七話 強襲の合図
「――起きたか」
爆熱が肉体を焼いている。肉は焦げて露出した骨を溶かして、全身は感覚ごと闇に葬った。目は見えない。とっくに焼けて潰れてしまっていたから。身体は動かない。とっくに焦げ付いて炭と化してしまっているから。感覚などない。まるで焼き尽くされる自分の姿を、遠目で見ている気がした。
そんな、浮遊感を覚えながら――俺は、目覚める。
白い包帯に巻かれた上半身。血の滲ませる右腕に、柔らかい布が半身を覆っている。
ここは室内だ。横を見れば俺の外套と鞄が無造作に置かれていて、俺が寝台で眠っていたことが分かる。
さて、一体どうしたものか。全方位の集中攻撃で、結構危険な状況だったはずだが――記憶が少し、曖昧だな。
あの時俺はできる限りの回避行動を取っていた。敵が居たであろう箇所に反撃とばかりの銃弾を撃ち込みつつ、クレーターへ自らを投げ込んで逃げて……どうにもその後が思い出せない。恐らくは追撃にあって、そのまま意識を失ったのだろうが。
そうであるならば、少なくとも俺が“ここ”にいるのはおかしいはずだ。
「聴覚は無事か? 聞こえているのなら返事をくれ」
「……俺をここまで運んできたのは……――お前。何故」
「よし、意識ははっきりしているな」
薄暗い明かりに照らされて映るその顔は。
酒場の、商工会の店主だった。彼は仕事の時と一切変わらない姿で俺の後ろから姿を現すと、どこかバツの悪そうな顔で頬を掻く。
「悪いな兄ちゃん。アンタには囮になって貰っちまった」
「……ここは?」
俺は言葉には反応せずに別の問いを投げる。
その言葉――この男が何らかの目論みで俺を動かしていたらしいが、そんなものはどうでもいい、俺を助けたのは間違いなくこの男だ。つまり奴隷組織の手の者ではない。
――で、リーゼはどこにいる。俺の側にいないということは少なくともこの場にはいないだろうが。あれの実力からして魔物に遅れを取るとは思えんが……状況が状況だ、万が一の事も考えておかねばな。
「実はな。アンタの使ってた拠点からそう離れちゃいないとこなんだ。地下施設があるんだぜ、うちには」
「……あぁ、それで」
やけに詳しいなと思っちゃいたが、まさかそんな場所に地下施設などを用意しているとはな。それじゃこいつも、事が始まる前から俺に目を付けていた……そういうわけだった。
なんて因果だ。やってくれやがる。
「怒らねぇのか、俺ぁアンタをダシに使ったんだ。やけに冷静じゃねぇの」
「……最初から包み隠さず言えば協力してやったものを」
「そういうわけにもいかねぇな。アンタは仲間じゃねぇし、それに仲間じゃねぇから使えるんだ。少し手入れをする程度じゃ奴らは俺を警戒しない」
そうだろ? と言って、彼は手に持っていた木製の容器を俺に手渡してくる。中身は水であるらしい。俺は受け取って一息に飲み干すと、空になったそれを店主に突き返す。
敵を騙すならまず味方――ですらない。やられたのが俺でなければまずコイツから先に血祭りに上げているところだ。
「あんな情報寄越しやがって。お陰で俺は牙を剥かれたんだが……」
「おう助かったぞ。お陰で商工会が自由に動けたからな。あの時奢った酒で勘弁してくれや」
「……随分な奢りもあったもんだ」
「タダより高いモノはないって、言うだろう?」
ドヤ顔で言い切られた。
全く、どこの世界にも同じ格言みたいなものはあるらしい。片眉つり上げて得意げにほざいたコイツの顔面を吹き飛ばしてもよかったのだが、やめておくことにする。
そんなことよりも現状の確認をするのが先だ。
