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トラベラーズ・レコード  作者: くるい
一章 『始まりの世界へと』編 改稿版
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五話 依頼

「分かりました。今すぐここを出ましょう」


 大方の説明を済ませた俺に、リーゼはさらりとそんな台詞を言い放った。


 俺はこの町を発つ前に、この町の組織を一つ叩くつもりでいたのだ。最初に俺の命を狙って襲い掛かってきた奴ら、そしてここまで続いた静かな争い。

 この案件を放置してどこへ旅が出来るというのか。外には魔物、内側へ逃げても敵となる人間がうじゃうじゃいるのでは身も心も休まらない。別の町へ辿り着いた時、こいつらの系列組織に目を付けられても困る。

 ならばいっそのこと二度と俺に手が出せないよう痛い目を見てもらうつもりで、そのために今日俺は初めて目立った行動を取っていた。各組織の施設を一つずつ回っていくなど――商工会は酒場しか行っていないが――普通やらない、挑発行為そのものだ。


 つまるところ。敵対組織――即ち奴隷市場の組織を、最終的にリーゼに潰させるつもりだった。

 その俺の意見に反対する形の解答である。


 それはもっともではあるのだが、ことここに限って言えばあまり宜しくない提案であると思う。


「んなことが簡単にできりゃ、苦労はしないんだが」


 そもそも単純にこの町で準備を整える時間がまだまだ必要だというのに。

 俺は言いながら、溜め息を吐く。


 今すぐこの町から出たとしても当面は他に行く宛がまるでない。

 小さな村落に向かったとして、奴らは赤の他人に与える食糧を持ち合わせていなければ、滅多に外へ出ることもない閉鎖的な者達だ。そこから物事を発展させるのはどう考えても不可能であり、早速その村で旅が手詰まりとなる事が容易に予想される。


 また、視界に映るだけの景色で判断出来ることにも限界はあった。

 あまりに開拓が進んでいない町の周囲は木々で埋め尽くされ、分かるのは精々が巨大な山脈が遠方に聳えている程度。

 距離感がいまいち掴めない。どの程度歩けばそこへ辿り着くのかさえも計算できない有様だ。


 つまり、何を目印に先へ進めばいいのかが分からない状況なのだった。地図やコンパスなどの便利な道具が存在しない以上、無闇に進もうとして迷っては本末転倒で。そして、彼女の提案には根本的な無理が含まれている。


「大前提として水と食糧の蓄えがない、ついでに言えば金もない。旅の途中で餓死がお望みなら話は別だが?」

「ご飯くらい大丈夫ですよ。何日か食べないくらいじゃ平気ですし」

「平気なわけないだろうが。死ぬぞ、弱ったところを魔物に喰われておしまいだ」


 ご飯くらいと言い切ったリーゼ。

 食糧の問題が最重要だと言ってもいいのに、それを考慮しないなど話にもならなかった。まずこいつの持つ常識を何とかしなければならない……というかこいつ旅慣れしているんじゃなかったか? 手ぶらどころか丸裸同然で旅へ出る奴がどこにいるってんだ。


「何のための私なんですか。私が連れてってあげますって」

「じゃあ行く宛はあるのか?」

「へ? ないですよ、私も売られて運ばれて来たのでこの周辺は全く」

 やはり駄目だった。

「まさか適当に進むとか言わんだろうな」

「そうですけど、でも適当に歩いてればどこかに着きますし」


 そりゃどこかには着くだろうな。

 俺はもう一度、わざとらしく盛大に溜息を吐いた。おまけに額に手も当ててやる。


「馬鹿かお前、野垂れ死にたいのか」

「私今までそうやってきたことも結構ありましたけど、ほら生きてます。ピンピンしてますよ」

「お前はどうだか知らんが俺は違うんだよ」


 この世界に常識として存在する魔法について、残念ながら俺は詳しく知っているわけではない。リーゼのような者なら或いは魔力のお陰でどうにかなっているのかもしれないが、しかし俺には当て嵌まらないことだった。


