九話 盗人に一滴の情けを
ガレアは、整った町という印象が強いところであった。
様々な建物が塗装をされた状態で立ち並び、雨上がりの町を町人が歩いている。
店内から出てきた従業員が店前に溜まる水を掃除していたり、買い物客や町の外に出掛ける者などまちまちで――少なくとも。
「こりゃ確かに、天地の差とは言い難いが……向こうとは大違いだな」
どうして向こうの町に住んでいる連中がガレアに移住してこないのかが不思議なほど、小綺麗な町だ。距離もそうあるわけではなく、見ただけでごろつきと分かる野郎もそこまで堂々としていないし、数も少ない。
「くそ、正当に金稼ぎをすんのは勘弁なんだがな……」
「あー、聞こえましたよレーデさん? 駄目ですからね、悪人だからってこらしめてお金なんて取ったりしたら自分も悪人になっちゃうんですからね?」
「悪人に対する悪人は善人に対する悪人ではないだろ、気にするな」
表向き良さそうな町というのは、その分裏を抱える可能性を秘めている。そもそも、この世界で地球以下の治安はあってもそれ以上はないだろう。
全体的に法律敷かれぬ世などに安寧など存在しないのだ。
俺は隣でごちゃごちゃ言っているリーゼを完璧にスルーしつつ、腰に下げた金貨袋に手を当てる。
銀貨一枚と少し、恐らくは宿などという上等な施設に泊まるだけの金額はないだろう。野宿も出来るが、リーゼがどうなのかは知らん。
まぁリーゼの一方的な都合で駄々をこねるんだったら、正当に働いて宿代を稼ぐのは俺でなくリーゼにやって貰うことになる。
それくらいはやってくれるよな。仮にも金貨六十五枚、単位に直して6500もの大金を支払って購入した奴隷だ。助けられた恩は感じて貰わねばなるまい。
「なぁリーゼ。地図が欲しいんだが、どこに売っているか分かるか?」
「ええと……地図、ですか?」
ま、宿とか以前に揃えたいものはある。地理に疎い俺には世界地図と大陸図が必要不可欠だし、もっと言えば町の地図もあるといい。
一つの町にそう長く滞在するわけではないから、ぱっと見てある程度の判断が可能になる地図は非常に便利だ。向こうにはそんなものは売っていなかったしそれらしい店も配置されていなかったがな。
しかし町の規模がこちらより小さかったのもあるだろうが、あの町にゃ煙草なんて物が売っていて地図が売っていないのは論外である。
まぁ金持ちが軒並み無くなった今じゃ、煙草屋もすぐ移転になるだろうが。
「すみません、分からないです」
「お前意外とポンコツだな」
「意外ってなんですかぁ? 仕方ないじゃないですか、地図持ったことないですし」
「仕方ない、適当に回って探してみるしかないか」
その過程で色々と発見があるかもしれないし、いい感じのいざこざに出会えりゃ僥倖だ。
……いいや、リーゼの手前止めておこう。それに、この町でもあまり悪名を高めてしまうと前回のように面倒な目に遭わされかねない。
よっぽどのことでもない限りは我慢してやろうじゃないか。
金はあるとは言えないが、まだ少しは食い繋げる。
「しかし、雨上がり後すぐにしてはそれなりに人が通――」
ドン、と誰かが背中にぶつかってきた。余りにも唐突かつ勢いがあったために前方へよろめくと、ぶつかってきた少年らしき姿の不届き者が後ろを振り返って頭を下げつつ走り抜けていく。
「急いでんだ、すまない!」
「すまないって、そんな次元じゃねぇだろうが……」
全力疾走でもしていないと出ない速度だったんじゃないか、というほどの威力だったぞ。
そのまま人を縫って消えていった少年に思わず舌打ちし、俺はすぐにある可能性に辿り着く。
こういった場合、偶然ぶつかることが自然であると考えるのは馬鹿だ。ああいう礼儀も世間も知らなさそうな子供は大量に存在しているが、それ以前の話。
