二話 旅の道連れ
――勇者。
その言葉は文字通りの意味で使われているわけではない。
人類の希望としての勇者ではなく、悪を滅ぼす英雄的な意味でもなく、魔物を駆逐するために選別された存在、それを総称して呼ばれているのが勇者であった。
しかし、他にも魔物に対抗し得る存在として魔法使いという存在があるため、魔物と戦えるのは勇者だけでないということは前提として知っておかなければならない。
つまりこの世界には魔物から身を守るだけの技術があり、基盤があり、対抗する力があるということだ。なので勇者は、特殊な能力を受け継ぐ者といった認識でいいのだろう。
まず始めに、この世界には魔法という概念が存在している。
魔法とは、創作や神話などに描かれる奇跡の体現――それに準ずる力を人の身で発現させるというものだ。
火を操り水を操り大気を操り大地を揺るがし、果ては天候をも掌握する特異な力。本来では想像でしか語られない幻想を現実にて起こすのが魔法、それを操る者達がここでは魔法使いと呼ばれている。
当然、別の世界からやってきた俺では魔法を扱うことはできない。単純な話、魔法を扱う為に必要な魔力――その元となる魔素を蓄えておく器官が俺に組み込まれていないからだ。
しかしながらこの世界の住人は皆、多かれ少なかれその魔素を蓄える器官は身体の基礎にあるわけで。魔法と呼ばれる事象とまでは行かずとも、肉体を強化したり、魔素を扱った能力を起こすことはできるということ。
それは即ち、俺がこの世界で生き抜くことそれ自体の難易度が高まることを意味している。剣と鎧を装備した相手に丸裸で挑まなければならない、と考えればその差は理解して頂けるだろうが。
ともかくこの世界に於いて、魔法を使えるのと使えないのとでは決定的な差があるのだ。
そして、それは魔物にも適用されることになる。何故魔物が魔物と呼ばれているのか――そいつは単純に、魔法を使う動物を魔物と呼称しているからだった。
そのような魔物がうじゃうじゃ生息している自然である、俺一人で踏破できるはずもない。倒すことには倒せるが、相手は一匹ではないのだ。次々と襲い来る魔物の群れに一々対処しながらでは、先に俺の体力が尽きて喰われるのがオチだろう。
「そんで、こいつが勇者ってわけか?」
その為の奴隷。
俺の安全をより高めるために、魔物に対抗する何かを――。
「ええ、この娘が、今代の勇者にございます」
――探しに来たのだが。
自信満々に言う奴隷商の視線を受けつつ、俺は鉄柵の向こう側に居る少女を眺め、そして鼻白んだ。
「おい売場間違ってないか?」
「いえ、間違ってはいませんよ。この娘であればご希望に添えると思った次第で」
「思った理由を教えろ」
奴隷商はふむ、と一拍置き。
「勇者というのは旅をするもので、なればまず地理には詳しいでしょう。地理に詳しいことは旅の上で最重要と言っても過言ではありません」
「それで?」
「魔物を狩るのですから、当然戦力にはなるはずです」
「……こいつが、か?」
俺は指差す。
無垢な少女のつぶらな瞳が、先ほどから俺に突き刺さっていた。
「私、戦えますよ?」
「……」
そして口を開いた第一声が、それだった。
何故自分をアピールする必要がある。
仕事の面接じゃないんだぞ。
「ご冗談を、と思われるかもしれませんが、確かにこの娘はこちら側で間違いありません」
「そうは見えんが……」
この世界に魔法が存在していることは重々承知の上で言わせて貰う――純粋に過ぎるこの少女に、そんな役割を果たすことが可能だとは思えなかった。
そもそも何故勇者と呼ばれるような存在が奴隷になった? 魔物を狩るほどの存在が人間如きの売り物になるなど、有り得るものか。
「ええ、ええ、旦那様の疑問は当然でしょう。そう言われるとも思っておりましたので、説明を――この娘はですな、自らの意志で自分を売りにきたのですよ」