「野営用の荷は鞄にも積んであるが、それだけだ。最悪でも当面の飲水は確保しておかないとな」

「お店で買っていくつもりなんですか? そこに森があるので、きっと歩いてれば途中で川も見つかると思いますけど」

「あるかわからんもんを探す前提で話を進めるな。見つからなかったらどうする?」

「動物の生き血を飲めば大丈夫です。お肉も手に入ります」

「お前は野生動物か? 感染症等に掛かる危険がある上にそいつも探す前提だろうが……いや、そうじゃない。今俺が何を話そうとしていたのか分からなくなってきた」


 野生というか原始人レベルの生活を普通に提案してくるリーゼに辟易しながらも、俺は町の中心部を指差した。


「それに動物の肉なんぞ手に入れてどうするつもだ。調理できなきゃ食えんぞ」

「生でも食べられないことはないですよ、美味しくはないですけど」

「……はぁ?」


 ――ギャグか?

 俺は完全に無視することにした。


「とにかく。お前の言ってることはな、前もって準備していた備蓄が全て尽きた上でどうしようもないからやるような手段で間違っても選択するものじゃない。そこに町があるだろうが、ある程度の食糧と水は町で確保してから出るべきだろう」

「でもお金ないんですよね――あ」


 リーゼははっとした顔で目を見開き、俺を見つめてくる。

 どうやら答えに行き着いてしまったようだ。俺がほんの少し目を逸らしたのをリーゼは逃さない。


「――まさかとは思いますけど」


 今度は俺が黙する番だった。

 どう答えてやろうか悩んでいた俺に、彼女は怒り顔でそう言ってくる。最早聞かずとも何を言い出すかは分かっていたのだが、仮に発言を止めようものならもっと騒がしくなるに違いない。俺は大人しくリーゼの説教に耳を傾けることにした。


「お金はどうやって稼ぐつもりだったんですか? まさか、あの人達襲って稼ぐとか言い出さないですよね」

「随分直接的な物言いをしてくれるな」

「じゃあ、今まではどうやって稼いでいたんですか? ご主人様はお仕事してるわけじゃなさそうでしたが」

「……正当防衛だが」

「ああもうやっぱり! そうだと思いました!」


 わなわなと拳を震わせるリーゼ。少女に似合わぬ深い皺を眉間に刻んで目を閉じ、固く握った拳を胸の前で止め――はぁ、と脱力する。


「……お金持ちに見えないのに、お金持ってると思いましたよ」


 最初からその辺りは疑っていたようだ。

 まぁ確かに、市場を物色しているような客連中を日夜眺めているなら分からないこともないか。俺の風貌は人を使う奴らのそれではない。奴隷の側から見れば、俺の姿は変客に見えることだろう。

 俺から言わせれば変わっているのはリーゼの方だったが、こいつは俺がそう思っていることには露ほども気付いていないご様子だ。


「……いいです、正当防衛ですもんね。私はこれ以上言いません。あの人達だって悪いこといっぱいしてきている人だってのは知ってますから」

「だったら俺じゃなくまずそいつらから仕留めるんだな」

「仕留めませんから! それに――ダメです。あの人達だって、町を形造っている一部ですから。私が無理矢理壊していいことなんてないです」

「ほう?」

「私ができるのは戦うことだけですから。でも、今はそうじゃないと思います」


 俺はなるほどと頷く。


 それで回っている社会があった。

 俺は私情と身の保全と金策を含めた上で奴らを滅ぼそうとしたが、こいつは敢えて動こうとしていなかったわけだ。

 こんな町にお前のような奴が売られてきた経緯には驚きを禁じ得ないが、それは今は置いておく。そこまで考えていてリーゼが行動に移さないのであれば、それでいいという話だった。


 ――では何故そうなっているのか。


 この町には、名称が定まっていない。

 或いはあるのかもしれないが、少なくとも今はないはずだ。


 俺が最初にこの町を拠点に決めた時、最初に感じた疑問がそれだった。何故名前がないのか、大体どこの町でもそれが『町』とよばれる規模であるなら名前くらい付けられていていいはずだ。これほどの文明を持っているのなら、外へ向けた名が付いていた方が断然良い。