いやなに、別に俺は怒っているわけじゃない。してやられたのは確かだが、この町で彼と彼の店に助けられてきたことが多かったのも事実だ。今回はそれで手打ちにしてやろう。
「商工会が奴隷組織――犬と成り下がった組合をも狙ってるってのは分かった。それで、どうするつもりだ?」
「どうするってのは?」
「俺を囮にして、お前は具体的に何をしたかと聞いている」
俺を動かして得られる利点は結構あったはずだ。俺を通して情報を得、俺に注意が向くことで商工会はフリーになる。俺が組合と騒ぎを起こした時、こいつらは決定的な何かを敵に仕掛けたはずだ。
俺をどうやってあの戦場から連れ出したのかも気になるが――。
「いやぁそんなもんはあれよ。ずっと前から決起の下準備はしてたんだ。今頃、町は死体の山が転がってるんじゃねぇか? 奴ら戦力の大半を勇者に注ぎ込んでいるからな」
「……なるほど。俺とリーゼを利用して、戦力が分かれたところを狙ったのか。お前あいつが勇者だと知っていやがったな」
「ハハハ、まそんなわけよ。なんで勇者なんぞを狙ってるのかは俺も知らねぇがな」
店主は軽快に笑ってみせるが、すぐに表情を元に戻した。口ではそう演じているが、その実全く面白そうにしていない。どちらかといえば険しい顔で、彼は俺に不可解な事を告げてくる。
「でもよ、最近になって本当にあいつらはおかしくなった。その目で見たろ? あの赤い魔力――あれを手に入れてから、奴らは以前にも増して凶悪になりやがった」
最近、というのは俺では判断が付かない。しかし、彼が言う赤い魔力というのはあの時連中全員が身に纏っていた同色の力なのだろう。牙の連中が見せた多種多様の魔法とは違い、少し異質なモノを感じはしたのだ。魔法の種類と特色と言われればそれまでだったが、現地のこいつが言うのであれば――そうでもないのか。
「じゃあ力を手に入れる最近までは大人しかったってことか?」
「ってわけでもない。けど、急に組織単位が強固になりだしたんだ。組合が裏で吸収されたのもここ最近になってからだしよ」
つまり、このまま進行するといずれは商工会も逆らえなくなる。そうなれば奴隷組織の一強、実質的に町を支配するのは奴らになるわけだ。
商工会には時間も残されてはおらず、そんな時に現れたのが件の勇者と流れの俺だ、と。彼は言う。
「聞けば奴らは勇者を奴隷として仕入れ、それを殺そうとしてたらしいじゃねぇか。意味不明だろ? ただ実際そのために戦力をあれだけ割いた挙げ句に、なんと魔物まで召喚しやがったってんだからな。まるで組織の人間全てが別人にすげ変わったみてぇだが……こっちとしちゃ絶大なチャンスであることに変わりはねぇわけさ」
奴隷組織が不可解な赤い魔力を手にしたのが数ヶ月前。その後に勇者を奴隷として連れてきて、今に至るというわけだ。
それは明らかに異常事態と言って何ら不自然はない現象である。人間を守る勇者を殺そうとするなど、普通である方がおかしいのだが。
――俺が移動した先がこの世界であるのは、恐らくこの辺りに端を発しているのかもしれない。俺の目的とは異なるが、それでも放置はできない案件であろう。
その魔力について、今俺は店主に追求することはできなかった。そもそも俺は普通の魔力とあの赤い魔力がどう違うかというのを正しく認識していない。ただ、直感と感覚がアレを異質と判断しているだけで。
「それでリーゼは、勇者は今どこにいる?」
「それがなアンタ、聞いて驚くなよ? 組織の人間を全員一人でぶっ倒しちまった。今はあいつらが呼んだ魔物と一対一で戦ってるんじゃねぇか」
「俺が意識を失っていた内に一体……」
