど」

「だろうな。まあお前のような実践派にゃ一生触れる縁はない代物だ」

「ええ、そうね。これは物作りに没頭していて病気みたいな肌色してる人じゃないと見つけられないわね」

「おい今のはお前を馬鹿にしたわけじゃねぇぞ」

「ふむふむ、これは私も見たことがあるけど、確かに面白い内容ではあったね。私も病的な肉体をしているから禁書庫の本は一通り漁ったりしているのさ。解呪のためにね」

「あ、いいえ、そういうつもりじゃなかったのよ?」

「やっぱテメェ迂遠な悪口じゃねぇか」


 ギリアムは言い返し、「まぁいいさ」と適当に流す。


「お前バロックから聞いたんだろ? 学長が殺害されたってやつだ」

「ええ……彼は死んでいるとは思えないって言ってたけど」

「あれの下手人はクロードだ。さっき俺が検分してきた」

「……な!」

「あの手口は〝断層〟魔法以外にあり得ねぇぜ。俺が似た手口でぶっ殺されてるんだ、既存の魔法全てを会得する〝万能〟じゃ、規格外とは相性が悪かったんだろ」

「じゃあ……本当に、死んだのね」

「そんなにアレに思い入れがあったのか?」

「いえ、そういうわけじゃないけど」


 ただ、あれだけの魔法使いが、と思わなくはないのだ。

 相性が悪いのは当然としても、最初から学長も知っていたはずで。その上で敗北してしまったというなら、サーリャ程度の魔法使いなど――手も足も出ない。普遍的な魔法のトップクラスに何の意味もないのだ、そう突き付けられている気さえして。


「まぁな。呆気なさ過ぎるとは俺も思うが……それにしたって、いくらなんでも意味もなく殺せる相手じゃねぇわな」

「それはそう、ね」

「つまり、裏を返せば殺した意味があるわけだ。殺す理由……例えば〝万能〟はこの魔法都市にいないだけではなく、死亡していなければならなかったんじゃねぇのか?」


 ギリアムは人差し指を立て、そう言う。


 ――学長が殺された。

 死ぬことによって発生する、その意味。


「計画の邪魔になるから……」

「それもあるだろうが、殺せなかった際のデメリットとは釣り合わねぇ。奴は危険な賭けを打つ奴じゃない」


 ギリアムがそう言うと、ディッドグリースが「なら」と割り込んできた。


「彼はゲームの類を好んでいたけど、もしかすると盤上の戦力調整でもしているのではないのかな。ほら、力に差があり過ぎたら面白くはないだろう? ある程度双方に勝機がなければ、ゲームとしては成り立たない。私だって似たようなことくらいはやるさ」

「あぁ? お前と違って遊びを優先させる奴にも――いや、なるほどな? 観点としては間違っちゃいねぇかもしれない」

「どういうことよ? ゲームを楽しむためだけに殺すんだったら理由でもなんでも……まさか」

「気付いたな? ゲームってのは手段(・・)であって趣味でも娯楽でもねぇ。だが、調整をする必要がそこにはあったわけだ。そう考えれば話は変わる」


 そう言って、ギリアムは魔法を使って盤上と駒を造り上げ、床に設置した。

 瞬時に生み出された魔法都市に、周囲に点在する魔法使い、木々の間から攻め入ろうとする神聖教国軍。

 言うまでもなく戦争の縮図を表したものである。ギリアムは丁度、化物が現れた地点に魔法陣を刻んだ。


「この中で真面目に都市を護る気がある魔法使いってのは、学長である〝万能〟と都市開発を行う〝大地〟の二人くらいなもんだ。学長に呼ばれている〝跳躍〟はどこで何をしているのか分からねぇしな」

「今何人残ってるか判らないけど、基本的には都市なんて壊れたらそれでいいとか思ってそうだしね――アンタ含めて」

「その通り。そしてお前がそれを理解しているのならば、他の連中が知らない道理もない」


 白の外に配置された魔法使いの駒が、一つ崩れ落ちる。


「そして〝大地〟は最初に敵からの奇襲を受け、脱落している。こいつは戦争に於いては一番残しちゃならねぇ魔法使いだからな、恐らくは意図して最初に脱落させられたわけだ」


 消滅した駒の部分に神聖教国の面々がなだれ込むように都市へと侵入してくる。破壊されていく小さな都市と、侵入された学校で応戦する魔法使い達。

 必ず〝魔法使い〟は後手に回っていた。侵入者達を崩すのに数十倍の魔法使いが崩れていった。


「そして〝万能〟は最初から存在していない。戦争の前に死んでいる。だがこれがもし、そうではなかったら?」


 ギリアムは敵が襲ってくることは事前に知っていたが、情報を重要視していなかっただけだ。

 対策なども打たず、〝大地〟から連絡が飛ばされてきても行動することはない。クロードに加担してもしなくても、それは変わらなかった。ギリアムは自らの研究を続けるだけだ。


 だが――。

 破壊された都市の時間が巻き戻り、侵入者たちは都市の外へと戻される。未だ襲撃を受けていない状態へと。


「〝大地〟は頭こそ良くねぇが、誰よりも戦略級の魔法を得意とする魔法使いだ。言わずもがな〝万能〟も同じことができる。そしてこの二人が生きていた時点で――こうなるわけだ」


 侵略者の神聖教国軍は、時間が巻き戻された盤上の都市へ入ることもなく消し飛ばされた。そして遥かその後ろにある本隊が、都市へ到達することなく、魔法陣の遥か後方で全滅する。