「何?」
「困窮した家族に見捨てられ、売り飛ばされる子供もいます。捕らえられ、奴隷となった者もいます。ですがこれは違う――自らを売り、自分の価値を金に変えたのです。そうでなければ勇者など我々の手に負えるはずもありませんからな。そんな商品を私用などに置いて万が一お客様のナニでも食い千切られたら……ひえっ、それこそ問題ですぞ、ははは」
奴隷商は笑いながらそう説明する。勇者であれば、やろうと思えば檻を破壊するなども朝飯前であろう、と。
「ではそこの少女は自ら好き好んで奴隷市場に居座ってるとでも言いたいのか?」
「そうではないでしょうが、この場から出ない理由はキチンとあるのですよ。売り物として残る以上は当然、売り物としての成果がなければなりません。なのに逃げ出してしまっては……残る金もありません」
「こいつに発生した金――それが枷になっている、と?」
「さてどうでしょうな。色々複雑に絡み合っているのですよ、事情というものはね」
こくりと頷く奴隷商に、俺は嘆息する。
金……どうやら彼女がこの場から逃げることによって発生する何らかの弱みがあるらしい。自身の家族か、親友か、それとも町単位での話か、多分それなりの理由は含まれているに違いない。
それにしたって、自らを売るほどの理由か。
「……なるほどな」
頷き、その上で再度勇者の少女を見据える。
純粋無垢に輝く瞳がこちらを覗き返すと、赤桃色の髪が少し左右に揺れた。彼女は何かを言いたげにそわそわしており、両手に取り付けられている鉄枷が地面と擦れ硬質な音を立てている。
ふむ。細っこい手足にしては筋肉がよく締まっている。
これは単純に鍛えているだけでは決して付かない、厳しい環境と戦闘を重ねた上での身体だ。着用する軽装も鑑みるに旅慣れた者であるのは間違いない。そしてこの世界で旅をしていること自体、魔物と戦える数少ない戦闘者を意味するわけだが――しかし。
やはりこんな少女が、と思う気持ちがないわけではなかった。
「そうだな、先の評価は撤回する。そこらの生気がない連中より使えるだろう」
「そうでしょうとも。でなければ旦那様にはオススメ致しません。ええ、実のところ……戦える奴隷などはほとんど残っておりませんので、最近入荷したこれは相当にレア物なのですよ。買うなら今の内に、でないと明日にはもう居ないやもしれません」
「なるほど。ちなみに一つ聞くが、こいつは魔法を使えるか?」
「はい、使えます!」
お前に直接聞いてはない。
俺は檻の中から聞こえる声に苦笑を浮かべ、咳払いを一つ。
「で、どうなんだ?」
「これは魔法使いではありませんが、初級に属する魔法であれば大抵は修得しているかと。それと、勇者だけの特殊な魔法を扱えるようですが……残念ながら、私は見たことがありませんので」
「そうか」
魔法に関してとんと知識がない俺は、それ以上の追求はしない。聞き返すことで全くの無知を晒してしまうのはあまり良いことではなかった。
知りたければこの目で確かめ、少しずつ集めていく方が良いだろう。初級魔法、その言葉から大体何が行えるのかは察するに難くはないのだから。
「ご購入なされますかな? であれば、諸注意の説明と手続きの方に入りたいと思うのですが」
奴隷商は手を擦り合わせ、伺いを立ててくる。
「……そうだな」
彼の話に嘘は混じっていなさそうだ。
俺が事前知識として調べておいた魔法や勇者などの情報との差異もなく、また不審な点も特には見当たらない。嘘でないだけであって、正直に全てを喋っているわけでもないのだろうが。
後は、俺が魔力を感知出来ないのが痛いところだ――まぁ、この少女の実力はあると見ていいだろう。肉体の練度もこの若さでは十分、後は魔法と勇者の力とやらを組み合わせれば、魔物に対してもやっていけると俺は判断する。
