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優美と別れた後、克実は離れた所に停めてある駐車場に向かった。途中、克実は何度も後ろを向いた。誰も眼をつけているはずはないが小心者ゆえか、しなくてもいい警戒をついしてしまう。しばらくして目的地までたどり着くと、四方確認して一台の車の前に立ち止まる。すると、車内で待機していた相方が陽気に顔を緩めながら、嬉しそうに手を振った。
「ボス、首尾はどうでありましたか?」
原田早紀は小学生をそのまま大人にしたような幼びた容姿をしていた。大きな瞳とショートボブ、甲高い声が合わさって尚更子供っぽく見える。それが克実の助手として何人もの資産家から詐欺を働いてきたのだから、世の中というものはわからない。赤ちゃんはコウノトリを運んでくるという話を本気で信じてそうな女が、結婚を餌に大金をせしめているのだから。
「成功だ。上出来だよ」
「本当でありますか? やっぱり、上手くいくと思ったでありますよ」
「まあ、今回はお前の力も大きかったな」
克実がそう答えると、早紀は嬉々として、
「ね、ね。あたしって有能でしょボス?」
「おう。お前にしちゃ上玉を見つけてきたな」
そういう会話を交わしながら、克実は助手席に乗車した。
「ボス、成功祝いにいつもの居酒屋で一杯やるでありますよ」
車を走らせながら早紀が言う。克実は横目で見ながら肩をすくませた。
「バカ、オレたちはン百万の大仕事をしてきたんだぜ。高級レストランで豪勢にディナーに決まってるじゃないか」
浮かれ気分に克実は言うが、実際にはそんなことに当ててる経済的余裕はないのである。調子に乗って周りが見えなくなり、失態を犯すタイプの典型例だ。
「さすがでありますねえ。こんないいボスを持てて、あたしは幸せ者でありますよお。やっぱり持つべきものは心の広い上司であります」
眼をらんらんと輝かせながら早紀が言う。
「あっはっは。皆まで言うなよ。当たり前のことじゃないか」
克実が至極当然といった風に答える。
いい上司などとはあまりにもわざとらしい褒め言葉ではあったが、今の克実には気がつくゆとりはなかった。
しばらく車を走らせ、適当に眼についた煌びやかなフレンチレストランに入る。華々しい照明と窓際から燦然と輝く夜景は、まさに都会を一望できる近未来の摩天楼といったところか。周囲には富豪らしき男やモデルのように均整の取れたプロポーションを持った女ばかりだった。意気揚々と乗り込んできたはいいが、こんな所に貧乏詐欺師たる自分らがやってくること自体お門違いだったのではないかと、克実は内心後悔に思った。
「ボス~、早く何か食べましょうよ~。あたしもうお腹が空いてしょうがないでありますよ」
「お、おう……。いてて、引っ張るなバカ」
早紀に勢いよく手を引っ張られ、慌ててテーブルに着くと、ビシッとスーツを着こなしたウェイターが折り目正しい仕草で迎えに来た。克実は「やっぱり帰ります」などとは言い出せずに、愛想笑いを浮かべながらとりあえずフルコースを注文した。ウェイターは「ごゆっくりどうぞ」と丁重に頭を下げて去っていった。
「すんごいリッチなところでありますねボス。まるで中世ヨーロッパの王宮みたいでありますよ」
「黙れ。恥ずかしいからそんなにキョロキョロするな」
小声でたしなめると、早紀は軽く舌を出して反省する仕草を見せた。しかし落ち着かなくなる気持ちもわかる。克実は出来るだけ平静を装いながら、周囲の様子を観察してみた。
皆それぞれに金持ちらしいことは明らかだった。良質なジャケットや高そうなワンピースを着こなしており、自分たちのような貧乏人は皆無のようだ。会話に聞き耳を立てていると、単なる顔見知りレベルから仕事相手、はたまた愛人との密会に至るまで、多種多様な事情を抱えた人達が集まっているようだ。