 平野という比較的真っ平な土地に位置する町。建物は周囲の森林から伐採した木による木造建築が八割を占めているが、土木に秀でる魔法使いが建築したのか混凝土(コンクリート)のような材質から建てられた物もちらほら窺える。


 町の端には魔物対策のためか石造りの壁が一面を覆っており、それもかなり広い。障害物の少ない土地であるのも相まって、遠目からでも分かりやすいくらいだ。

 その敷かれた壁の外側にも結構建物は建てられていて、主にそこでは農業が盛んに行われている。平野に現れる魔物の討伐は各勢力が独自の私兵を用いて処理を行っているなど、自衛手段もしっかり持っている。


 そんな規模だというのに。

 それでも名前さえないのは――町が綺麗に三分割されているからだった。三大勢力、その争いによる統治の分離。争いが終結して統一できなければ、町全体として名を掲げることは現状不可能であろう。

 先ほど「奴隷商は膿だ」と組合の連中に言ったが、あくまでもあれは組合側からの目線だ。実際には組合も、ひいては商工会に至る現在の全ての勢力全てが膿であると言えよう。統治が駄目だと言っているんじゃない、今の関係が良くないのだ。


 俺が住民から収集していた情報をある程度纏めると、こうなる。

 元々この町は打ち捨てられた廃墟であり、そこを住処としたどこかの村人達が始まりだったそうだ。このご時世、崩壊した町や村などは溢れている。魔物に襲われて全滅したり、戦争時に住民が撤退してしまうことはそう珍しくもない。そういう場所を時代が移り変わって再利用されることもまた珍しくはなく、この場所も例に漏れなかったわけだ。


 この平野は比較的肥沃な土地で、人が集まるに十分たる理由がある。

 草木が茂り、耕せば良質な土に作物が良く育つ。一度農地が完成して安定した作物が収穫出来るようになればそこで生活する村人が増える。子供は生まれて世代交代を繰り返し、流れ者が噂を聞きつけて居着けば後は同じことの繰り返しだ。


 問題は、そうして積み重なった歴史に膿が発生すること。それまで自給自足を行っていた町は、ある日他の町から訪れた者達と初めての取引を行うことになる。

 例えば農作物と引き換えに鉄を手にする。そうなれば商業の概念が生まれる。物々交換が金のやり取りに変われば、自ずと住人も金を手にすることになる。その中、金で作物を買うようになった者は、農業ではなく別の方法で金を手にするようになるだろう。

 自分達が作物を育てなくともよくなるからだ。手を出す者は当然現れる。


 そのように発展し機能が増えていけば、町は少しずつ巨大化していく。

 そんな発展途中の町へ現れるのが、先ほど言った膿――町を統括、統治、支配したがる連中だ。

 一体最初に誰が、領主紛いの役割――土地を管理するなど言い出したのか、誰が商売の元締めをするなどと言い出したのか。

 奴隷はその文化すら存在しなかったようだが、外からやってきた奴隷商人と提携した現在の商工会が承認した商売形態の一つではあったのだろう。


 この町にはまだまだ使える敷地が大量にあって、広い土地を農業にも使えるため、当初大半の奴隷は農奴に使われるために搬入されていたものらしいが。

 現在の奴隷の入手ルートはほとんどが外部からだ。荷馬車数十台と護衛の武装した連中が数日に一度は町へ訪れる。そこで売り払われた奴隷の一部を卸し、またどこかへ消えていく。町で手に入らない品々も同様の入手ルートだ。鉱石や魔道具、衣料服飾品に鉄製品などがそれに当たる。

 出来ればそいつらと一緒に町を抜けられればいいのだが、無理な相談だろう。奴らは自分の組織と商品しか乗せない上に、俺の場合は敵対しているのだから尚更だ。


 ともかくもリーゼの選択は間違いではなかった。

 第三勢力が突然現れて叩き潰しただけではまた別の組織が取って代わるだけの繰り返しだ。それをやるには、彼女が一人で動くことに何の意味もありはしない。当然、外部の俺が動いたところで同じだ。

