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結婚詐欺と一口に言っても欺罔行為、つまり初めから騙す意図がなければ非合法行為として立件できないというメリットがある。このメリットを詐欺師が活用しない手はない。証拠が残らないかぎり何度でも行うことが可能というわけだ。克実はできるだけ沢山の女性に声をかけるようにしてきた。最初は上手く話せるかすら自信がなかったが、いざ始めてみると歯の浮くような台詞が次々と出てきた。今まであれだけ緊張したのが嘘のようだが、虚構と偽りの会話なのだから気を張ることなく女性を相手することが出来た。器量もよく、麗しの美女である優美に対しても、台本を読み上げるかのごとくすらすら台詞が出てきたのだ。経理よりも営業職の方が自分には向いていたのではないか、と本気で考えるほどだった。
克実は婚活パーティーやSNS、出会い系サイトなどでターゲットを探した。そこで他人の優しさに付け込み、多額の金銭を騙し取ってきた。原田早紀と出会ったのもそこだ。なんと、双方が詐欺に陥れる相手として遭遇したのである。
出会い系で意気投合してすぐ、克実は上場企業役員、早紀はキャリアウーマンとして、互いを嵌めるために近づいた。しかし、あまり貪欲に金の無心はしてはいけない。自分から金を請求すると詐欺として立件されるため、相手の「助けてあげたい」という気持ちを煽り、女性が進んで金を出すように仕向けるためだ。克実はその手口で出会った多くの女性から、憐憫の情を餌に何十万と担いできたのだ。
顔合わせしてから数ヶ月後になってついに、早紀が実父の入院費が払いきれないと言い出す。結婚するには金銭の問題を先にクリアして、憂慮を消し去ってから縁付きたいと。だが克実としては逆に誑かそうとしている立場なので、勿論金を出すことはできない。克実からしてみればかかるコストは可能な限り0にしたいのが現状だ。
克実が彼女に疑いを持ち始めた理由は、外資系コンサル会社のキャリアウーマンとしては、会社の実情を知らなさすぎたところだ。こちらもやっきになって会社役員を演じてる身だが、どう考えても高学歴のキャリアウーマンには見えない。
更には、病気の父親の入院費にしては、何百万という費用は高額すぎたからだ。確かにどうせ詐欺を働くなら、一度の金額は大いに越したことはない。しかし相手の告訴を考慮に入れたら、三十万から八十万辺りに留めた方が詐欺とは気づかれにくいのだ。以上の根拠を持って、克実は早紀を「同業」の人間だと断定した。
「大体、初っ端の結婚詐欺で数百万も騙し取ろうって考え自体が、どだい無理な話なんだよ。この不況の中、いくら金持ちといってもそう簡単に財布の紐は緩めてくれないんだからな」
コーヒーを一気に飲み干しながら克実がため息を漏らす。金の貸し借りを含ませるのは前提とはいえ、あまりに早紀の言動は怪しすぎた。仮にもエリートキャリアウーマンを名乗っておきながら、日本の総理大臣の名前も知らなかったのは、いくらなんでもあんまりと言えばあんまりだろう。
「いやあ、どうせやるならうなるほどの大金が欲しかったでありますよ。あたしとしてはいけると思ったでありますけどねえ」
早紀はチョコレートとアマレッティのプティングを口いっぱいに頬張りながら、いけしゃあしゃと言い放つ。克実としては何を持っていけると思ったのか理解に苦しみたくなるが。
早紀を自分同様の結婚詐欺師であると踏んだ克実は、色々と考えた結果「結婚詐欺師ですよね?」と指摘することにした。こう言っても早紀は否認すると思った。しかし、驚いたことに早紀は自分が結婚詐欺師であることをきっぱり認めてしまったのだ。