「これで終了だな。俺達が戦うまでもなく、この二人だけで戦争が開始しない。死ぬのは敵側だけであり、俺達には一切の被害も損耗もなく、危険が及んだことに気付いた者など一人もいない――それじゃ駄目だったわけだ」

「こうなる必要があったのは……戦って死ぬ必要があったってことね」


 ギリアムは肯定して頷いた。

 ディッドグリースはその話を聞くと、得心の行った顔で盤上の魔法陣を指差す。


「あぁそれは儀式(・・)だね。私の呪縛は手順を踏まねばならないものばかりだけど、同じことが禁術にも言える。あれらは効果は絶大な分、制約が大きい。条件が厳しかったり、現代では発動さえできない魔法だったりする。恐らくあの魔物を生み出す為に必要な儀式が、戦争の中にあったのではないのかな。死体とかね」

「もっと突き詰めりゃ血や大気に残留した魔力なんかだろ。儀式を行うための条件が死者の血で、発動には途方もない魔力が必要――とすれば、あそこには沢山の魔法使いの死体と沢山の実験体の死体が積み重なっているわけだ」

「それは、〝万能〟や〝大地〟が生きていたら成立しなかった結果になる……」


 まともにやり合えば勝ち目がないなど、サーリャだって散々思ってきたものだ。

 魔法使い一人を相手に数は意味を為さない。

 それでも神聖教国が攻め込んできたのは。


「〝万能〟が死ぬ意味としてはまだ弱いわね……となると、ジジイは戦争の着火剤にされたってことなのかしらね。創設者の長にして最上位の魔法使いが死ねば、侵略者側が勝機を見出してもおかしくないもの」

「ああ、ああそれだ、そうかそうか! 戦争の着火剤だわ上手い言い回しもあったもんだな、流石は〝火炎〟の魔法使い」

「関係ないでしょ……けどそういう話になると、リキャストクリスタルって何に関係するわけ?」

「あぁ。そりゃアレだ。あの失敗作見りゃ分かんだろ?」


 クロードは途端に顔をしかめると、盤上の魔法陣へ侵略者の駒を大量に置いた。その駒が、赤く輝き出す。

 赤――それは魔物の力だ。そして出会ったノアの魔晶も、あの化物も、同じ色。


「奴は戦争の駒共に仕込みをしているわけよ。特に最初にぶち込んで来やがった連中なんてその最上級じゃねぇのか? 魔力とは違う技術力を持った神聖教国一番槍。魔法使いとは違って己の魔力を確立させていない彼らは俺が実験を成功させるには最適な素材だった」

 人差し指を一本立て、彼は忌々しげにこう言った。

「そして俺は成功させたわけだが、〝断層〟からすりゃ成功体は一回見られれば(・・・・・)それで良かったんだよ」

「それアンタじゃなくて?」

「だからこうして苛立ってんじゃねぇか。奴は〝断層〟を通じて俺の実験を覗き、成功という結果を目にした。俺は結果を抽出するが、奴は成功するまでの過程(・・)を抽出したんだよ」


 意味が半分ほど分からずに首を傾げれば、だからと語気を強めてギリアムは捕捉する。


「成功しなくてもいいってことだ。成功する過程(・・)さえ〝断層〟で覗けば、奴でもやり方(・・・)くらいは掴める。そのやり方さえ分かれば、失敗しようが成功しようが、構わねぇんだよ。奴は人間を一流にするために新型魔晶を生み出したわけじゃねぇ。奴は、魔物(・・)の研究者だ。魔晶に適合させる実験体は、だから人間(・・)でなくてもよかったんだよ」


 彼はそう結論付けて床に寝転ると「これで分かるのは理由と意味だけだが」そう続けた。


 紐解いてみれば、ただ魔法使いが研究のために暴走した結果だったわけだ。ヲレスが方々で人体実験を繰り返していたように、彼は大規模な研究を行っているというだけ。

 しかしそれは結果であって、真実ではない。


 何度もギリアムが言っていたクロードの異変――恐らくそれは、サーリャのしてきた旅とも繋がっている。間違いなく魔物(・・)が密接に関わっている。


「なんでクロードがそんなことをしたのか……その動機、よね」

「あぁ、百歩譲ってあれが魔物研究の集大成だとして、やる意味がねぇだろ。するってぇと、なぁ、おいおいまさか世界の破壊者にでもなるつもりか? 笑っちまうな、笑わせてくれやがるぜ」

「……あぁ、そうね。大体そんなところでしょうね」


 破壊者と言う表現を使った言葉がぴたりと当て嵌まってしまい、神妙な顔で言ったサーリャを気味悪そうに睨んできた。半ば冗談のつもりで言った言葉を、まさか本気に受け止められるなど思わなかったらしい。


「……あ?」

「クロードに異変感じたんでしょ、アンタは。じゃあもうそいつはクロード(・・・・)じゃないだけの話よ」


 どこかでクロードがおかしくなったというなら、そこが全ての始まりなのだろう。その時点できっと、クロードは魔物側に操られていた。


「――もう少し深い部分まで話す必要がありそうね。私の旅のこと、魔物のこと」


 全てを説明するには時間が必要だ。あまり猶予はないけれど、話さずにいられる問題ではない。しっかり対処するには本物の敵が何であるかを共有しておかねば、足元を掬われかねないのだから。


 サーリャはリーゼの頭を撫でて安心させつつ、二人に目配せをした。

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