 内部の誰かが上手いことやる必要があるが――さぁ、どう締めるつもりなのかは知らん。


 こればっかりは考えても詮無いことだ。

 町の事情を鑑みる必要はどこにもない。まず一銭にもならないし、俺にそんなことをする理由も意味もないからな。ただ知ることに意味があるだけであって、今ある様相を変えようなどとは端から思っていない。奴らを叩くのも、俺に対しての無力化を図るためなのだから。


「仕方ない。一度戻るとするか」


 俺が考えを打ち切って外へ歩き出そうとすると、リーゼは背後から裾を掴んで止めてくる。


「どこへ行くんですか?」

「――いてぇ。そいつはお前がさっき変な方向へ曲げてくれた俺の右腕だ、とりあえず離せ」

「あっ……すみません」


 気付いてなかったのかこいつ。恐らく大事には至っていないからいいものの。

 さて、そういえば言っていなかったな。


「町中じゃない。俺の拠点はここの外で、外れの廃墟にある。色々置いてきた物もあるんでな」

「……盗品が置いてあるんですね」

「ああ。売れるだけ売り捌いて金にする。その後に町を出る準備だ、分かったな」

「……あの、今回は仕方ありませんけど。もうやっちゃだめですからね? そんなことばっかりしてるから恨まれるんですよ」

「恨んだのは俺だがな。奴らの自業自得だろ?」

「そうなんですけど……」

「善処はするさ。だが、その時はお前が上手くやるんだな」


 リーゼのしつこい警告を聞き流しつつ、今度こそ町の外へ歩き出す。

 ひとまずやるべきことは決まった。後はどう売り捌くかだが、叩き売りをしてしまうのが無難か。


 今、下手に町中を出歩くとさっきの連中に見つかりかねない。

 結局のところ手を出したのは向こうだが、悪人に仕立てられるのは俺だ。リーゼが反撃を許さないのなら尚更、迅速に金を作って食糧と水に変えるのが今のところベストな選択であろう。現状で欲しい金はそこまで多くはない。


 ――と、そう簡単にも行かないのは世の常で。

 俺もリーゼもそれに気付いていて、しかし互いに何も口には出さなかった。俺は一々リーゼに告げる必要がなかったし、リーゼも俺に戦って欲しくないからこそ黙っているに違いない。


 何者かが、背後から俺達を付けていた。さきほど振り切った組合ではないな――この気配からそれは読み取れた。

 別の連中だ。恐らくどこかで仕掛けてくるつもりなのだろうが……彼らの意図は、分からない。


「着いてこい、迷うなよ」

「私を何だと思ってるんですか。子供じゃないんですからね」

「俺から見りゃ乳臭いガキだがな」

「言い方ひどくないですか!?」

「んなことは酒を飲めるようになってから言え」


 ――迷うなよ。と。

 俺は、確かに言った。




 ◇




 小一時間ほど適当に歩けば俺の拠点だった場所に辿り着く。ほとんど一本道のため、まず道に迷うことはない。


 そして、一定距離を保ったその気配は町を離れても消えることはなかった。

 ほとんどが平野であるこの地でどう身を隠せば姿を見せずに尾行が可能なのかはさておき、俺は警戒を続けながらもボロ小屋の木製扉を開ける。古ぼけた木材の軋みが室内へ響く中、俺は部屋の中央天井にぶら下げていた円形の筒に軽く衝撃を与えた。すると内部から光が漏れ出し、薄暗い内部を照らす。

 これは魔力灯と呼ばれる一般的な明かりだ。魔導具に位置しており、衝撃を与えることで照明のオンオフを切り替えられるすぐれ物だが、普及率が高いために割合安価で購入可能である。


