二十話 裏事情満載の格安宿
面倒な話が広がりそうなのはさておくとして、宿は確保できた。
居心地はどうだか知らないが、レッドシックル副船長だという人物が宿に泊まる客をふるいにかけているらしく、これ以上宿の宿泊客が増えないというのは気が楽だ。
部屋に入った俺は中を確認しつつ、窓際の隅に荷を降ろした。
リーゼも特に異存はないようで、外観以外にこれといった不満もなさそうだ。
「ではご飯を食べに行きましょう!」
彼女はどこにでもある安物の鎧を脱いで、早速そう提案してきた。
ショートソードは身に付けたままではあるが、鎧まで脱いでしまうとリーゼはいよいよ勇者に見えないな。
町娘のような服に、皮のベルトで固定しただけの剣の鞘。膝の半ばまで隠れる靴だけはそこそこ質が良さそうだが、それ以外はどこの町でも見かけるものと同質かそれ以下だ。
剣士には見えたとしても、それ以上はない。こんな細身の身体で一回りも二回りも巨大な化け物を平気で斬り裂くなど、誰が信じられようか。
そんなことを言ってしまえば、言うまでもなくこの世界の服装すらしていない現在の俺の格好など誰に文句を言われてもおかしくないわけだが……。
「ん? ちょっと待てリーゼ」
コンコン、と部屋が二度ノックされた。先ほどのガイラー・ストレイドと名乗る海賊かと思って扉を開けると、そこに居たのは最初に受付に座っていた女性だった。
「すみません。少し、宜しいでしょうか」
女性は頭を下げる。
「……ああ? さっきの。何か忘れた手続きでもあるのか」
「いえ、そういうわけでは、ないのですが」
ちらちらと辺りを窺うように目配せし、女性は何も告げずに部屋に入ってくると後ろ手に扉を閉める。
俺がその不自然さに眉間に皺を寄せていると。
「あの……旅の人ですよね。申し訳ありません、この宿、レッドシックルに乗っ取られているんです。なるべくお早い内に出て行かれることをおすすめします」
ほっと一息吐いた女性は小声でそんなことを呟き、そっと右手を俺に差し出してきた。
「……ああ、なるほど。そういう理由か」
俺は瞬時に理解する。
女性が俺に差し出してきたのは、銅貨二枚だった。
リーゼの食事はまたしばらくの間お預けとなった。
しかしリーゼは文句も言わず、俺と受付の女性の会話に耳を傾けている。
「へぇ、それでこうなってんのか」
女性に事の詳細を迫ると、やはり辺りを窺いつつ小声で返してくる。この女性がレッドシックルの男を警戒しているのは目に見えており、俺は扉の鍵を閉めて奥へと座らせた。
レッドシックル。
それはここら一帯を支配する大海賊の名で、かなり昔から存在している海の荒くれ者の集団だそうだ。
で、そこの副船長がどうしてこんな宿に来ているのかと言えば、経営しているわけでも土地の所有者というわけでもなく――当時一人で宿を切り盛りしていたこの女性に、一目惚れしたからだという。
彼は自らのことを「気軽にガイラーさんと呼べ」などと抜かし、プロポーズをしてきた。
内心では普通に断りたかったそうだが、レッドシックルの肩書きを持つ以上断ればどうなるか分からない。
そこで女性は話をはぐらかしたり曖昧な発言をして先延ばしにしていたところ、いつの間にかこうなっていたそうなのだ。
宿の宿泊客として泊まっている副船長だが何故か宿を仕切り始め、気に入らない人は客だろうと問答無用で即退去させる。
副船長が常時居座っている宿などその内誰も寄り付かなくなり、その内宿の客は彼だけになってしまった。
「けど、どうしようもないんです。あの人、何故か毎日銅貨を二枚きっちり払うので……」
「営業妨害には変わりないな。一日に入ってくる金が銅貨二枚じゃ、宿の維持費だけで潰れるんじゃないのか? 追い出すなら手伝ってやるぞ」
正当な理由であればリーゼも動くし、レッドシックルを潰せば金になるかもしれないからな。支配と同時に大海賊の強力な守りが消え失せるのは町としても痛いだろうが、そこは俺の知るところじゃない。
金のついでに一隻でも船が入れば、後は俺が動かせばいいのでな。一石二鳥の案件だ。
「いえ……それを申したところ、毎日必要な分の費用は全てあの人が払ってくれるようになりまして……実のところ、私自身に不便はありません。必要以上に迫ってくることも……今のところは」
