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 克実が結婚詐欺に手を染めたのは今から四年前であるが、元から悪人というわけでもなく、詐欺師になる前は大手の総合商社で経理を、それより前は県内でも一流の大学に進学していたので、決して不真面目ではなかったと明言できる。


 子供のころから克実は清廉潔白をモットーに生きてきた。「克実進太郎」という名は、両親の期待の現われだと思っていた。事実、名前のとおり真っ直ぐに進んでいたつもりだった。しかし世の中とは無常なもので、真面目で優秀というだけで受け入れてくれるものではなかったのである。いくら克実が一生懸命、公明正大に生きようが、周囲の注目や人望を集めるのは、常に調子のいい人間や、ユーモアのある人間ばかりだった。克実は気が多く、小学校の頃から数十回ほど女の子に告白したことはあるが、その結果は幼少期の克実に失意とトラウマを与えただけと言えた。


 高校に行っても状況の変化は訪れないどころか、むしろ悪化した。女の子にモテるのは不良がかったヤンキーや、チャラチャラしたイケメンばかりだった。「君を一生愛するよ」などと、受け入れてくれるどころか笑いの種にされ、最終的には話しすらまともに聞いてくれなくなった。クラスの女の子は全員一致で克実の存在を無視するようになり、克実もその時点でもはや期待などしていなかった。


 女子高生など半分子供のようなものだ。一流大学に進学すれば、少なくとも自分と同程度の学力を持った人間が集まるはずだ。克実の偏差値はギリギリであったが、生来の真面目さから一心不乱に勉強して希望校に受かることができた。克実の努力が報われた数少ない瞬間である。


 なのに苦労して受かったその大学こそが、真面目であることなど何の役にも立たない男女の溜り場であった。誠実さなど無用の長物であり、話し上手であることが全てだった。実直とは無縁の軽薄な男性こそが女性に持て囃され、克実がいくら熱心にアプローチしようが友達以上の関係に発展することはなかった。しかし、大学の四年間は克実にとって悪い経験ばかりではなく、要は社会に出て、いい会社に入って敏腕さを見せ付ければ周囲の見る眼も変わってくるはずだ、と克実は前向きに捉えていた。


 克実は新卒採用で入社した商社で、一人の女性に恋をした。仕事を懸命にこなし、経理担当として忙しない毎日を送っている時だった。彼女は克実には眩しすぎるほど華やかで可憐な女性であり、職場でもマドンナ的な立ち位置なので克実には万に一にも可能性があるとは思えなかった。しかしその万に一が的中し、なんと彼女の方から克実に好意を寄せてきたのである。


 その時の克実の喜びようと言ったらなかった。自分の誠実さに感づいてくれる生涯の伴侶が現れたのだ、今までの行いがようやく神様に認められたのだ、と本気で信じ込んでいた。今まで振られ続けていたのは決してモテないからではなく、いい相手に恵まれなかっただけなのだと考えた。


 克実は二つ返事で告白を受け入れ、交際は順調にいったかに見えた。転機は彼女のある一言から始まったのである。

 彼女の実家は、父親の起こした交通事故のため多額の借金を抱えており、現時点での収入ではとても返せる額ではないと克実は告げられた。今思えば訝しむべき話ではあったが、当時の克実にあったのは深い同情であった。心労のため母は病死し、唯一の身寄りである父のため、懸命に借金を返済しているのだという彼女の事情を聞いたとき、克実は大粒の涙をこぼした。しかし問題なのは、克実の全貯金を持ってしても半分にも満たないほどの大金であることだ。だが克実はどんな代償でも払うつもりでいた。何とかして彼女を助けてやりたい、そのためなら自分は全てを失ってもいい。冗談抜きでその時の克実はそう考えていた。


 彼女は克実にお金の無心をし、借金は数ヵ月後には返せるあてがあるから、全て解決したら自分と一緒になってほしい、結婚してほしいと言ってきた。彼女が眼をつけたのは会社の預金を管理する克実の経理担当の立場であったが、克実にそんなことまで頭を働かせる余裕はなかった。彼女に泣き落とされ、克実はついに会社の金銭に手を出した。


 それからの転落スピードは速かった。経理部長が会社の預金をチェックし自分の所にやって来た時、克実は初めて自分が騙されていたことを知った。しかし気づいた時彼女は既に会社を無断欠勤をしていた。後から聞いた話だが彼女の両親は健在で、交通事故の話も虚言であった。当然結婚などなく、そもそも彼女には縁付く予定の男性がいたらしい。「そんな馬鹿な」と何度つぶやいたことか。しかし現実として彼女は克実の元から去っていった。克実に残ったのは彼女が使い込んだ会社の横領金のみだった。


 克実は会社を解職処分となった。支払いは土木工事のアルバイトで寝る間も惜しんで働いて返したが、克実の気が晴れることはなかった。なぜ自分がこんな眼にあわなければならないのか、今思い出しても涙がこぼれそうになる。あの女は自分を利用するためだけに近づいたなら、あんな女を信じたお人よしな自分が馬鹿だった。どうしてほんのわずかでも怪訝に思わなかったのだろうか。克実の心身は困憊していた。


 自分が信じてきた“愛”とはなんだったのか。見返りもない好意のために犯罪に手を染めた自分はなんだったのだろうか。いや、意味など求めても社会は何の回答ももたらしてはくれないだろう。強いて言うならば“無常”こそが世の中の心理なのだ。


 克実は、世の女性に対して報復をしてやろうと思った。ただの女ではない。男を意のままに操ろうとする、いけすかない金持ちの悪女どもだ。今までひたすら真面目に働いてきた克実にとって、三六〇度反転した考えだったが、そうでもしないと気が済まないのである。どうせ自分は過ちを犯したのだから、これを機に墜ちるところまで墜ちよう。そして女どもには相応の償いをさせ自らは濡れ手に粟の生活、というように考えたのだった。これが、克実が結婚詐欺師となるきっかけであった。


 

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