七十六話 唯一人
「ちぇ、なーんだ出来ないんだ。ま、仕方ないか」
その魔法使いは心の底から残念そうに呟くと、何の警戒もなく絨毯に座り込む。ノアが吐いた大量の血液溜まりに自ら腰を落としたことについて何一つの反応さえも示さないまま片膝を立て、そこで寛ぐように腕を絡ませた。
「うちはあん時全部使い果たしたんだ。もう戦えねー」
魔法使いが放ってきた謎の提案。
――ギリアム・クロムウェルに使った毒を、もう一度私に使って欲しい――。そんな意味不明な発言に、ノアが返せる答えなど一つしかなかった。
要求には答えられない。そもそも今のノアや俺は瀕死の状態でやっと立っているだけの死にかけなのだから。
「それは知ってる。んじゃさっきの件はナシでいいよナシで。で、おねーさんに聞かせて欲しいんだけどさ。君ら何しに来たの?」
「……は? そんなもん一つしか……」
「うん、とりあえず勘違いしないで貰えると助かるんだけど、私達は別に軍じゃないんだよね。だから他の魔法使いは知らないけど、私は君達のことをよく知らない」
言って、彼女は懐から出した小瓶を投げて寄こしてくる。青い液体の入ったそれは、絨毯を転がってノアの前で静止した。
「飲みなよ。そこのお兄さんには全くの逆効果だけど、君なら体力くらい回復するよ」
「おまえさっきから何なんだ……? 毒かなんかじゃねーだろうな」
「そんなわけないでしょうよ。ねぇお兄さん、私に敵意がないってこと教えてあげてよ。ね?」
「悪いが俺も混乱はしている。お前にそのつもりがないことだけは分かっているが……」
俺が小瓶を拾い、親指と中指とで摘まんで人差し指で栓を抜く。
中からするのは薬品独特の匂い。内容物はさっぱりだが、魔力に類する何かが練り込まれている。
「ノア。これは毒に見えるか?」
「……いや。ただの薬品だろーな、毒とかじゃねーよ」
ノアは小瓶に鼻を近づけて嗅ぐと、眉をしかめてそう言った。次いで俺から小瓶を受け取る。
ノアが毒ではないと断じるなら、判別の付かない俺が出す意見などない。その薬品はヲレスの研究所で見つけたアレに似ているような気もするが、此処にはその情報を共有出来る奴もいないのだ。
「話を戻す。お前は先ほど、〝軍じゃない〟と言ったな。それはつまり、奴らの仲間じゃないという意味で捉えて構わないか」
「奴らって誰さ。ギリアムとか?」
「最高位に位置する十二人の魔法使い、その全員と連携を取っているわけではないのか?」
「取ってないよ、そもそも私らあの学校には勉強しに来てるだけ。君たちだって同じ地方に住んでる人間全員のことを仲間とは呼ばないでしょ?」
「――なるほど」
得心が行く解答だった。ノアがどう感じるかは別にして、俺の中では彼女の言葉はすとんと腑に落ちる。ジョッキーと出会った時点でその疑問もないようなものだったが、ようやく解消されたと言えよう。
魔法使いは軍ではない、か。
確かにそうだろう。
「……では、こいつらのことはどれだけ知っている」
「都市を陥落させようとする軍隊でその一人。他にもまだぞろぞろといるのは知ってるし、お陰で私たちの魔法学校が崩壊したことも知っているよ。まあノアちゃんのことはギリアムから聞いてきたんだけど」
「な――は? ノ、ノア、ちゃん……?」
困惑するノアを尻目に、俺は訊く。
「そうか。そこまで知っていて何故俺やノアを殺さない?」
「君達の狙いが私なら戦うけど、そうじゃないでしょう。別に殺さないよ」
「……そうか」
「そっちの質問は終わり? ならこっちも聞くけど、いいかな?」
魔毒のラッテ・グレイン。
思考回路が根本的にずれていても、嘘を吐いているようには全く見えなかった。彼女の判断基準はあくまでも自分とそれ以外に終始している。
俺達を殺そうとしなかったのは、俺達が陥落させようとしているのがラッテ・グレイン当人ではなくそれを擁する魔法学校だったから――か。
「俺達が何をしにきたか、だったか。そこまで知っているのなら、他に何が知りたい」
「うーん、ごめん。聞き方が悪かったかもね。それじゃあ改めて、なんで私を殺そうとしなかったの? お兄さん」
首をかしげる彼女の瞳は、心底不思議そうにこちらを見つめていた。俺はそこにある種の狂気を感じて言葉に詰まる。