よし。
「いいだろう。では――値段は?」
「ウチの商品の中では文句無しでトップクラスの性能を誇ったモノですので、通常の奴隷の相場でという訳にはいきません。若さと美貌、魔力資質、能力の高さ、勇者という極めて特異で特殊な能力。占めて金貨百枚では如何でしょうか」
「おい冗談は止せ。相場の十倍とは流石に舐められたもんだな、それだけで普通にしてりゃ一生暮らせるぞ」
本当の相場が分からなくとも、こういった場合は一度高いと言っておくのが交渉に於いては正しいと言われている。それに俺は奴隷自体の相場なぞ知らないが、これは吹っ掛けられているレベルで高かった。
「いやいや旦那様、奴隷を買うような身分なのですから普通ではないでしょう? 普通の人は奴隷など一生買えません。ここは、そういう場所です」
「そんな当たり前の返答を聞きたかったわけじゃないが」
「――つまり、値下げをご所望で?」
片眉をつり上げ、奴隷商は含み笑いを浮かべる。そして、
「丁度良かった。実は、こちらとしてもそのままでお売りすることはできないのですよ。とある理由を持ちまして、ぐっとお安くなるのですが」
最初から答えを用意していたかのように、そう言ってのけた。
「……お前、俺が即決していれば何も言わないつもりだったな?」
「いえいえ。信用一番の商売ですから、そのようなつもりはございません。ですが旦那様が初だと言うので、通常ではこうなりますよという値段を口にしたまででして」
舌の回る奴だ。
俺は言い返そうとした言葉を呑み込み、さっさと話を次に進める。
「で、とある理由ってのは何だ?」
「契約ですな。こちらは事前に調べているとは思いますが」
「奴隷契約のことか?」
「ええ。実際にやったことは、流石にないでしょう?」
答えを返せば、満足げに頷く奴隷商の笑顔が嫌でも目に映る。俺がその事柄を知らなければ恐らくはボるつもりだったに違いない。
しかし所詮はこの町の連中から奪った金だ、別に多少値段が釣り上がったところで痛手になるわけでもないが、そこまで好き勝手にさせるつもりは俺にない。
確かに俺はまだこの世界に関しての知識は少ないが、それでもこれからやることについての下調べは行ってから進めている。
そのために言語と文字も、この一ヶ月で不自由がない程度には覚えてきたのだ。会話ができなければ話にならないからな。
さて――奴隷契約とは、奴隷と主の間に交わされる儀式である。奴隷を買う際にほとんど必ず行うものであり、それは奴隷が主に抗えないようにするための術式を身体へ刻む行為のことを指す。
主の希望があればそうしないことも可能ではあるが、それは奴隷を奴隷として扱わない場合に限るだろう。勿論普通は意味がなく、それが戦闘者ともなれば主の危険に直接繋がるために尚のこと利点がない。
そんな話を持ち出してきたのだ、奴隷商が言う理由とはこうであろう。
――奴隷契約には一部例外がある。それは、契約を行うことのできない者達が存在する、ということだった。
「これは戦える奴隷――特に魔力資質が高い奴隷に多いのですが、稀に契約を受け付けないモノがいるのですよ。これがその例外でありまして、そうなってくると売り物としては不良品になります。ですので、半額で売らざるを得ないという話でして」
「それでも相場の五倍だが?」
「能力的な問題がありますから」
「契約が行えない以上、その能力が高すぎるのがむしろ問題だろう? こいつが俺の寝首を掻かないと誰が保証できる」
高い金を払って反逆されるなど目も当てられない。それでは奴隷を買う意味が全くないのだ。
俺の意見に奴隷商は「ふむ」と呟くと、少し考える様子の後にこう口を開いた。
