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克実は急いで待ち合わせしていた駐車場まで戻ると、料金を支払い運転席へと乗り込んだ。助手席には早紀が既に乗っている。優美と共に喫茶店に入る前に示し合わせた待ち合わせ場所だ。優美との交渉が上手くいくとは欠片も思ってなかったので、こうしてすぐ逃げられる足を用意させていたのだ。
シートベルトを締めると、克実は即座に車を走らせた。すぐマンションには向かわない。なるべく複雑な道路を回り道し、万が一、尾行されていてもすぐに撒けるようにしていた。早紀は克実の様子を横からチラチラと窺うようにして覗き込んでいた。沈黙したまま数分が経過したのか、しびれを切らしたように早紀は切り出した。
「ボス、森園優美との話はどうでありましたか? なんか大金を得られる儲け話があるとか言ってたでありますけど」
「交渉は決裂したんだ。一円も儲かっちゃいないさ」
克実はそう答えると、優美との会話の内容を簡潔に説明した。早紀は眼をパチクリさせ、難しい顔で口をつぐんでいた。そのらしくもないシリアスな態度に、克実は怪訝に思い声をかけた。
「なんだ? 腹でもすいたのか」
「ちがうでありますよ~。ボスがもったいないことをするからであります」
「もったいない? 警察に捕まるかもしれない危ない橋を渡ってまで得たい金じゃないだろうが」
「まあ、それはそうでありますけど……」
早紀は同意しつつも、まだ納得していないという顔つきを見せる。
克実は煮え切らない早紀に口を挟んだ。
「なんなんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」
「じゃあ、言わせてもらうでありますけど、森園優美は、本当にお金目当てでそんな話を持ちかけたでありますかねえ」
教師に虚実を確認する子供のように、早紀は問いかけた。
克実は呆れたように答える。
「金目当てだから、親を詐欺にかけようってんだろ」
「それはそうでありますけどね。でもそれなら、わざわざあたし達みたいなペテン師と手を組まなくても、父親のお金をくすねることは幾らでもできるであります。さらに、そっちのほうが取り分も増えるし、捕まる危険性も減るであります。普通なら、そうするであります」
「だからなんなんだよ。そこまで考えつかなかっただけじゃないか」
「逆であります。森園優美には何か他に考えがあったんじゃないですかねえ」
「何かってなんだよ。大体、金以外にどんな利得があるっていうんだよ」
克実は早紀の考えを否定するように尋ねた。
早紀は克実の問いかけにうろたえながら、
「い、いやあ、利得って言われましても。例えばの話でありますよ」
「例えばって?」
「森園優美がボスのことを探し回ってたことであります。どうして森園優美は、ボスを探してたんでありますかね」
「計画に協力者が必要だったからだろ」
「あたし達以外にも、いくらでも頭のいい協力者は見つかるであります。なら、なぜわざわざボスにこだわったでありますか?」
「頭が悪いなら、動かしやすいって考えたんじゃないか」
「それでも、であります。たぶん森園優美は、本気で惚れたのではないですかね」
「惚れた? 誰に?」
克実はぽかんと早紀を横目で見た。早紀は慌てて「ボス、前、前!」と前方不注意を指摘した。克実は急いで信号の切り替わりに眼を走らせた。
「惚れたって、もしかして俺にか? なんでだ」
フロントガラス越しに、克実の住むマンションが見えてきた。克実の視点からはよく見えづらかったが、一人の女性が立っている気がした。早紀との会話に夢中で、眼を向けている余裕もなかったが。
「なんででありますかねえ。でも森園優美は、確かにそう言ったでありますよね? そもそも詐欺被害にあってるわけだから、惚れた男でもない限り追い回したりはしないでありますよ。ボスの前に現れた時のあの顔、あれは恋する乙女の顔でありますよ……」
「恋する乙女ねえ…… ん?」
駐車スペースに車を停めると、克実と早紀は玄関に向かって歩き出すと同時に声を上げた。夢か幻か、そこにいるはずのない人物を眼にしたのだ。
「森園優美!」
克実は驚嘆の声を上げ、その後ろで早紀は狼狽のあまり転倒しかけたが、まさか自宅の前で遁走するわけにはいかなかった。
「…………」
数時間越しの再会は、気まずかった。克実も早紀も、なぜ優美に身元が漏洩しているのか、そのことのみを頭の中に浮かべていた。考えられる可能性はいくつかあるが、単純に尾行されていたとしたなら自身の運転技術に問題があったということになる。克実はもう少し慎重になるべきだったと悔やんだ。
「……また、お会いできましたね。正確には三時間十四分振りですけど。私寂しくて寂しくて死んでしまうかと思いました。もう、恋人をこんなに不安にさせちゃ駄目ですよ」
「こ、恋人じゃないし、不安にさせた覚えもないんだが。お、お前、どうしてここにいるんだよ」
声が震えてしまったが、問いたださなくては、克実には到底納得できそうにもなかった。
「どうして、でしょうね。どうしてだと思います?」
「質問してんのはこっちだぜ? 大体、お前はどこまで俺につきまとえば気がすむんだよ」
「言いましたよね? 私は地獄の果てまであなたについていくと。私はそれを実践したまでです」
「ぐ……」
指摘され克実は歯軋りをした。そう言えばそんなことを言っていたような気もするが、普通家にまで押しかけてくるだろうか。こんなことなら、優美を結婚詐欺のターゲットに選ぶんじゃなかったと、心底後悔する。克実は視線を下に落とし、顔を見られないように優美の横をすり抜け、マンションのホールの前まで立つと、ゆっくりと後ろを向いて言った。
「なに、してんだ?」
「は、はい?」
唐突にそう問われ、優美は短く答えた。
「部屋。来るんだろ? どうせ嫌って言ったって揉めるんだからな。こうなったら部屋まで招いても同じことだ。断っておくが、変なことしたら叩き出すからな」
「は、はい! つまり、変なことじゃなければいいんですよね。私、嬉しいです。あなたが私のこと受け入れてくれて。行きましょう、行きましょう。気が変わらないうちに、早く!」
「お、おい。そんなに腕を引っ張るな」
抗議の声をあげたが、今までにない優美のはしゃぎようと、腕に絡みつく二つの弾力にどぎまぎし、とても振り払えそうになかった。優美は克実の心境など知らずに、ぐいぐい先へと急んだ。