どうして殺そうとしなかったのか。なぜそんなことを聞くのかが、俺には分からなかった。
「殺さなかったのではない。殺せなかっただけだ」
「私を殺せたなら殺している、それは分かるよ。最初からそう出来るなら私を生かす意味はないし」
でも、と魔法使いは首を傾げる。
「やる前から引き下がるって、生死を賭けて特攻してきてる連中がそれをやるのはおかしくないかな」
「ならば何故俺に聞く」
「ノアちゃんは普通に殺しに来たから。それをお兄さんが止めた――つまりお兄さんは別の目的があるんじゃないかな、違う?」
「……その理由は何だ」
「お兄さんからは意志を感じない。殺意も悪意も敵意も感じない。だから違うね、じゃなきゃ気にならない」
意志、か。言われてみれば俺はノアやソーマとは違って――魔法使いに抱いている感情などない。
まさかこのやり取りだけでそんなことを見抜かれるとは思わなかったが。
「お前が思う通りで合っている。俺はこいつと直接に関係があるわけではない。道中で偶然出会っただけだ」
「へぇ、偶然と来たか。よく殺されなかったね」
殺されかけたというのは間違いない。
あの一瞬の攻防で二人が引いてくれなければ危なかった、というのは本音だ。
「だから戦争についてはノアから聞いて把握済みだ。その上で俺はこの戦争を仕組んだ奴がいて、そいつが魔法使いの誰かだと睨んでいる。まあ端的に言うなら、俺は戦争自体を止める為に動いているわけだ」
「――ふぅん? じゃあ、お兄さんはどちらの敵でもありどちらの味方でもあるってわけね。それとも妄言吐きかな」
「……そう捉えられても、仕方ないな」
この場にいないリーゼを除くと、俺に明確な仲間はいない。ノアやソーマ、ジョッキーフリートも、ここで作った協力者。
たった一人。腕も失い、瀕死で戦争を止めたいと叫ぶだけの人間を妄言吐きと捉えるのは正しい判断だろう。
俺は否定をしなかった。
「そう。先に言っておくけど、別に私は君達に何をするつもりもないからね」
「俺達を見過ごす、と?」
「死にぞこない殺して得る優越感は一つもないってだけ」
まるで談笑でもする調子でそう言えば、魔法使いは欠伸と共に立ち上がった。返り血が滴るローブを肩に纏い直すと俺達二人に緑色の瞳が向けられる。
「じゃ、これで私の用は終わったから。機会があったら殺し合おうね――ノアちゃん」
そして何事も無かったかのように踵を返し、魔法使いは部屋から出ていこうとする。
「……なん、なんだよ」
隣のノアが忌々しげに感情を洩らす傍ら、俺は去り行く背を見つめていた。
果たしてあの魔法使いは何を狙っていた?
話だけして帰るなど、それこそこの状況では意味不明である。まさか戦争中にわざわざ一人でやってきて、敵とする会話ではない。
今回の件について全く興味を示さず、他人事のように処理する割り切った魔法使いの思考回路。
様々な魔法使いを見てきたが、こいつもまた異質な存在であることは言うまでもない。人外の連中が人並みの感性を持っていないことなど端から知っているが――。
俺はここで奴を見送ってはならなかった。
敵が一人減るのだと素直に嬉しがっていい場面ではなかった。こいつがそういう奴なら、俺はこのまま傍観していてはいけないのだ。
「待て」
俺は魔法使いを呼び止める。
今にも視界から消え去らんとしていた彼女は、ぴたりと身体の動きを静止させる。
これは危険な賭けだ。
一歩間違えれば俺が思い描く通り道など薙ぎ倒して破壊してしまう、そういう災害を俺は招き入れようとしている。
果たしてこうするのが正しいかは分からない。
こういう類の存在は触れない方がよほど役に立つのかも分からない。
だが、ここまで来て俺に留まるという選択肢は考えられなかった。自身の身体はぼろぼろで、手持ちに使える手札は何もない。ならば他を使うしかない。
それに、俺は既に魔法使いと接触しているのだ。
彼、ジョッキー・フリートは明確な目的を持っている奴だった――こいつは違うが。俺はそれでも留まれない。
使えるものは使う。
例えそれが諸刃の剣だったとしても。
振り返る。緑色の瞳が、向けられた視線が、俺に突き刺さる。