「そうですな。ですが、他の奴隷で代用するともなれば勇者のようにはいきませんぞ。魔物と戦い、旅を続けるならば尚更――魔物は一対一で戦うのではなく、チームを編成して攻略するものです。ウチの他の商品では他の最上位の奴隷でも最低五人以上合わせて行かねば魔物は打倒できないでしょう。しかも戦える奴隷はそれだけ稀少かつ高級な品でして、一個人の財産で揃えるには現実的ではありません。魔物の討伐隊を奴隷で組むなど普通は組織レベルでするもので、旦那様のご要望は言ってしまえば無茶振りなのですよ。初回だから仕方がないとはいえ、こちらが掲示できる現実的かつ最善の提案がこれだということは承知して頂かなければなりませんな」
「……そうか。そいつは悪いことを聞いた」
確かに、奴隷商の言っていることは正しくはある。魔物は強く、人はあまりにも弱い。だからこそ魔物と戦える人材は必須であり、重要であり、奴隷という勝手が利く代物なら尚更高価にもなろう。最悪、使い捨てにしたって被害は金銭の損失だけで済むのだから。
それは分かっているが、俺の全財産にそこまでの余裕はなかった。ボるボられる以前に、元手となる金がなければ話にはならないのだ。
それに奴隷は買って終わりではない。何人も購入するともなれば、その分食料を初めとする維持費が掛かる。俺にそれを安定供給できる懐はなく、だから買うにしても精々二人までが限度だ。
彼の言う五人には遠く及ばない。
「後者の提案は確かに無理だな。俺が払える限界は先ほどの金貨五十枚――丁度。そして、それ以上はない」
「でしょう。その辺りだと踏んではいました。三桁もの大金を持ち込める人物であれば、とっくにご自身の私兵くらいは所有していてもおかしくはない。すると旦那様の全財産は金貨五十枚、と」
「そうなる。だから、できればもう少し譲歩してもらいたいのだが」
「それは困りましたな、二重の意味で。旦那様は勇者を買えば一文無し、ですがこちらも値段を下げるつもりはありません。ただでさえ半分になっているのですから……」
と言ったきり口を閉ざすと、奴隷商は交渉は受け付けないとばかりに腕を組んだ。これ以上を求めることは不可能そうだ。
さて、どうするか。
俺は考える。
ここで金を払えば本当に一文無しだ。いや、金貨ではなく――その下の小銭程度ならば幾らか別の袋にも入れてあるため、全くの無一文というわけではないのだが……。
それに勇者を購入した場合、それを知った相手は警戒して俺を襲ってはこなくなるだろう。つまり、半分の目的は達成する形にはなるのだが、同時に当面の収入源が無くなることを意味するのだ。
それは俺の望んだ結末ではない。しっかりと根元を潰して断ち切りたいため、相手との禍根を残したまま終結させるような中途半端な結末にはしたくはないのだ。
別の場所へ旅立つ以上はさして重要でないかもしれんが、それは俺の相手がどこまで手の回る組織かにもよる。どのような形にせよ、決着は付けておきたかった。相手が、二度と俺に手を出したくないと思ってくれさえすればいいのだが――勇者を買ってそれに守られているだけでは、流石に無理だろうな。
さて。
様々な要素を加味した上でそれだけの価値がこの勇者にあるか、だが。金貨五十枚と引き替えに魔物と対抗し得るだけの戦力――だが俺の手に余るかもしれない可能性。
リスクは大きいが価値はある……なら、そうだな。
「契約が行えない以上、これは信用の問題になる。客と商人とではなく、主と奴隷のな。少し、こいつと話をさせろ。そういう提案は構わないか?」
「それで旦那様が納得なされるのでしたら」
恭しく頭を下げ、一歩身を引いた奴隷商はそのまま檻から離れた位置へ後退する。代わりに俺は一歩前に出、先ほどから何度か口を挟んできていたその少女を見下ろした。
「お前。何故、ここにいる?」
「えっと……どう答えればいいんでしょうか。売られてきました」
「そんなことは分かっている。俺は何故かと聞いているんだ。単身で魔物を退ける力を持つのならば、檻を抜け出すなど造作もないだろう。何故そうしない?」