 そういえば一つ、確認することがある。()の前に腹拵えはしておかないとな。


「リーゼ、腹は減っているか?」

「え? そうですね……言われてみれば、うう……あ、減ってきた気が」


 言われて実感したのか。

 リーゼは己の腹部を擦りながらぐぎゅると間抜けな音を立て、少し恥ずかしそうに頬を染めている。


「んじゃ食っておけ。確か調理済みのやつが倉庫にあったはずだ」


 俺は土の中に埋めた木箱を開くと、中から包みを手に取って投げ付けるようリーゼへ渡した。彼女はそれを受け取ると、両手に収まった紙包みを怪訝に見つめている。


「……なんですか? これ」


 俺が渡したそれは、敢えて名称を付けるなら『ハンバーガー』であった。この世界にない食文化の産物なのだから、その疑問も至極真っ当な反応であろう。

 当然ながら材料は全てこちらの世界のものだ。動物の挽き肉に千切った野菜の葉、幾つかの調味料と香辛料を味付けにし、無かったパンの代わりにタンパク質の粉末を溶かして焼いたものを挟んでいる。

 作業の片手間に食べられる上に効率良くエネルギーを摂取することが可能な飯だ。

 ただ、味に関しては何も言うまい。試しに幾つか作ったはいいものの、とても成功とは言えなかったために同じ物を二度と作ることはない。

 というわけで、俺の返答は自動的にこうなる。


「食いもんだ」

「それは見れば分かりますけど……あっ美味しそうな匂いがします。じゃあ、はむっ――」

 リーゼは包みを開くと、その中身に迷わずかぶりついた。瞬間、時が止まったように目を見開くと、

「――おいひいしいですね、これ!」

 それはそれは満足げに言ってきた。


 一口目を一気に飲み込んだ彼女は、そんな感想を最後に目を輝かせながら食べ進めていく。


 俺は隣で売り物になりそうな装飾品をじゃらじゃらと袋に入れつつ、横目でリーゼを見やった。随分な食い意地だな、もう少し躊躇するものかと思っていたが……。


「そうか。残さず食えよ」


 旨いならばよかった。

 三日前に作ったきり放置していたんだが、そいつは言わぬが花。腐った臭いもしなかったし大丈夫だったんだろう。まぁ生肉を食えると豪語していただけはある、それならこの程度で腹を壊されてはたまらんな。


 そんなやり取りをしている内に俺の準備は終わっていた。元々やることもそう多くはない。

 魔道具に魔石に毛皮に鉱石に装飾品に日用雑貨。各種様々雑多な盗品(うりもの)を袋へ詰め終えると、すっかり飯を食べ終えて余韻に浸っているリーゼへ改めて首を回す。


「準備は出来たぞ。ところでリーゼ――いい加減、なんとかしなければならんようだが。まだ戦うつもりはないか?」

「……やっぱり、気が付いていたんですね」


 ――敵の気配は、今も外で留まっていた。俺には魔力的な生物感知は備わっていないが、人が近付く気配は察知できる。ましてそれが殺意や害意の類であれば尚更だ。


「当たり前だろう。こんな危険にも気が付かないようなら俺はとっくの昔に死体だな」

「じゃあ、なんで気付いていたのにこんなところへ――っ」


 言い掛けて、突如口籠もったリーゼ。


「まさか……わざとですか……」


 いやいや馬鹿な。俺は引きつった笑みで答える。


「流石にそこまで考えちゃいないが」

「じゃあ、どうして」

「町で尾行されていた時点で逃げ切るのは無理だ。あの町以外に行く宛がないんじゃ、必ずどこかで追い詰められていたぞ」


 それもあって、どうせならば奴らがどう出るのかくらいは確かめる必要があったのだ。俺達を尾行しているのは一体どんな目的かくらいはな。


 実際問題にして拠点は既にバレていて、だから元々俺は戻るつもりはなかったのだが。リーゼという戦力を得た時点で恐れる必要は何もない。彼女の実力はこの目で確かに確認もしたわけで、どこに居ようが問題はないと結論を下してここに来ているわけだ。

 そして奴らは来た。来はしたが、拠点の前で張っているだけで何も動きを見せない。


 俺達が外へ出るのを待っているのか?