「何かな?」
言った彼女は妖しい笑みを口元に浮かべていた。俺が呼び止めることを知っていたように、自然とその身体を反転させる。
まるで何かを期待しているみたいに。何かを求めることを期待して勿体ぶっている、そのような意図を感じる。
――俺が差し出せる材料は一つだけ。
「万全の状態のノアと戦いたい、そうお前は言ったな」
「いやいや、彼女の毒を見てみたかったってだけだよ。何、君にはそこの彼女を復活させられる方法でもあるってこと?」
「ああ。取引をしよう」
「は? おまえなにをむぐっ!」
ノアの口を塞いで止め、代わりに視線で合図をする。
後で説明してやるから今は口を出すな――そんな意図が伝わったか、ノアは不服そうにしながらも口を閉ざした。
「俺が、お前が望むノアと戦わせてやる。そのために協力をしてくれないか」
「それ私に頼むの?」
「仲間ではないと自分で断言したのだろう」
「……まあ確かに。具体的には?」
酷く歪められた笑顔に向けて、俺は口を開く。
残り僅かな命に火を灯すように、喉奥へ力を込めて。
「魔法使いの情報を教えてくれ。そして――この戦、俺達についてくれ。ジョッキー・フリートと〝サーリャ〟は、既にこちら側だ」
彼女は乾いた笑みが浮かべた。
果たしてそれが驚きか呆れかは分からないが。
「――いいよ。教えてあげる」
そう言って、その魔法使いは片手を差し伸べた。
◇
――以下、二名を除く魔法使いの記録。
医術の魔法使い、ヲレス・クレイバー。
元は医療関連の知識を得るために学校へ入学した彼は様々な魔法体系を自らに吸収し後、〝医術〟という自身の魔法を会得した。その特出した能力で世界中へと赴き、怪我や病気に罹った生物を持ち前の医術で治してしまうために世に知れ渡っている。
各地で様々な異名と噂が流れているが、共通している点は『技術はあるが悪徳な医者である』ということ。何らかの目的があるとのことで、現在は都市を離れている。
雷装の魔法使い、レディリック。
誰とも関わることをせず誰とも会うこともなく、名前だけが刻まれている。今は亡き学長がスカウトした人物であった。
何の目的で在籍しているかも不明だが、彼が使うとされる〝雷装〟という魔法は彼が生み出した起源であるらしく、誰もその魔法を目にしたことはない。
――現在この都市には、恐らくいないようだ。
氷結の魔法使い、アストラ・エンデ。
学長の知己で、学生兼〝氷結〟魔法講師としてこの学院へ訪れた人物。彼は他の学生達に自身の魔法を伝授すると同時に「故郷へ住まないか」との勧誘も行っているが、南大陸僻地に位置するために移住した学生は一人もいないようだ――講師としてはそこそこ人気だったようだが。
現在は故郷の復興支援のため、帰省している。
錬金の魔法使い、ギリアム・クロムウェル。
学校へ設置されている魔法機材を目当てに入学した。〝錬金〟魔法という枠組みはずっと昔からあったが、彼の魔法は直接成果を生み出し、直接結果を錬成する――彼にとっては理論や過程などは殆ど意味を為さないのだ。
それら全てを通り越してその最終地点を創造してしまうのが彼の〝錬金〟魔法。その極地に到達した者として、十二人に名前を連ねている。
現在では禁書庫に眠っている古代文字を解読し、不完全ではあるものの――禁術指定である人体の生成さえ可能となっている。
断層の魔法使い、クロード・サンギデリラ。
学校創立期から在籍していた学生の一人で、魔物の研究家。
その知識と対魔物戦闘の技術はさることながら、彼は次元を行き来する特異な魔法を買われて学生の頂点に立っている。その力は空間の裂いて次元を開き、その中へと入り込むことが可能という不明の力だ。彼曰く「世界とは幾重もの〝断層〟で繋がっている」そうだが、その魔法は誰にも解析することはできず、また彼の次元へ干渉できる者もいなかった。
呪縛の魔法使い、ディッドグリース・エスト。
その身に宿した呪いは数百を超え、存命していることさえ奇跡的な人物。忌み子として赤子の頃に様々な呪縛を身に受けたが死亡せず、学長に引き取られる形で学校へ席を置いている。
