五十五話 勇者話
「以上が――歴史の闇に葬り去られた、太古の昔のお話。魔法によって消去された、魔法の国のお話でした」
イデアは語る。
まるで自分が経験をしてきたかのような口ぶりで、その男の話を。
「それで、どう、なったんですか」
「勿論国は滅んだよ。魔法を使った技術は国を一気に成長させて、お陰で爆発的に拡大した国はその武力を用いて他国へ攻め込んだ。これが原因でねー」
「戦争、ですか」
「うん、戦争だよ。それも魔法を使った世界規模の戦争……そう、魔法大戦だね。沢山人が死んで、それでも死んで、歴史そのものが保存できないほど、人の世界が崩壊してしまうほど――凄惨な結果になった」
その後の世が、この世界。
魔物が蔓延る壊れた世界。
「勇者はその時から現れて、その時に存在していた魔法使いを根絶やしにし始めた」
――勇者の始まりは、魔物と戦う存在ではなかったのだ。その時の勇者とは、世界を壊す魔法使いを根絶やしにするための存在であった。
「けれど。いくら魔法使いがいなくなっても、魔法という常識が与えられた世界は覆らない」
そう。魔法使いは増え続ける。
勇者の手に負えないくらいに、延々と。
「それに勇者も、元を辿れば“魔法使い”なわけだからねー。じゃあどうしよう? 魔法の一つの形として勇者は完成しているし、いくら魔法使いを退治しても一度解き放たれた魔素がなくなるかって言えばそんなことはないよね」
イデアは物語を読むかのように言い聞かせ、リーゼは唇を噛み締めながらその話を静かに聞いている。
震わせる身は、憤りからか、怒りからか――それとも、恐怖か。
「じゃあどうするかって言えば、答えは簡単だね。それまでの行いを続けていても、争いが無くなることはないから人間が滅びちゃう。勇者は一人しか成れないから、絶対に間に合わない」
それは。
「だから、勇者は魔法使いの人間を――」
◇
「――人間を、呪ったのさ」
ガデリアは全く面白くもなさそうにそう笑って、背もたれに首を預けた。
「全く……人間を守る為に人間である魔法使いを呪い、魔物という人間ではない存在にしてしまうなど誰が考えたんだか。いやいや、やったのは妾なんじゃが――ま、相手は異世界から来た魔法使いの男だ。あんなのが敵じゃ、そうするしかなかったんじゃろうな」
「その男は、生きていたのか?」
「ああ生きていた。奴は復讐に燃える男じゃったよ。いきなり現れて妾に己の身の上話を説明し、その上で妾の村を破壊した――そんな、狂った存在よ」
「お前は、殺されなかったのか?」
「殺されたさ。心臓を抉り取られて絶命したはず、なんじゃがな。気が付けば崩壊した村に一人残されて、妾だけが生きていた」
その傷が残っておれば証明になったかの、と襟を右手で摘んでガデリアは己の胸を上から覗く。
「ああ、もっと胸があればよかったのにのう」
でも可愛いから関係ないなと適当に茶化す姿を真顔のまま無視していると、ガデリアは低く唸る。
「少しは反応したらどうなんだボケ殴るぞ」
「それでお前は勇者になったのか――」
ガデリアはテーブルを蹴飛ばした。
吹き飛んだテーブルは俺の横を通過し、背後の壁に激突する。
「ああ、そうだよ。宛も無くさまよっていた妾は教会に拾われ、その時教会が開発した魔法の実験台となり、そうして勇者と呼ばれるようになった。これがお前の欲した魔物の真実と、勇者の真実だよ」
今現在存在している魔法使いは言わば劣化版。そして、魔物こそが――魔法使いだとガデリアは言う。
「とまあ、それもあって勇者であるところの妾にこびりつくのは良い噂だけではない。その名を挙げればまず二つの逸話が浮かび、その内悪い方を信じた者は怯え、良い方を信じた者は妾を神聖化するであろう。いずれにせよ妾はあの世には存命しておらんからな、勝手に尾ひれを付けて噂するといいさどうでもいい」
魔法使いを虐殺した破壊者か――魔物を駆逐した、最初の勇ある者か。
どちらも殺戮機械に変わりはないと言って、左手を俺の横へと差し向ける。
たったそれだけの所作で壁に激突させ破壊したテーブルを一瞬で元の位置へと戻し、ガデリアは再度片手を乗せることで破壊された部分を元通りに戻した。