結婚詐欺師であることを、相手から問いただされることは珍しくない。とにかく詐欺だと特定されなければいいのだ。普通の恋人同士でも金の貸し借りは起こりえることなのだから。とはいえ、安易に金を騙し取る意思があったと認めてしまえば、当然詐欺罪として立証される。その詐欺師としての「タブー」を早紀は平然と犯したのだ。
自分に対して詐欺を行ったことは、克実としては特に問題はなかった。何しろ自分も結婚詐欺師なのだ。そう告白すると、早紀は世にも嬉しそうな顔で、自分をボスと呼んで慕いだしたのだ。自分の芝居を見抜いた克実の眼力に恐れ入ったと言うが、克実は別に注意深く観測していたわけではなかった。ともあれ、結婚詐欺は相応のデメリットがある不当行為なのだから、相方がいるのも悪くはない。複数犯の結婚詐欺グループも最近は増えてきている。元々存在しない人間を演じているのだから、友人、あるいは家族役を演じることで被害者を騙しやすくすることができる。克実と手を組んだ後の早紀は専ら、婚活などのパーティの場で、結婚を望んでる独身の女性を探す役回りに専念した。適齢期を向かえ、婚約を焦る女性を見極めながら近づいていった。無論、騙すのは克実の役回りである。後は耳当たりのよい言葉をささやき、金銭関係を取れる間柄まで持ち込む。そして段々音信不通になっていけば、警察に駆け込んでも愛情のもつれとして処理される。
「そもそもでありますよ、あたしが森園優美というお金のなる木を見つけてきたから、こうして純然たる利益を得ることができたでありますよ、ボス?」
早紀はプディングをもぐもぐと口に入れながら、誇らしげに胸を張る。優美の名前を聞いた途端、克実は顔をしかめながら答えた。
「その名前はもう出すなよ、ボケナス」
「あたしはナスなんかじゃないでありますよ。あたしはナスよりかぼちゃとかじゃがいもとかの方が好きでありますねえ」
早紀は苦々しく言った。克実は呆れ返るあまり声も出せなかった。
喉の奥に何かが詰まってるような違和感が取れなくて仕方がなかった。優美に対して同情をかけてはいけないと、克実はマンションに帰えるまで何度も言いかけてきた。情愛で生活はできない。生きていくためには、他人から金を騙し取るくらいの非常さが必要なのだ。そもそも彼女は政治家の娘だ。金なら掃いて捨てるほどあるんだ。今回の件は飼い犬に手を噛まれた程度にしか思っていないはずだ。しがない貧乏庶民のやることに目くじらを立てたりしないだろう。
マンションに帰ってきてからというもの、いまいち気が滅入っている。今日は大金を儲けたというのに。仕方ない、こうなったらテレビでも見るか。克実はそう思ってテレビをつけ、普段見ないドラマを見てみることにした。
ドラマの設定では女子高生は既に妊娠しており、不倫相手の男性教諭に結婚を迫るが、男は勿論妻子を捨てる気などない。今は時期が悪いから、落ち着いてから籍を入れよう、と。大体こういう話をする男は邪な考えがあるものだと、克実は心中でケチをつけた。
それから話は進み、教師に結婚する意志がないことを悟った女子高生は自殺を決意した。夜九時の時間帯なのに、自分を騙した教師を道連れに海辺で心中するところまでオンエアしている。今時のドラマとはなんと過激な脚本なのだろう。気晴らしのつもりでテレビをつけたのに逆に気分が滅入ってしまった。これ以上見る気も起きず、克実はテレビの電源を消した。
「どうしようもねえ男だな……」
誰に言うでもなく呟いた。どうしてこうなったのだろうか。自分はただ、心から愛する女性と慎ましくも質素な青春を送りたかっただけだというのに、なぜに無垢な乙女を騙してなけなしの金を掠め取るという最悪な生活を続けているのだろうか。
そのときだった。携帯の着信音が克実の耳に鳴り響いたのは。克実はびくっと身を震わせ、携帯電話を手に取りディスプレイを見た。
番号の主は、よく知った人物だった。先ほどまで頭を悩ませていた森園優美本人からなのだから。