 だとすれば何故だ。


「理由は分からん。裏にどんな意図を持っているのかも分からん。だが奴らは俺との面会をご所望のようだな」

「分かるんですか?」

「向こうが動かないんだ、俺が動くのをわざわざ外で待っているんだろ」


 俺は荷造りをしていた袋を端へ置き直すと、拠点へ戻る際に持っていた鞄を背負って立ち上がる。


「ついてこい」

「……はい」


 リーゼは何か言いたげにしていたが、逡巡の後にそう答えて俺の後ろへ続いた。彼女も色々と考えた上で決めたらしい。

 俺は扉に手を掛け、ゆっくりと開いていく。


 外に出ると、まず目に映ったのは三名の男達だ。

 彼らの背後には更に数十名の面々が勢揃いで並んで立っている。まるで軍隊か何かのようだ。やはりこれまでどうやって姿を見せずにいたのかが不思議に思えるが――また魔法か――? 厄介だな。


「随分と大所帯で現れたものだな」


 前方の三名。

 一人は毛の生えていない頭を右手で撫でつつ、無表情でこちらを眺めている。見るからに腕が立ちそうな奴だ。

 一人は着古した旅装に身を包んだ男で、両手に書類を抱えて隣の男と話し込んでいる。

 最後の一人がこちらに笑いかけ、こう言った。


「奇遇ですなぁ、旦那様。こんなところでお会いするとは……どうですかな? そちらのモノ、いえ彼女とは上手く馴染んでおられるようで」


 そいつは他の者達よりも一歩進んで、俺とその後ろのリーゼを細い眼で眺めている。

 あの時俺を案内した奴隷商が、そこにいた。


「人を付け回しておいてよく回る舌だ」

「はは、そのようなつもりは御座いません。そのように誤解なされたなら申し訳ありませんな、私共は護衛のつもりと遣っていたのですけれど」

「護衛に数十人の面子を割く馬鹿がどこにいる? 御託はいい。この際だ、俺に刺客を送った理由を言え」


 奴隷商は「はて」と首を傾げる。

 おどけた表情から発されるのは下らない戯言だ。


「おや、もしやうちの者が何か粗相でもしたのですかな」

「一分後のお前の死体を想像してみろ。これが粗相で済むのか」

「ご主人さっ、うぐ、むむー……!」


 口を挟もうとしてきたリーゼの口を後ろ手で塞ぎ、俺は続ける。


「どいつも紋章は所持していなかったがな、そんなものはお前らでない証明にはならん。実際死体や所持品からお前らの組織に辿り着くまではそう難しいことじゃなかったさ」

「はぁ。いやはや、紋章を持っていないということは裏切り者か、または追放されてしまった者なのでしょうな。これは不手際を致しました。然るべく処分はこちらで致しますのでね」

