十四話 侵攻するは魔物の群
「一つ聞きたいことがあるんだが」
ラディアンから借りた一室。
質素な造りの部屋に本棚が一つ、作業机が一つ、ベッドが一つ。
畳にして六畳ほどの広さで、ガラス窓が二枚あるという風通しのいい室内である。現在は夜のため窓は閉めてあるが、左右の二枚を適度に開けるだけで夏場でもそれなりに涼しい空間が期待できるだろう。
俺達二人に提供するにしては、十二分に過ぎる所である。
後で改めてお礼を言わねばなるまい。
それと本棚に収納されている本を読んでもいいか、後でラディアンに聞いておくか。
「な、なんですか……あっ、こっち向かないで下さいね? 絶対ですからね?」
現在。リーゼは自分で傷を確認すると言って、今は上半身裸になっている――はずだ。見てないから知らん。
俺が後ろを振り返らないか心配なのか、そんなことを至って真面目な調子で念押ししてくる。
「……分かっている。というかお前俺と初めて顔合わせた時下着姿だったろ、今更気にする必要がどこに――」
「ああぁあ! それとこれとは話が違いますよ……!」
「……分かったから大声を出すな、いいな」
これ以上は家族の迷惑になりかねない、と俺はリーゼを黙らせた。
頭が痛くなるのを感じながら再び口を開こうとして――今は締め切られている窓を見、ふとそこに映る自分の姿を久々に目に入れた。
無論この位置からリーゼの姿は見えないようになっている。
こちらに来てから鏡なんてものを欠片も見なかったせいか、そこにはやつれた男の姿があった。放置していた黒髪は伸びてきて、流石に一ヶ月も放置していれば薄毛でも少しは顎髭も伸びてくる。
そろそろどこかで剃っておきたいところだが、今やるべきことではないか。
「んで、聞きたいことだが」
「何でしょう?」
「戦闘時、何か技の名を放った途端に力が増していたようだが……あれも勇者としてのものか?」
「あぁ、あれですか」
もういいですよとの声で後ろへ視線をやれば、衣類を着直してこちらを見つめているリーゼの姿があった。勇者にしてはみすぼらしいが、一般的な旅装だ。現在は胸当てなどは外しており、手甲や脚甲のみを装備している。
「あ、軽い打ち身だけなので処置は必要ないです。纏虹神剣ですよね」
「ならいいが、軽い怪我をあまり楽観視するんじゃないぞ。ああ、そのなんとかというので合っている」
リーゼは苦笑しつつ、耳の裏を軽く掻く。
「えと、似たようなもので、いつも働いている加護を意図的に強めるんです。普段はやりませんけどね……ちょっと疲れちゃうんで」
「通常時よりも更に強化されているわけか」
「剣だけですけどね」
つまりはそれだけの相手だったということだ。
ジェスチャーをするリーゼに続けて訊く。
「そいつは何回使える?」
「あー……試したことはないんですけど、でもあれだけなら結構使えると思います」
「ほう? その口振り、他にもあるのか」
相変わらず勇者の文献など出てきてはいないが、まぁ一つだけしか技がないというのもおかしな話というものか。
「はい。神触結界や天聖虹陣などですかね」
「いやそんな技名で言われても俺は分からんのだが」
「あっすみません。神触結界は盾みたいなもので、天聖虹陣は自分の能力を一時的に底上げするんです。それぞれ別々に使って何回持つかは分かりませんけど、これら全部を使って維持できる時間はそんなに長くはありません」
「はぁ、なるほどな」
勇者のみが持たされる独特の能力、というやつか。
不確定な要素が多すぎて何とも言い難いが、この世界にある魔力を用いた魔法とは隔絶した力ではあるのだろう。
これまで戦ってきた相手の魔法が強いのか弱いのかといった判断は俺にはできんがな。
「とりあえず今言うことはないが、あまり無茶だけは重ねるなよ」
「はい……? 分かりました、心配しなくていいですよ」
リーゼはよく分からないといった風に首を傾げる。