想定内だった。今電話がかかってくるとしたら相手は優美以外にありえない。メールでは埒があかないので、直接連絡することにしたのだろう。克実は通話に出ず画面の「森園優美」という名前を見つめて固まったまま、コールが切れるのを待った。
「んだよ、しつこいな」
電子機械にそう吐き捨てるが、当然返答はない。やはり優美は克実が電話に出るまで呼び出しを続けるつもりらしい。そういや後で連絡すると言ったっけ。約束を破ったら針千本とか。まったく、もう会えない人間に対して馬鹿な女だ。
「ああ、もう」
自分でも信じられない行為だったが、さっき見たドラマのせいもあってか、克実は通話ボタンを押してしまっていた。どうせ文句を言われるのだから最後に目いっぱい聞いてやろうかと思ったのだ。
「も、しもし…………?」
消え入りそうなほどか細い声で話した。だが、電話越しの相手にはハッキリと聞き取れたようだ。
「あ、金田さん! 私です、もう、メールの返事ないから何かあったんじゃないかと心配したんですよ!?」
咎めるような口調ではなかった。その心配した相手にあなたは騙されてるんですよと内心で伝える。
「ああ、悪いね。他にすることがあったから」
胸の痛みを抑えるように、感情を押し殺しながら克実は言った。優美は克実の心中など知りもせず明る話しぶりだった。
「あ、そうだったんですか。すみません。じゃあ今はひと段落ついたってことですか? 電話してもよかったですか? 私のこと、嫌いになりましたか?」
「あのね、電話されたぐらいで恋人を嫌いになる男がいると思うかい?」
なんで俺は悠長にこの女と喋ってるんだ。内心で克実はそう考えた。結婚するつもりなんて嘘だった。騙すためだけに近づいた。それは自らそうしようと思って計画したことだ。そのたびにいちいち胸を痛めては結婚詐欺などできないだろう。というより下手に同情などかけない方が、相手も返って諦めがつくんじゃないか。
「そうですよね。金田さんは他の男の人と違って、私を裏切ったりなんかしませんよね。私は金田さんを心の底から信頼してますから」
「…………」
優美は従順とも思える声調で言った。それは違うと、声を荒げたくなる。しかし克実は曖昧に返事を返すばかりで、優美の言葉を強く否定しきれなかった。彼女は本気で俺のことを愛している。ならばここで夢から覚ますような血も涙もないことはできない。全てをうやむやにするのが一番良い選択なのだ。
「あのさ」快活に話す優美の声を克実は遮った。「僕はこれから仕事が忙しくなりそうだから、あまり連絡がとれなくなるかもしれない。優美さんとしても、電話とかはあまり控えてくれないかな」
「あ、あの、私金田さんに迷惑かけてますか? それとも用意したお金じゃ足りなかったですか? だったら言ってください。できる限り用意させて頂きますから」
「ちがうんだよ」
克実は優美の言葉を打ち消した。
「俺は別に怒ってるわけじゃない。優美さんは凄くいい人だよ。だから、俺みたいな男は放っておいて、もっと似つかわしい男と幸せになるべきなんだ」
「何を言ってるんですか? こんな電話じゃわかりません。私、今から金田さんの元へ行きます。金田さんの家を教えてください」
「ごめん、優美さん。本当にごめん」
「どうして謝るんですか? 金田さんが謝ることなんて、何もありませんよ」
「ごめん……優美……」
克実は声を押し殺したような悲痛な声を漏らした。受話口からは「どうしたんですか、大丈夫ですか」と克実を気遣う声ばかりが聞こえてきた。克実は身を切るような苦痛を胸に感じながら通話を切った。
携帯電話の電源を落として、克実はベッドの上に転がった。掛け布団を頭の上まですっぽり被り、今した会話を必死に頭の中から追い出そうとする。
もう何も考えたくない。克実は極度の疲労を抱えたまま夜を明かした。