俺の想定とは裏腹に、一人でもどうにかできてしまっているという話を聞いても驚くことはなかった。俺を庇ってあれだけの動きが出来る奴だ、一人なら倍以上の力も出よう。
死んでいなければそれでいい。
「俺らも何名かスパイで潜ってたからな。勇者さんに暴れて貰ってる隙に適当やって、アンタを拾って逃げてきてんだ。ほれ、見覚えあるだろう?」
くい、と彼は顎を動かした。その方向へ首を傾けると、のそりと男が暗がりから姿を現してくる。
「……」
うっすらと姿形が見える位置で立ち止まったそいつは、奴隷商の側近の一人だった。ハゲ頭の男。奴隷商の横に居た二人の内、最初から最後まで無口で突っ立っていた男――こいつが、スパイだったのか。
こいつだけ何の役割で居るのか分からなかったが、積極的に動かなかった理由が商工会のスパイだからって理由ならば納得である。
「無口だが役に立つ男だよ。今回、アンタを助けたのはこのイレイスだ。感謝するなら俺じゃなく、彼にしてやってくれ」
「俺が襲われるよう仕向けたのはお前だってこと、くれぐれも忘れるなよ」
「そうだけど、アンタも大概喧嘩売ってきてるじゃねぇか。俺が裏工作しなくたって目は付けられていただろうぜ?」
「……否定はしないが」
こいつは俺がより目の付くように仕向けただけであって、結局は俺がやらかして発生した結果なのは認めよう。こいつはその状況を上手に利用しただけ、責任を全部押し付けられるほどに俺は被害者ではない。
「うんうん、それで一つ、いや今すぐ頼みたいことがあるんだ。とりあえずこの一言で現状を察してくれ。ちょっとどころじゃなく不味い危機が迫ってる」
俺が外套を手にしようと寝台から足を下ろした時だ。ぎしりと軋んだ木の音に続いて、いよいよ焦りを表に出し始めた彼は早口に告げた。
「あのな、勇者さん? すげぇ怒ってるみてぇで――今、こっちに殺気全開で向かっ――あ、やべぇ」
感情の吐露と、地鳴りが重なる。
「……何も言わずに連れてきたのか? そりゃ、来るに決まってんだろう」
今ので分かった。
こいつら、リーゼに何も事情説明をしていないのだ。そしてあいつが、奴隷組織と商工会の区別なんて付けられるはずもなく。
俺が手を伸ばした先。外套のすぐ横の扉が木っ端微塵に破壊され、進行上に立っていたイレイスが破片の波に飲まれて吹っ飛んでいく。
店主は口をぽかんと開けたまま固まり。
俺はといえば、扉と一緒にぶっ飛んだ外套にただただ目をやって、溜め息を吐いていた。
「見つけた……! 逃げられると思わないで下さい。あなた達は、もう許さない」
土煙が舞い、そこに現れた小さな姿は最早言うまでもないのだが。鬼気迫る殺気を纏い、虹色の輝きを垂れ流しにしたソイツは――片手に目映いばかりの虹剣を構える少女、勇者リーゼだった。
◇
「……えっ。じゃあ、その。ご主人様はさらわれて拷問されて殺されそうになっていたとかじゃなくて」
「何で拷問された上に殺されなきゃならねぇ。こいつらは敵じゃない、酒場で見なかったか? そこの店主だよ」
「あ……す、すみません! 助けて下さったんですね、私、勘違いしちゃってました!」
ただの一撃にて半壊まで追い込まれた地下の一室で、リーゼは深々と頭を下げていた。対面する店主は何とも言えない顔で彼女の懺悔を聞いていて、生傷抱えて戻ってきたイレイスは無言を貫いている。だが二人共にリーゼの目線まで腰を落として静聴している様子はなんと言っていいものか、一言で表せばシュールだった。
「リーゼ、色々聞きたいことはあるが……連中と、魔物はどうした?」
「魔物は倒しました。他の人達は、全員気絶させています」
「気絶……そうか」
あの数と練度の敵を相手にそれで済ませるとは……。