俺とリーゼは他所者だ。当然旅の格好をしているのは誰から見ても一目で分かるものであるし、つまり――。
金貨袋が、ない。縛っていた紐も丁寧に解かれている。クソが。
後ろ手にそれを確認した俺はもう一度舌打ちし、リーゼに言った。
「あの子供に金持ってかれた。顔と服装、逃走経路は分かるか?」
「え、えええ? 今の一瞬でですか? はい、分かります」
「追え、骨の一本も残さず粉々に破壊して現実を分からせてやれ」
「それは流石に酷いですって!」
「下らないやりとりをしてる暇はねぇぞ。金が無くなれば今持ってる食糧が尽きたら終わりだ。俺もお前も飢え死にだ、勿論甘いものなど一生一欠片も食えない。それでいいのか?」
「――行ってきます」
やけに真剣な顔付きになったリーゼは両足に虹色の光を纏い、鋭い音を鳴らして少年が逃走した方へと飛んで行った。人だかりをその上から通り、遙か先にて着地するのを境に俺の視界から見えなくなる。
すぐに少年の悲鳴のような断末魔のような叫び声がこちらまで届いてくる。
流石戦闘特化だ。
俺は「よくやったリーゼ」と一人呟き、見失わない内にとリーゼを追い掛けた。
「はなっ、離せよ!」
人通り少ない路地裏の一画にて。
俺は拘束した少年を眼下に置き、仁王立ちで睨み付けていた。
リーゼは「子供ですからね……?」と甘いことを囁いてくるが、その一切を耳に入れないまま少年と同じ視線まで腰を下ろす。
「人様から金をくすねるってのがどういう行為だか、分かっているな?」
「うるせぇ、こっちは生活で苦しんでんだよ! お前ら金持ちから盗って何が悪い!」
「金持ち、だと?」
俺は少年が大事そうにポケットにしまっている金貨袋を取り上げ、縛っていた紐を緩めて逆さにした。
じゃらじゃらと落とされる銀貨一枚と数枚の銅貨、鉄貨を見て、少年は驚いたように目を見開く。
「……っ……! なん、お前、旅人だろ、なんでこれだけしか持ってねーんだ!」
「正直者なのは結構だが、発言する相手と場所を選ぶんだな」
「レーデさん、駄目ですよ手を上げちゃ!」
分かりやすく右拳を上に掲げて脅すと、何を勘違いしたのかリーゼは俺の腕を両手で引っ張って押さえようとしてきた。存外力が強く、本気で前へと力を入れたのにも関わらず肩の後ろまで腕を固定されてしまう。
「……待て、リーゼ。殴らんから手を離せ」
一人ならどうしていたか分からなかったが、リーゼの居る目の前で明らかに抵抗のできない子供を殴るはずがない。
とは言え殴るそぶりを見せたのは軽率だったか、だらりと下ろした腕の肩間接部分が痛みを発している。
少しは手加減して欲しいもんだ。加護で強化された腕力に一般人の俺が耐えられるわけないだろう――と、そんなこと言っても仕方ないんだがな。
「お金は無事取り返したんですから、ひとまず怒るのは止めましょうよ。それにこの子だって何か理由があるかもしれませんし」
「そりゃ理由はあるだろうがな。だが子供って理由なだけで甘やかすのは違うぞ。悪いことは悪いことでしかない」
「悪人に対する悪人はーとか言ってたレーデさんに言われても説得力ないです」
何故俺が叱られなきゃならん。
落とした金を拾って金貨袋に入れ、俺は小さく溜め息を吐く。
ここ最近で一気に溜め息を吐いた回数が激増した気がするのだが、そろそろ頭部のどこかが禿げやしないだろうか。溜め息は幸運を逃すとも聞いた覚えがあるが、こうして絶賛不運に見舞われているのもそれが原因じゃないだろうな。
下らない思考を中断し、目つきの悪い少年の顔を覗き込んだ。フードに隠れていた顔は今や剥き出しになり、涙を溜めた目が俺を睨み返してくる。
まだ年端も行っていなさそうな顔立ち、茶色くぼさついた髪の毛。声は高いが性別は男で合っているだろうか。目を引かないように全体的に落ち着いた服を身に付けているようだが、剥いでしまえば似合わないの一言に尽きるものであった。