「はぁ? ……あぁ、じゃあつまり副船長はこの宿を貸し切って、お前と同棲しているわけだ」
「そう、なりますね」
妙な律儀さが理解できないが、この女性に惚れているのは本気らしいな。
「では、迷惑が俺達に降り掛かるかもしれないから出て行ってくれ、と」
「……はい」
「断らせて頂こう」
俺は長々と話を聞いているのが馬鹿らしくなり、それまで腰掛けていたベッドから立ち上がった。俺がいない間に盗まれてはたまらないので、必要な荷を手に取る。
「別に俺やリーゼに支障はないのでな、わざわざ格安の宿から出て行く気はない。それと、アプローチの仕方が間違っているだけであの男は本気でプロポーズしてきているだけじゃないのか」
レッドシックルの立場を利用しているので質は悪いが、随分とマシな部類ではないか。
この世界ではむしろ良心的とも言える。
「断りたければ断ればいいだろう。それで何かされるようなら俺やリーゼは助けてやるが、そうでなければ話にもならんぞ。話は以上だ、しばらく俺はこの部屋を借りることにする。リーゼ、飯食いに行くぞ」
リーゼはよく分からない顔をして俺を見つめてきた。
「もっとちゃんと話してあげましょうよ?」
「じゃあお前、さっきの副船長のプロポーズをお前が断ってみるか? 無理矢理追い出してこの女の安全を確保するか? どれも違うだろう」
「そ、そうですけど……でも」
「言いたいことは分かるが、お前がいくら考えたところで答えは出ないぞ。飯食いたくないならお前がその女の相手をしてやれ、じゃあ俺は飯食いに行ってくる」
これ以上あの部屋で話を続けても意味がない。俺に付いてくるか留まるかはリーゼに任せることにする。
一方的にそう伝え、俺は荷物を背負って部屋を後にした。
「……ま、予想通りだが」
廊下に出て数秒待ってはみたものの、リーゼはついてこないつもりのようだ。どうやら、もうしばらくは女性の話を聞いてあげることにしたらしい。
それもリーゼらしいとは思うがな。
「……となると、することもない」
俺は端から一人で不味い飯を食うつもりなどはなかった。本当に腹が減った時に必要な栄養を摂れさえすれば、後はどうでもいい。
かと言って部屋に戻るのもな。あれ以上女性と話をする必要もないし、リーゼがついて来ないからといって戻るのも癪である。
ひとまず煙草でも吸おうかと歩き出そうとしたところで、目の前の扉がゆっくりと開かれた。
そこは俺が借りた部屋ではない。
そうである以上、中から出てくる人物は一人しか思い当たらなかった。
「ガイラー・ストレイドか」
「はぁん? フルネームとか他人行儀だなおい。ところでどうよ、飯でもどうだ?」
軽薄な笑みを湛えて登場してきたレッドシックル副船長の姿に、俺は若干頬の肉をひきつらせた。
「他人の部屋を盗聴するのはどうかと思うんだがな」
「は、は、はァ!? してねぇよ! 聞こえてきただけだっての!」
「よく俺が飯を食べようとしていることが分かったな」
「はっはっはっは、そいつは俺の勘ってやつだぜ?」
……愉快な奴だ。
海賊ってのはもしかしてどいつもこいつもこんな抜けた野郎ばかりじゃないだろうな。
苦し紛れの言い訳を吐く男に、俺はただただ苦笑していた。
「ったく……」
煙草を吸って適当に町をぶらついて帰ろうと思っていたが、思わぬ出来事にこちらへ来てから都合何度したかも分からない溜め息を吐いていた。
「何で俺がお前と一緒の席で飯を食わねばならん……」
「そんなことは気にするな、俺が奢ってやるんだぞ? この俺がだぞ? ありがたく思った方がいいぜ?」
現在地、大衆酒場。こんな陽も落ち切っていない昼間の時間から、俺とガイラーは酒場に訪れていた。
というか半ば連行されるような形でここに来たわけだった。
俺とガイラーは対面する形でテーブル席に座り、眼前のガイラーは早速何かしらの酒やつまみを頼んで飲んだくれている。
ちなみに俺は何も頼んでいない。腹も減っていなければ、脂っこく味付けの濃いだけの酒のつまみを食うつもりもなかった。
さて――俺はこいつのことを全く知らないが、それでもこいつの肩書きはレッドシックル副船長である。肩書きが本物であるからこそ、俺は奇異の眼差しで周囲からちらちらと見られていた。