随分と簡単に言ってくれるが、人を気絶させるのは言うほど簡単な事ではなかった。気絶させる力加減には本人の技術は勿論のこと、相当な実力差が必要になってくるため、手加減が必要ない分殺す方が遙かに易い。それこそ赤子と大人ほどの差が開いていなければ、あの状況で誰も殺さないで終わらせるのはまず不可能なほどに。
「……悪いが、俺もさっき意識が戻ったばかりでな」
「だ、大丈夫なんですか!?」
俺の傷と包帯に今ようやく目が行ったのだろう、見るなりリーゼは俺の傍へと駆け寄ってくる。
仮にも全方位からの一斉射撃だからな。回避したとはいえ全てを避け切ることは無理だった。覚えていないが、身体全体に軋むような鈍い痛みと感覚が残っている。
応急処置自体はこいつらがしてくれたみたいだがな。
「今、和らげます」
リーゼは俺の体へ両手を当てると、何やら両手に緑色の光を灯した。先ほどまで使っていた虹色の輝きが戦闘魔法だとすれば、今度の輝きはそれとは方向性の違う――淡い光。俺の身体を這うようにして伝い、温かさと和らげな感触を与えてくるそれに、一つ心当たりがあった。
「……回復魔法、か。使えたんだな」
「そんなに上手じゃないですけど。でも、ある程度の痛みは抑えられるはずです」
「ああ、助かった」
回復魔法。町で見聞きした程度だが、魔法には治療に関わる物もあるとは知っていた。修得している者が少ないらしく、まさかこいつがその方面までカバーしているとは思わなかったが……ただの戦闘馬鹿ではなく、案外何でも出来るらしい。
「ところでお前、さっき持ってた剣は何だ?」
リーゼは先程扉を破壊した際、左腰に差しているショートソードは抜いていなかった。構えていたのは虹色の魔力が収束して剣の形を取った物。
――勇者は特有の技能を持つ、と奴隷商は説明していたのを記憶から呼び起こす。俺はリーゼから勇者の情報を直接聞いていなかったわけなのだが、あれが勇者の能力の一端であるのだろう。
「さっき……? あ、これのことですか。私何も言ってませんでしたっけ?」
そして俺の予想は的中したらしく、彼女は右手の内に虹に輝く剣を生み出して見せた。宙へ輝く虹色の光子は周囲を漂い、ただ眺めているだけでも相当な密度であることが見て取れる。
「何も聞いていないぞ。そいつが勇者の力なのか」
「はい。纏虹神剣って言います。戦う時は大体これを使うんですけど」
「ならその腰に差してるのは要らなくないか? 邪魔だろ」
彼女が持つショートソードは何の変哲もないただの安価な剣だ。比較的扱い易い銅を素材に用いており、凡そ剣の性能としては最低に位置している。魔力を練り込んで鍛造された品でもなければ、希少金属や合金で造られた剣でもない。
軽さと癖の無さから初心者にはうってつけかもしれないが、熟練した腕を持つリーゼには明らかに不必要な武器であろう。
リーゼは剣を霧散させ、複雑な笑みを浮かべて答える。
「いえ、今のは本気を出す時にしか使いませんから。それに思い出でもあります、良い思い出ってわけじゃ……ないですけど」
ふむ。
彼女が武器を使い分ける基準は相手が魔物か人かに寄るのかもしれない。何れにせよ、確固たる理由があるのならば追求する場面でもないが。
「リーゼ、お前に一つ聞きたい。これからの話をするのはその後だ」
「えっと、なんですか?」
「――お前、人を殺したことはあるのか?」
これだけは聞いておかなければならない。
短い付き合いだが、これまでリーゼはただの一度たりとも誰かを殺そうとはしなかった。俺がそうすることさえ拒み、彼女は人の死を回避するために全力で動いている。俺にはそれが、人との争いを酷く恐れているように映るのだ。