当初の目的は全ての呪いの解呪であったが、複雑に絡まった呪いを解けずに苦しむ日々――ある日その身に宿した呪いを理解してしまい、彼女は皮肉にも身体に刻まれた〝呪縛〟魔法の全てを扱えるようになってしまった。
その身に宿す呪縛は正常に機能し生命を阻んでいるはずだが、当人は意にも返さず極めて普通に魔法を学んでいる。
狂犬の魔法使い、バロック・ゲージ。
他の魔法使いと実践戦闘を行う目的を持って現れた風来坊。魔法使いに全く不似合いな接近魔法を多用する戦闘法を好むことから狂犬と呼ばれていた。
単純な強化魔法でさえ、彼が行使するだけで魔物を屠る膂力を得る。高度な魔法技術こそないものの、こと近接戦闘に関わる魔力の扱い方でこの人物を超える者はいない。
天剣の魔法使い、シヴィア・ローエン。
魔力剣の鍛冶師として各地を渡り歩いていたが、魔力を用いた剣の鍛造をより確実な物とするために学校へ足を踏み入れた。魔力を鉱石や金属へ練り込み鍛造する技術――魔法剣鍛造は希少な技能だったが、彼はその先を超え、魔力のみを練り上げて武具を鍛造することに成功している。高出力の魔力で練り上げられた物は〝天剣〟と呼ばれ、魔晶に似た性質と莫大な破壊力を秘めている。
自身の戦闘力といった点では他とは比べるべくもないが、他者にも扱える武具を作成出来るということはそれだけで意味を持つ――現在は世界のどこかで、剣の鍛造を行っているらしい。
跳躍の魔法使い、フレイル。
学長にスカウトされた魔法使い。経歴不明、年齢不明、姿形から若々しい人間であることだけは分かるが、性別不明。本人があまり口を開かない性格で、また口を開いたところで中性的な声から性別まで判別が出来ない。学長と共に過ごしている姿が確認されており、学長が行う講義にて共に魔法を教えていることが多かった。
彼か彼女かが得意とするのが時間〝跳躍〟魔法。時を遡る、未来へ跳ぶ、時間を停止させる。それ故に〝跳躍〟――だがその性質上、誰も正しく跳躍魔法を認識できていない。その魔法は不可解さで言えば、〝断層〟を超えているようだ。
◇
「そして私が魔毒……ああ教えないよ? だって自分で自分を教えるって恥ずかしいでしょ」
長い長い説明の後。
こめかみを人差し指で二度叩き、彼女はそう締め括った。喋ることに疲れてしまったのか、だらしなく口を開けて気だるげに壁へと寄り掛かる。
膨大な情報量――。
俺はそれを一つ一つ整理しつつ頭に入れていく。しかし全てが正しい情報とは限らない。けれど真っ赤な嘘だとまでは思わない。
だが、やはり魔法使いはそこまでやる連中だったか。
天変地異を軽々起こし、時空を人間を一人が容易に超え、神に似た所業を平然とやってのける人外共。
そんな力を、恐らくは制約も無しに扱っている。
こうなるわけだ。こうなって当然だ。何がその世界を狂わせたのかは知らんが――いや、それはいい。俺が考えるべきことではない。
「ああ、情報提供に感謝する」
「それでさっきの二人とはどういう関係で?」
今度は向こうがそう訪ねてくる。
誰かなど言うまでもないが、ジョッキー・フリートと情報の補強のために出任せで加えてやったサーリャのことだ。
「まずジョッキー・フリートだが、瀕死で転がっていた奴を俺が助けた」
ノアがぽかんとした顔をして俺へ視線を向けてくる。
「……は、聞いてねーんだけど」
「言ってないからな。お前らと再会する前に協力を取り付けている」
「いやもっと前に言えよ! 大事なことだろ!」
「あの時に言えば誤解が生まれる。それともお前は俺と殺し合いがしたかったのか?」
「う……それは……や、なんでもねー」
ノアはそこで口を閉ざす。
どの道話せるタイミングはなかった。今ここでラッテ・グレインが現れていなければ、そこでようやく開示できる程度だったのだ。
「んでサーリャとは元からの知り合いだ。ここで出会ったわけではない、今奴は中央大陸の方へ行っている」
「ふーん。なるほどね」
「これで信じて貰えるか?」
「元々疑ってないし。ただなんで協力してるのかなって、私は疑問に思っただけ」
実際、サーリャの方は協力など全くの嘘である。リーゼと一緒に行動していた魔法使いという点では多少の縁はあるが――戦争といった面で彼女が俺に協力している部分は欠片もありはしない。