それには取り合わず、その仕草とほぼ同時に叩かれた扉の音に反応をした。
「晩飯出来たけど、早く来ないとなくなるからな」
フィンか。
随分とぶっきらぼうな呼び掛けだな。
「分かった、すぐ準備しよう」
リーゼに目配せをしてから立ち上がり、扉を開ける。リーゼも軽く服装を整えてから俺の後に続くのを一瞥し、俺はフィンに付いていった。
晩は固めのパンに塩味の効いた芋類のスープといった献立であった。干し肉が数枚真ん中の皿に置かれていたが、それらはほとんどフィンとリーゼが手を付けていたので俺が食べることはなかった。
質素な料理といえばそうだが、これでもかなりの待遇で歓迎されているのは分かる。
このご時世、しかも小さな農村だと一食で数品も出す家庭など珍しく、それなりの町に出て料理店にでも行かなければそう食べはしないからな。
リーゼがそのことを分かっていて常の食い意地を発揮しているのかは知らないが、それはそれとして俺の方は食事の間に色々と話を進め、結果今日は夜遅くで失礼に値するということで村長やサーリャとの邂逅は明日にする方針になった。
村への帰還を報告するだけならまだしも、いきなり部外者の俺やリーゼが現れて込み入った話をするのもどうかというものだしな。
これについては急いでいるわけでもないので明日でも一向に構わないと伝え、それで落ち着いた。
件の魔物については保留し、滞在する期間中はリーゼが警戒をしておくことになった。山からこちらまでやってくる可能性がゼロだと言い切れない以上、そこはリーゼに頼むしかない。
彼女も自ら進んで村を守りますと宣言し、明日村長にその話も通すこととなった。
それと余談に近いが、部屋に収納してある本は自由に読んでいいそうだ。
滞在している内に読み切れるかどうかは別にして、それは素直に感謝するところであった。
そうして食事は終わり、俺は今家の外で一人煙草を吸っていた。この世界産ではない上質な煙草葉がジッと燃え、口から白い煙を吐き出す。
まだ量は鞄にあるが、これもその内なくなるのは確かだ。
そうなれば前の世界へと取りに帰ることなどできないし、この煙草に関しては同質の物を新たに生産など不可能である。
代用の植物が栽培されていないなら上質な煙草など作りようがない。
そろそろ節煙でもしなければならないと分かってはいるものの、こうした時間があれば手を付けてしまうのが煙草だ。依存率は相当に高い。
しかしながらこちらの世界に売っているクソ不味い仕上がりの煙草は一生吸わないと決めている以上、いつでも止められるようにしておかねばな。
「さて……一服が終わったら俺も、寝るか」
リーゼは食後の食器洗いなどの手伝いをしているので、そっちは任せておけばいい。湯浴みも出来るそうだが俺は明日にさせて頂こう。
ベッドはリーゼに渡すつもりだ。
俺は部屋の床でいいので、身体の汚れを気にする心配などはない。
俺もそれなりに疲れた、明日に備えてゆっくり休んでおかねばな。
早朝から村は動いている。
農作業とはそれだけ朝早いもので、こんな陽も出切っていない内から畑に立っている村人がちらほらと窺えた。
「起きたのか、お前にしては早いな」
「んん……おはようございますー……」
俺が寝起きの状態で窓外の光景をしばらく眺めていると、もぞもぞと布団を剥いでリーゼも起き出してきた。
寝惚け眼で辺りをきょろきょろ見回していたが、その内眠気も覚めたのかベッドから降りて立ち上がってくる。
「ん、ん……っと!」
伸びをして、そんな間の抜けた声を洩らした。
リーゼはサフィリーの古着と思しき寝間着を着用しているようだ。ただ彼女にはやや大きいようで、伸びをする度に余った腰回りの布地がゆらゆらと揺れている。
俺はリーゼが部屋に戻る前に寝てしまったから把握していないが、リーゼは昨日の内に身体を洗っていたのだろう。
髪も以前より艶が出ており、清潔且つ女らしさが出ている。
