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 克実と優美は住宅街を抜け、路地裏の喫茶店へ入った。この店のマスターは古い顔見知りだ。誰にも聞かれたくない裏話をする時にしか活用しないので、向こうも首尾よくことを運んでくれる。

 早紀にはいつものコインパークで待つように言っておいたが、正直なところ早紀に優美の相手は役不足だと判断したためである。


 入店した奥の窓際の席に腰かけると、それぞれウエイトレスに注文を伝える。この店は繁華街から離れていて、客入りも少ない。が、実は毎日商売繁盛していてもおかしくないほど旨いコーヒーを飲ませてくれるのだが、どうにもマスターの風貌に問題があったのだった。


「私、こういうお店に男の人と二人で入るの初めてだから、なんだかドキドキしちゃいます」

 オーダーした紅茶を口に含んだ優美は、ぽっと頬を染めながらそう言った。克実は露骨に嫌そうな顔をしながらコーヒーをぐいっと喉に流し込んだ。

「あんたが連れていけっていうから連れていったんだろうがよ。俺は一刻でも早く立ち去りたいんだがね」

「そんなのダメですよ。というより無理ですよ。もう私は地獄の底までついていくと決めたんですから」

「あー、もう、ひつこい女だな。だけどよ、俺は話を聞くとは言ったけど、承諾するとは一言も言ってないからな。少しでも条件が合わないと思ったら即帰るからな」

「……私を信用してください。必ず快諾させてみせます」

その自信はどこから出て来るんだよ、と思いつつ克実は相応の相槌を打っておいた。この手の女は無用に干渉すればするほどつけあがるものと相場が決まっている。そろそろ付き合れなくなってきたし、いい加減しっかりと離別する態度を見せなくちゃいけない。そうだ、俺は今から悪魔だ獣だ鬼畜生だ。


 空想に耽る克実の前に、白地のYシャツにエプロンを着た男が立ち現れた。男は極道映画に出てくるような凶悪無比な面容。サングラスにヒゲといういかにもなファッション、岩のようにでこぼこした顔は見る者に畏怖を与えていた。

「ハアイ、進ちゃん、しばらくね」

 ナヨナヨとオカマのような口調で話す男だが、断じてオカマではないと、克実は何度も言い聞かされてきた。それなら坊主頭にごつごつした顔立ち、身長百九十センチという恵まれた体格を生かして、いっそ暴力団の道に走ったらどうだ、と克実は思う。初めて知り合った時、「はぁい」などと猫撫で声で話しかけられた時の放心具合など、いまだに覚えているほどだ。

「マスターの大田原秀明よ。エンジェルって呼んでちょうだい」

 お辞儀をしながら、大田原は優美に挨拶した。優美は「エンジェルさんですね」とこの変わり者を相手にいたって丁寧な対応をしている。肝が座ってるというか、こいつも相当変わった女だな。

「初めまして、森園優美と申します」

「わあ。進ちゃんたら、いい娘見つけたじゃないの。あんたにはこういう娘がよく似合ってるわよ。うんうん、ようやく身を固める決心がついたのね。いいことだわ」

「あら恥ずかしいです。一言添えると私たちはもう婚約までした仲なんですよ。今はまだ籍を入れてないだけで、深い絆と愛で繋がってるんです」

 

 照れくさそうに頬をポッと赤らめながらも、まんざらではなさそうな表情で、優美は言った。大田原はうんうんと感慨深そうに首を縦に振って肯定する。

「あらそうなの。進ちゃんには勿体ないくらい出来たコじゃないの。じゃあお邪魔虫は退散するから、後は若い者同士でうまいことやんなさいな」

「いいから、さっさと立ち去れ、立ち去れ」

 克実は不満そうにむすっとしながら手をぷらぷら振った。大田原は優美のことを良家の令嬢、という風にしか見ていないのは明白だった。お嬢様なのは確かだが、そのお嬢様が百万や二百万など目ではないほど耳寄りな話を膳立てているという。とすると千万単位というところか。政治家の娘という立場から、相当物騒なことに関わっているのかもしれない。チャチなペテンしか働いてこなかった自分など太刀打ちできないほど常軌を逸した計画を話されるのではないか。そう思うと大田原のように浮かれた気分になれないのも当然だった。


「あの、じゃあまず」優美は大田原がカウンターの奥に入るのを見届けると、そう切り出した。

「あなたの本名を教えていただきます。金田さんというのは偽名なんですよね? 名前もわからない恋人なんておかしいですよ」

「誰が恋人だ、誰が」

「そうですよね、聞いてもそう安易に教えてはくださらないですよね。でも教えていただきます。でないと私の計画もお話できません」

「お前みたいなストーカー女に話す名前なんてねえっての」

「ストーカー? 私がですか? 私はただ、あなたに会いたくて会いたくて、会社に休暇申請を出し、探偵さんを雇って都内を徹底的に捜索させただけですよ。情愛の深さと申していただきたいですね」

「き、休暇だあ? それに、探偵?」

 休暇、そして探偵という言葉に、克実はポカンとした。この女の勤めている会社は日本でもトップクラスの一流企業なのだから、そう簡単に有給などとれるはずがないのだ。やはり、大物政治家の娘という後ろ盾を背景に、社内で幅を利かしているのだろうか。それに、探偵? ヤバい、この女はヤバすぎる。


「な、なあ、俺とあんたって、何回か顔を合わせただけの関係だよな?」

「そうですね。正確には二十回ほど会わせていただきましたけど」

「二十回でも三十回でもいいけどさ。この間のことをは謝るし騙し取った金ならいつか返すから、だからもうこの辺で勘弁してくれないか」

「ご勘弁とは? 私、何かあなたを苦しめるようなことしましたか?」

「これから目いっぱいされそうで怖いんだよ」

「私はあなたにそんなことしません。それとも、そんな悪どい人間に見えますか?」

「いやあ、そうは見えないけどさあ…… ん? 何してんだよ?」

「い……いえ。別に……。あの、見つめられると恥ずかしくて……」

 優美の瞳をじっと見つめながら言うと、彼女は赤面しながら手のひらで顔を覆っていた。うーん、前から思っていたことだが、この女は少しあらぬ妄想が過ぎるんじゃねえのか。

 克実は心の中で、しみじみと深くため息をついた。


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