まぁ、そうか。こいつ相手にジョッキー・フリートのような詰め方をする必要などなかったというわけか。そもそもこいつは魔法使いを仲間だと思っていない――最初から言っていたことだ。
信頼の材料にするには的確ではない。俺は紹介状を引っ張り出そうとしていた手を止めた。
「でもまあ、大地の魔法使いが君に協力したってのが本当なら、いるんだろうね。裏切り者の魔法使いという奴がさ」
「信頼が厚いんだな」
「あの人はそういう人だからね。愚直でどこまでも真っ直ぐな大馬鹿で、魔法使いから最もかけ離れているような人。私の好みじゃないね」
「……そんなことは聞いていないが」
「私が好きなのはギリアムみたいな捻くれてる奴。そういう奴のプライドをずたずたに引き裂くのが面白いのに……きっと、裏切り者はそういう魔法使いなんじゃないかな?」
「ギリアム・クロムウェルではない」
知っているよ、と事も無げに彼女は言った。
「そういうのは苦手だろうからね。で、誰なの?」
「見当はついているんじゃないのか」
「全然? 何考えてるのか分かんないの多いし」
「なら何故そんなこと――」
「でもまあ、やりそうなのはあれだね。クロードとかじゃない?」
言って。俺の反応を見て、彼女はまた笑う。
「やっぱりクロードかー。あれは捻くれてるっていうか拗らせてるからね」
「……何故、分かる?」
「アレは昔からそうだったんだよ。魔法使いの癖にずっと魔法が嫌いだったんじゃないかな、多分だけど。そうでなくたってなんで魔法学校に居るのか分からない奴だったから……ほら、裏切るなら丁度いい」
――魔法が嫌いだった?
俺は眉間に皺を寄せる。魔法使いで魔法が嫌いなど意味が分からない。
それも頂点と呼ばれる魔法使いが、だ。何度も対面したからこそ奴らが常人ではないのは理解している。
よほど鍛え抜かなければ到達し得ない領域だ。その中に嫌悪を抱いて入り込めるほど容易な枠ではないことも分かっている。
「だから勘だけどね? 私はクロードが魔法を使うところなんてほとんど知らないし、クロードの専門は魔法よりも知識と戦闘技能に寄ってたからね」
「それだけで判断出来るのか?」
「さあ。でも君が魔法使いに裏切り者がいるって言って、ジョッキーが向かったって言ったんでしょ? なら――この中で候補を上げるなら、クロードが一番だって話なだけ」
それだけだ、と彼女は答える。
そうか、あくまでも消去法の上での結論。俺の言うことが全て真実だとして、ジョッキー・フリートが向かったからこそ彼女はそこまで選択肢を絞り込んだ。
証明する物は一つとしてないが、実際にそれは事実だ。
だとすれば、この魔法使いがたったそれだけの情報でクロード・サンギデリラという男に辿り着くなら、やはりその男が黒幕である可能性は高い、か。
「なるほど……分かった」
「先に言っておくと私は魔法使いには手を出さない。私が私のために戦うのはいいけど、誰かのために誰かを殺すつもりないから」
「元よりそのつもりはない。俺達と戦わないでいてくれるだけ充分だ。しかし、これは頼まれてくれないか?」
ならば、そのクロードには対策を打っておかねばならないだろう。今は直接俺達に危害を加えてくる可能性としてだけ見れば少ないかもしれないが、今後となれば厄介だ。
魔物研究とは実に胡散臭い。そんな奴が魔物と協力体制を取っているのなら尚更だ。ジョッキー・フリートの身が心配でもある。
「瀕死のジョッキー・フリートがそのクロード・サンギデリラに会いに行っているんだ。もしも俺の推論が正しくて、クロードが黒幕だというなら――彼が危ない」
「それはクロードと戦えってことでしょ? 嫌だよ、私はジョッキーについて何か思うところもないし、クロードと敵対する理由もないよ」
「彼が死んでもいいと?」
「そうは言っていないかな。ただ、そこで死ぬならそれまでだっただけのことでしょう」
事も無げに言う彼女へ、それまで怒りを募らせていたノアが叫ぶ。
「てめー……さっきから聞いてりゃなんなんだ。仲間じゃねーって言ったのは聞いたよ、心底どうでもいいと思ってるのも聞いたよ。でもよ、うちが言うことじゃねーけどそれでも一緒に戦ってきたんじゃねーのか? うちはてめーが仲間になるなんて死んでも願い下げだぞ! なぁレーデ!」