俺もリーゼも身体をしっかり洗ったのは数日前のガレアで最後だった。それまでは濡らしたタオルで拭う程度のことしかしていなかったので、さぞ嬉しいだろう。
旅生活じゃ毎日身体を洗うことなんてどうしても出来ないからな。特にリーゼは女の子だ、そう間隔を空けたくはないだろう。
俺も後で浴びさせて貰おうと思いながら、本格的に起き出すことにする。
とりあえずいつでも動けるように準備はしておいて、もう少し明るくなってからリビングに行けばいい。この時間じゃまだ全員寝ているだろうしな。
「あっ、そういえば。レーデさんってば寝るの早すぎですよ。サフィリーさんが『起きた後でいいから身体清めておきなさい』って言ってましたよ。はい、これタオルと着替えです。ラディアンさんのですけど気にしないでって言ってました」
「あぁ……丁度いい、浴場まで案内してくれ。皆が起きるまでに終わらせてくる」
気が利く家族だ。
俺はリーゼからそれら一式を受け取り、毛布代わりに着ていた上着を脱ぎ捨てた。
「ふうむ……お主がラーグレス・リーゼ――というのじゃな、聞き及んでおる」
村長の住まう家へと向かったのは太陽が真上へ到達する少し前のことであった。
ラディアンとリーゼが同行する面子に加わっている。無論、俺とリーゼは寝間着として用意された衣服を脱ぎ、普段の旅装の格好だ。
村長の家は他の家と違って大きな構造をしており、どうやら二階があるようだ。
伴侶と住んでいるらしいが、もう片方の姿は見えていない。
玄関に顔を出した村長はラディアンからの軽い説明を受け、目を瞬かせながらも何度か頷きを見せた。
「本当にお若い……この度は申し訳のないことをしました。勇者様のお金を貰い受けたとは何たる幸運よ……この恩、儂は一生忘れませぬ。使い走りでも必要あらば、儂ら全員使ってくれて構いません」
「えっ? 私はお金なんむぐっぐぐ、ぐ、むうううー……!」
俺は話のできなさそうなリーゼの口を塞いで後ろに下がらせた。
なるほど、そりゃいくらなんでもリーゼを奴隷市場に売り出したなどと言えるはずもないからな。
勇者の持ち金を借りたとか貰ったとか、そう誤魔化して村長に説明していたのだろう。
本当のことをそのまま言ったのだとすれば、今頃村長は土下座じゃ済まないことをしてくれているに違いない。何なら首か腹でも切りそうだ。
「気にしていない、と言っていますのでその点はご心配なく。失礼、申し遅れました。俺は勇者の連れで、名前をレーデと申します」
久々に丁寧な敬語を使った気がするな。
しかし連れとして考えればこの辺りが妥当だろう。あまり堅過ぎても逆に気に掛かるし、相手は村長だ。いつもの調子で行くよりはこちらの方がいい。
「レーデ、か。いいや、助けてくれた者には礼はしなければならぬ。今とは言えぬが、必ずどこかで助けになろう」
「……このご時世、有り難い話です」
「こんな時だから、じゃよ。儂までもが大恩を忘れるわけにはいくまいて」
芝居掛かったような深々と重い台詞が、村長の口から吐き出される。
「こんな時――確かに、そうかもしれません」
俺はまだこの世界の全容を知っているわけではないが、一部は本でも学んだ。数十年前、それこそこの村長が赤子に毛が生えた頃での時代は――今よりも、少しはマシだったのだろうか。
この辺りのことは実際にいない限り判断は付かないが。
至極もっともなその意見に、俺は同意と肯定の返事をしておいた。
「して、お二人はサーリャをお捜しでしたか……ふむ、丁度と言っていいものか、悪いと言っていいかは分からぬが」
心してお聞き下され、と発した彼の瞳が強い意志を宿す。
俺は村長を見据え、直感的に何かが起きているのだと悟る。それは確実に、悪い意味での方であった。
「ここより北西へ位置するリオン村にて魔物が出現したとの情報が入ってな。サーリャは今朝、その村へ向かってしもうた」
額に深い皺を幾つも刻み、村長は深刻な目付きでそう言った。