「仕方ない。隣の連れがうるさいんでな、お前の処遇は軽くしてやろう」
「……」
返事なし、か。
口を閉ざして喋らなくなってしまった少年から距離を取り、俺は顎で少年を示してリーゼに言った。
「リーゼ、こいつとの話はお前に任せる。俺にはガキの相手は荷が重いらしいからな」
「そうやって脅す口調で話し掛けるからじゃないですかー……。分かりました」
今度はリーゼがしゃがみ、少年に話し掛ける。少しどきりとしたのか、少年は俺とはまた違った態度を見せていた。そりゃ俺とは対照にリーゼは天使のような性格をしているからそうなるのも頷けるが。
先ほどのやり取りを鑑みれば当然と言えば当然、だが癪に障るな。
……まあいい。
「ねぇ、何で私達のお金を盗ろうだーなんて思ったの?」
「……関係ないだろ」
「関係あるよ。このお金は大事なお金で、私達の生活資金だから」
壁に背を預け、二人の会話を聞きながら腕を組む。こいつも真面目な話をしようと思えばできるんだな。いや、常に真面目ではあるのだろうけど。
「いいんだよ。理由があるのは分かってるから、怒らないから話してみて。私に出来ることなら助けるよ」
「俺はお前の金奪ったんだぞ、どうして、そんなに優しくすんだよ」
「優しくしてるわけじゃない、同情してるわけでもない。でも困っている人がいたら助けるのが勇者だから、私はあなたを助けるよ」
「……なんだよ、それ」
少年は俯きがちに答え、視線をリーゼから背けた。リーゼはむっと顔をしかめ、少年の顔を両手で押さえて自分に向けさせた。
「お父さんやお母さんは、いない?」
「……」
「自分一人しかいない?」
「……そう、だよ」
「そう。じゃあお金を盗ったのも、生きるためなんだね」
必死にリーゼから目を離そうとしていた少年だったが――立て続けに発される質問に硬直し、小さく頷く。
それから、意を決した様子で瞬きをして。少年は、ぽつりぽつりと話を始めた。
「お、俺は――」
――と。
話を聞けば、数ヶ月前に少年の家族はガレアに引っ越してきたそうだ。ここでは家を借りて生活していたらしいが、越して間もなくのこと。買い物に出掛けた両親がそのまま何日も帰ってこなかったのだという。
いきなり両親を失った少年は、しばらく両親が帰ってくることを信じて家にあるだけの食材でなんとか生活していたものの――買った家ではなく借りた家だったため、しばらくして追い出されてしまった。
一瞬にして家族も自宅も失った少年はそれでも両親を捜すが、いつまでも自分の元に両親が現れることはなかった。
それでどうしようもなくなり現状を打破しようと町を探し回ったところ、どうやら身寄りのない子を預けられる施設が外れにあるらしい。しかし、そこに入るためにはどうしても金が必要だったのだ。
それは十日ごとに銀貨一枚を納めること。
支払うことができなければ施設に居られず、勿論追い出されてしまう。銀貨さえ払うことができれば毎日三食風呂付きの家が十日間保障されるわけだが――。
確かに十日間の飯が保障されるというなら破格の値段だ。しかし年端も行かぬ子供が十日間に一枚の銀貨を納める、というのは中々に厳しい条件である。この少年の状況だとそうそう働く先も見つからないであろう。
つまり。少年はその銀貨を支払うために、盗みを働いていたというわけだ。
「――で、今までに何度盗んだんだ?」
現在、少年の拘束は全て解いてある。と言っても両サイドに俺とリーゼがいるので逃げられやしないが。
先ほどのリーゼの対応を踏まえてなるべく優しい口調で聞いてやると、少年は俯きながら一応答えた。
「今回で、三回目だよ……」
「そうか。なら俺より前の二回はそれなりに持っていたわけだ」
奴隷を買う前は金など額面通りに腐るほど持っていたので、金銭感覚は狂っていたが……。