「……約束ですから。私がここを抜け出すのは簡単ですが、それではこの方達を裏切ることになります。それは悪いことで、いけないことで、やってはならないことで、なので私はこうしています」
こいつが一瞬何を言っているのか分からなかった。
俺は一度奴隷商へ視線をやり、それからもう一度少女へ向き直る。
「別に義理を感じる相手ではなかろう?」
「でも、約束は約束です。私は誰かに買われるまでは、ここにいるつもりです」
「例えここにいれば死ぬとしても?」
「死にませんよ、私は勇者ですから」
「……魔物にこの町が襲われ、壊滅するとしてもか?」
「え、えっと。その時は、ちょっとだけお願いをして外に出してもらえば、というか、はい。でも何とかします」
「……そうか」
――イカレている。
というのがまず俺がこいつに抱いた印象だった。
どこまでも透徹して無垢な少女は、自分が何を言っているのかを正確に理解して言葉にしている。この少女は自らが力を持った上で、自ら己を縛っていた。それができてしまうから自らの意志でそれをせず、彼女は望んで己を奴隷へと落とし込んでいたのだ。
そもそもこいつは奴隷市場で商品として売られていることそれ自体を何とも思っていないらしい。恐らくは自分が危険に放り込まれていることなど、微塵も考えてはいないだろう。
更にこいつは魔物が来れば倒しに行くとまで言っている。馬鹿馬鹿しいことこの上なかった。
「お前はどうして自分をこんな場所へ売った?」
「友達を助けるためです」
「――は?」
俺は思わず聞き返す。
「沢山のお金が必要でしたので、私を売ればなんとかなると思いまして」
――馬鹿だ。
俺はこいつの認識を改める。素直と言えば聞こえは良いかもしれず、生真面目と言えばまあそうかもしれない。だがこいつは間違いなく馬鹿だった。純粋無垢を通り越している。
最初は何らかの人質を取られて動けないのだろうと思っていたのだ、奴隷商の台詞にそのような含みは確かにあったのだ。
だがこいつの口調がそうではないと告げている。大金が必要な友達の為に自分を売った――しかも逃げ出さない理由が、奴隷商を裏切る行為だから? 全く意味が分からない。
お人好しというか、そういったレベルじゃないぞ。
「……こいつ馬鹿だ」
「なっ、いきなり、ば、馬鹿って」
「いやお前、その友達とやらに騙されているんじゃないか?」
「違います、そんなことはありません」
「お前、いきなり知らない奴から『お金を貸して下さい』って言われたら貸すのか?」
「知らない人でもないですから! でも……困ってるなら貸しますけど」
「あからさまに怪しい奴から『道に迷ってるんですが』って道案内頼まれたらお前ほいほいついて行くだろう」
「私が案内するんですよね? それ私がその人に案内されてませんか? ですから困ってたなら助けますって」
「……こいつは馬鹿だ」
「二回言った!」
「お前は馬鹿だな」
「そんな優しい目をして言わないでください!」
大体こいつの性格は分かった。
俺は続けざま、こう問いを投げる。
「分かった。お前は何でも人の言うことを聞く奴なんだな。じゃあ俺のために人を殺してくれ」
「――嫌です。私はそんなことしませんし、させません。私は誰かの命令で動くんじゃなくて、私がしたいと思うからそうするんです」
ああ、そうだろうな。
そんなことが可能ならば、こいつはこんな場所で檻に閉じこめられてはまい。
それまでの応酬とは打って変わって声のトーンを落とした彼女。刺すような視線を俺へと飛ばし、きっぱりと否定した少女は首を横に振る。
「あの。というか私、別になんでも人の言うこと聞くわけじゃありませんから」
「分かった。じゃあ半殺しで頼む」
「全然分かってないですよね!?」
「ちょっと殺すだけでいい」