しばらくそんな風景を眺めていると、ウェイターがアボカドとセロリの前菜を運んできた。口に入れるとピーナッツペーストが効いており、中々洒落た味だった。流石は高級レストランだ、と言いたいところだが、金額を考えれば飛びぬけて旨いとは思えなかった。
「美味しいでありますよお。コンビニで売ってる百円のサラダとは訳が違うでありますねえ。手が止まらないでありますよお」
克実の気も知らずに、ガツガツと早紀はオードブルをかきこむ。「静かに食べろよ」と一応咎めておくが、克実もこういう場のエチケットに詳しいわけではない。やはり背伸びにしてこんな所に来たのは失敗だったと思い始めた時だった。
「ボス、携帯鳴ってるでありますよ?」
克実の胸元を指差しながらそう早紀は指摘した。
「ん? ああ、そうだな」
克実が気がつくと、胸ポケットの中で携帯電話がぶるぶると振動を起こしていた。どうやらメールが来ているらしい。ゆっくりと取り出し内容を確認する。
「な、なんだこりゃあ?」
「どうしたでありますか? ボス」
眼を見開きながら驚嘆する克実に早紀は声をかける。といっても料理を食べながらではあるが。
「どうしたもこうしたもあるかよ。メールだよメール。何百通きてるんだよこれ。一人でメールボックスの使用量いっぱいにしてやがるぜ。いくら百五十万騙し取られたからと言って、ここまでしてくるかね」
「え、それってもしかして森園優美からでありますか? ボス、早くアドレス削除したほうがいいでありますよ」
「う、うん。そうだな。それもそうなんだが……」
克実は意気消沈とした様子で答えた。連絡先を消去したほうがいいということはわかっている。しかし克実はそう考えながらも、実行できずにいた。
愛してるなんて、時代錯誤な台詞をいともたやすく信じるなんて馬鹿な女だ。底抜けのお人よしとも言える。だが、克実も昔は同じような考えを抱いていたのだ。
早紀が神戸牛のステーキを堪能している最中にも、克実の心中には暗い影を落としていた。味は絶品といっていいほどだが、どうにも気分が乗らないのだ。こうしている間にも、優美は一人寂しくメールを打ち続けているのだ。騙すためだけに近づいた自分のために。そう思うと、いかに卑劣で嫌らしい行為をしてしまったのか。克実は自己嫌悪に襲われていた。
「ボス、さっきから様子がおかしいでありますよ? 仕事も上手くいったことだし明るくいくでありますよ」
「まあそうなんだけどよ。なんというか……後味が悪いっていうかさ」
「そんなこと言ってたら、結婚詐欺師は務まらないでありますよ?」
「うるっさいなお前は。大体俺が働いたからこれだけの利益が得られたんじゃないか。もう少しありがたがって食え」
「味わってるでありますよ?」
「口ん中リスみたいに膨らませていうことか……。はあ、お前みたいなスカタンに真面目な悩みを話そうとした俺が馬鹿たったよ。もっとアホみたいな話じゃないと早紀の脳には受けつけないんだな、きっと」
「えっ! ボスにも悩みなんてあったでありますか!?」
早紀は口いっぱいに含んでいたステーキの肉切れを盛大に吐き散らしながら驚きの声をあげた。正面に座っていた克実の顔に当然かかり、克実はひくひくと顔をこわばらせた。
「お前、アホだアホだと思ってたがまさかこれほどとはな……」
「あ、ごめんなさいであります。でも、意外でありますねー。悩みなんてなさそうなボスにそんなデリケートな一面があっただなんて」
「当たり前だろ。俺だって、そもそも好きでこんなことやってるわけじゃないんだからよ……」
克実は結婚詐欺を始めるに至るまでの成り行きを思い出した。途中までは結構真面目な好青年だったと思う。そう、思えばあの時だった。あの事件がきっかけとなって人生への分岐点となった気がする。克実はこれまでの半生を半ば懐かしく、半ば憂いながら振り返った。