「何、本物は死んださ。あの男は死んだよ。今残っているのは、奴に魔法使いにされ、妾に魔物にされた者のみ――妾の勇者としての役目はあの男を消し去った瞬間、終わりを迎えた」
異世界から現れたという魔法使い。
それが本当であるのならば――少なからずガデリアは嘘を吐いていないのだろう――魔法は元々この世界に無かった概念だということが分かる。
人間が魔物に変えられた。
つまりそうなると、奴は魔物を本来あるべき姿へと戻そうとしたというのか。それにしては魔物の特徴が色濃く現れているのが不思議ではあるが、納得は出来なくもない。
それが呪いで、呪ったのが勇者であったこのガデリアか。
「お前がこんな場所へと来たのは、どうしてだ?」
「フン。来たくて来たわけじゃないわ、妾は呪われているからな――役目を終えたら、向こうから強制的に除外されたんだ」
この場所からは出られず、広さも精々ここから数百メートルしか存在しない小さな世界。
「妾は此処に来た瞬間に全ての時が止まった。肉体は二度と成長せんし、しかし勇者の力を失っているわけでもない。勇者は“目的という鎖を与えられた人形”であるからな――妾の場合、それは諸悪の根元であるあの男を殺すことだった。その目的の為に動く間は呪いが勇者に力を与える。現在の呪縛魔法の特徴で『制約を与えて強化する魔法』と言ったところか。それが終わったから、妾は呪いによって永遠の孤独を与えられているんじゃな。目的が終わったから妾は勇者の力を振るえない――けれど力を消すことができないから、結果として力を振るっても意味がない此処へと強制的に隔離された。そんなところか」
最近ではそれなりに自由なことができるがなと得意げに言って、彼女は胸を張る。
「お前から物を盗めるなんてほんの一部よ。例えば向こうの世界を覗くことだって出来る。じゃから――お前達の行動は少しだけ見とった。いやお前なぞ見ちゃおらんがリーゼの方をな。勇者という強い繋がりを使えばそれなりに覗ける……はずだったのが、途中で何かに邪魔されて何も見えなくなってしまったけれど」
それは奴が干渉したからだろうな。
ガデリアは奴にとって邪魔となり得る存在だ。こんな、一人呪いに蝕まれ続けているだけの特異点のような世界に存在する者の場など、来ようと思って来られるかどうか。
此処は全く別の世界ではない。あくまでもあの世界の延長線上にあるだけの世界で、だから特異点。俺も望んで訪れることなど出来やしないし、奴も来ることは出来ない。
「ならば他の勇者もそうなっているのか? リーゼよりも前の勇者も当然いたんだろう」
「いいや妾だけだ。他の奴は普通に力を失っているか教会に始末されている――ほら、妾は根源と関わり合いを持たされてしまっただろう、その関係じゃないのか? 全く腹立たしいことにな」
ガデリアは先ほど壊したテーブルを再び蹴り破ろうして、寸前でそれを止めた。
「相当苛立っているみたいだな」
「当たり前じゃろう――妾は一生こうして一人で過ごすんだ、自分の傀儡と下らぬ一人芝居を延々と続けながら終わりの見えぬ先を見続けるんだぞクソが! マトモな会話をしたのは何百年振りだったか、向こうの世界でも見続けなければ気が狂ってしまうわ! それこそ……役目を終えても世界を守ろうとするくらいにはな」
何百年。
そうだな、そこまで長い時をたった一人で過ごすなど、苦痛以外には何もない。
自殺など出来ないのだろう。それが出来るならこいつはとっくに死んでいる。呪いとは得てしてそういうものだ。
「ガデリア。お前、過ごした時の長さを覚えているか?」
「覚えておるわけないだろぶん殴るぞ。さてはお前怒らせたいだけだな怒らせたいんだろいいぞ怒ってやるこっちにこい脳天かち割ってやる」
青筋を立てるカデリアは両手に魔力を込める。
人を一人消し飛ばすには十分な破壊の力を込められているのは見て分かったが、本気で撃つ気などなさそうだった。
「いいや。よく分かるさ」
「あぁ?」
俺も、似たようなものだ。幾つも世界を渡り歩いてきて、その全てを覚えているはずがない。
「所以あって俺も本質的には死ねんからな。今のお前と似たようなものだ」
俺は死なない。人間として死ぬことは死ぬが、それで俺という存在は終わりを迎えない。
――それは、奴から持たされた一種の呪いだった。俺は救いたい世界を救った代償として、人間ではなくなったのだ。