「裏切り者の始末を俺にやらせておいて暢気なもんだ」


 それを言えば、彼はにやりと笑んだ。


「――ですが結果、お金は手に入ったのでしょう? 痛み分けといこうじゃありませんか」


 パチン、と奴隷商の彼が指を弾く。書類の束を抱えていた男が一歩前へ足を踏み出し――その書類を、俺の目の前で広げて見せた。

 俺はそいつに目を通し、息が詰まる。


 皮紙一面にびっしりと書き込まれたそれ。中身は、俺がこれまでに取引をして金に換えた物品のリストだった。

 全てではないが、これだけ見せつけられれば嫌でも分かろうというものだ。


「旦那様がこちらを調べていたように、私共も調べさせて頂いていたのですよ。しかし見事な手際です、商人でもやってみたらどうでしょう?」

「……っは、そうか。こいつは笑うしかないな。お前――あの時金貨五十枚っつったのは、俺の懐事情を知った上でのことか」

「それはどうでしょうな。私は彼女の価値を正当に評価し反映させただけですよ」


 どこまでも仮面を崩さないその男に、俺は眉を寄せる。

 そこまで調べておいて白々しいことこの上ない。ただまあ、これ以上追求を重ねたところで無意味だな。


「それで? 俺の後を付け回してまでさせたいことがあるんだろう」

「ええ、お話が早い。実は用件というのは彼女にありましてね――」


 奴隷商はそう呟くと、視線をリーゼへ向けた。俺の後ろから顔を出す形で突っ立っているリーゼはじっと奴隷商を見つめている。


「それがですねぇ。何故だか彼女、私が何を言っても反応してくれないのですよ。ホラこの通り、話し掛けても返事がないでしょう?」


 奴隷商は初めて困り顔を作り、静かに首を傾げてみせた。


「なので旦那様を通じて頼みたい、というわけなのですが」

「……は? おいリーゼ、どういうことだ?」


 俺が問い(ただ)すと、リーゼは表情を変えることなく返してくる。


「この人、出会った直後に私へ乱暴しようとしてきたので……」

「そうか」


 俺は一言だけ返しておく。

 なるほど、よくありがちな事情らしい。


「……だ、そうだが?」

「そうは言ってもですねぇ、色々と確かめねばならないことがあったものですから」

「それで厄介払いに俺へ売りつけたんじゃないだろうな? いやいやまさかお前の実体験を注意事項なんて形で聞かされるとは思わなかったぞ、世も末らしい」


 俺の悪態に奴隷商は答えなかった。しかし顔には出していない様子だったものの、彼はほんの少しばかり不機嫌そうに鼻を鳴らした。俺が追撃を加えてやろうとした矢先、彼は肩を竦めてみせてから返答ではない言葉を告げてくる。


「こちらをご覧頂きたい」


 次に彼が持ち出したのは、何らかの魔石か魔道具――のようだった。懐からそれを手の平へと転がした奴隷商は、無色の輝きを放つ半透明の石を地面へ放る。

 草の上へと転がったそれが先ほどよりも強く発光すれば、前方へ何かが投射された。鈍く、しかし何らかのシルエットが宙空に顕れている。

 それは人のシルエットだった。男と女――いや、少女の姿が映っている。片方は紛れもなく俺で、もう片方はリーゼだった。


「こいつは」


 奴隷商はニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべたまま、何も言わない。

 だがその内にも、投射される映像の俺とリーゼは何らかの行動を起こしていた。良く見ると、うっすらとであるが周囲の背景も映っていることが分かる。平野自体の景色に重なるため目を凝らさなければ見辛いのだが、たった今リーゼが剣を振るっていた場面であることは分かった。

 その度に姿が点滅し、映像は俺とリーゼの二人が遠くへ去る形で消失していく。


 ――これは紛れもなくあの事務所内で行われた戦闘の一部を切り取った映像で、どうも魔石に付与された能力であるらしい。


「随分と派手にやってくれるものですなぁ。ああいえ、私共も報告を受けて犯人調査に乗り出したのですが、それがまさかあなた達二人であったとは、おおこれはこれは偶然もあったものです」

「――仕組んでいたな、最初から。ってことは酒場の情報もか?」

「はて、なんのことでしょう? 私共は施設を破壊した犯人を突き止めるべく、動いていただけなのですが」


 彼は転がる魔石を拾い上げると、丁寧に懐へと仕舞い込む。


「ガラスは製造に結構な値段と労力を消費するものなのですよ。それを割ってしまわれるとは。まさか、私もあなただとは思いませんでしたがねぇ」

「で?」

「弁償して頂きましょう。迷惑料も兼ねて、占めて金貨十枚では如何で?」


 ですが、と奴隷商は付け加える。

 分かりきった口調で。俺がどう対応するのかを彼は知った上で、その台詞を続けた。


「しかしながら払えないと思いますので、その代わりと言ってはなんですがね――私共の依頼を受けて貰いたい。それで手打ちとしようじゃありませんか」

「……依頼だと?」


 俺とリーゼは目を合わせる。

 どうにも嫌な予感しかしない。


 勿論、こう事態が運んだ理由はそれだけではないのだろうが――確実に原因の何割かを運んでいたリーゼ当人は、彼の依頼についてはさっぱりといった表情で首を傾げているのだった。

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