どうしてかそこそこ活気づいているのが心臓に痛いな。
……面倒だが、そろそろ本題に入らせて頂こうか。
その本題とは俺ではなく「こいつがしたい話」であるのだが。無論そのためにこいつは俺を呼んだに決まっている。
初対面の俺を飯に誘う理由など、他にない。
「ガイラー」
流石にここでお前と呼ぶわけにもいかないだろう。仕方なく名を呼ぶと、ガイラーは一口に酒を煽ってから木製カップを勢いよくテーブルに叩きつけた。
「ぷはあぁ……! なんだ?」
「あの部屋での話を聞いていたんだろう? そこんところどう思ってるんだ」
「おいおい、まだ全く酔っ払えてねぇんだが、もう少し待ってくれねぇ?」
「やけ酒なら一人でやってくれ。俺は愚痴を聞いてやるような友人ではないし、そんな仲でもない」
まぁ、酒場に来たのは酔いたいのが理由の大半でしかない。
そりゃ自分のいない場で本音を晒け出されていたんだからな。今までストーカーのように憑きまとっていた当人としては、少しはそういう気分にもなるか。
「……はぁ、つれねぇなぁあんた。レーデつったっけか? 辛気臭い顔すんなってよ。いつもそんな仏頂面で過ごしてんのか?」
「少なくとも辛気臭い顔をしているのは俺ではない」
だが、幸いにして俺がいくらか辛辣な言葉を放ってもガイラーが怒らないのは気楽でいい。
暴言まで行けば話は別かもしれないが、通常の受け答えが出来るのはありがたい。
こんな場所でどうでもいい喧嘩に巻き込まれても馬鹿なだけだからな。
「仕方ねぇな、まだ酔いも回っちゃいねぇが。いやな、分かってんだよああなってんのは」
少しだけ酒に顔を赤くしながらガイラーは俺の質問に答える。その間に通り過ぎようとした店員を呼び、彼は表も見ずに次々とメニューを注文していく。
「そりゃ俺の年齢だ。別にそこまで歳食ってるつもりもねぇが、向こうからすりゃまた違うんだろうなぁ」
「三十代のおっさんから見る世界と十代の少女が見る世界は違うだろうな」
「まだ俺はそんなに行ってねぇよボケ」
ガイラーは驚いた顔で突っ込んできた。
見た目は若そうに見えないが、実年齢はもう少し下であったか。
「俺ぁ諦めるつもりはねぇよ? 狙った女は逃がさないってのが俺の性分なんでな」
「格好いいこと言ってるつもりなんだろうが、質の悪いストーカーと何ら変わりゃしないぞ」
「こまけぇこた気にすんな、お前も飲めよ」
ガイラーは店員が持ってきた酒を俺の目の前に勢いよく置いてきた。
中を覗いてみると、透明な液体が浮かぶのみだ。他のつまみや酒類と匂いが混じってそれがどんな酒であるかは分からないが、まぁ毒は入っていないか。
「少し頂こう」
飲むつもりはなかったが、別に酒自体は嫌いではない。
出されたものだ、嗜む程度に飲む分であればよかろう。
「どうだ、ここの酒は美味いだろ?」
無論、味はお察しの通りである。
辛さと渋さが先行し過ぎて微妙な味わいの酒に若干顔をしかめ、俺はカップをテーブルに置く。
最初から期待はしていなかったので別に驚きはない。この酒がそういう味を売りにしていると思えば、まずまずか。
味については答えず、「で」と話を切り替えた。
「あの宿に俺達以外の客がいないことからこれまでは全員追い返していると予想出来るが、それで合ってるか」
「ああ? そうだけどよ、どうかしたか?」
「では何故俺達は通した。その様子じゃ、あの女性の件に関わらなくとも俺にはコンタクトを取る気はあったみたいだが」
「あー……ったくお前って奴は雑談とかそういうのしねぇよな?」
魚の揚げ物を頬張り、ガイラーはがりがりと後頭部を掻いてそう言った。
俺は先ほどの酒を少しずつ喉に流し込む。
「まぁよ、単に気に入ったってのもあるぜ。俺のこと知らねぇのもアレだが、レッドシックルっての聞いて眉一つ動かさねー奴なんて初めて目にしたからな」
ああ。
リーゼはともかく俺は本当に知らないからな。その突飛な言動に驚きはしても、通常の意味で驚くことはまずない。
「それと――」
彼は酒の持つ手を止めた。
酒気を帯びたその顔はなりを潜め、鋭く目が細められる。
ガイラーは一瞬無言の間を作り、それから真剣な顔で顎に手を触れた。
「――若い娘連れた人生の先駆者に、ご教授を一つ賜ろうってな?」
俺は無言のまま額を手で覆った。




