32/完結
その日は絶好の結婚式日和だった。親類だけの内輪な式にしたかったという理由から、小さな教会でひっそりと披露宴が行われようとしていた。克実は控え室にて、スタンドミラーで身だしなみを何度もチェックしていた。鏡に映ったタキシード姿の自分と対面していると、もう後には戻れないんだと実感してしまう。そう、今日は優美と克実の結婚式の日なのだ。
「ボス、見たでありますか? 優美さん、お姫様みたいに綺麗でありますよ」
「うおっ!」
不意に声をかけられ、うろたえながら横を向くと、いつの間にか早紀が立っていた。早紀はニコニコと満面の笑みを浮かべている。
「な、なんだ。早紀か。驚かせるんじゃねえよ。どうせ後で嫌っていうほど見るんだから、今見てもしょうがないだろ」
「またまたあ。本当はすぐにでも見たいくせにい。このこのー。天邪鬼のへそ曲がりのひねくれ者ー」
「うるせえ、うるせえ。それ以上余計な口叩いたら、ただじゃおかねえぞ」
「い、痛い痛い! 首絞まってるでありますう!」
ニヤニヤと囃し立ててくる早紀にチョークスリーパーをかけながら、克実は圧力をかけた。程々に締め付けた所で、開放してやる。たく、そんなに綺麗ならすぐにでも見にいっとけばよかったな。しかし一度口にした手前、自分からむざむざ顔を出すのは、少しこそばゆかった。
克実は無作法なことをした舎弟に、鬱陶しげな視線を送った。
そして、和やかに披露宴は行われた。克実は会堂の右手の通路から、ゆっくりと入場した。沢山の出席者を見渡すことに身を引き締めつつも、聖壇の前まで足を運ぶ。新郎側の席で、嗚咽を漏らしながら顔をびしょびしょにする早紀が眼に入り、思わず苦笑してしまった。
ドアが開く音がした。ゆっくりと後ろに眼をやると、右手にブーケを持ち、左手を壮一郎と組む優美が現れた。克実は生唾を飲みながら、優美の花嫁姿を食い入るように見つめた。
純白のウエディングドレスを着た優美は、まるで天使のように華やかな雰囲気に包まれていた。白い布が敷かれたバージンロードを、壮一郎の半歩後ろを付き添うように歩く。その姿は、悔しいが美しいと言わざるを得なかった。
優美が聖壇の前まで近づくと、克実はゆっくりと優美に手を差し出した。壮一郎は昨日泣きはらしたのだろうか。少し充血した眼で、優美を克実に譲り渡した。
優美の手を取ると、牧師の前に立ち並んだ。緊張のあまり胸が爆裂しそうだ。
「うふふ、大丈夫ですよ、進太郎さん。私がついていますから」
「そ、そうだな……」
優美に勇気付けられるも、思い切り声が裏返ってしまい、克実としてはとても気恥ずかしかった。
オルガンの音が奏でられ、賛美歌が流れた。
全員で唱和を終えると、牧師が誓いの言葉を提唱しようとした時だった。
「ダメよ! 克実さんは私のもの! 婚姻の約束だってしたんだから!」
会堂中に響き渡るほど甲高い声に眼を向けると、後方のドアが開いており、何人かの女性が憤慨した表情で立っていた。一体何が起こったのかと一人一人の顔を熟視した。皆見覚えのある顔だった。
「あ、あいつらは……」
彼女達はかつて、克実に結婚詐欺にかけられた、被害者だった。まさかとは思うが、彼女らはいまだ克実のことを諦めていなかったのだろうか。騙し取ったお金は弁済したので、誤解は解けたと思っていたのに。嘘だろ? 本気でオレに惚れ込んだんじゃあるまいな。
しかし、嘘ではなかった。
皆怒りで眉を吊り上げ、克実と優美の姿を鋭く睨み付けている。
優美は克実に眼を向けた。
「進太郎さん? これは一体どういうご冗談ですか?」
「……オレにもわからん」
一瞬悪夢でも見ているのかと思ったが、夢ではなかった。
彼女達は駆け寄ってきて、餌をせがむ鳥のようにさえずった。
「克実さん そんな女より、私と結婚して!」
「い、いや、そう言われても……」
「ダメよ! 私と結婚するのよ! 私だって結納の準備までしてきたんだから!」
彼女達は静まり返った会場の様子など気にも留めずに、似たりよったりの要求を並べ立てた。
「……なにを、仰っているのですか。貴方達は……」
そこまで大人しくしていた優美が、突然侵入してきた女性立ちに大声で叫んだ。
「進太郎さんは私だけのものです! 誰にも、わたしませ~~~ん!!」
「な、なんでこうなるでありますか?」
参列席から、早紀の呆れたような、嘆くような声が聞こえてきた。
しかし、それは克実としても全く同じ気持ちだった。
披露宴は結局、滅茶苦茶の大惨事となった。スタッフや従業員が止めに入ることで、ようやく騒動は鎮静化したが。克実の災難はそれだけでは終わらなかった。
式が無事終了した後、花嫁の親類一同からこっぴどく叱責を受けることになってしまったのだった。