「俺は……そうだな、言ってしまえば半分が神で半分が人だ。お前が俺を認知出来なかったのは、俺がこの世とは繋がっていない場所から来ていたからだろう」
気が遠くなるほどに世界を移動してきたのは、奴からもたらされた呪いを解くためでもあり。俺が人間に戻るための旅でもあり――そして。
死ぬべくして死ぬために、こうして無限にも思える旅を続けている。
俺の下らぬ唯一の望みだ。
「はぁ? 神? はっはっはっはっはお前面白いぞ、それが本当なら今すぐ妾より面白い芸をやってみせい」
「神を大道芸人か何かと履き違えてないか」
まぁ、そんな行いは奴には出来ても俺には出来ないが。
「ガデリア」
「……なんだ気安く名前で呼びやがって」
俺が真面目なことを伝えようとしているのが分かったのか、ガデリアは茶化した様子を解き、目を細める。尖るように細められた眦は、同類を見るその目。
身のある話は聞けた。
ヲレスに一泡吹かされた時はどうしようかとも思ったが、俺が下手を打ったお陰で此処に来られたというなら、結果的には良かったと言えよう。
勇者――いいや、呪いへの着眼点というのは間違っていなかったらしくて結構だ。
「お前、俺の事が知りたいと言ったな」
「む? なんだ教えてくれるとでも言うのか? いいぞ聞かせろ」
「ああ……大道芸は見せられんが、余生のいい暇潰しにはなるだろうな」
「んなもんは全く余ってなどないがな」
残念なことに俺に直接的に意味のある話ではなかった。
この世界の呪いなど所詮は何処にでも存在する力を指し示すだけの名称であって、直接俺には響かない。やはり、今回も失敗か――分かってはいたことだ。
神から受けた呪いを解くのに下界を探し回るなど――無謀を通り越して、呆れすら覚える。
だが、その感覚は何度でも経験してきた。これから一生実り続けないのは百も承知で俺は幾数の世界を渡り歩いてきたのだから。
しかし――今回、奴が従える魔物の正体は判明した。
勇者との違いは最初の魔法使いとその派生から生み出された魔法使いの違いであって、その根幹は一つであった。総称で呪いと呼ばれる力――元を正せば、人間の身に余る力を持った魔法使いの力そのものを呪いと括っているに過ぎない。
異世界から訪れた魔法使いが一体どの世から現れた者なのかは把握出来ないが――ガデリアの居るこの世界へと最初に連れて来られる仕組みになっているのなら、俺とは全く違う方法で来ているわけだ。
――俺が自らの意識を手放した途端、連れられたように。知らぬ何者かの意識が介在しているのは間違いない。それが、神の物であるのかどうかと言えば――違う。
奴が意図的に誰かを全く別の世界へと連れて行こうとするなど、俺の知る限りでは有り得ないのだから。そんな荒唐無稽を適応しようとすれば、それこそ魔物一体一体を俺のようにしなければならない。固定された存在を世界から切り離すということは――神でも関わらない限り、不可能なのだ。
他の世界に移動できないとは、そういうこと。
人は紙の上から自力で抜け出すことは出来ない。それこそ紙の上に書かれた名前を消しゴムで消し去られるか、鋏で切り取られない限りは。
お陰で、俺の中では整理が付いた。
あの魔物――アウラベッドが口走っていた言葉。別の世界とは俺が指すような複雑な意味ではなく、文字通り彼らが存在していた世を指すのだとすれば。
魔法使いが存在する世がこの世界と同一の位相に存在しているのならば、行き来することも出来よう。
それにしたって普通は無理だと思うが――恐らく奴が魔物に告げた台詞は、そういった事情を絡めた全てのことだ。
俺のようなモノなど、奴は二度と造るまい――。
「さっきも言ったが、俺もお前とほぼ同じようなもんさ。生きてきた年数など、とうの昔に数え飽きた」
ここは言わば、破れてどこかへ失くしたメモ帳の欠片。誰からも見つかることはなく、誰に干渉出来るわけもなく。ただ世界から抜け落ちて誰の目にも届かない、そんな壊れた世界。
俺がガデリアに正体を明かし、元の世界に戻るのはこの後すぐのこと。
現実換算で殆ど時間の経過のない――樹海のどこかに、舞い戻る。応急処置をされ、寸での部分で生存を許された肉体で。