「おい、落ち着けノア」
「落ち着いてられるかってんだ! うちはな、自分のプライド叩き割ってまでこんな奴の協力が必要になるんならお断りだぞ! おまえは、何も思わねーのか」
ノアの腕が壁に叩きつけられる。積み木のように砕け散った壁――その拳が、細い腕が俺の前で静止して。
「嫌だぞうちは……ここで決めろ。おまえがこいつと協力するってんなら、うちは一人でやる」
「だが、それでは」
「胸糞悪いんだ。そっちのが頭いいって分かってんだ。でもうちは頭悪いし……何よりこいつといるとぶっ殺しそうになる……! だから、決めろ」
握られた拳から血が流れた。ぎりぎりと、指先が皮膚に食い込んでいく。
「うちか、こいつか」
折り合いが悪いのは承知の上だったが……どうする。
いやどうするもない、か。
眼前の魔法使いはにやにやと口角を上げていた。
それまで敢えて喋らずにいたのか、俺が黙り込んだところでやっと口を挟んでくる。
「ははー嫌われてるね? ほら、選んで欲しいってさお兄さん」
「うるせー……その口を閉じろよ、魔法使い」
「閉じさせてみなよ? 実力が伴ってるんなら出来るはずだよ、ノアちゃん」
「この――」
「ノア」
俺はノアの視界を塞ぐ形で前に出る。今までの算段は全て白紙になるが、ノアが拒絶する以上はそうせざるを得なくなった。
ノアと別れてまでこいつを引き入れる理由は俺にない――仕方ない。
「そ、じゃあこの話は無しだね。ああでも心配しないで、死に損ないに出す手はないから」
「……ああ、助かる」
今度こそ踵を返した後姿が視界から消えていく。あの魔法使いはこの後どこへ行くのだろうか。
願わくば、こちらに及ぶ危害がないと思いたい。
「――ふぅ、クソ……」
一息吐いたところで、俺の集中力が途切れた。
思考が上手く纏まらない。先ほどまでは緊張が続いていたものの、魔法使いが去ってそれが全て解けたからだ。
もう体が長く持たない、そんなことは――もう少しだけ、動いてくれ。
「ごめん……でも、駄目だ。悪い」
「いや、謝るのは俺だな。お前のことを加味していなかった――お前にアレと組ませるのは難があった、そもそも魔法使いと組ませること自体がな。それに収穫がないわけではない」
大事なのは彼女の協力よりも魔法使いの情報を得られたことだ。全てが彼女の主観からではあるが、それでも大事な情報だ。
異能と呼ぶべき桁外れの魔法に対策も何もありはしない。だが弱体化しているノアさえどうにかできれば、超えられぬ壁ではないはずだ。
「説明すると言ったな……ジョッキー・フリートは先ほど言った通り俺がここへ来て協力を取り付けた魔法使いだ。さっきの奴とは違ってどこまでも真っ直ぐで好感が持てる男だ、とだけ言っておく」
「……ありがとな。うちが黙ってりゃ――」
「その話は気にするな。さて、これからやるべきことを説明するぞ」
痛む頭をどうにかして我慢しながら、俺は考えを纏めて口にする。思考に入るノイズと激痛は肉体の魔力溜まりが原因か……多分な。
ともかく、やれる内にやれるだけのことを、しておかねば。
「状況が変わった。これから俺達はヲレスの診療所という場所へ向かう。悪いが担いでくれ、体力は温存したい」
「ヲレスって――魔法使い、だろ? おまえが追ってる」
「安心しろ。そいつは診療所にも都市にも居なかった……そこに設置してある医療機器でお前の体力を回復させる」
時間がどれほど掛かるか。
俺には時間がない。だからノアが培養液に浸かっている間、俺は一人で学校へ向かわねばならないだろう――ひとまずは、もう一度ソーマと合流か。
ともかくあの面子に話を付けねばならない。そのことで説き伏せられるだけの材料を、考えておかねばな。
「悪いが、お前の魔晶はしばらくそのままだ……外したいが、確証もない。それに戦力はお前だけ。まともに魔法使いとやり合えるのは、もうお前だけだ」
自力で歩こうとして、視界がブレる。
世界から色が失せ始めていた。
徐々に、この世との意識の剥離を感じる。
「レーデ、おまえ……」
早く、早く、早く。
何とかしなければ。
この短い命で、やれることを。
最大限に。