その理由が人を殺さないのではなく、殺すことができないというのなら――。
「……それは、答えなければいけないことですか?」
俺は返事はしなかった。
リーゼは俺の目を真っ直ぐに見る。その瞳の内に黒い何かが一瞬だけ感じ取られた。底冷えのする冷徹な、彼女にとっては振り払ってしまいたいはずの負の意志を。
「ご主人様は多分、私が人を殺すことができるのかどうか聞いているんだと思いますけど」
「ああ。お前に問うのは、人を殺す覚悟があるかどうかだ」
「二回、あります。でも……覚悟は。私にそれはないのかもしれません。だって人は私にとって守るべき者達で、私の力は皆が笑って暮らせるようにするための物ですから――でも、それでも」
自分の左胸に手を置き、深呼吸。彼女は二度行って、胸から手を離す。
「そうしなければいけないのなら。そうしなくては全てが手遅れになってしまうようなら、私は動きます――いえ、それでしか動けません。私の意志とは無関係で、私という存在はそういう在り方ですから」
「お前の存在ってのは、何だ?」
「私は勇者ですから。誰も死なない、そんな世界をいつだって望んでいます。皆が幸せで平和に暮らせる、争いのない世界を……ですから私に殺せなんて言わないで下さい。そんなことしなくてもご主人様は私が守ります。殺すべき時は、私が私で決めます」
彼女なりの覚悟はそこにあったのだ。
人を殺した経験が二回。たった二回と考えるか、この歳で二回と考えるべきか。ここまで殺しを避けてきたにも関わらず、ここまでの実力を持ってしても二回も殺さなければならない状況に陥ったと考えるか。まぁ、殺すことができない者でないことは理解した。
――しかし。それは分かったものの、同時に不可解な情報もちらほらと出てきているな。
リーゼの説明が足りないのか、それとも敢えて表現を曖昧にしているのかは不明だが、確かに『私の意志とは無関係だ』と言っていて。
恐らくその台詞は、彼女が勇者であることと関係しているはずだ。明らかにそのような意図を含んでいて、彼女の意識外で何らかの力が干渉している。
俺にはそれが見えないが。
絶大な力を誇る勇者の力は、彼女が正当な修行と鍛錬の積み重ねで得た技能ではないのだろう。人を守るための力……そうか。
勇者という存在の背景には、何やら教会と呼ばれる組織が絡んでいることは知っている。勇者を選定し奉る宗教団体――それが大なり小なり絡んでいるのだろうな。
「ですから今回は……ごめんなさい。守れませんでした、私が――もう少し早く気付けていれば」
「その辺りは気にするな。俺は俺の身くらい自分で守る」
今回は俺も相手の見込みを読み違ったがな。
仮にも最初から目を付けてきていた相手に気を許し過ぎていたのだ、もう少し危機感を持たなければならなかったのは俺の方だった。
ここに勇者リーゼという存在がいなければ俺はとうにやられていただろう。彼女が傍にいないのであれば、そもそも事態は発生していなかったとは思うが。
「――で、だ。俺がこんな話を持ち出した理由は分かるだろう?」
「はい」
しっかりと、リーゼは頷く。今度は俺が何度も言っていた「殺せ」などという軽い命令でも何でもない。
これは必ず殺し合いにまで発展する戦を前に、その確認を彼女に取らせているだけ。踏み留まれない段階に陥ったことの再確認に過ぎない。
これから俺達は人を殺す、と。
そうしなければ、向こうは死ぬまで俺達を殺しに来る。
今回痛いほど身に沁みたことだ。それにリーゼも、魔物まで繰り出した奴隷組織を黙って見過ごしておく理由はないはず。人と人との争いではなく人と魔物の争いにまで発展した今――勇者は、勇者の在り方のために動けるのだ。