「ですから! ――嫌です、そんなことのために私を買うつもりなら私は動きません。従いません。何をされても絶対言うこと聞かないですから」
「分かった。奴隷商、こいつに決めた。金貨五十枚――出費は痛いが、払わせて頂こう」
「えっあの、人の話聞いてました? 聞いてませんよね? ほんとに動きませんからね、いくら買われたからとはいえ嫌ですからね! ねぇ! 聞いてますかー! あれー?」
俺は叫び続ける彼女の悲鳴をスルー、檻から身体を反転させ奴隷商へと声を掛ける。
「よろしいのですかな? あまり円満とは行っていないようですが」
「構わない」
こいつは所謂、万人の想い描く勇者像をそのまま体現した――そういう存在だ。悪しきを罰し、困窮する者を助け、人々の危機には駆けつける。弱気を助け強きを挫く――だが奴隷市場という存在そのものを破壊しようとはしないあたり、精神はそこまで子供というわけでもなく。
ならば、俺の助けにもなってくれよう。
懐から麻袋を取り出した俺は、奴隷商の手にそれを握らせる。袋の中にたっぷりと詰められ、じゃらじゃらと音を立てるコインは正真正銘俺の全財産だ。奴隷商は「おお」と声を漏らし重たそうにそれを持ち上げると、側にある机へと持っていき中身を逆さにする。
「ええ……ふむ。確かに、ありますな」
金貨を手に取り、それが本物かどうかを確かめ、奴隷商は一つ息を吐いた。並べられた金貨を一つ一つ丁寧に積み重ねると、空になった袋を俺に返してくる。
「代金は確認致しました。では注意事項を……如何なる理由でも一度購入された奴隷を返品することはできません。こちらは今後の責任の一切を持ちませんので、奴隷の管理は全てそちらでお願いします。奴隷による如何なる損害も私共は関与致しません。あまりに不適切な扱いを奴隷に行う方は今後の取引には応じかねますので、ご理解を」
「分かった。以上か?」
「はい。これが最終確認ですが。本当によろしいですかな?」
「ああ」
再び頷く。
すると奴隷商も了承したのか、胸ポケットから鍵を取り出す。それを手に檻へと向かうと、その扉を開いた。ぎぎぎと重い鉄が軋む。
続けて奴隷に取り付けられた手と足の枷を外すと、少女は嫌そうな声と共に檻から出てくる。
「こちらを」
少女の首輪より繋がっている鎖を俺に持たせ、奴隷商は薄く笑みを作った。
鎖を受け取り、ずっとジト目で俺を睨み続けていた少女へ視線を合わせる。少し鎖を引っ張ってこちらへ引き寄せると、若干ばかり苦しそうに呻きながら傍へと歩いて来た。
「契約に関しての手続きはありませんので、こちらで取引は終了となります。これより取り上げていた彼女の装備をお持ち致しますが、町を出るまでは着用させないように。同じく奴隷を野放しにされると困るので、首輪も町を出るまでは付けておくようにお願いします。いや、まぁ見た目が少女ですので大丈夫とは思いますが、一応というワケで。首輪の鍵はこちらを、では少々お待ち下さい」
俺に鍵を手渡し、少女の装備を取りに奴隷商は去っていく。
残された俺は右手に巻き付く鎖の冷たい感触を確かめつつ、その先で相変わらず俺を睨んでいる少女へ――逆に睨み返した。
「嫌なら今すぐ首輪をぶっ壊して俺を殺せばいい話だろう」
「……嫌です。どうして、あなたは私を買ったんですか」
「先ほどのは方便だ。別に、お前に殺しをさせるつもりなど毛頭ない」
「……えっ、そうなんですか? そうは聞こえませんでしたが……」
これ以上の関係悪化を防ぐためそろそろ釘を刺しておくことにしよう。
俺は彼女の台詞には返答をせず、代わりにこう訊ねた。
「お前、名前は?」
「あ、えと……リーゼ、ラーグレス・リーゼです。その、さっきの、ほんとですか?」
困惑気味に名乗った少女は、まだ信じられないといった風に俺を見つめているのだった。