実際、普通の奴が手持ちに入れるとしても金貨数枚が精々だろう。
俺の場合、あんなもん持っていても気を抜いていたらこのような子共如きに奪われていたのだから、その点では余計な心労は嵩むが奪うことのできないリーゼを買ったのは正解かもな。
ま、今度から金は鞄の底にでもしまっておくとしよう。
「んなこと、聞いてどうすんだよ」
「いいや、何もしない。ただ三回目にしちゃまだ罪悪感はあったみたいだと思ってな」
「……?」
俺にぶつかった時の手際は妙に良かったが、普通金を奪った奴に振り返って顔など晒さないものだ。まして謝罪まで付けるとは――本命の目的に気付かせない意味合いも含まれていたに違いないが、声を晒すのは危険な行いだ。それに謝るということは、どこかにそういった気持ちが少なからず含まれているということである。
「さて、リーゼ。こいつの話を聞いて何かおかしな点はあったか?」
「ご両親が唐突に消えたというのは、いくらなんでもおかしいですよ」
「あー、そっちじゃない。それは気にはなるが、俺がおかしいと思うのはまた別にある」
金貨袋から銀貨を一枚取り出し、俺はそれをリーゼに見せた。
「どうして身寄りのない子供を預かるのに金が必要なんだ?」
「え、それは……経営するには、お金が必要じゃないんですか」
「確かに金は必要だ。だがそれを言うのであれば、十日も三食飯を与えていれば銀貨一枚では全く足りない、大赤字だ。経営としてはとっくに破綻している。無償でやっているのであればまだ分かるというものだが……金を取る理由はなんだ?」
「えっと……なんででしょう」
そんなものは――裏があるに決まっている。この場合、銀貨一枚は受け取ろうが受け取るまいがその孤児院には大したことではないはずだ。
恐らくは子供に金を支払わせることに、意味がある。いや、孤児院の存在そのものに理由があるのかもな。
考えうる理由は何個か思い付いたが――少年の家族が忽然と消えたのは……孤児院と何らかの関連性があると見た。となると。
悩んでいるリーゼの返答を待たず、俺は溜め息混じりに聞いてやった。
「こいつ、助けたいか?」
「……え? はい、勿論ですよ! レーデさんも手伝ってくれるんですか?」
「俺がこいつを見捨てて先に行くぞって言ったら、お前一人でなんとかしようとするだろうが。それでは困るんでな、さっさと終わらせる方がまだマシだ」
全く心労が増えるばかりだ。
金を盗むような子供を助けてやる義理は毛頭ないのだが、リーゼの性格上そういうわけにもいかないからな。
この件を解決して金が手に入るならそれもよし、駄目ならリーゼをどこかで働かせ、目が離れている内にひっそり金を稼ぐとしよう。
俺は銀貨を右手に握り込み、少年へ向き直る。
「支払日はいつだ?」
「今日だよ……もう、間に合わない」
「ああ、間に合わないな」
多少辛辣に言い、俺は少年の肩をもう片方の左手で掴んだ。
「少年。誠心誠意この場で俺とリーゼに謝るなら、この銀貨をくれてやろう」
「……は? 何考えて」
「謝るのか、謝らないのか? どっちだ」
「……ご、ごめんなさい」
「良い子だ」
俺は静かに肩から手を離し、右手を突き出す。少年は逡巡した様子であったが、恐る恐る手を差し伸べてきた。その手に銀貨を握らせると、驚きに目を見開いて硬直する。
「レーデさんも優しいところあるじゃないですか、見直しました!」
「俺はなんだかんだ言って優しいだろ、どこで見損なったっていうんだお前は……ったく。少年、名前は?」
「フィン、だけど」
銀貨を大切そうに握り締めながらも、フィンと名乗った少年は複雑な表情を隠しもせずに俺を見つめてくる。
俺は少年の名前を呼び、こう言った。
「これから俺とリーゼも施設に向かう。フィン、案内してくれないか」