「紹介しておこう。こいつは……店主は、コインの紋章を掲げる商工会組織の面子だ。その隣の男がイレイスという名の……同じか?」
イレイスは相変わらず無言のまま顎を引く。
俺の問いには、代わりに店主が答えた。
「同じだ。当たり前だが、イレイスも俺達と同じ商工会に属している。そして紹介が遅れちまったな。俺は酒場の店主であり商工会の諜報員みてぇなもんで、名をチャックという。よろしく頼むぜ」
「人を騙して敵の集団にぶち込んだ奴がよく言えたもんだな」
「っは、だって俺明確に行けとは言ってねぇぜ? 深読みしたのはアンタさ、そう動いてくれるたぁ思ったけどな」
俺は舌打ち一つ、チャックの差し出していた右手に半ば打ち付けるよう手を合わせた。ぱちん、と軽快な破裂音が狭い室内に浸透する。
「それを騙してるって言うんだ……仕方ない、精々裏切ってくれるなよ」
「そうそう、アンタは何やっても目的が一致してりゃ協力してくれる奴だよな」
「くれぐれも目的を違えてくれるなよ」
「おお怖ぇ」
やっぱりぶん殴ってやろうか。
脳裏によぎったそれを頭の隅に追いやり、とりあえずチャックの右手を握り潰しておくことに。ごりごりと不自然に骨が鳴るが、耳元で激痛を訴えてくるチャックの断末魔は全て聞き流しながら俺はリーゼへと告げた。
「そういうわけだ。こいつら商工会は奴隷組織と戦うらしく、そのための準備を今までしてきて、今が決起の時だそうだ。んで、その加勢を俺達にして欲しいと言ってきている。どうだ? 戦う理由は二重に増えただろう」
「はっ、はい。分かりました……あの」
「何だ」
「そろそろ放してあげて下さい、すごい痛そうです」
「……っくぉ――! いって、いってぇ……いでぇでで! マジ、そろそろ頼む……ぅ!」
ああ。
ぱっと手を放してやれば、右手を大事そうに片方の手で撫でるチャックの姿が眼下に映る。調子に乗るからそうなるのだ。
口が弾み過ぎるのは良くないと、今回でいい勉強になったな。覚えておくといい。
「……っっづう……酒が入れられなくなったらどうしてくれるってんだ」
「片手で適当に混ぜておけ」
「ばっか、クソ不味い酒なんか提供出来るか。店が潰れちまうよ」
これ以上の下らない応酬には取り合わず、俺は飛ばされた外套を手にとって袖を通す。まだ痛みはあるものの、先程のリーゼの治療もあってか動きに支障はない。これならば問題はないだろう。
数度得物の感触を服の上から確かめ、一つ頷いてから俺は鞄を拾い上げた。中身を幾つか漁った上でその中の一つを手に取り、鞄から引き抜いて手の内に握り込んだ。
「ん、何をしてんだ?」
チャックはそんなことを聞いてくるが、俺は返事をしなかった。
出来ない、する余裕が今はないというのが正しい状況説明にはなるのだろう。
手の中、五本の指に収まる程度の魔石が青白く輝き始めると、俺の脳内へと何かを注ぎ込んでくる。
初めて伝う異質な感触だ。手が一本増えたような感じと言えばいいだろうか。それとも、目の前の空気が俺の身体の一部になったとでも言えばいいだろうか。
ともかく、今の俺には行える機能が一つだけ増えていた。言わずもがな、もたらしたのは魔石に封じ込められていた特有の魔法であり。
俺はリーゼを見据える。彼女はぎょっとした瞳でこちらに反応を返してくると、おずおずと口を開いた。
「あ、あれ……? 今のって」
(ふむ、繋がったか。いや何、初めてやったもんでな、慣れないものは慣れないもんだ)
(え、テレパス――ですよね。それも魔石から、繋げたんですか?)
――脳内で思念を送ることに成功した。
俺が言葉を発するようにして頭で喋ると、特定の人物の脳に直接魔力を飛ばして語り掛けることが出来る――という能力を付与された魔石を使用して、魔法の使えない俺は思念を飛ばしているのだ。
このような用法であれば、魔力を扱う器官を持ち得ない俺でも間接的に魔法を扱うことができる。機械を手で操作することの延長であると言ってもいいかもしれない。
とはいえ俺に使えるかは怪しかっただけに、十分に満足な結果だ。
当然、パスは俺とリーゼの間にだけで繋がっているものだ。この会話はイレイスにもチャックにも聞こえてはいない。
(さっきの戦いで痛感した。あの状況でお前と意志疎通を図れないのは非常に困っていたんだ。これなら、魔力の通り道が異常を起こさない限りは話も可能だしな)
電波障害に似た何かがパスに発生しないとも限らない。そもそも俺はこの会話に発生している魔力の流れなどを感知することなどできないのだがな、それは電波も同じことである。
しかし、声が届かない距離でもやり取りができる手段を増やしておくに越したことはないのだ。それに鞄に眠らせておくだけでは勿体ないだろう。
売るつもりではあったが、使い方を初めて使うまでは理解できなかっただけで、有用性もあった。
(は、はい……ありがとうございます! あ、でも……)
(あんまり喋っている暇はないからな。ま、次も同じ事態があればこっちに送ってこい。多少離れていても、連絡が行える方がいい)
一端テレパスを打ち切り、パス自体は繋げたまま放置しておく。実際にどうなっているのかという原理を理解はできないが、繋がったままであるという風に脳が認識はしているのでしっかりと繋げることはできているらしい。
不安は残るが、そこは魔法の万能性を信じておくしかないだろうな。
「っと、すまないな。今、こいつと思念会話を繋げていたところだ」
「テレパス? あぁ、その石使ってんのかい」
「今思い出してな。事前にパスを繋げておけば、連絡途絶することはなかろう?」
準備は整った。俺の方にこれ以上の仕込みはないし、リーゼに関してはその必要すらもない。
後は、俺達をどう動かすかは目の前のこいつに掛かっている。動く理由が出来たなら後はその通りに行動して、奴らを滅ぼすだけだ。
結果的にリーゼをその気にさせた奴隷組織の連中に感謝しなければいけないな。
「チャック。んで、町はどうだ?」
「表向きにはどうもなっちゃいねぇよ。今日も普段通りに静かで良い夜、よい子はベッドで寝ている時間ってとこよ」
「おい遠回しな表現をするな。――つまり、そうでない場所を戦場にしているわけだな?」
「そういういこと。二人に頼みたいのは割と簡単なことだぜ、市場に乗り込んで司令塔をぶっ倒してくれ!」
ふむ、あの場所にボスがいるってことか。
……ん?
「今簡単って言ったんだよな? 俺の聞き間違いじゃなけりゃ、敵の本拠地に乗り込んで頭を殺せって言われたような気がしたんだが」
「はは、俺やイレイスじゃ倒せねぇからな。アンタら二人が現状最高戦力で、下手にちまちま攻めるより絶対そっちのが得意だろ?」
「……間違っちゃいないが」
「適材適所ってやつ。俺とイレイスも雑魚散らしには参加するさ」
一番責任のある役回りを俺達に回すか――それもいい。
どのみち、やることに変わりはない。
「リーゼ、主旨は理解したな」
「分かりました。でも皆さん、気を付けて下さい。私はあの方達と戦ってきましたが――彼らから魔物と似た様相の気配を感じます」
「あの変な赤いのかい?」
チャックが聞くと、リーゼは躊躇いがちに首肯してみせる。本人自身もイマイチ確信を持てていないのだろう。
「そうだと思います。とても強くて歪な力を感じるので……本当に気を付けて下さい。いざとなったら、全部私に投げてくれても構いませんから」
「いくら勇者さんっても、んなわけにはいかねぇんだなコレが。ま、言っても大役は任せちまうことになる。頼むぜ――その変な力ってのが、多分奴らをオカシくしている元凶なんだ。頼む、元を断ってくれ。こればかりは俺達だけじゃなんもできねぇ」
「――はい。任せて下さい!」
リーゼの扱いに慣れているのか、それとも素で言っているのかまでは知らんが、今のがリーゼの意志に火を付けたのは間違いないだろう。チョロい奴で、乗せられやすい奴だ。
「それでは向かうか。敵の体制が狂っている今がチャンスだ」
まぁ、そういう奴だからこそ、俺はこいつを仲間にしたのだから。
――さあ反撃に出るとしよう。
俺を敵に回したことを後悔して、土へと還る時間だ。